第34話 追走、追撃
前回までのあらすじ!
太陽の魔女→未来の紫織
オフィーリア→不老の人造人間
ドラゴン→生態兵器
階上の王の間には、すでにカルベカイン一派の姿もアガルトの姿もなかった。それどころか、この騒ぎにも拘わらず一般兵の姿すら見えない。逃げ出したのだろうか。
大和たちは半壊した屋敷を飛び出し、正門をくぐったところで立ち止まる。
キオの街が、真っ赤に燃えている。鼻をつく焦げた臭い、ところ構わず立ち籠める黒煙。
「なんてこった……」
犠牲者数は? アガルトはどうなった?
「大和くん、こっち!」
紫織について屋敷の周回を走ってゆくと、父の四駆が横づけされていた。
「おまえ、ラジカセ設置するために、こんなところまで車で入ってきたのか!?」
「んなわけないじゃん! さっきのドラゴンの騒ぎに乗じて取ってきたんだよ! この紫織さんをあまり侮るなってーの!」
大和が肩までの栗毛を一撫でする。
「そうか。そうだな。良くやった、運転を頼む」
「あいあい! 合点承知の助!」
この妹はいずれ天才科学者となり、ナノテクを使った魔法科学を開発する。成績に反比例してバカではないとは思っていたが、これほどの潜在能力を秘めていたとは驚きだ。
紫織が運転席に飛び込むと同時に、ウシュラとオフィーリアが後部座席に飛び込み、大和が助手席へと乗り込んだ。
途端にタイヤを空転させ、凄まじい速度で黒煙を突っ切って走り出す。
「おい、こんな視界でスピードを出すな! 人がいたらどうするんだ!」
「大丈夫! あたしが四駆取って来たときはもう誰もいなくなってたから! それにキオの街は区画整理がされてるから、直進すれば建物にはぶつからない……と、いいねっ!」
四駆が黒煙を掻き分けて防壁をフロントグリルで破壊し、一分とかからず街を抜け出した。疎らながらも、すでに樹木が見え始めている。
「道案内がいないから、樹海に入って小川沿いの街道を直線距離でぶっ飛ばすからねっ! 揺れるよ、みんな、しっかり掴まってて!」
均されているとはいえ、舗装されていない砂利道だ。四駆を横滑りさせながらも、紫織はハンドルをぶん回す。飛び跳ね、沈み込み、滑り、また飛び跳ね、走る。
「アガルトがいなくてよかったよ……。あいつが乗ってたらゲロの海だ……」
「あっは、笑えな~いっ」
首都近くの均された道をあっという間に通り過ぎ、水飛沫を上げながら巨大な岩だけを巧みなハンドル捌きで回避して四駆は走る。もはや乗り心地がどうだ、などと言ってはいられない。四駆のボディもすでにデコボコだ。
だが、遺伝子操作生物――ドラゴンが集落付近に到達してしまったら、トゥンク婆たちには為す術もない。
「追いつけるか? 空を飛ぶ生物に」
「大丈夫。ドラゴンの飛翔速度はそれほどじゃなかったし、飛行持続距離もそんなになかったから。あいつ、キオの街を飛び越えたところで一度着地して、もう一度飛び直してた。あんな身体だもん、鳥のようにはいかないよ。羽と肉体のバランス悪すぎ。それに、ヒノモトはお伽噺の世界じゃないでしょ。それってつまり、いくらドラゴンだって物理法則からは逃げられないってことだよ。神話みたく無敵じゃないってハナシ」
冷静だ。追い詰められたときの機転は、自分を超えている。
紫織の言葉を裏づけるように、樹海の至るところに生木の折れている空間がある。ドラゴンが着地をした跡だ。
「おまえ、気づいてたのか? ヒノモトのこと」
「なんとな~くだけど」
ハンドルを切って大木を回避し、紫織はアクセルを踏み込む。
「ヒノモトは異世界なんかじゃない。先史文明の遺跡なんてなくたって、何百年、ううん、もしかしたら何千年、何万年後かの日本。それも物質文明崩壊後のね」
こいつはやはりただのアホではないと確信する。情けないことに、自分は王の寝所の地下室にある兵器や記録まで見て、ようやく確信を得たというのに。
いや、本当はわかっていた。だけど信じようとはしなかった。信じたくなくて目を背けていた。
「あたしたちをヒノモトに導いたのは、太陽の魔女の可能性が高いってイタリセは言った」
「デズデモーナ。太陽の魔女の名は、デズデモーナです」
オフィーリアが呟くと、紫織がハンドルを切りながらうなずいた。
「たぶん、あたし。オフィーリアは十五年以上前の記憶がないけど、その頃から今の姿のまま変わってないって言ったよね。それって地下にあったさっきの碑文の通りなら、魔女は永久の生命を持つ生物、つまりドラゴンと同じく遺伝子操作をされた亜人ってことになる」
