第13話 むりむりむりむり、絶対むりですよ?
前回までのあらすじ!
バレなきゃOK!!
結論から言って、集落に入っても、誰も三人を気に止めようともしなかった。見たところ、三十から五十世帯、人口三百人もいれば上等と呼べる程度の小さな集落だ。
「あの、すみません」
巨大な木製の板を運んでいる男に声をかけると、サングラスをかけたオフィーリアを一瞥しただけで興味もなさそうに大和へと視線を戻した。
「変わった格好をしているな。旅の人かい? すまねえ、この村に宿はねえ。出て行ったほうがいい。それに、今はよそ者に構っている場合じゃないんだ」
「あ……医者を紹介して……」
話は終わりだとばかりに、中年の男性は忙しそうに走り出す。大和は別の男性に近づいて、話しかけた。
「すみません、この村で医者をしている方はいませんか。旅のツレが体調を崩して倒れてしまって――」
「悪いが今日はだめだ。それどころじゃねえ。おめえも早く出てったほうがいい」
次の男も、その次の男も、変わった格好をしている一行を一瞥するだけで、興味を失ったかのように板や縄を運び続けている。
「畑に柵を作って囲っていますね」
「イノシシでも出るのか? それにしても、まったくの無視ってのはないだろっ」
吐き捨てた大和に、長衣を着た白髪の老人が近づいてきた。
「すまんな、旅の人。今は村の男衆に話しかけても無駄だ。皆、己の生命が懸かっておるゆえ、畑を囲っている。この村の医者も例外ではない。今日は無駄だ。いや、やつがいる限り明日も、明後日も……か」
見た目ほどの年齢ではないのだろうか。その声は若々しく、ずいぶんと力強い。見れば肩幅も老人のそれではなく、腰もまっすぐに立っている。
「生命懸けって、それはこっちも同じなんだ!」
紫織は顔色を青白く染め、目を覚ますことさえなかった。昏々と眠り続けているし、未だに熱も下がっていない。
「理由をお教え願えませんか、ご老人。この村でいったい何が起こっているのですか?」
オフィーリアが問いかけると、老人が瞼をわずかに開けた。サングラス越しに、オフィーリアの表情に緊張が走る。
魔女であることが、ばれたか……?
しかし老人はサングラスを指さして、意外な言葉を口にした。
「おぬし、その目はどうした? 亜種か?」
「あ……、こ、これは」
聞き慣れない亜種という言葉に、大和がオフィーリアに視線を向けた。
「え、ええ。母が人語を解するヒトガタの魔獣……でした……」
オフィーリアの瞳が泳いでいる。
嘘を言っているのは明白だが、一つわかったことがある。
亜種というのは、魔獣と人間との間にできた子のことを指すらしい。オフィーリアはそれを自分に伝えてくれようとしている。意外と抜け目がない。
大和がオフィーリアに静かにうなずくと、老人が空を見上げて呻くように呟いた。
「いかんな、もう日が暮れる」
老人が大きく息を吸う。
その直後、およそ萎びた身体から発せられるものとは思えない、朗々とした力強い声で叫んだ。
「皆の者! 時間だ!」
田畑を急造の柵で幾重にも囲っていた男たちが、一斉に不安げな顔を上げた。作業を終えたというのに、どの顔も一様に暗い。
「家に籠もり、火を消し、息を潜めよ!」
なぜか悔しげに歯がみし、男たちが小川で泥を流すことすらせずに田畑から引き上げて行く。
初老だろうか。痩せこけた男が老人の前で立ち止まった。
「村長よぅ、あんたも早く隠れなよぅ。あんたがいなくなっちゃあ、この村はほんとにもう終わりよぅ」
「わかっておるよ、スキタラ。わしは皆を見送ったあとに身を隠すゆえ、安心せい」
スキタラと呼ばれた初老の男を見送り、老人は一点に視線を向けた。全員が引き上げていった中、たった一人だけ残っている人影がある。
女だ。それも若い。
作業に従事していた男たちに混ざって、一人だけ小柄な少女がいた。
黒や茶の髪を持つヒノモトの人種ではないのか、緩くウェーブのかかった金色の頭髪をしている。まるで狼のような金色の瞳を上げて、少女が近づいてきた。
可憐な唇が開き、老人へと向けて声を出す。
「イタリセ」
短衣から伸びる足は健康的に発達し、小柄な少女に野性味を与えている。
しかし、大和が驚いたのは中年や高年の男性の中に唯一少女が混ざっていただとか、彼女の容姿が東洋のものではなかったとか、そういった類のことではない。
銀色の耳。金色の頭髪上部に、獣のような銀の毛で覆われた耳が生えている。そして少なくとも正面から見る限り、歩くたびに揺れる金色の髪の隙間に、人の耳らしきものはない。
これが、亜種か。
視線でオフィーリアに問いかけると、オフィーリアが小さくうなずいた。
少女は言葉を紡ぐ。
「イタリセ。やはり全員であたれば、トロルとて倒せぬことはないと思う」
トロル?
