第23話 別離
前回までのあらすじ!
急転直下で雲行きがあやしく……。
ヒノモトにおいて不幸を運ぶ魔女とはこれほどの存在なのだと、あらためて思い知らされた。
脅えるオフィーリアに、険しい瞳で彼女を視る青年。
やがて青年が日緋色金の長剣を鞘へと収めると同時に、村民と揉めていた兵団がこちらへと駆け足でやってきた。
「ま、魔女だ! 魔女を捕らえろ!」
「こ、こいつが報告にあった、月夜の魔女オフィーリアか……」
「気をつけろよ、油断をすれば殺られるぞ!」
「不吉の魔女め! 忌まわしき傾国め! 貴様のせいで、どれだけの国が滅んだッ!」
「薄汚いバケモノが。王の捕獲命令がなければ、今すぐにでも殺してやりたいぜ」
兵団は大和やオフィーリアを取り囲むように、ジワジワと円陣を狭めてきている。すぐに捕獲しにこないのは、先ほどのような魔法を恐れているからだ。
だが、オフィーリアが魔法を使ったところで、近くにこの青年がいる状態では勝つことはもちろん、逃げることもできない。
終わりだ……。けど、オフィーリアだけは逃がしてやらなくちゃな……。
歩き出そうとして、大和の膝が揺れた。
恐怖か、疲労か、足の踏ん張りが利かない。肉体疲労ではない。初めての殺し合いが、精神を限界まで削ってしまったのだ。
直角に曲がった鉄棍を取り落とし、朦朧とする意識で青年の横を歩き、細い魔女の肩を正面から抱く。
「や、大和……」
「に……げろ……」
オフィーリアが斜めに――いや、大和の視界が斜めに傾いてゆく。
「おっとぉ。しっかりしてくれや、アンちゃんよぅ」
そんな大和の腕を持って支えてくれたのは、初老のお調子者、スキタラだった。スキタラだけではない。
「イタリセがあのザマじゃ、誰がケルク村の統率するんだっつー話よ」
「ひゃっひゃ、壁にしかなれん輩が張り切りすぎなさんなよ」
「やかましいわ、糞婆」
先ほど避難させたトゥンク婆も、一連の発端となったハリキラも、この場にいるほとんどの村民が兵団の円陣を駆け抜けて、オフィーリアと大和を守るように立ちはだかっていた。
「貴様ら、正気か! 庇い立てするのか? その娘は魔女オフィーリアなのだぞっ!」
キオの兵士の誰かが恐怖に引き攣った声で叫ぶと、トゥンク婆が首を傾げた。
「はて? オフィーリアなんぞ知らんのう。ここにおるのは、わしらの村を良うしてくれた恩人の颯真大和と、優しい嫁っ子のフィリィじゃからのう」
外連味たっぷりに言い放ち、トゥンク婆がしわくちゃの顔を得意気に歪めた。
「嫁っ子だぁ? ついにボケちまったか、トゥンク婆? フィリィは未婚だろうがよ」
スキタラがからかうように言うと、トゥンク婆が楽しげに笑った。
「ひゃひゃ、やかましいわい。婆の目には先の先の先が見えるのさあ」
兵の一人がスキタラの胸ぐらをつかみ、その首に直刀をあてた。
「巫山戯おって……退かぬとあらば――!」
「やめ――!」
飛びかかりかけた大和の肩を乱暴に押しのけて、白銀の胸当てをした青年が兵の直刀を持つ腕を強くつかんだ。
「引き上げる。準備をせよ」
「な――っ!? カルベカイン将軍! 何を言っておられるのですかっ!! 目の前に傾国の魔女がいるのですぞ! このまま野放しにしては、キオは魔女の呪いに滅ぼされてしまいます!」
オフィーリアの肩がビクっと震えた。
青年カルベカインが、兵の腕を引っ張って無理矢理スキタラから彼を引き剥がす。
「私の言ったことが聞こえなかったのか。それとも、わからぬのか。生産者である民を無闇矢鱈と傷つけるな。斬り捨てるなど以ての外だ。それに、魔女の捕縛は此度の任務には含まれていない。何度も言わせるな。引き上げる」
敵も味方も、当の大和やオフィーリアですら、カルベカインの言葉に耳を疑った。
兵団は互いに顔を見合わせ、戸惑いながらも剣を収め、兵長の遺体を回収した。やがて整列をして馬を繋いでいる樹海の方角へと歩き出す。
一人残ったカルベカインが、大和を振り返った。
