第20話 はらわた、おいしいっ
前回までのあらすじ!
行くとこないから居着いたぞ。
「はーい、ご飯おまったっせ~!」
紫織が丸形の盆に人数分の味噌汁とトゥンク婆からもらった大根おろしを添えた焼き魚を載せ、ウシュラが白米の盛られた茶碗を両手両肘と頭に載せて囲炉裏の前へと歩いてきた。
紫織はともかく、ウシュラはちょっとしたサーカス状態だ。まるっきり普段通りに歩いている様子が、実に彼女らしい。
紫織が焼き魚と貝の味噌汁を並べ終えるのを待って、ウシュラが一人ずつに茶碗を渡してゆく。最後に頭に載せていた茶碗をイタリセに渡すと、ウシュラは囲炉裏を回り込んで大和の右隣に、ちょこんと腰を下ろした。
「やれやれ、まるで大和の飼い犬だな」
イタリセが呆れたように言うと、ウシュラは憮然と返す。
「父イタリセ、ウシュラは犬ではない。人狼だ」
囲炉裏を囲んで左隣はいつも紫織の席だ。自然、オフィーリアは向き合う位置に来るが、今日はイタリセとウシュラがいるため、円陣になっている。
父や義母が大阪に出張になってから、大和は紫織と夕食をともにしてきたが、向かい合って座っていても視線の先はいつもテレビだった。
会話がなかったわけではないけれど、今はこうしてみんなで向かい合い、どうでも良いことを語り合いながら食べるのが楽しい。
もしもヒノモトに転移してきたのが大和一人で、紫織を日本に連れ帰るという目的がなければ、この村で暮らしてゆくことを真剣に考えていたかもしれない。
「お味噌汁どう、ウシュ?」
「熱い。熱いが、好きだ」
ウシュラは両手で味噌汁椀を持ち、珍しく頬を紅潮させている。尾はもはや扇風機状態だ。
「これが大豆からできておるのか。悪くはない。いや、美味い」
イタリセが頬を弛めて飲み干すのを確かめてから、大和と紫織は顔を見合わせて笑った。
ところがそんな中にあって、オフィーリアだけが一口すすった後、ぴたりとその動きを止めた。
呆然とした視線で、手の中の味噌汁椀を見下ろす。
「どうしたの、フィリィ? 口に合わない?」
紫織の声にも反応を示さない。
やがて、オフィーリアの黒の瞳から透明の雫が落ちて水面に波紋が広がった。
大和が消えている囲炉裏に身を乗り出して、心配そうに覗き込む。
「フィリィ?」
「…………ああ……なつか……しい……」
大和と紫織だけが目を見開く。
懐かしい。オフィーリアはそう言った。ヒノモトにないはずの食べ物を口にして。
「何か思い出したのか?」
オフィーリアが指先で涙を拭いて、寂しげな微笑みで首を左右に振った。
「いいえ……わからない……。……ただ、この味を懐かしいと感じました……」
懐かしいと感じるのは、ヒノモトが日本の流れを汲む国だからだろうか。日本人のDNAを持っていたならば、或いはそういうこともあるのかもしれない。それとも、オフィーリアは過去、実際に飲んだことがあるのだろうか。
ヒノモトには存在しないはずの、味噌汁というものを? どこで? いつ?
イタリセは、そんなオフィーリアをじっと見つめていた。
トロルを退治したあの夜以来、オフィーリアは魔法を使っていない。
ばれてはいないはずではあるが、この老人の鋭い視線はすべてを見通しそうで、時折不安になる。
おそらくイタリセはこう考えている。
フィリィは、オフィーリアと名乗っていた時代の記憶を失った魔女なのかもしれない、と。それは決して正しくはないが、遠からずであることには違いない。
だが、大和にとってもオフィーリアにとっても、イタリセと対立など、もはや考えられないことだ。
「あ、ごめんなさい。なんでもありません。とってもおいしいです、紫織」
オフィーリアが呟くと、イタリセが邪気のない笑みを浮かべた。
「フィリィ。おぬし、ケルク村は好きか?」
一瞬、雑談していた紫織やウシュラも含めて、全員が箸を止めた。
オフィーリアは不思議そうにイタリセを見た後、瞳を細めて満面の笑みでこたえる。
「はい。大好きです。みなさんがわたしに良くしてくださいます。わたしは家族というものの記憶を持ちませんが、このようなものではないかと思いました。わたしたちを受け入れてくださり、本当にありがとうございます、村長」
「ふはっ、家族か。……そうか、そうか。ならば良い良い。いつまでも、いるがいい」
イタリセは機嫌よさげに好好爺の笑みで白いあごひげを撫で、箸で焼き魚の腸を切り取って口に入れた。
「ほっ、この腹の脂の具合と、腸の苦さの混ざる様がたまらんわ」
「うえ~、あたし腸は苦手」
紫織が顔をしかめて、魚の身に大根おろしを載せて口に運ぶ。
「やっぱあたしはこっちだな! ん~、おいし! 猪肉もいいけど、お魚も好き!」
「紫織が腸を残すなら、ウシュラがもらう」
紫織の皿に箸を伸ばそうとしたウシュラを、オフィーリアが優しく嗜める。
「お行儀が悪いですよ。ウシュラ」
「む。では、残しとけ。ウシュラがあとで食う」
イタリセが不遜な我が娘を見て、ため息をつく。
「食うではなく、食・べ・る、だ。莫迦娘め」
ウシュラが挑戦的な視線をイタリセへと向けた。
「ウシュラはイタリセから言葉学んだっ」
「むぐぅ……く……。ま、まったく、屁理屈ばかり達者になりおって」
「おかげさまだ。父よ」
イタリセがウシュラにやり込められた瞬間、大和は堪えきれずに白飯を噴出した。
「ぶはっ! う、げほ、げほん! 似たもの親子っ、ふっ、あっはっはっはっはっは!」
唖然とする全員を前にして、大声で笑った。腹を抱えるうち、ウシュラの尻尾が左右に揺れ出し、紫織はもちろんイタリセやオフィーリアまでもが笑い始めた。
ずっとこんな時間が続けば良いと、颯真大和は夜空に願う。




