第19話 なんかすごい武器だっ
前回までのあらすじ!
スカイツリー、哀れ。
大和が紫織を連れて用水路横を通りかかると、頭に手拭いを巻いて野菜を洗っていた隣の家のトゥンク婆が、大きな大根を紫織に差し出した。
「紫織や、これ持って行くかい?」
「わーぅ、あんがとトゥンク婆。大好き!」
紫織はトゥンク婆から大根を受け取ると、持ち上げられたしわしわの掌を、自らの掌でパシッと叩いた。ハイタッチだ。
「ウェーイ!」
「うぇえええぇい! ひゃっひゃっひゃ!」
このわずかな期間に、紫織が村に広めたのだ。
我が妹ながら、なんたる影響力か。こののどかな村の先々が、まるで現代社会のようになりそうで恐ろしい。
「そーだ、トゥンク婆。あとでお裾分け持って行くね」
「ほう? また新しい食べ物かい?」
「う~ん。わたしたちにとっては新しいもんじゃないけど、お味噌っていうんだ」
大和の目が見開かれる。
「え、できてたのか? 調合の割合もわからなくて、一か八か適当に仕込んでただけなんだが」
以前に大和が小樽に仕込んだものだ。
倒壊した我が家から紫織が持ち出したリュックサックの中には、味噌のパックがあった。トロルを退治した夜から数日間は村人から手厚い歓迎を受けていたため、いざ食べる段階になると夏の暑さのせいかカビが生えてしまっていたのだが。
本来ならば捨てるところを、ダメもとの知識だけで蒸米に加えて白カビを培養し、もらった大豆を水で煮てつぶし、培養した麹菌らしきものと塩を混ぜ、小樽に密封して床下に置いて十ヶ月。
「それが見事なデキだったんだよ、大和くんよ。褒めて遣わす。今夜は塩スープじゃなくて、久しぶりにお味噌汁が飲めるよ」
セメントといい、味噌といい、案外適当配分でもどうにかなるもんだ。
大和が両手を握りしめて、力一杯空に叫ぶ。
「うおおおおっ!」
ウシュラがその声に驚いて、動物のように毛を逆立てて目を丸くした。
「これが成功したら大量生産して村全体に広めよう。おれたちだけ畑も持ってないのに、みんなから肉や野菜を分けてもらってたから悪いと思ってたんだよな~。これでやっと物々交換が成り立つよ」
ウシュラが小首を傾げて不思議そうに呟いた。
「大和は村全部を豊かにした。おまえのおかげで作物いっぱい採れる。だから悪くない。畑仕事では、こうはならない。おまえのようなやつも必要と、父イタリセは言った。ウシュラもそう思う」
イタリセの話をするとき、ウシュラの尻尾は必ずといって良いほどに止まる。
ウシュラの実父は銀狼と言われる魔獣らしいが、血の繋がりのない親子仲はうまくいっていないのだろうか。
「村のみんな、大和と紫織が好き。だから誰もおまえたちを悪く言わない。ウシュラも二人が好きだ」
仏頂面で気恥ずかしいことを言われてしまい、大和は苦笑する。
どうにもこの亜種の少女は、気持ちに素直すぎる部分がある。裏表がないといえば聞こえが良いが、紫織とは別の意味で危なっかしい。
「ありがとな、ウシュラ」
「うむ」
紫織とのクセで、ついウシュラの頭を撫でようと手を伸ばすと、ウシュラは、ひょいっと首を傾けて大和の手を躱し、その手にがぶりと囓りついた。
「いでぇ!?」
「ウシュラの頭は触るな。ウシュラは耳が頭にあるから、触られるとこそばゆい。変な声が出てしまう」
不機嫌そうに言い放ち、ウシュラが紫織を追って小走りになった。
大和は亜種の少女を見送り、独りごちる。
「……尻尾、あんだけ振り回してんのになぁ」
ウシュラの銀色の尻尾は、千切れんばかりに左右に揺れていた。
*
紫織が、新たな颯真家の引き戸を開けた。
「呼んできたよ~、フィリィ」
「ただいま」
