第35話 人心
前回までのあらすじ!
ドラゴンをぶん殴るぞ!
現在、ケルク村にはキオ国兵が少なく見積もっても一〇〇〇名と、その近くには身を潜めているはずの村人が四五〇名近くいる。
ざわっと肌が粟立った。
ドラゴンが翼を上下に振り始めた。叩きつけられる大風に、大和とウシュラは両足で踏ん張りながら、武器を振るい続けた。
もう四駆はない。一度飛ばれてしまったら、追いつくことはできない。
「下がってくださいっ!!」
離れた位置で呪文を唱えていたオフィーリアが、杖を手の中で取り回して大地へと深く突き立てた。
瞬間、退避の遅れた大和やウシュラをも転がして、大地が無数の大蛇のように迫り上がり、膝を曲げて翼をはためかせ始めたドラゴンの身体へと次々と巻きついていった。
浮遊しかけていた両足が、その重量によって再び大地へと押さえつけられる。
――ギャアアアアァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
大地の大蛇が次々と口を開け、ドラゴンの肉体へと牙を突き立ててゆく。付近一帯が鳴動し、地形が変化するほどにドラゴンは暴れているのに、大蛇はその数を徐々に増して空の怪物を大地へと拘束してゆく。
ドラゴンの魔力を利用すれば、魔女はこれほどまでに強力な魔法が使えるのか!
土を舐め、大和は身を起こした。魔女は杖を立てたまま歯を食いしばっている。かなりの負荷なのか、全身は震え、顔色が青白く変化してゆく。
「逃、がさ、ない……!」
途切れ途切れに呟くオフィーリアの額から、凄まじい量の汗の玉が伝い落ちてゆく。ドラゴンが暴れるたびに大蛇は砕かれ、しかし新たに生み出されては巻きついてゆく。
やがて、ついにドラゴンの全身を大地に縫い止めることに成功した。
「い、まの、うち、に……! 長く、は、もちま、せん……!」
ウシュラが亜種ならではの運動神経で短刀を交互に突き立て、鱗を足場にしてドラゴンの背へと跳び乗り、押さえつけられた赤黒い首を駆ける。
「がぁっ!!」
さらに高く跳ねたウシュラが、二振りの短刀をドラゴンの右の瞳へと突き下ろした。
――ギャアアアアァァァァッ!?
大地の大蛇に囚われながらも首を上げたドラゴンが、ウシュラを振り払う。それでも後方宙返りで着地したウシュラへと向けて、ドラゴンが大口を開けた。
「ウシュラ!」
直後、小さな亜種の数十倍はあろうかという渦巻く炎がドラゴンの口から吐き出され、土塊の大蛇を次々と呑み込みながら彼女を襲った。
「ウシュラァァーーーーーーーーッ!」
樹海の樹木を次々と呑み込みながら、渦巻く炎は数百メートルを燃やし尽くす。
大和が絶叫する中、黒衣の魔女は大地に突き立てた杖から手を放し、両手で印を結ぶ。高速で呪文を唱え続ける唇の隙間から、血霧が散った。
「かは……っ」
魔女の膝が折れかけ、だが真っ赤に染まった歯を食い縛って耐える。
「ふ……ぐ……!」
大和は目を見張った。
ウシュラが渦巻く炎の中から飛び出した。その周囲にだけ、不自然に炎は灯らない。
「……魔法、を、多重発動、しまし、た……」
ウシュラは放たれた火炎を突き破り、ドラゴンの足もとに潜り込んで短刀を振るう。しかしその瞬間、隻眼となったドラゴンが自らの首を縛っていた土塊の大蛇を破壊し、鎌首をもたげた。
――ギャアアアアァァァァーーーーーーーーッ!!
「~~ッ」
「危ないッ、ウシュラッ!!」
鋭い牙が亜種の少女の肉体を噛み砕かんとしたまさにそのとき、走り込んだ大和がウシュラの身体へと体当たりをして、身を入れ替えた。
頼む、守ってくれ、イタリセ――ッ!
ドラゴンの大口が迫る。大和はイタリセの剣から作り出した日緋色金の棍を回転させ、大地ごと抉られて口内に呑まれながらも特大の上顎と下顎の牙へと棍を縦に挟み込む。
牙と棍が衝突し、凄まじい金属音を響かせた。
「く……、ぜってぇケルク村には行かせねえぞ……ッ!」
上下の牙に圧迫され、日緋色金の棍が悲鳴を上げる。
だが、緋色の金属は決して折れることも砕けることもない。もたげられた鎌首の中、つっかえ棒と化した日緋色金の棍につかまり、赤黒い鎌首に振り回されながらも大和は叫ぶ。
「ウシュラッ、もう片方の目を潰せぇぇぇーーーーーーーーッ!!」
地面に倒れ込んだままだったウシュラが両足を振り上げて短衣をなびかせ、勢いのままに跳ね上がって起きる。大蛇に縫い止められたままのドラゴンの背に跳び乗り、動き続ける頸部を走って頭部を踏み切り、ウシュラは宙へと身体を投げ出した。
「アアァァァッ!!」
ウシュラが全身を宙で回転させながら、すれ違い様に右手の短刀をドラゴンの左の目へと投げた。しかし一瞬早くドラゴンは鱗に包まれた瞼を閉ざし、短刀は弾かれる。
――ギャアアアアァァァァーーーーーーーーーーッ!!
