第30話 獣姫
前回までのあらすじ!
王様マジ鬼畜。
棍と剣との狭間で火花が散った。
鉄棍とは違い、日緋色金の棍は緋色の剣閃を受け止めても削れることはない。
「カルベカインッ! あんたのように聡明な将軍が、なぜ愚王に仕えてるんだ! 民を無闇に傷つけるなと言ったのは嘘だったのか! そいつはケルク以外の集落を灼いたんだぞ!」
先ほどまでと寸分違わぬ涼しい顔で、カルベカインは両手を振りきり、強引に大和を後方へと押し戻した。
「く……」
膂力の差は歴然。やはり地力が違う。
少々鍛えただけの少年が、歴戦の将軍に挑むこと自体が無謀なのだ。
だが、そんなことは始めからわかっている。
背中から落ち、追撃を逃れるために後方に転がって飛び上がり、すぐに体勢を立て直す。
四つん這いとなり吐血したアガルトへと、壁際に控えていたキオ国兵らが飛びかかった。
「させません」
魔女は右手に持ったライターのフリントホイールを回転させる。小さな火花はオフィーリアの魔力を得て巨大な獅子へと変貌し、アガルトへと飛びかかった兵を次々と呑み込んだ。
「ぐがあああぁぁっ!」
呑み込んだ兵らに炎を灯し、炎の獅子はさらなる獲物を求めて駆け巡る。だが、カルベカインの一太刀で獣は宙に霧散した。
「くっそ……!」
ほんの一瞬の攻防ではあったが、好機は潰えた。五十の兵に接近されるまでに、シノタイヌの生命を絶つことができなかった時点で勝ち目はほとんどない。
おまけに、魔女を恐れる兵もいない。おそらく彼らは一般兵ではなく、カルベカイン直属の私兵なのだろう。ケルク村で攻防戦を行った兵らとは練度が違う。一人一人が雑魚ではない。
カルベカインが日緋色金の剣を向けて、配下たちに言い放つ。
「捕らえろ」
「待て、カルベカイン。今少し余に話をさせよ」
肥え太った全身を重そうに持ち上げ、じゃらじゃらと装飾品を鳴らしながら、厭らしい笑みでシノタイヌが立ち上がる。派手に足音を鳴らし、大和たちを取り囲む兵を皮の余った手で押しのけて顔を覗かせる。
瞬間、ウシュラの殺気が膨れあがった。それを鋭敏に感じ取ったカルベカインが、シノタイヌを庇うように片手を挙げた。
「お待ちください、御館様。それ以上の接近は危険です」
「わかっておるわ。無能な将軍め。このようなところにまで敵の侵入をゆるしおって」
「……面目次第もございません」
無感情に返すも、カルベカインがその場をシノタイヌに譲ることはなかった。
ウシュラは動けない。この距離では、カルベカインの斬撃をかいくぐってシノタイヌを討つことはできない。
シノタイヌが厭らしい笑みを浮かべてウシュラを睨めつける。
「くひゃ、サーシュラ。銀狼との亜種とは、何ともおぞましき姿よ。浅ましい淫婦の血を受け継ぐだけのことはある。貴様の存在そのものが、我が一族の恥よ。のう、カルベカインよ?」
カルベカインはこたえない。ウシュラが眉をしかめた。
「ウシュラはそんな名ではない。ウシュラに母はいない」
「ん~? わからぬか、サーシュラ? 貴様の母親はなァ、余を裏切って魔獣なぞと結ばれ、貴様というおぞましき亜種を孕んだ阿婆擦れよ! 最期は余自らの手で斬り捨ててくれたわ!」
ウシュラの瞳が見開かれた。同時にカルベカインの表情に苦渋が満ちる。彼の将軍のこの表情こそが、この話の真実を物語っている。
なら、ウシュラこそがキオ国の――?