「おかえりなさい、紫織。お仕事お疲れ様です、大和。いらっしゃい、ウシュラ」
囲炉裏を挟んでイタリセと向かい合って座っていたオフィーリアが、すっと立ち上がって笑顔で迎えてくれた。
彼女の記憶にある限り、初めての一箇所長期滞在のためか、最近、この魔女はよく笑うようになった。ケルク村には感謝をしてもしたりないくらいだと、大和は思う。
「じゃあ、あたしご飯を運ぶね。――よし、ついて来いっ、ウシュラわんわん三等兵っ!」
「わんわん三等兵とか、ウシュラを褒めすぎだぞ、紫織。だが、まかせろ」
「返事は、わん、でしょ?」
「わんっ」
紫織に連れられて、ウシュラが尻尾を振りながら家屋の奥へと入ってゆく。
またウシュラをからかって遊んでるな、紫織のやつ……。
この家屋は住み良いように、村人たちが空き家を善意で改築してくれたものだ。散々村を苦しめてきたトロルを退治した余所者を、村人たちは諸手を挙げて歓迎してくれた。
新たなトロルの襲撃を恐れ、腕の立つ若者に留まって欲しかったという意図も見え隠れしてはいたが、それでも行き場を失った大和たち三人にとってはありがたい話だった。
十ヶ月も住めば、この家屋にもすっかり馴染む。茅葺き屋根では冬は寒いが、三人そろって囲炉裏を囲んで眠るのは悪くない。
最初の頃こそ、紫織はともかくとして、オフィーリアの寝息には本当に緊張させられたものだったが、寝付きの良い紫織が先に寝てしまったときなどは、魔女は自らの布団を近づけてくるものだから、小声で互いの世界や昔のことを語り合ったりもした。
幸せな時間が積み重なって、日に日に魔女への愛しさが募ってゆく。
「あの、どうかしましたか、大和? そのように見つめられると少し恥ずかしいです」
頬を染め、オフィーリアが少し瞳を伏せた後、遠慮がちに尋ねてきた。
「い、いや、なんでもないんだ」
大和はすでに、この魔女に惹かれていることを自覚していた。それでも、彼女の内に踏み込めない理由がある。自分も紫織も、いつかはヒノモトからいなくなる身なのだから。
情を残せば、つらくなる。
大和は囲炉裏横で胡座を掻いて、にやにやと笑ってこちらを見ている老人に視線を向けた。
「なんだよ、イタリセ」
「はーっはっは。邪念が祓えぬであれば、久方振りに稽古をつけてやろうか」
イタリセが右の拳を左の拳に重ね、まるで釣り竿のように縦に振り下ろした。
無論、釣りではない。剣の稽古だ。
「イタリセ老、もうお食事が運ばれてきます。紫織やウシュラに叱られてしまいますよ」
オフィーリアが微笑みながら囁くようにたしなめると、イタリセが肩をすくめた。
「これ以上ウシュラに嫌われるのは困る。わしは、あれの本当の親を手にかけたのだからな」
大和とオフィーリアの表情が、音もなく抜け落ちる。すでに何度も聞かされた話だ。
およそ十年前の話だ。
イタリセは霊峰と呼ばれるヒノモトで最も高い山で、高位を超える神格とされる魔獣、銀狼が生きた人の子を片手で鷲掴みにし、運んでいるところを発見した。ヒノモトでは、魔獣が人を攫って喰らうという話は、さほど珍しいものではない。
とっさに剣を引き抜いたイタリセは、身を守るために人の子をその場に投げ出した銀狼と激しい戦いを演じた。
黄昏時より始まった一人と一体の死闘は、いつ終わるとも知れぬ激しい攻防の末、朝露の反射する光が夜行性である魔獣の動きを鈍らせ、イタリセに勝利をもたらした。
そして放り出されていた人の子に手を差し伸べたとき、イタリセは気がついた。
その子の耳に。
獣の形状をした耳に、銀の尾に、激しい憎悪を称えた瞳に。
それ以前のことも、その以後のことも、イタリセは決して語らない。
