第31話 大将軍
前回までのあらすじ!
わんわん三等兵、お姫様だワン!
シノタイヌは立ち止まらぬまま、ジャラジャラとした装飾品をいくつも落としながら転がるように廊下へと走り出て、鉄扉を閉ざす。
「糞っ! ここまで来て逃がすかよっ!!」
アガルトがすぐさま追いかけるも、閂でもかけられたのか扉はびくともしない。大剣で扉を叩いても、金属製の扉が開くことはなかった。
「王は、逃げたか」
カルベカインが何事もなかったかのように剣を構えた。鎧を失い、日緋色金の剣一本となったカルベカインの瞳は、なおも光を宿している。
全員が一斉に武器を構えた。扉を破るにせよ、屋敷ごと灼くにせよ、この将軍が動いている限り、そのような瞬間は決して訪れない。
大和は両手で強く棍を握りしめる。
「退け、カルベカイン。おれたちはあんたより弱いが、それでも力を合わせれば勝てる」
「言葉は無意味だ、颯真大和。私を退けたければ、どのような方法でも良い。この戦乱の世で皆を、民を守り抜けるだけの力と覚悟を示せ」
違和感の残る言い方にも、今は思いを馳せている場合ではない。一刻も早くシノタイヌを追わなければ、抜け道などがあった場合には手遅れとなってしまう。
「おおおおぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!」
「はあああぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!!」
緋色の軌跡同士がぶつかり合い、弾け飛ぶ。
足を灼かれて倒れ込んだ兵を跳び越え、ウシュラが亜種ならではの速さで王の間の壁を蹴って、カルベカインの死角から二振りの短刀を振るう。
「があっ!」
それまで、素早すぎるウシュラの攻撃だけは剣で受け止めていたはずのカルベカインが、片足を引いて半身で躱し、ウシュラの胴へと拳を放った。
「――がふっ!?」
ウシュラが胃液を撒き散らしながら床に落ち、跳ね上がって、かろうじて両足で立つ。日緋色金の剣は、アガルトが背後から振り下ろした大剣を受け止めていた。
「糞が! バケモノめ!」
「さがってください、アガルトさん! ――斬っ!」
オフィーリアが中距離から細剣に纏わせた炎を放つ。アガルトが身を低くし、ウシュラがさらに距離を取った直後、裂帛の気合いとともに日緋色金の剣が炎の斬撃を縦に斬り散らした。
爆炎が王の間を灼き、爆風が全員を下がらせる中、大和だけが炎に飛び込んで突き破り、日緋色金の棍をカルベカインの死角から頸部へと全力で振るう。
とった――!
「ぬるい」
瞬間、大和が感じたのは突風だった。
何が起こったのかすらわからないまま吹っ飛ばされ、脇腹に走った激痛に顔をしかめ、血液を撒き散らしながら王の間を転がる。
「く、あ……っ」
中腰で剣を振り切った格好から、カルベカインがゆっくりと体勢を戻す。
「バ、バケモノめ。何が魔女だ、何が亜種だ。てめえのほうがよほどのバケモノじゃねえか……ッ」
アガルトが呟き終わる頃には、カルベカインの全身はすでに彼の目前にまで滑り込んでいて、目を見開く暇すら与えず、緋色の斬撃を逆袈裟に放っていた。
為す術もなく、アガルトの巨体が浮いて背中から落ちた。急速に血溜まりが広がってゆく。
「民を守るためならば、私は喜んでバケモノにも身を堕とす。そう、ならざるを得なかった。貴方にその覚悟はおありか」
「だから気に入らねえんだよッ!!」
脇腹から血を流し、大和が棍を振るう。そのすべてを受け止めることすらせずに躱し、カルベカインが眉をしかめた。
大和はなおも踏み込む。
「その覚悟があるなら、どうしてシノタイヌなんぞを王として祀ってんだ、てめえ!」
「必要なのだ、王たる存在が。たとえ少数の集落を灼こうとも、大多数を守るために」
あたらない。あたらない。あたらない。
すべての攻撃が躱される。大和の攻撃はもちろん、オフィーリアの魔法やウシュラの二本の牙ですら。
思い知らされた。身を守るための白銀の胸当てなど、この男にとってはただの錘にしか過ぎなかったことを。
空を斬る。何度も、何度も。涼しい顔すら崩すことができない。
だが、もう少し! もう少しで!