オフィーリアとウシュラが顔を見合わせて、首を傾げた。理解できないことを知った上で、紫織は大和にだけ伝わるように話していた。
「可能なのか、そんなこと」
「わっかんないよ。あたし、今はまだバカだもん。でも、ヒトの細胞は六年くらいで全部入れ替わるけど、樹木は何千年も生きられるよね。あれって、ヒトの細胞はテロメアによって分裂可能回数が設定されているから寿命が存在するけど、樹木にはその設定がないからだって聞いたことがある」
本当に、勉強と関係のないことだけはよく知っている。
「ああ。ヘイフリック限界は樹木には存在しない。大樹の主な死因は落雷事故や病気だ」
太陽の魔女デズデモーナ。月夜の魔女オフィーリアにはそれが設定されていない。つまり、ドラゴンと同じく創られた生物ということだ。
もしかしたら、オフィーリアの記憶喪失の原因もそれに起因しているのかもしれない。正常な人間の記憶が何千年保つのかはわからないが、本来存在したはずの脳細胞のヘイフリック限界を超える際に、記憶が失われるのではないか。
すべては推測の域を出ないけれど。
「ナンチャラ限界は知んないけど、それってデズデモーナに創られたってことだよね」
さっきの碑文の主には、ドラゴンへのカウンター兵器として魔女を用意したと書かれていた。
「空を自在に飛ぶ魔獣ならともかく、翼を使って跳ねているだけのウサギちゃん。だったら追いつけないはずがない! それに、あたしたちにはドラゴンの天敵とも言えるオフィーリアがいる! ここまで揃ってて止められない道理はない! でしょ!?」
それまで押し黙っていたウシュラが、難しい顔で呟く。
「おまえの話はよくわからん。だが、あれはウシュラたちに倒せるものということか?」
紫織が運転席から振り返って、親指を立てた。
「そゆこと。オフィーリア次第だけどね」
「い、いいから前を向いてください、紫織! ぶつかってしまいます!」
オフィーリアの必死の形相をした抗議に、彼女を除く全員が思わず相好を崩した。
強張っていた全身の筋肉が、徐々にほぐれてゆく。
「うしっ、そうと決まれば、やれるだけやってみるかっ! 頼むぞ、オフィーリア!」
「ぶぶ無事にたどり着けたら、がが頑張ります……」
四駆はその車体に無数の傷を入れながらも、月の夜を疾走する。
やがて、追いつけると断言した紫織の表情すら不安げに曇ってくる頃、樹海を飛ぶドラゴンの姿をようやく捉えることに成功した。
「いた! 飛んでる!」
「並走しろ!」
すでにケルク村は近い。
村人は避難させているものの、ここまで鉢合わせなかったということは、ケルク村を制圧するために向かったキオ国兵一〇〇〇はまだ村にいるということだ。
彼らはシノタイヌ王の圧政が終わったことを知らない。彼らは隣国からの侵略リスクを減らすためには絶対に必要な人材だ。だからクーデター成功後に反感を買わぬよう、極力犠牲者を出さない作戦を練ってきた。
キオ国としては、こんなところで兵力を失うわけにはいかないのだ。
「次の着地点を狙う! 限界まで近づけ、紫織! オフィーリア、準備はいいか!?」
オフィーリアは仕込み杖を両手に瞳を閉じ、すでに口内で呪文を唱え始めている。
「ウシュラ。すまん。たった二人しかいないけど、おれたちでオフィーリアを援護する。覚悟を決めてくれ」
ウシュラが金色の髪を揺らして、銀色の尻尾を勇ましく立てた。狼のような黄金の瞳が、力強く輝く。
「願いは必要ない。命じろ。ウシュラはいつも大和と一緒だ」
四駆が跳ね上がり、ケルク村とキオの街を結ぶ小川の小道を外れて、樹海へと侵入する。木の根を踏んで左右に揺れながらも、空を行くドラゴンの背後へとつけた。
朝方近くの月光を遮る影が、突如として巨大なものに変化した。
「――そろそろよ、大和くん! ……気をつけて。大和くんの名前は碑文になかったから」
紫織もまた、気づいていた。大和が、ここで死ぬ可能性が高いということに。
『つらいことを経験する。身を引き裂かれるような思いになる』
それでも四駆は停まらない。ドラゴンを追い越して。
「それがどうした、退かねえぞ、紫織! こちとらイタリセと約束してんだ!」
「わかってる! 誰よりもっ! 絶対絶対っ、誰よりもっ!!」
紫織が大声で叫ぶと同時にハンドルを切って車体を横にし、四駆を停めた。ドラゴンの翼から生み出された凄まじい風圧が、折れて吹っ飛んでくる樹木を伴って襲い掛かる。
鋭いかぎ爪を持った大木のような足で着地し、大地を激しく鳴動させた。
今だ――!