「ウシュラの……母……だと?」
カルベカインがウシュラとの戦いを頑なに拒んできた理由がようやくわかった。ウシュラが亡き王妃の忘れ形見だったからだ。
カルベカインが静かに語り出す。
「王妃は自らが処罰されることを予想し、産んで数日のうちに銀狼にサーシュラ様を託された。それを知らなかった当時の大将軍イタリセ殿は、数年をかけて王女を捜索し、幼い貴女を発見した。その後は貴女も知っての通りだ。イタリセ殿は救い出した子が亜種であったことからすべてを察し、自ら地位を捨て、王女を匿うためだけに村を造られた。それが今のケルク村だ」
カルベカインは淡々と語る。
「サーシュラ様、貴女はここへ来るべきではなかった」
誰も動かない。大和たちを取り囲んだキオ国兵ですらも、今の話を聞いてウシュラへと向ける刃に戸惑いが生じていた。
「………………ふざけ……るな…………」
だが、ただ一人。
「おお……ッ!」
ただ一人だけ大地を蹴る。全身をねじって日緋色金の棍を引き、踏み込みと同時にカルベカインへと放つ。
「ハァ!」
「――ッ!」
二筋の緋色の軌跡がぶつかり合い、火花を散らす。
「颯真大和ッ!」
「気に入らない! 気に入らねえぞ、てめえらぁぁぁ!」
怒気を放ち、大和は棍の中心へと手を持ち替え、回転させて緋色の斬撃を流すと同時、逆側でカルベカインの胸を胸鎧の上から強く打ち据える。
重く確かな手応えに、カルベカインの表情が初めて歪んだ。
「く……っ」
カルベカインが後方に滑り、その背に押されたシノタイヌが、息を呑んであわててヨタヨタと後退した。
「ひ、ひぃ! な、なな何をしているカルベカイン! さっさとその下郎を始末せぬか!」
大和は日緋色金の棍を手の中で回し、もう一度叫ぶ。
「気に入らないぞ、カルベカインッ!! なぜそれを知りながら、おまえはイタリセのように動かなかったッ!! なぜ今もウシュラに剣を向けているんだッ!!」
緋色の棍と緋色の剣が再び火花を散らす。
「貴方に何がわかる! 私はただ、この国の民を他国の侵略より守るのみ! イタリセ殿のように野に下っては、それすら叶わぬッ!」
打ち合うたびに両腕は痺れ、大和の汗だけが弾け飛んでゆく。
吹っ飛ばされては足を使ってバランスを取り、大木のように立つカルベカインへと打ち込む。
「無駄だ! 退け、颯真大和!」
「あんな話を聞かされて退けるかッ!!」
日緋色金の棍を回転させ、棍の両端で何度も連撃を打ち込んでゆく。だが、カルベカインはそのすべてを一本の剣で叩き落とした。
「国がなくなれば民は守護を失うのだ! 理解しろ!」
「民なくて国が維持できるもんかッ! あんたはそれをわかってただろうがッ!」
斬撃を受け止めた大和の身体が宙に浮き、後方へと吹っ飛んだ。
「はあぁ!」
入れ替わり、黒衣が宙で翻る。
オフィーリアが細身の剣を突き出すも、カルベカインは皮膚一枚分の間を取って首を傾け、オフィーリアへと緋色の刺突を繰り出す。それは正確に紫織のライターのみを弾き飛ばし、オフィーリアの追撃の手を止めさせた。
「オフィーリア!」
「御免ッ」
緋色の斬撃が魔女を襲う。
「させるかよォ!」
だが、その斬撃をアガルトの大剣が受け止め、低く潜り込んだウシュラがカルベカインの足を短刀で払った。
「があぁっ!!」
しかしそれすらも低く跳んで躱し、カルベカインは裂帛の気合いとともに日緋色金の剣を横薙ぎに払った。オフィーリアへと放たれた斬撃をかろうじて大剣で防いだアガルトが弾き飛ばされ、ウシュラとオフィーリアを巻き込んで勢いよく床に転がる。
が――。
「あああぁぁぁっ!!」
飛ばされる彼らを跳び越えて、颯真大和はカルベカインへと棍を振り下ろした。
カルベカインの表情が変わった瞬間、日緋色金の棍がカルベカインの肩当てへと叩き下ろされた。臓腑に響くほどの重い音を鳴らして白銀が破片となって飛び散り、カルベカインが片膝をつく。
「ぐう……っ」
「ひ、ひぃぃぃ! な、何をしておる貴様ら! カ、カカカルベカインを助けよ! 斬れ、斬れ、やつらを殺せぇぇーーーーーーっ!」
シノタイヌの悲鳴にも似た命令が響いた瞬間には、床を舐めたはずの魔女はすでに口内で長い呪文を唱え終わっていた。部屋の至る箇所に立てられていた蝋燭の炎が一繋がりの大蛇と化し、武器を手にした兵らを次々と呑み込んでゆく。
断末魔のような悲鳴が幾重にも重なる。炎の大蛇は高熱の牙で鎧や武器を溶かし、勢いのままに五十の兵らを壁へと叩きつけてゆく。
「殺しはしません。大和の命令だから。……あなた以外は」
左手の指を刃に滑らせ、細剣に炎を纏わせたオフィーリアが、寝所へと続く扉へと逃げ出したシノタイヌの背中へと、燃える細剣を横薙ぎに払った。
「すぅぅ――ハッ!」
炎がうねり、飛行する刃と化してシノタイヌに迫る。涙と鼻水を流し、全身の贅肉をぶるんぶるんと揺らしながら愚王が振り向き、悲鳴を上げる。
「あひ、ひぃぃゃあああ!」
しかし炎の刃がその背へと到達する直前、片手で壊れた白銀の鎧をつかみ上げて、カルベカインが炎の刃を叩き落としていた。
カルベカインの手から、半ばまで熔解した白銀の胸当てが投げ捨てられる。