「申し遅れた。キオ国大将軍カルベカインだ。貴方の名を訊きたい」
大将軍。たしか、イタリセの話では国の軍事を司る最高地位だったはずだ。
大和は生唾を飲み、かろうじて声を絞り出す。
「……颯真、大和」
「おぼえておこう、颯真大和。魔女の捕縛は、此度の任務には含まれていない。だが、シノタイヌ王への報告はなさねばなるまい。近く、国軍が魔女殿を迎えに上がるだろう。……もっとも、ここに魔女がいなければケルク村には用はないのだがな」
出て行けば追わない。おそらくカルベカインはそれを教えてくれている。やはりこの男は悪人ではない。
「よくよく考えることだ」
マントを翻し、カルベカイン将軍が背中を向けた。大和には、それを見送ることしかできなかった。無力を噛みしめて、折れた鉄棍で苛立ち紛れに大地を殴る。
そんな大和を心配そうに、トゥンク婆やスキタラ、村人たちが取り囲む。その輪を破って走り込み、一人の中年男性が大和の肩をつかんだ。
村医のナシテトだ。ケルク村に辿り着いた頃には紫織を診てもらったこともあるし、その後もケガや病にかかるたびに世話になっていた。
「大和、フィリィ。イタリセが呼んでいる。……末期の言葉を、もらってやってくれ……。すまん……もう手の施しようが……ない……」
大和とオフィーリアが悲愴的な視線を跳ね上げ、輪の中から飛び出した。
全力で走り出す。
ケルク村はそう広くはない。水車小屋の横を走って野菜を洗うための水路を跳び越え、最奥のイタリセの屋敷へと飛び込む。
「イタリセ!」
身体中にしみ出した汗を拭うことも忘れ、土間を駆けながらサンダルを脱ぎ捨て、大和とオフィーリアは集った村民を掻き分けて板間へと駆け上がった。
「やま……大和く……」
板間の隅には、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、紫織が崩れていた。
「なん、なんで……こ、こんな……いき、いきなり……イタリセが運ばれ……運ばれてきて……、ひど、ひどいケガしてて……わたし……なんでこんなことに……ったのかも……わか……わかんなくて……」
イタリセは薄っぺらな布団に寝かされ、右上半身から左脇腹まで抜ける斬り傷には、鮮血に染まった白の包帯が巻かれていた。包帯の白は、今もじわじわと赤に侵蝕されつつある。
ウシュラはいつものように無表情にイタリセの側に座っているが、涙こそしていないものの顔色はヒドく青白い。まるで恐怖という感情の表現がわからず、戸惑っているかのようだ。
土気色の瞼が持ち上げられ、イタリセの視線が大和とオフィーリアへと向けられた。
「……来たか。皆のもの、すまぬが席を外してはくれぬか……」
その声に、かつての力強さはない。
乾き、荒れた唇の開きは狭く、吐息のような声だ。
涙を流す村民たちは、互いに顔を見合わせて土間へ下り、扉から外へと出て行った。
残っているのはイタリセとウシュラ、大和とオフィーリア、そして板間の隅で両目を押さえ、指の隙間から涙を流している紫織だけとなった。
「……紫織よぅ……」
イタリセの呼び声に、嗚咽を洩らす紫織が幼児帰りでもしたかのように爪を噛みながら、視線を上げた。
「……おぬしは、その明るさでもって、皆を照らせ……。……誰が沈んでも……おぬしはそのように泣くでない……。……笑え……笑え……ふは……はは……」
「無理だよぉ! だってイタリセが! イタリセ……が……」
紫織の絶叫に、イタリセがわずかに頬を弛めた。
紫織が四つん這いでイタリセの前まで進み、涙を枯れた老人の顔に落としながら、無理矢理に真っ白な歯を見せた。
イタリセが満足げにうなずく。
「……あぁ……好い、好い顔じゃ……。……これからも……ウシュラの……良き友であってくれ……」
「あたりまえのこと言わないでよぉ……」
イタリセの視線が、オフィーリアへと移される。
「……フィリ……ィ……、……いやさ……月夜の魔女……オフィーリアよ……」
潤むオフィーリアの瞳が見開かれる。