大和がオフィーリアに視線を向けると、オフィーリアが大和の耳元で囁いた。
「凶暴なヒトガタ魔獣です。作物を食い荒らし、獣はもちろん、人間や魔獣を喰らうことも少なくありません」
それで田畑を囲っていたのか。
「ウシュラが先陣を切る。だが、一人では不可能だ。村の男衆に志願を問いたい」
「ならん。亜種たるおまえは無事でも、村の者が何人死ぬことか。少しは考えよ」
イタリセと呼ばれた老人は、にべもなく首を左右に振った。
「イタリセ!」
「くどい。もはや決まったこと。村人の総意だ。問答をしている時間はない。堪え忍ぶことも戦と知れ、ウシュラ」
「父よ! あなたは臆病者だ!」
ウシュラと呼ばれた少女が、腹立たしげに手に持っていた巨大な木槌を地面に叩きつけ、大和とオフィーリアを一睨みしてその場を去って行った。
遠ざかるウシュラの臀部には、銀色の尻尾が垂れ下がっている。
イタリセがため息をついてぼやいた。
「すまんな、旅の人。みっともないところを見せてしまった。我が娘ながら苛烈で、ままならん性質だ。あれでは嫁のもらい手もなかろうに。ときにおぬしら、日はとうに暮れておるが、行き先はあるのか? 何も用意はできんが、うちに来るか?」
「いえ、おれたちにはやることがあります」
大和の意外な言葉に、オフィーリアが目を丸くした。大和はそんなオフィーリアの様子を尻目に、淡々と続ける。
「ただ、妹の紫織だけは少し休ませたい。イタリセ……さん、もし良かったら紫織を今晩だけでも預かってもらえませんか」
「それはかまわぬが……」
「助かります。運びます」
「いや、わしが背負おう」
大和の背中で眠る少女に伸ばされたイタリセの手は、年齢に逆らうかのように意外にも固い筋肉で覆われていた。
「この村の水路に沿って最奥にある屋敷がわしの家だ。用が済んだなら迎えにくるといい。だが、ここを離れるのであれば急いだ方が良い。直にトロルがやってくる」
イタリセは紫織を軽々と受け取ると、背中に担いで大和に背を向けた。
イタリセと紫織を見送って、大和がオフィーリアに向き直る。
「オフィーリア、トロルってのをぶっ倒そう」
「……言うと思いました」
オフィーリアが額に手をあててため息をついた。
「あのですね、大和。トロルというのは大変獰猛な高位のヒトガタ魔獣で――」
「ゴブリンみたいなもんだろ」
むろん、村人が立ち向かおうなどと考えないほどに脅えるのだから、簡単にいかないのは当の大和とて理解していた。だが、問題はそこではない。トロルの襲撃がどれだけの期間続くものなのか。
イタリセ老は言った。
明日も、明後日も、村人は医者であっても、やつがいる限り紫織を救わないと。ならばトロルをさっさと叩くことこそが、紫織の治療に繋がる第一歩だ。
集落に恩を売っておくのも悪くない。
「全然違います! とっても大きいですよ!」
「畑を囲ってる柵の大きさを見りゃわかるよ。それよか魔法は使うなよ」
「大手を振って魔法が使えないから言ってるんじゃないですかあ」
足もとにうち捨てられたウシュラの木槌を片手でつかんだ。持ち上げようとして重量に引かれ、思わずつんのめる。
「うおっと!」
想像を絶する重量感に、思わず面食らった。
「な、なんだこりゃ……」
確かウシュラは、か細い腕一本でこれを持ち上げ、地面に叩きつけていた。舗装こそされていないものの、それなりに均された地面は大きく窪んでいる。
「彼女は亜種ですから。混在する魔獣の力を持った人間です」
それにしても、と、両手に持ち替えて、ムリヤリに持ち上げる。ズシっとした重みを肩で受け止めて、大和が苦い表情をした。
「自信なくしそうだ。けど、これでぶん殴ってやりゃ、熊でもない限りはどうにかなんだろ」
「クマが何かは知りませんが、ほんとにどうにもなりませんってば! トロルはあなたが思っている以上に――」
オフィーリアの言葉が途中で途切れた。視線をあさっての方向に向け、耳を澄ます。その理由はすぐにわかった。
まだ低い月の光に紛れて、村はずれを巨大な影が移動している。やがてそれは田畑を囲う高さ三メートルもの柵の前で立ち止まり、乱暴に揺らし始めた。
「来たか。行ってくる」
闇に紛れて水車小屋の陰から飛び出し、走り出した大和に向かって、オフィーリアが泣きそうな表情をした。背負っていた紫織のリュックサックを下ろし、周囲を見回した。
「……あぁん、もう……」