「ぐっ」
大和が脇腹を押さえて膝をつく。迫るカルベカインへと、ウシュラが飛び込んだ。
「がああああぁぁぁぁっ!!」
両手を使った二振りの斬撃を亜種ならではの速度で繰り出し続けるも、カルベカインの歩を止めるだけで精一杯だ。両者の斬撃を見極めることは、大和であっても難しい。ともに足を使い、予想だにできない動きで両者が打ち合う。
「退きなさい、サーシュラ様」
いくつもの火花が高速で散っては消え、それでもウシュラの体表面には次々と赤い筋が通ってゆく。ウシュラの膝が折れかけて、かろうじて踏ん張る。
牙を剥き、短刀を振るって。
「ウシュラはケルク村のウシュラ、イタリセの娘だっ! そんな名じゃないっ!」
「無茶だ、ウシュラ! 逃げてくれ!」
棍を杖にして立ち上がろうとした大和の腕を、オフィーリアが両手で支えた。
「待って、大和! 先に血を止めます! 痛みますから歯を食いしばって!」
「く……、早くしてくれ! ウシュラが保たない!」
オフィーリアが細剣の炎を左の指先に移し、そのまま大和の脇腹を焼きつける。
「ぐううう……がああああああッ」
肉の焦げつく臭気の中、気が遠くなりそうな痛みを、ウシュラの決死の奮闘を視界に入れることで押し殺す。
「終わりました。ですが、このままでは全員――」
「わかってる! だけど、もう少しなんだ! おれたちは勝てる!」
柔らかな金髪を鮮血に染めたウシュラが二振りの短刀を弾き返され、腹部を蹴られて吹っ飛ばされた。
「ウシュラ!」
「が……ぐ……うっ、うう、ううううぅ……あ、ああぁぁ……」
それを受け止め、大和は絶句する。ウシュラは悔しげに涙を流していた。
「なんでだ……? なんでウシュラの家族……みんないなくなる……イタリセも、父も、母も……。……ウシュラにはもう大和たちしかいない……。大和が死ぬのは嫌だ……。……ウシュラはもう、耐えられない……」
大和がウシュラを背中に隠し、平然と無傷で歩み寄ってくるカルベカインを睨みつげた。
「残念だ、颯真大和。貴方には資質があったというのに、……早すぎた。まだ我々は出遭うべきではなか――っ」
その瞬間、少なくともこの場には存在し得ないはずの微震が王の屋敷に響き渡った。空気を伝い、壁を抜け、空間を震わせ、それはすべての生物の聴覚へと滑り込む。
音の波。
戦場にのみ荒々しく響く、数百もの兵らが己を鼓舞するために上げる鬨の声――!
颯真大和のしかけた最後の罠。キオの街に響き渡るほどの大音量で雄叫びは等しく空より降り注ぎ、闇夜の静寂を容赦なく破壊した。
シノタイヌの屋敷近く。
大和は、紫織を無駄に待機をさせていたわけではない。兵舎の脇には時代遅れのラジカセが置かれている。ケルク村をキオ国兵らが攻めたときに、録音していたものだ。
大和の口角が引き上げられた。悪党のように。高揚する心のままに。
「援……軍……?」
カルベカインの視線がほんの一瞬だけ彷徨う。何事か、と。
颯真大和の援軍、ケルク村の伏兵か。もしくはカヒノ国の夜襲か、と。疑心と、驚愕によって。
むろん、イタリセとの修行で強くなったとはいえ、本来であれば一介の高校生風情が彼の大将軍の隙を見極められるものではない。だが、そんなものを見極めるまでもなく、大和は鬨の声を耳にした瞬間に床板を蹴っていた。
虚を、衝いた。
「シッ!」
反射的に引かれたカルベカインの剣を持つ手を、日緋色金の棍で打ち砕く。
骨の音がした。
穏やかな瞳が激痛に見開かれる。大和は棍を両手の中で滑らせ、中心から端へと持ち手を変える。とっさに後方へと跳んだカルベカインの胴へと届く、長さに。
これを外せば勝ち目はない――!
