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剣とは何だろう?
元公爵令嬢エルザは剣を振りながらそんなことを考えた。
先程殺したゴブリンは、すでに解体を終え、魔石を取り出して、死体は燃やした。
普段より師匠、ことトウゴが街から戻ってくるのが遅い気もするが、そのことは考えないようにしている。元より、今の彼女が己の目的を達成するためには、彼の元を離れる選択肢などない。むしろ、今の状態で離れれば己に待つのは、遠くない未来の死であると思えていたからだ。
実際のところ、この彼女の予想は正しく、おそらくここでトウゴから離れれば、彼女に待つのは街に入って兵士に捕まり、王国に連行され処刑されるか、それに抵抗して兵士によって殺されるか、はたまた、無理な国境を越えるルートを選らんで魔物に食い殺されるか、といった選択肢しかない。
今の無力な彼女には自分の死に様を選ぶことしか許されていないのだ。
自らの中から虫のようにカサカサと這い出てくる「見捨てられる」という不安を押し殺し、エルザは剣について考える。
それは前を向こうとする現在の彼女の精一杯のポジティブな思考だ。
トウゴが自分の前で見せた型を再現する。
まだ剣を始めて3週間にも満たないが、それでも考える。考えなければ、自らの内なる不安に侵食され、もう一歩も動けなくなってしまう。
昔、公爵領の騎士から、「我々の剣は人を守るためにあるのです」といわれたことがある。それは、「なぜ、そんなに毎日辛そうになって剣を振るのですか?」という自身の質問に対する答えだった。
「人を守るための剣」
聞こえはいいが、人を守るために振るわれる剣は、人を殺す。つまり、剣は人を殺すためにあるのではないか?そんな、純粋な疑問。
そして、少女が剣を振るう理由はまさにそれだった。
父と母の仇を討つ。王国に復讐する。
我が身可愛いさか?と彼女は思う。
それも少し違う気がする。もし、復讐できるとしたならば、己の命などいらない。彼女はそう思っているし、彼に初めて会い、弟子入りを志願した時、確かにそう思った。それは今も変わらない。
剣先が鈍っていく。
思考はいつも邪魔だ。
そう思ったとき、自らの不安を拭う声がした。
「そろそろ行くぞ」
そこに、トウゴがいた。
「はい、師匠」
そう答え、構えを解く。
青年に近づいていくと、トウゴがポーションを自分に渡す。それを受け取ると、一息に飲み干す。
ポーションを受け取った時、青年からは微かに女性の匂いがした気がした。
少しだけ鈍い痛みが心に走った気がする。しかし、それがなんなのかは分からない。
青年は自分がポーションを飲み干したのを確認すると、歩き出す。時間は夕方に近い。
少女はその背中を追いかける。だいたいにおいて、彼女達の行軍は日が落ちる寸前まで行われる。
「師匠」
少女は青年の背中に向けて語りかける。
「なんだ」
青年のいつもの声が聞こえる。それを聞くと、自らの中に安心という名の暖かさがじわじわと広がっていくのがわかる。
「剣とはなんでしょうか?」
彼女は尋ねる。
「切る為のものだ」
青年は振り返り答える。その瞳には少しの侮蔑が宿っているように見えた。「貴様にそれ以外の理由がいるのか?」と。少女は思い出す。自らが、歩いている道のことを。
青年は「冥府魔道」といった。
それは、剣の道とは違う。
人を殺すための道だ。
復讐をするための道だ。
少女は腹に力を込める。青年は返答を期待しているようには見えない。もう、先へ進むことに集中しているように見えた。今の彼女に出来るのはそれに置いて行かれない様に、必死で進むだけである。
近衛騎士バルトが、部下と共にペルシ連邦の国境に程近いベルリに到着し、そこの街の領主に挨拶していたのは、トウゴとエルザがそんな問答をしている時だった。
「では、このバルト・シュトラウス伯爵近衛騎士団長の捜査に全面的に協力する気はないと?」
バルトの少しイラついた声が響く。
「そうですな。こうして、国王様の命令書もあることですし、こちらとしても全面的な捜査のお手伝いをしたいのは山々なのですが、こちらとしても我が主クロード辺境伯の命令がなければ全面的な協力はいささか難しいかと・・・」
