第29話 人間の屑
前回までのあらすじ!
爆ぜろ。
大和が丘を駆け下りると同時に、紫織を除く全員が走り出した。
なるべく音を立てないように気をつけながら樹木に紛れて疾走し、街を囲む木製の防壁を乗り越えてキオの街へと侵入する。
農耕や狩りで生計を立てるケルク村とは全然違う。
家屋の屋根は茅葺きではなく瓦になっており、通りは広く、舗装こそされていないものの堅く均され、京の街のように区画整理がされている。まるで弥生時代から江戸時代にまでタイムスリップしたかのようだ。
それだけで、中央集権主義の政治が見て取れる。
だが、注視すればわかる。家屋の壁は見窄らしくひび割れ、無人と思われるものも少なくない。ハリキラの言った通り、愚王は中央の兵と王侯貴族にしか富を与えていないようだ。
むしろ都合が良い。王を討った後、首都の民にも恨まれることはなさそうだ。
見回りのキオ国兵らを路地に隠れてやり過ごし、アガルトの案内で最奥を目指す。
広い。現代日本の小さな街程度であれば、丸ごと一つ収まるほどだ。推定人口は五桁といったところか。
時計がないので定かではないが、足音を殺して通りを駆けること、およそ四半刻。長い長い漆喰塀に囲まれた、巨大な屋敷へと辿り着いた。
漆喰塀が高い。街を囲む防壁よりもだ。
「ここだ。どうやって侵入する? 兵舎が近い。もたもたしてると、すぐに兵たちが見回りに来る」
そう呟いて振り返ったアガルトの背中を駆け上がって肩を蹴り、ウシュラがあっさりと自らの倍はあろうかという漆喰塀に跳び乗った。
間髪容れず、伸ばされたウシュラの手をつかんだオフィーリアが黒衣をはためかせて駆け上がり、二人の女性の手をつかんで大和が漆喰塀に跳び乗った。
「来い、アガルト」
「お、おお」
まるで打ち合わせていたかのような三者の動きに唖然としたアガルトを引き上げて、大和は庭園に静かに飛び降りた。
続いてウシュラ、オフィーリア、アガルトが着地する。
「いいか? 自分の生命が危険な場合は判断を任せるが、なるべく殺すな。おれたちの目的はシノタイヌ一人だ。もしも兵が集まってきた場合、シノタイヌを人質にして脱出する」
「それができねえ場合は?」
大和は一瞬の躊躇いもなく呟いた。
「殺せ。その後は難しいだろうが、各自で生き延びて脱出だ」
おそらく不可能であるとは思うが……。
死が近い。とても身近に感じる。これまでになく。だが、なのに。
どくん――心臓は高鳴る。強く、熱く、鼓動を刻む。頭は冴え渡り、心は高揚する。こんなこと、日本にいた頃に感じたことはない。
うなずき合い、身を低くして走る。錦鯉の泳ぐ小さな流れを跳び越え、見回りをやり過ごし、縁側から廊下へと身を滑り込ませる。
アガルトが囁く。
「奥だ。王への謁見の間は最奥にある。寝所はさらにその奥だ」
一定間隔で廊下の壁に設置された蝋燭の炎が、わずかな音を立てて揺れた。
足音を立てずに四つの影が廊下を疾走する。高鳴る心音が、左右の障子を通して兵らに聞こえまいかと、嫌な想像が脳裏を過ぎった。今にもこの障子が勢いよく開き、無数の兵があふれ出してくるのではないか、と。
生唾を飲む。アガルトやオフィーリアはもちろん、普段は無表情なウシュラですら、緊張に汗が滴っている。
だが、それらの想像は杞憂に終わった。
「見えたぞ。王の間だ」
それぞれに獲物を抜いて、大和が廊下最奥にあった両開きの障子に手を掛けた。目線だけで合図をし、息を大きく吸って開け放つ。
同時にウシュラとアガルトが飛び込んだ。続いて大和とオフィーリアが王の間へと侵入した瞬間、闇に包まれていたはずの広大な間に、いくつもの炎が灯る。
「――ッ!?」
大和の瞳が見開かれる。
王の間を囲むように、壁際に騎士装備のキオ国兵らが立っていた。それも、すでに抜刀した形で。その数およそ五十。
心臓をつかみ上げられたかのような感覚がした。
だが、大和が驚いたのは、兵の待ち伏せではなかった。
王の座に、荘厳なマントに身をくるみ、金色の首飾りや輝く石で着飾った、醜く肥え太った男がいたから――でもない。
他の兵らに比べて軽装の白銀の胸当て、すらりとした長身に穏やかな眼差し。三〇〇〇の兵よりも危険なその青年は、王を守るべく、そこに立っていた。
やられた……。奇襲まで読まれていたのか……。
「なぜ、どうしておまえがここにいるんだッ!? カルベカインッ!!」
狼煙の色は、確かにカルベカインの出立を示す色だった。ならば、読まれた上で逆手に取られたということか。この世界に存在しないはずの四駆の移動速度など、計算に入れようもないはずなのに。
あり得ないだろ……!