「まだ……ッ!」
怒りの咆吼とともに瞼を上げたドラゴンの瞳へと、亜種の少女は宙で回転しながらも、もう片方の短刀を投げつける。
鋭い短刀が吸い込まれるようにドラゴンの黒目へと突き刺さった――!
堅いものを貫く音と、水の詰まった物体が破裂したかのような音が響いた直後、ドラゴンがこれまでにない規模の悲鳴を上げた。
――ギイィィァアアアアァァァァーーーーーーーーーーーーッ!?
大和を口内に抱えたまま長い首を乱暴に振る。
「いけない、大和!」
オフィーリアが叫ぶ。
ふいに生暖かさと不自然な空気の流れを感じ取った大和が、つっかえ棒にした日緋色金の棍からとっさに手を放して大地へと投げ出された直後、天をも焦がすほどの火炎がドラゴンの口内から空へと放射された。
「がは……っ! ぐ、うう……」
背中を強かに打ちつけ、息が詰まる。その大和の背をすり抜け様に両手で引っつかみ、ウシュラがその場から退避を試みる。
すべての土塊の大蛇を砕き切ったドラゴンが、大地へと向けて再び火炎を放射した。
ウシュラは背中を炎に掠めながらも、苦悶の表情で大和を抱えて走り続ける。
「ふぐ、う……! 大和……死ぬな……っ、……ウシュラを……一人にするな……!」
普段であればどのような足場をも駆け抜ける亜種のウシュラが、疲労と無数の傷口から流れ出る血液に力尽き、足を取られて大和を投げ出し転がった。
盲目となったドラゴンの口からデタラメに吐き出される火炎が二人を呑み込む寸前、黒衣の魔女は迫り来る炎の前へと飛び出す。
「ああああぁぁぁぁ――っ!」
オフィーリアが吐血しながらも炎を掻き消す。
しかし、それも一度のみ。同時に杖にすがりつくようにして、大地に両膝をついた。
「……か……は……、……も……もう……」
膝を落とし、肩で息をしながらうつむいた魔女の唇から、血と体液の混ざった液体が垂れ落ちる。やがて、数秒ともたずに魔女は前のめりに大地へと沈んだ。
大和は、崩れ落ちた魔女と亜種を最後の力で引き寄せ、二人を庇うように両腕で抱え込む。
「……ごめん……ありがとう……二人とも……」
徐々に薄れ行く意識の中で考える。やはり、自分はここで死ぬ運命だった。
だが、己が肉体の数十倍の体躯を持つバケモノの、両目を潰したのだ。やつはもう人間の姿を捉えることはできない。少なくともキオ国とケルク村は守れたはずだ。
オフィーリアとウシュラを死なせてしまうのは、痛恨の極みではあったが。
「……イ……タリセ…………」
うなされるように呟く。
樹海の大地を薙ぎ払いながらデタラメに吐き出され続ける炎は、いずれ倒れてしまった自分たちをも呑み込むだろう。日緋色金の棍はドラゴンの口内で、ウシュラの短刀も見失った。何よりもう、自分もウシュラもオフィーリアも、立ち上がることすらできない。
体力も、気力も、限界はとうに超えていた。
歪んだ視界が真横になってしまっていて、視力を失って炎を撒き散らしながら怒り狂うドラゴンが徐々に迫ってきていることがわかっても、指一本動かすことができない。
紫織……無事に逃げ切れたかな……。
迫り来る死に瞼を閉ざしかけた瞬間、風切り音がした気がした。それは、巨大なドラゴンにとっては、ほんの小さな針に過ぎなかったのかもしれない。
トッ、と小さな音がして、ドラゴンの鱗を突き破って背中へと一本の矢が突き刺さった。
大地に伏したままの大和が、震える瞼を持ち上げる。
やがて矢はその本数を徐々に増やし、まるで大雨のようにドラゴンへと降り注ぎ始めた。そのときになって、ようやくドラゴンは全身をくねらせ始めた。
なん……だ……?
山際に太陽の光が溢れ出した瞬間、突如として背後から鬨の声が上がった。
倒れ伏した大和たち三人を呑み込むように、一〇〇〇のキオ国兵がケルク村の赤い鎧をまとう若者らとともに大地を駆ける。手に盾と槍を持ち、炎を吐き続けるドラゴンへと犠牲も厭わず突撃してゆく。
その中には、赤い鎧に身を包んだタタルの姿もあった。
両眼を失ったドラゴンには彼らの姿は捉えられず、もはや為す術もない。
何が起こっているのか、理解できない。
やがて、固定されていた大和の視界に見慣れた少女の足が映った。セーラー服のスカートの下は生傷だらけで、森を懸命に駆けてケルク村まで助けを呼びに行ったのが容易に想像できた。
ああ、そうか、と理解した。
この不思議な光景こそが、この日、颯真大和が最後に見た記憶だった。
残り三話です。