「ヤッ!」
右腕に響く確かな手応え。内臓にまで達する、鈍く重い感触。
「か……は……っ」
持ち手を中心に戻して迷うことなく深く踏み込み、苦悶に歪むカルベカインの側頭部へと棍を薙ぎ払う。
「あああああぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!」
がつん、と両腕に衝撃が走り、再び骨の音が響いた。
殺す気で殴りつけた。
それでも吹っ飛ばずに踏み留まったカルベカインの心臓部へと、持ち手を滑らせて再び端をつかみ、渾身の力で棍をもう一度突き刺す。
「――落ちろッ、カルベカインッ!!」
緋色の棍が鍛え上げられた筋肉を掻き分け、三度、骨を砕く。
「がは……っ」
連撃のすべてを受けたカルベカインの身体が高く浮き上がり、口から大量の血液を撒き散らしながら、背中から床板へと落ちて転がった。
日緋色金の棍を手の中で取り回し、大和は肩で息を整えた。脇腹の痛みが今になって思い出され、片膝を崩す。
カルベカインは動かない。
か、勝った――。
「しょ、将軍! き、貴様ら、よくもカルベカイン将軍を!」
魔女の魔法で灼かれ、倒れていたカルベカインの私兵らが殺気を放ち、よろめきながらも立ち上がる。その数は全体のおよそ半数、二十ほどか。
「ぐ……」
立ち上がろうとした大和の膝が、再び崩れた。
アガルトは気絶、ウシュラはかろうじて立っているだけで、すぐに戦えそうなのはオフィーリアだけだ。だが、彼女の魔法に力を与える媒体だった炎は、もう一欠片も残っていない。ライターはどこかへ吹っ飛ばされてしまったし、蝋燭の火も兵たちによって消された。
剣術だけでは、さしもの魔女も一般兵と変わらない。
「……逃げ……ろ……、……オフィーリア……」
「できません」
オフィーリアが細剣を構え、じりじりと距離を詰める兵たちを睨む。
「よせ、おまえたち。もういい。私の負けだ」
朗々とした声で言い放ち、倒れていたカルベカインが膝を立てた。
「な――っ」
「立てるか、颯真大和」
日緋色金の剣を拾うことすらなく、口もとの血を拭いながら歩み寄るカルベカインの前に、オフィーリアが立ちはだかった。だが、細剣の剣先が小さく震えている。
「ち、近づかないでくださいっ」
「魔女よ。私の負けだ。剣を収められよ。颯真大和の武器が槍であったならば、私はすでにこうして立っていることすら適わなかった。認めよう、敗北を」
唖然としているオフィーリアの横を堂々と歩き、カルベカインが膝を折ったままの大和の腕をつかみ、引き上げた。
「立て。まだ終わってはおらぬ。貴方は始末をつけなければならぬはずだ」
「あ、ああ」
大和がゆっくりと立ち上がる。
「ふ、どのような方法でも良いとは言ったが、これはいったい如何なる魔法だ? 伏兵など、この街に入り込む隙はなかったはずだ」
鬨の声は、いつしか剣戟の音へと変化してキオの街へと降り注ぎ続けていた。
「魔法じゃない。おれのいた国にあった、娯楽用の玩具だ。周囲の音を拾い集め、同じように何度も再生……発することができる絡繰りだよ。ただのな」
口から流れる血をさらに拭き取って、カルベカインが緩い笑顔を浮かべた。
「娯楽? 玩具……か。なるほど、さすがにそれは読めない。貴方のいた国は、さぞやおもしろい国であったのだろうな」