この街の領主、キューエル士爵が困ったような声を出した。先程から、こちらの協力要請を飄々とかわしていく士爵に対して、バルトの苛立ちはつのる一方であった。
「貴様、大概にせよ。貴様の前に立っているのは、バルト・シュトラウス伯爵近衛騎士団長であり、ひいては国王様の名代であるぞ」
バルトの怒りの声が上がる。
「それは、充分存知ていますが、何分、我が主はバルト辺境伯でありまして・・・何よりここは、国境近くの街ベルリ、国境の砦への人員配備は不可欠なのです。どうしても、と仰るのであれば、我が主クロード辺境伯にお願いに上がるか、使者をお使いになって増員をお願いしてみては?」
暗に手伝う気はないといった趣もあるが、キューエル士爵の発言はどれも間違いはない。士爵は騎士が街や大きめの村等を治める領主になる際に、主(伯爵以上の貴族)から、任じられるもので命令権は基本的にその自らを任じた主が持つものである。これは不文律であり、例えそれが王の命令であっても、変わることは無い。
「わかった。これより、書簡をしたためる」
「それがようございます」
発言したキューエルの顔をバルトは睨みつけるが、キューエルはどこ吹く風である。
「書簡だが・・・」
バルトが発言しようとした瞬間、
「冒険組合で依頼をするか、バルト卿の部下の方をお使いになるのがよろしいかと」
機先を制したキューエルの発言に、バルトの顔が真っ赤になる。バルトは小さく「平民如きが」と呟いて、立ち上がり、「そなたの態度、辺境伯にも報告するからな」という怒りの混じった大きな声を出して、領主の応接室を出て行く。
「大変申し訳ありません」
立ち上がり頭を下げて、申し訳なさそうには聞こえないキューエルの声が響いた。
「フンッ」
という音を出し、バルトは応接室を後にした。
キューエルは窓際まで歩き、日が傾き、オレンジ色に輝く落日を眺めながら、「俗物が」と小さく呟いた。
老齢ながらも少し整った堀の深い顔に西日が当り、彼の顔をオレンジ色に染め上げる。戦場を駆け巡り、時には友の死を見届け、時に友の生を助けた、苦労と誇りの様な彼の深い年輪に、オレンジ色の光りが深い陰を落とす。
キューエルにとって、ロッセンハイム公爵は主であるクロード辺境伯の仲の好い義理の兄弟というだけでなく、ペルシ連邦との戦争で何度も共に戦った戦友でもあった。
戦争の後に他の騎士や公爵と主である辺境伯とで、朝まで飲み明かしたのは、今でも大切な辛く悲しくも楽しかった思い出である。
そのキューエルにとって、今回の事件は気持ちのいいものではなく、クロード辺境伯も恐らくは全く同じ心持だろう。と、彼は思っている。
バルトは、行方不明であるエルザ・ロッセンハイム元公爵令嬢の捜査と述べていたが、ロッセンハイム公爵が王国に殺害されたのは自明であって、疑う余地は殆ど無い。この捜査は、探索というよりも、口封じという意味合いが強いのだろうと、キューエルは思った。
全く、クロード様が姪であるエルザ殿の口封じに手を貸す筈も無かろうに。と、キューエルは思った。
辺境伯領の隣に位置していた公爵家は既に取り潰しとなった。正確には、跡継ぎがいないという理由から、ロッセンハイムの遠縁のものを幾人か引っ張り上げ、小さな領地にして区分けして分配した形だ。
それは、形式上はロッセンハイムの存続であるが、事実上は取り潰しであった。遠縁の者たちがバラバラに配置されている以上、足並みが揃う訳も無い。そして、それは未だ、事件から三週間も経たない内に中央から発表された通達でもあった。
王国のこの対応の早さも、ロッセンハイム公爵が王国によって暗殺されたと考える理由の一因でもあった。
公爵という大きな貴族の力を削ぎたかったのだろうが、ペルシ連邦との国境に近い旧公爵領の足並みが揃わないのは、辺境伯領としても非常に迷惑なことだった。
それにしても、と、キューエルは思った。
バルトとかいうあんな無能な人間が、近衛の師団長とは・・・クロード様の部下である私が、こんな命令に積極的に協力する筈がないことなど、少し考えれば分かりそうなものだが・・・
王と伯爵の命令ならば、士爵の自分は聞くに違いないとでも思ったのだろうか?
キューエルは短くため息を付き、この、落日のように、クライン王国ももはや沈む定めなのかもしれないな。などとぼんやりと考え、窓の前を後にした。