だが、イタリセが自らの剣に封印を施したのは、この一件が大きな要因だったのだろう。自らに憎しみを叩きつけるウシュラを手もとで育てたのも、おそらくは罪滅ぼしだ。
「大和よ。剣を必要とするときが来たならば、いつでも言え。愚物たるわしとは違い、おぬしの手であれば、我が日緋色金の太刀も正しく振るわれよう」
「ひひいろかね?」
「日の光を放つ、ヒノモトで最も硬く美麗とされる稀少金属だ。永劫、欠けることも折れることも朽ちることもない。人であらば何者も加工できぬゆえ、神の作りたもうた剣とも呼ばれておる。だが、もはや剣を振るえぬわしには、いかな日緋色金の太刀とはいえ、過ぎたる無用の長物よ」
村人は誰も知らないようだが、銀狼を沈めた過去を持つイタリセだ。トロル一体など、剣さえ抜けば、ものの数ではなかったのかもしれない。
それでもイタリセは、ウシュラの前で剣を抜くことができなかった。
――父よ、あなたは臆病者だ。
あの日、ウシュラの発した言葉の重みが、ようやく理解できた。イタリセはトロルを恐れたのではない。剣を抜くことに、恐怖を抱いたのだ。
だが、と、大和は思う。
「おれのもといた世界は、人間はもちろん他の生物だって簡単に殺すような習慣はないんだ。殺すのは食べる分だけだ。誰かを斬れば、何かを殺せば罪になり、我が身にのしかかる。そんな世界で生きてきた。だから、おれはこれでいいよ」
そう言って大和が引き寄せたのは、スカイツリーの鉄骨から削り取られたオフィーリアの鉄棍だった。
腐蝕こそしていないものの、お世辞にも価値ある武器とは言い難い、ただの鉄の塊だ。
「オフィーリアにも剣にしようかって言われたけど、そんなことをされちゃ困る。人間相手はもちろん、魔獣を相手にしたって全力で振るえなくなっちまう」
大和は肩をすくめて続ける。
「イタリセ。おれにとって殺すってことは、殺されることなんかより、よっぽど覚悟がいる怖い行為なんだ。だから、今のあんたとおれは、少しだけ似ているのかもしれないな」
オフィーリアが口もとに手を当てて、嬉しそうにクスクスと笑った。
「敵を殺す剣術ではなく、相手を生かす棒術か。おぬしらしい、善いこたえだ。だが、棒術はわしとて門外漢ゆえ、うまくは教えてやれんぞ」
「いいさ。イタリセとの稽古で、剣術使いとの戦い方は学べたからな」
「ぬかせ小僧。そういうことは、わしに一撃でも入れてから言えい。まだまだ、その程度ではウシュラからすら取れまいて。あれは筋がよい。いずれわしを超える」
大和が顔をしかめて吐き捨てる。
「カッ、知ってるか? そういうの、親バカっていうんだぜ?」
「知っておるか? それを負け惜しみというのだぞ?」
ぐうの音も出ない。
現に大和は、イタリセが剣の封印を解くまでもなく、稽古であしらわれている。
堪えきれないといったふうに、オフィーリアが肩を震わせて口もとを押さえた。
「ふふ、本当に二人はよく似ていますね」
ウシュラもまたイタリセから剣術を学んでいるが、大和は、イタリセはもちろんウシュラにすら、棒を当てることができていなかった。
紫織とウシュラが運んでくるであろう食事を待つ間、大和はイタリセと会話を楽しむ。これも、わりとよくある日常だ。
この老人とは、実に良く気が合う。
「そう言えばさ、イタリセはどうして剣術なんて知ってるんだ? ただの集落の村長が日緋色金の太刀を持っていることだって不自然だ。案外、昔はキオの兵士だったりするのか?」
沈黙が訪れる。
この質問をすると、イタリセはいつも目もとに優しい笑みだけを残して黙り込む。そうして決まって「忘れたなあ」とだけ呟くのだった。




