第25話 告白
前回までのあらすじ!
年寄りはせっかちだった。
トロルなど高位のヒトガタ魔獣に対抗するための落とし穴を転用し、穴底の面積を広くする作業は急ピッチで行われた。その間に北方砦からは村出身の百五十名規模の若い兵らがケルク村に入り、昼夜を問わず警備を務めることとなった。
大和が図面を広げて、村の若い兵たちに指示を下してゆく。
「可能な限り水路を広げて、流れに浅い部分と深い部分を作る。敵の攻めに合わせて、ダムの水を放流するんだ。水路と村の境目に落とし穴が来るようにしてほしい」
当初は大和を胡散臭げに見ていた若者たちも、村の年寄りたちの態度や発展したケルク村の様相、そして大和の合理的な策に、徐々に視線に熱を宿しつつある。
「落としてしまえば、あとは年寄りだけでもどうにかなる。網をかけて縁に杭を打ち、とりあえず捕まえておく」
「殺さないのか? 数を減らさねばきりがないぞ」
身体の大きな坊主頭の若い兵が、当然の疑問を口にした。
大和よりも二つ三つは年上だろう。
大和は腕組みをして逡巡し、顔を上げた。
「極力殺さない。だけど、自分たちの生命に危険が迫ったら、各々で判断してくれ。あんたが北方砦組の首魁か?」
「アガルトだ。トゥンクの孫だと言えばわかるか?」
大和がうなずく。
「トゥンク婆には世話になった。アガルト。力仕事は砦組で頼む。あと、鎧を年寄りたちに一度預けてくれ。同士討ちを避けるため、色を変えてもらう。赤だ」
かつて信玄公率いる武田軍は、甲冑を赤く染め上げることで敵に対する威圧を増したという。彼我の戦力差を少しでも感じさせぬため、是非ともあやかりたい。
「わかった」
「それと、涸れ井戸はあるか?」
アガルトが図面を指さす。
「イタリセの屋敷の裏の井戸はすでに死んでいるはずだが、どうするんだ?」
大和が顎に手をあて、口もとに笑みを浮かべた。
イタリセの屋敷は村の東端にあり、村の東には深い森が広がっている。
「東端か。都合が良いな。水路の下を通して、念のために地下に退路用の隧道を作ってくれ。距離は短くてもかまわない。だけど、出口は村から死角となる場所が望ましい」
「わかった。村には年寄りや子供が多いからな。退路があるにこしたことはねえ」
そうではない、と大和は言いかけたが、口には出さなかった。
この戦に勝ち目がないことは、すでにわかっている。だが、国軍には徹底して抗う姿勢を見せつけておく必要がある。
これは罠だ。一世一代、払えるだけの最大の対価を払い、国軍とカルベカイン将軍を騙すための。真実を話せば、村人の中には反対するものも出てくるだろう。だからこそ話さない。自身の掌の上で、敵も味方も、全員を転がさねばならない。
誰に憎まれようともだ。
アガルトが難しい表情で呟く。
「しかし大和よお、それだけの時間が取れるか?」
「大丈夫。中央までは馬を飛ばしても一日。徒歩では三日以上はかかる。先日カルベカインが来たとき、そのおよそ半数が徒歩だった。キオの国力じゃ、馬の数も不足してるってことだろ」
「あ、ああ……。まあ、そう聞くが」
「やつらがまだ中央を出ていないのは、密偵の報告からも明らかだ」
アガルトが眉をひそめた。
「おい、ちょっと待てよ。いくら早足を使ったところで、進軍速度とそれほど変わらないぜ。密偵が今日にも村に報告を持って到着すりゃ、明日にはもうケルク村は火の海だ」
「狼煙を使う。密偵は中央までの道々に複数名用意した。スカイツリー……あ、いや、遺跡に見張りを立たせてあるから、中央近くで狼煙があがれば道々の連絡役も狼煙を上げ、それは数刻とかからずケルク村にも届く。だから猶予は三日。どれだけ短く見積もっても二日以上ある。隧道の作業は多少遅れてもかまわない。たぶん、最初の戦いでは使わないだろうから」
アガルトがさらに眉をひそめて、大和を見ながらため息をついた。
「あんた今、すげえ悪人面してるぜ」
言われて気づく。
こんな事態にもかかわらず、確かに大和は心が昂ぶるのを感じていた。
「アガルト。あまりあたりまえのことを言うな。国主から国をぶん獲るんだ、おれたちが悪人でなくてどうする」
「……ちげえねえや」
自身の力を頼りに生きるしかないこのヒノモトで、今の自分がどこまでやれるか。大切な魔女や妹、恩人である村人、友人の亜種。彼らを守るために知識の一滴まで絞り出し、力の一欠片まで使い切る。このような命懸けの戦いが、現代の日本にはあったか。
不安や恐怖はある。だが、それ以上に胸が躍るとはこのことだ。
――喰らってやる、この国を。
「……あんた、怖えな。本当は何者だあ? 不吉をもたらす魔女を調伏して従え、村を短期間で変化させ、カルベカイン将軍と打ち合って生き延びた。ただの旅人とはとても思えねえ。威勢だけの男なら力尽くで追い払うつもりだったが、分が悪そうだ」
大和が苦々しく言い放つ。
「何者でもないよ。魔女はおれの大事な仲間だ。もちろん調伏なんてしていないし、その必要もない。おれに言わせれば、あいつの魔法だって国がなぜそれほど恐れるのか理解できない」
少なくとも国家転覆を企めるような威力の魔法じゃない。
アガルトが難しい顔で呟く。
「ヒノモトが恐れているのは魔女の魔法じゃない。争いを巻き起こす体質。呪いだ」
それこそバカバカしい話だ。過度な信仰が宗教戦争を巻き起こすのと同じだ。