やはり気づかれていたのだと、大和はこの瞬間に思い知った。だが、だからこそだ。だからこそ、彼女に居場所をくれたイタリセには感謝の言葉もない。
「はい。ここに」
オフィーリアが強く、イタリセの手を両手で包んだ。
「イタリセ様。どうしてわたしを魔女と知りながら、この村に?」
「……ふふ……おぬしの笑顔を……信じた……。……おぬしの、この手のぬくもりを……信じた……。……此度の一件……決して魔女の呪いではない……。……気に病むな……」
オフィーリアが一瞬だけ目を伏せて、静かにうなずく。
「……はい」
「……何より、わしはな……おぬしのことを信じておる、若き我が友を信じたのだ……」
それまで辛うじて堪えていた涙が、大和の頬を伝った。一度堰を切ると、涙はもうどうしようもないほどに溢れ出した。
しわくちゃの手が伸びて大和の手を引き、オフィーリアの手へと重ねる。
「……大和……大和よぉ……、……我が生涯……最後の友よ……」
「ああ、イタリセ。聞こえてるよ」
焦点が合っていない。もう見えてはいない。長くないことは誰の目にも明らかだ。
だが、その瞬間、イタリセは最期に残ったすべての生命力を振り絞るように、朗々とした声で、一言のみを告げた。
「任せる」
一瞬の躊躇いの後、大和は長衣の袖で目もとを拭って、力強くうなずいた。
「わかった。安心して眠ってくれ」
オフィーリアと大和を繋ぐイタリセの手が、ゆっくりと滑り落ちる。
「イタリセ!?」
紫織の悲鳴にも似た声にも反応を示さず、イタリセの手が宙をさまよった。
「……おるか……? ……そこに、おるか……?」
誰にかけられた声かは、すぐにわかった。正座を組み、歯を食いしばり、一人乾いた表情で座る亜種の少女だ。
「ああ、いる。父イタリセ」
すでにその声すら聞き取れないのか、イタリセの宙をさまよう手は止まらない。
静かに佇んでいたウシュラが、正座をしたまますっとイタリセに近づき、宙をさまよう老人の手を取って自らの頭部に導き、獣の耳に触れさせた。
「ほら、ウシュラだ。いるぞ。ここにいる。いつまでもいる」
「……我が娘よ……。……あぁ……すまなかったなあ……。……本当に惨いことをした……。……すまなかったなあ……。……罪滅ぼしの人生に……付き合うてくれて……ありがとうなあ……」
ウシュラの実父である銀狼を斬った件だ。
きっと今までこの言葉を言い出せず、抱えて苦しみ、生きてきたのだろう。
「父よ。謝ることなどない。ウシュラは一度として、あなたを恨んだことなどなかった。ただ、ウシュラは、ウシュラがここにいることで、あなたの人生を奪ってしまったのだと……ずっと……思って――」
ウシュラの言葉を遮るように、イタリセが虚ろな瞳で呟く。
「……あぁ……。……だが、まあ……ふは……はは……、……良き人生……だったなあ………………」
イタリセの手が、ウシュラの頬を伝って滑り落ちた。紫織が力なく泣き崩れ、オフィーリアは静かに涙し、大和は板間に拳を叩きつけた。
イタリセが死んだ。
その瞬間が訪れて、ようやくウシュラの表情が歪んだ。
「あ……あ……、ああ……あああぁぁぁ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ!!」
獣のような泣き声を上げ、それまでの乏しかった感情を取り戻すかのように、大粒の涙をこぼしながら大声で喚く。
「イタリセッ!! い、いやだ、イタリセッ!! イタリセェェ~~~ッ!! ウシュラを一人にするなぁぁぁ! ……ああぁぁぁぁ……あああぁぁぁぁ……」
顔を歪めて金色の髪を両手で掻き毟り、板間に突っ伏し、誰よりも声を上げて泣きじゃくった。
「ウシュ……」
その背中に伸ばされた紫織の手をつかみ、大和は首を左右に振る。
「二人だけにしてやろう」
大和は紫織とオフィーリアの手をつかむと、ウシュラとイタリセだけをその場に残し、イタリセの屋敷を後にした。
その日は一日中、亜種の少女の泣き声がケルク村から途絶えることはなかった。