「だから、こんなところで死なないでよねっ!!」
「あたりまえだ、バカ野郎! 紫織はどっかに避難してろ! ――行くぞ、ウシュラ、オフィーリア!」
降り注ぐ岩や樹木の欠片がフロントガラスを突き破り、紫織が頭を抱えて悲鳴を上げる中、大和が、オフィーリアが、ウシュラがドアを開けて飛び出した。
しかし大地に降りたった巨大なドラゴンは、再び飛び上がるべく両足を曲げる。
もう跳ぶのか!? 間に合わない――ッ!
ドラゴンが翼を広げた瞬間、けたたましいクラクションの音が樹海に響き渡った。大和たちを降ろした四駆が、クラクションを鳴らしながらドラゴンの足へと突っ込んで行く。
「こんッッッちきッしょおおおぉぉぉーっ!!」
「紫織!」
赤黒く、ごつごつとした鱗だらけの首が持ち上げられ、白目のない巨大な眼球が足もとを走る四駆へと向けられる。無数の牙を持つ口が大きく開かれた瞬間、運転席のドアから紫織が飛び出して転がり、四つん這いになって岩陰へと飛び込んだ。
「わ、わわわわぁぁぁ! ごめん、とーちゃん! 家に続いて四駆も潰しますぅぅぅ!」
直後、ドラゴンが自らに近づく四駆へと向けて炎を吐いた。閃光に視界が眩む中、炎に包まれながらも四駆は突き進み、ドラゴンの足に当たって爆発を巻き起こした。
――ギャアアアアァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
ドラゴンの両足がふらつき、苦悶するように巨大な首を左右に振った。だが決定打にはならない。引火させるガソリンの量が少なすぎた。
「飛ばせるなッ、ウシュラ! 石碑通りならやつは人間を狙うはずだ! 引きつけろ!」
「まかせろ!」
樹木が次々と炎を宿してゆく中、大和とウシュラが炎をかいくぐって疾走し、ドラゴンの足へと棍を叩きつけ、刃を突き立てた。
「おおおぉぉッ!」
「がああぁぁッ!!」
赤黒い血液のような色の鱗が弾け飛ぶも、ドラゴンは攻撃をする大和やウシュラよりも、炎の塊と化した無人の四駆に喰らいつき、持ち上げ、口内で噛み砕いてから、鉄屑と化したそれを遙か遠方へと吐き捨てた。
「クッソ! 効いてんのかよ、これ!」
近づけばわかる。絶望的なまでの巨体。
首をもたげれば二十メートル近くはあろうかという全長に、一枚十五メートルほどの翼を広げ、再びドラゴンが足を曲げる。
「アアアァァァッ!!」
ウシュラが二振りの短刀を交互に振り、鱗を剥がした箇所を集中的に斬り裂いてゆく。それでもドラゴンはウシュラを見ない。
ダメだ! たった二人の人間の攻撃なんて、歯牙にもかけてない!
大和は日緋色金の棍を振るい、渾身の力を込めて叩きつける。
「なんでおれたちを見ねえ! この腐れバケモノがッ!! てめえは人間の生命を消すために飛んだんだろうがッ!! おれたちは――人間はここにいるぞッ!!」
自分の言葉で、ようやく気づく。こいつは、より多くの生命が存在するケルク村方面へと向かおうとしているのだと。