「それこそ余計な畏怖が争いを生んでるだけだろ。恐れて恐れて、排除をしようとするから戦が発生するんだ」
「睨むなよ。さっきも言ったが、あんたと争うつもりはねえよ」
アガルトがあわてたように両手を広げた。
悪い男には見えないが、やはりヒノモトの民の魔女に対する恐れは根深い。
イタリセやケルク村だって、十ヶ月を過ごしてようやく落ち着いたのだから。唯一、無条件に受け入れたのは、魔女と似た立場の亜種ウシュラだけだ。
大和が長く息を吐いて意識的に表情を解し、アガルトにうなずいた。
「すまん。とにかく、村が変わったのはみんなの力だ。それに、おれもオフィーリアもカルベカインにはまるで歯が立たなかった。まあ、おれたちのことは今はどうでもいいよ。そんなことより時間がない。早速取りかかってくれ」
「あいよ、大将。――ついてこい、おまえら」
アガルトがその場に残った若い兵たちを引き連れて、颯真の屋敷から出て行った。
「もういいよ、オフィーリア。用があるんだろ」
オフィーリアが奥の間から、おずおずと顔を出した。
アガルトもそうだったが、村の若者たちはまだ彼女のことをヒドく恐れている。そのことを鋭敏に察知し、魔女は滅多なことでは若者たちに姿を見せぬようにしていた。
ましてや正体が判明した今、彼女の私服は黒衣に戻っている。これが最も体内に魔力を補充しやすい服装なのだそうだ。まるで太陽発電のようだと、颯真大和は思う。
「気にするなよ。おれはオフィーリアの味方だからな」
「はい。平気です。大和がいてくれるなら、世界中から忌み嫌われたとしても耐えられます」
瞳を細めて首をわずかに傾け、恥ずかしげもなくオフィーリアが囁いた。とたんに全身にこそばゆい感覚が走り抜け、大和の表情に赤みが差す。
無意識にこういうことを言うから、この魔女はたちが悪い。ヒノモトではなく現代日本だったなら、世の男どもは彼女を放ってはおかないだろう。
「んん……、ウ、ウシュラの様子はどうだった?」
「紫織がついていますが、変化はありません。ずっと膝を抱えたままで……」
物憂げな表情で、オフィーリアが瞳を伏せた。
無理もない。実父を殺した養父を目の前で殺され、さらに憎むべきその仇すら第三者に討たれてしまったのだ。行き場のない怒りや悲しみは、心に蓄積して重量を増す。
図面から目を離した大和は、オフィーリアの豊かな胸に挟まれるようにして抱えられた、緋色の棍に視線を奪われた。
「それは……」
「イタリセ様の日緋色金の太刀を魔法で分解構成し、大和の鉄棍を直して覆いました。可能かどうかはやってみるまでわかりませんでしたが、思ったよりもうまくできたようです」
なるほど。
日緋色金の武具を加工したのは神でもヒトでもなく、魔女と呼ばれる存在だったということか。では、なんのために魔女は日緋色金の武具を生み出すというのか。
「ウシュラの許可は取ってあります。鋼鉄の棍では、カルベカイン将軍の剣は受け止め切れませんでしたが、日緋色金であれば、少なくとも欠けたり折られたりする心配はありません」
オフィーリアが両手で日緋色金の棍を差し出す。大和は躊躇わずに片手で受け取って、強く握りしめた。
重い。実際の重量もさることながら、それ以上の重みがある。まるでイタリセの念や覚悟が、質量を持ったかのようだ。
「……これでもう、後戻りはできないや。イタリセに見張られてるからな」
「あら、たまには弱気な発言もするのですね。最初の頃とは違って、最近はずっと強がってばかりいたのに」
オフィーリアがからかうような口調で微笑む。
この魔女も、ずいぶんと印象が変わった。明るくなった。
「オフィーリアだって、最初は泣いたり悲しんだり寂しがったりばかりしてたじゃないか」
「ふふ、そうでした」
長い髪を少し揺らし、女性らしい仕草で口もとに手をあてて、今は幸せそうに笑う。
「もう、遠い昔のことのように感じてしまいます。今がとても、幸せですから」
だから、余計に焦がれてしまう。不安や恐怖も相まって、衝動的に奪ってしまいたくなる。
それでも何も言えないのは、やはり住む世界が違うからだ。
いつになるかは定かではないが、太陽の魔女に出会えば、おそらく別れの時はやってくる。自分には、紫織をもとの世界、もとの時代に連れ戻す大切な役目があるのだから。
「大和? そうしてわたしなどを見つめていても、おもしろいことはないでしょう?」
「昔は真っ赤になって照れてくれたのに、これだもんなあ」
巫山戯て返すと、オフィーリアが拗ねたように呟いた。
「今も、恥ずかしいです。……今も。ただ、あなたがわたしを見ていてくれることが嬉しいと感じてしまって……その気持ちのほうが……」
言ってしまってから口に手を当てて、オフィーリアが黒髪を揺らして背中を向けた。
「こ、このようなことを言ってしまっては、また紫織に叱られてしまいますね。わ、わたしもみなさんの作業をお手伝いしてきますね」
そうしてあわてて土間へ下り、扉を開けて出て行ってしまった。
その場に一人、ぽつりと残された大和が、あんぐりと口を開ける。
「い、今の……そういう意味……だよな……?」
その日のうちに、最も困難と思われていた涸れ井戸から村の外へと抜ける隧道を完成させたのは、工事に取りかかっていた若者を涸れ井戸から追い出した魔女が、たった一人で張り切りすぎた結果であった。