「まさかとは思ったが、つくづく貴方には驚かされる、颯真大和」
日緋色金の剣が抜かれる。それだけで圧力が増したような気がした。
「疑問に思うまでもない。私がそうしたように、貴方も影武者を使い、夜襲を仕掛けてくるという恐れを考慮に入れたに過ぎない」
そうか、と気づく。
昨日までケルク村にいた颯真大和が影武者だった場合、国軍より数に劣る集落側の取れる行動は、シノタイヌ王の暗殺のみ。だからこそ、カルベカインは影武者を出立させ、自らは王のもとに残ったのだ。
「もっとも、私が征けぬゆえ、魔女殿の捕縛のためにかなりの兵力を割いてしまったが……その魔女殿もこの場にいるというのならば、貴方の策もあながち的外れではなかったのだろう。我が軍一〇〇〇は、無人のケルク村にて空振りといったところか。恐ろしいな、貴方は」
「嫌味にしか聞こえねえよ」
「颯真大和、貴方はやはり危険だ」
突如、カルベカインに守られる形で玉座に掛けていた男が嗤った。けたたましく、浅ましく、汚らしく、醜く涎を飛ばしながら。
「薄汚れた不届きな下郎どもが。よくも神聖なる余の屋敷を土足で穢してくれたものよ」
あれが、愚王シノタイヌ――!
「特に、そこの魔女」
オフィーリアの肩がびくっと震えた。
「貴様に至っては、余の国をも穢す魔獣以下の存在よ。だが、余は懐が深い。服従を由とするなら、其の方は余が面倒を見てやらんこともない。……くく、つらかろう? どこにも受け入れられぬ魔女の呪いとやらは。キオ国には、貴様のように千年呪われた魔女の居場所は、慈悲深い余の側をおいて他ない。呪われし月夜の魔女オフィーリアよ、余のものとなれ。さすれば余は魔女をも屈服させた唯一の国主として、ヒノモトの覇権を獲りにかかることができようぞ」
煌びやかな椅子の肘置きにもたれ、唇の端に溜まった涎を舌で舐めとり、愚王シノタイヌが厭らしく嗤う。
オフィーリアの肉体を、頭髪から足もとまで舐めるように眺めて。
「卑しき下賤の魔女よ。それでもそなたは美しい。……決して、悪いようにはせんぞ、くく」
大和の奥歯がぎしりと鳴った。
右手で日緋色金の棍を高く持ち上げ、王の間の床へと強く打ちつける。
激しい音と震動が、その場にいた全員の視線を颯真大和へと向けさせた。
こいつは、魔女の呪いが人為的に創られただけの偽物だと理解した上で、オフィーリアを追い詰め、利用しようとしている。それが今ようやくわかった。
殺意が湧いた。
だが、大和が口を開けかけた瞬間、オフィーリアが穏やかな口調で言い放つ。
「醜く愚かなりし人の王よ。魔女の呪いは千年も続きません。もしもわたしにその力があるのであれば、わたしはすべての魔力をこの瞬間に解き放ち、今にもこの国の歴を断ち切りましょう」
オフィーリアが仕込み杖から細剣を音もなく引き抜き、ライターのフリントホイールに親指をかけた。
不遜だったシノタイヌの態度が、途端に青ざめたものへと変化する。
「ひ……! も、もう良い! さっさと斬り払え、カルベカイン!」
「御意」
颯真大和は瞬時に計算する。
王の間中央と壁までの距離はおよそ十五歩。カルベカインやシノタイヌ王までの距離は、およそ二十歩。選択肢はもうない。
――王の捕縛が不可能な場合は、殺せ。
あらかじめ伝えておいた言葉だ。目配せすら必要ない。何の前触れもなく、真っ先にウシュラが飛び出した。カルベカインではなく、シノタイヌ王へと。
「ひっ、ひいぃぃぃぃぃ~~~~~~っ!? カ、カカカルベ――」
「があっ!」
シノタイヌへと飛びかかったウシュラの短刀を、緋色の剣閃が跳ね返す。短身痩躯のウシュラが後方へと跳ね返されて、両足で床板を滑った。
「貴女とは戦うつもりはないと言ったはずだ。ケルク村のウシュラ」
瞬間、カルベカインの背後の椅子にダラしなく座っていたシノタイヌ王の瞳が見開かれた。
「……ウシュラ? その汚らしい亜種が、サーシュラであると……? かはっ、きゃは! びゃひゃひゃひゃ! こいつは傑作だっ!! 我が一族|の恥部がッ、魔獣にさらわれてなお、みっともなく生にしがみついておったかッ!!」
涎を垂らし、玉座でシノタイヌ王が短い手足をばたつかせて嘲り嗤う。ウシュラに表情はない。
「おおおおぉぉ! くたばりやがれ、シノタイヌッ!!」
そのシノタイヌ王へと目掛けて巨大な剣を振り上げたアガルトへと、緋色の剣閃が薙ぎ払われる。アガルトの鎧が一撃で砕かれ、彼の巨体が重力を失ったかのように吹っ飛ばす。
「がっは……っ」
低く身を屈めていた大和は、その隙を衝いてカルベカインへと日緋色金の棍を薙ぎ払った。
やはりこの男がいる限り、シノタイヌに刃は届かない――!
肋骨を鎧ごと砕かれたアガルトが為す術もなく転がると同時、緋色の軌跡同士がぶつかり合い、二人の男の顔が近づいた。