カルベカインが再び片膝をつく。ダメージではなく、自ら片膝を落としたように見えたのは気のせいだろうか。
「急がれよ、颯真大和。これより先に抜け道はない。シノタイヌ王は必ずそこにいる。だが、寝所の地下には強大な魔獣が存在する。私が貴方に敗れたと知れば、おそらくシノタイヌ王はやつを解放するだろう。さすれば民の多くが犠牲となる。頼めた義理ではないが、貴方にはそれを阻止して欲しい」
「あんた、いったい何を考えて――」
眉をひそめた大和の言葉を遮って、魔女が早口に言った。
「問答をしている時間はありません、大和。行きましょう。先ほどから、地下より強大な魔力の流出を感じています。ただの魔獣であれば魔力の流出などあり得ない。神格魔獣か、もしくは――」
オフィーリアが何かを考え込むように押し黙った。ただ事ではないことだけは、その表情からも見て取れる。
「わかった」
ウシュラがオフィーリアの黒衣を片手でつかみ、どうにか立ち上がる。
「ウシュラ、無理をしては……」
「ウシュラは亜種。ただの人よりは頑丈だ。回復も早い。それに、紫織と約束した。ウシュラは大和を守らなければならない」
ウシュラが転がっていた短刀を二振り拾い上げ、鞣し革の鞘に滑り込ませた。
「大丈夫。ウシュラはまだ戦える」
カルベカインが膝をついた体勢のまま、ウシュラへと頭を垂れた。
「サーシュラ様。数々の非礼をおゆるしください」
「おまえが大和を傷つけるなら、ウシュラはいつでも戦う。敵わずともだ。そうでないなら、どうでもいい。それから、ウシュラはシノタイヌを討つ。邪魔をするな」
「……御意。あれでも現王ゆえ力にはなれませぬが、せめて道は開きましょう」
カルベカインが立ち上がり、日緋色金の剣を拾い上げた。そのまま王の寝所の扉の前まで行くと、呼吸を整え、裂帛の気合いとともに扉を斬る。
凄まじい金属音がした後、閂が落ちる重い音がして、金属の扉がゆっくりと開いた。
「さあ、行かれよ」
大和の視線が、未だ立ち上がらない仲間へと注がれる。
最もヒドく傷を負ったアガルトは動かない。カルベカインを相手に、二度もオフィーリアを庇って無理をしたのだ。
単細胞で口は悪いが、まっすぐで気の好い男だ。
傷口はいつの間にかオフィーリアが焼いて塞いでいたようが、危険な状態だ。それでも置いて行くしかない。
「カルベカイン。あんたは敵だが信用はできる。この男をあんたに任せたい。大切な友だ」
「承知した。手を尽くすことは約束する」
正気の判断ではないことくらい理解している。だが、今は他に方法がない。
「十分だ。――行こう。オフィーリア、ウシュラ」
魔女と亜種とうなずき合い、大和は痛む身体を引きずって寝所へと続く廊下を走り、最後の扉に手を掛けた。
王の間で再び膝をついたカルベカインは、長いため息とともに倒れた五十の手勢を振り返る。鎧は溶けているというのに、火傷は生命を脅かすほどではない。刀傷だらけであっても、臓腑にまで達した者はいない。
戦場においては、不自然だらけだ。
「追うなよ、おまえたち。私が忠誠を誓ったのはシノタイヌ王にではなく、この国と、すべての民に対してだ」
壁に背中を当て、カルベカインはゆっくりと瞳を閉じて口角を少し引き上げた。
「魔女を呑み、亜種を呑み、将まで呑むか。ふふ……、やはり彼の者には資質がある」