第10話 そして家なき子になりました!
前回までのあらすじ!
籠城戦開始だ!
ゴブリンが大和へと、空中で石のナイフを振りかぶる。
「しま――ッ」
全身の毛穴が開く。
回避は間に合わない。
しかしその瞬間にはオフィーリアが走り、大和の背中を駆け上がって跳んでいた。黒衣を芯とした氷の剣を両手でつかみ、空中で逆袈裟に振り上げる。
「やっ!」
大和の直上。魔女とゴブリンが、空中で交叉した。
――ギャウ!?
パン、と氷が弾けた。
振り抜いたオフィーリアの剣が粉々に砕け、氷の塊をいくつもキッチンへと降らせた。
オフィーリアが着地をすると同時に石のナイフはフロアに落ちて傷を残し、壁に叩きつけられたゴブリンは背中から落ちて気絶する。
想定外の身のこなしに、大和の口が呆然と開かれた。
魔女は今頃になってワンピースのスカートを抑え、険しい表情で右手の黒衣を持ち上げる。黒衣を固めていた氷が粉砕されたことで、ただの衣に戻ってしまっていた。
「急ぎましょう。これではもう使えません」
黒衣を片手に、オフィーリアは勝手口のドアを開ける。
「こちらで良いのですか? 紫織」
「あ、うん……。す、すごいんだ、オフィーリアって……」
振り返った魔女が、少し頬を染めて呟く。
「言わないで。はしたなくて恥ずかしいです。長い間、一人で旅をしてきましたから」
けたたましい音がしてリビングのドアが破られると同時に、紫織はソファにあった自らのリュックサックを引っつかんだ。何が詰まっているのか、リュックははち切れんばかりに膨れあがっている。
「非常持ち出し非常持ち出しっと」
「何やってんだ、そんなの放っとけ!」
「ええ? せっかく昨夜詰めたんだから、持ってかないと損じゃん」
「わかったから早くしろ!」
大和は紫織の手を引いてオフィーリアの後に続き、勝手口を通ってドアを閉めた。コンクリート造りのガレージは、まだゴブリンの侵入をゆるしていない。
ガレージには両親の出張によって出番のなくなった、国産三リッターの四駆が佇んでいた。
「行くぞ」
シャッターへと駆け寄ろうとした大和を、紫織が制する。
「待ちたまへ、大和くん!」
悪戯な笑みを浮かべた彼女の指先には、父親の書斎の引き出しにあったはずの四駆のキーが握られていた。
「にひひっ」
「おい、そんなもん――」
紫織は大和を無視して運転席に回り、迷わずに乗り込む。
「二人とも、乗って乗って」
てっきり車から何かを持ちだそうとしていると思っていた大和は、その言葉に眉をしかめた。
「遊んでる場合じゃないだろ!」
勝手口のドアは、次の瞬間にも破られそうなほどに歪んできている。
抗議の声を掻き消すような、臓腑に響く低いエンジン音がガレージ内で反響した。その瞬間、オフィーリアが小さな悲鳴を上げた。
「きゃあっ」
騎士にもゴブリンの襲撃にも動じなかった魔女が、初めて脅えて大和の腕にしがみついた。
「な、なんですか、この動物……。こんな恐ろしいうなり声を聞いたのは初めてです……」
ガン、と音がして、勝手口の蝶番が弾け飛ぶ。ゴブリンが数匹、歪んだ扉と壁の間から入り込もうとして腕を伸ばしていた。
「だああ、もう! なんでおれの人生はこんなに選択肢が少ないんだぁぁぁ!」
大和は後部座席のドアを開けると、魔女の下半身を抱えて押し込み自らも乗り込んだ。
「オッケーッ!! 行っっくよぉぉぉーーーーーーっ!!」
「おまえ免許ってか運転っ、これMT車だぞッ!」
「昨日できるって言ったじゃぁぁん!」
「本気で言ってたのかッ!?」
「オーイェス! エニタァーイムシリアァァス!」
紫織の左手が動き、なぜだか慣れた手つきでギアをローへと放り込む。直後、エンジン音がさらに大きくなって、タコメーターが跳ね上がった。
エンジン音が響くたび、巨大な車体が軽く揺れている。
「紫織、シャッター、シャッター開けてない!」
「へっへ、四駆の頑丈さナメんなぁ! フロントグリルで吹っ飛ばぁーーーーすっ!」
こいつ、本気だ……。目がイってる……。
「ひゃ! わ、わたしたち、この動物に食べられたのでしょうか!?」
三者を乗せて、四駆はさらなる呻り声を上げた。
タコメーターの針はレッドゾーンを行き来している。
「オ、オフィーリア、どっかにつかまれ! ちが、おれにつかまっても意味がない! ――お、おい、落ち着けよ紫織! ゆっくりだぞ? ゆっくりでいいんだからなッ!?」
「おっけ。すぐ落ち着く今落ち着いたもう落ち着いたァ! いっひひひひ!」
勝手口のドアが破壊されて数十体ものゴブリンがガレージへと雪崩れ込んできた直後、クラッチペダルを跳ね上げた巨大な四駆のギアが、荒々しく噛み合った。
「ぬおっ」
「きゃあああぁぁぁっ!」
「行っけぇぇぇぇー!」
かつて経験したこともないような重力を全身に浴びながら、四駆が灰色のシャッターを勢いよく吹っ飛ばし、深夜の樹海へと飛び出した。
シャッター前にいたゴブリンたちが、蜘蛛の子を散らしたように悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ヒャッハーッ!! 蹴散らせざまみろてやんでえ!」
四駆はタイヤを何度か左右に滑らせながらも体勢を立て直し、夜の闇へと走り出した。
お、驚いた。
かなり危なっかしいが、本当に運転している。なぜこの妹は、学校で学ぶこと以外の知識のみを持っているのか。
走りにくい場所ではあるが、四駆のスピードならゴブリンに追いつかれることはないだろう。
「た、助かった……」
ほとぼりが冷めるまでは、家から離れた方が良さそうだ。
相手はしょせん知能の知れた獣。そのうち出来事そのものを忘れるだろう。そうしたら戻ればいい。家の修繕は大変だろうが、どうせ補強も必要なのだからと考えれば大した問題ではないだろう。
深い安堵の息をついた大和の耳へと、背後から重く鈍い震動と音が響いた。
疲れた表情で後ろを振り返ると、三階建ての我が家が炎に包まれ、倒壊しつつあった。
我が目を疑い、何度も瞬きをする。
「うわああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!? お、お、おれの家がああぁぁぁ~~~~……あぁぁぁ…………」
颯真大和は絶望の中で白目を剥き、颯真紫織は人格が破綻したかのように嗤い、オフィーリアは四駆を恐れて小動物のように震えていた。
四駆は樹木の少ない小川沿いを、上流へと向けて走ってゆく。
「………………すまん、おやじ……。……まだローン終わってないのに……」
走る四駆の遙か後方で、長年住み慣れた我が家が轟音とともに完全に倒壊した。