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狼の子供  ―没落令嬢の復讐譚―  作者: 堀部平蔵
第一章
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エルザは、打ち捨てられた砦の跡地の中で、木刀を一心不乱に振っていた。


彼女の服装は、前と同じく、ぼろぼろになったフリフリのドレス姿である。剣を振るたびに、短く切った赤い髪の毛から、水がしたたり落ちていく。肩は揺れ、呼吸も乱れている。もともと、エルザの体は剣に触れたことなどない貴族の少女のそれにすぎなかったのだ。だが、それでも彼女は一心不乱に剣を振る。


彼女の眼は赤い。枯れるほど流した涙のせいかもしれないが、もう涙は見えない。強い雨が彼女の涙を隠している。


彼女が一人の理由は、服装があからさまに没落令嬢ぜんとしているために、トウゴが近くにある小さい町に服を買いに向かったのだ。


彼女が、剣を振っている理由、それは師匠であるトウゴから指示されたことだったからである。彼女に最初に出された指示は主に二つ、一つはひたすら剣を降ること。もう一つは、トウゴが戦っている所をひたすら眼をそらさずに見ることだった。


「俺は父の剣をそうやって覚えた」

とトウゴは言った。


トウゴの話を聞いていくと、どうやら彼は幼少の頃は父の剣をひたすら見て剣を覚え、また、今度は別の達人に剣の手解きを受けていたらしかった。どうして、その父に直接手解きを受けなかったのか、という疑問はあった(話の限りその父親も相当な腕前の剣士に思えた)が、彼女はそれは聞かない方がいいことだろうと思っていた。短い(まだ、半日程度しか経っていない)付き合いではあったが、聡い彼女には青年トウゴとの距離感が掴めつつあった。


やがて、彼女の手から赤い血が流れ出す。肉刺が潰れたのである。それでも彼女は剣を振り続ける。彼女の剣など握ったこともない柔らかい掌では、肉刺ができて、それが破けるまでの時間はあっという間である。雨で薄くなった赤い血が汚れたドレスにかかって、赤黒いシミをつくっていく。痛みはある。それ以上に、彼女は強くなりたかった。動悸も激しく、呼吸も乱れている。体の節々も痛い。でも剣を振るう。今はそれしか、することがないのだ。


すると、

「やめっ」

という声が響いた。彼女は動きを止め、声のした方向を見る。そこには、自分に指示を出した青年がこちらに向かってくるのが見える。


「ずっと振っていたのか?」


「はい」


「そうか」

トウゴはそう会話をすると、彼女に服を渡した。布で出来たごくごく一般的な庶民の服に、薄茶色のフードが付いた外套だった。スカートではなく、ズボンだった。短くなった髪のせいか、これを着ていれば少年のように見えるのかもしれない。


「着替えろ」


彼女は頷き、一瞬戸惑うが、構わずその場で着替えを始めた。彼女が着替えを始めると、トウゴはエルザが置いた木刀を拾い上げると、少し離れて素振りを始める。エルザにとってそれは重たいものであったが、トウゴはそれを当然軽々と扱う。その木刀は通常の剣と同じくらいの重さになるようにトウゴが造ったものだった。


エルザは筋肉痛で震える腕で着替えをしていた。筋肉痛のせいか思うように着替えも進まないようにも見えるが、理由はそれだけではない。エルザは彼の素振りをする姿を食い入るように眺めていたからである。その姿は、当然自分が先程まで剣を振っていた姿とは違う。彼女は文字通り一心不乱に剣を振っていた、というよりも振り回されていたといった方がいいのかもしれない。筋力のない少女であれば、当然のことなのかもしれないが、それでも彼が剣を振るう姿は自分とは全然違う。まず、剣を振るスピードが速い。そして、一回振る毎に素早く体から力を抜き(彼女の目からはそう見える)、また振る。一つ一つの動作を確認するように。


エルザが着替えを終え、ややすると素振りを止めたトウゴがゆっくりとこちらに向かってくる。

がさごそと、置いてあったバッグの中身をあさり、瓶に入っていた液体を取り出す。それは、この世界においてポーションと呼ばれる薬だった。


「飲め」

そういって、渡されたエルザだったが、この世界においてポーションは傷薬的な役割であって、怪我のない自分には無用なようにも思えたが、彼女はそれを受け取ると口に含み、飲み干した。


「便利な世界だ」


トウゴはそう呟くと、空いた瓶を受け取り、

「行くぞ。さっさと国境を越える」

といって、歩き出した。


それに付き従うように、彼女も後を追う。トウゴの進むスピードは速い。彼が普通に歩くスピードは彼女にとって競歩にも近いものがあった。彼女の体は既になれない素振りのせいでぼろぼろになっていたが、付いていかなければならない。ゆえに、エルザは少々不安を覚える。しかし、歩き出してからしばらくすると、先程まで倦怠感の強かった体が、すこしずつ軽くなっていく感覚に気が付く。


この世界のポーションは筋肉痛を癒す。即効性は薄いが、ポーションには傷を治すだけではなく、そういった側面がある。が、実は全くといっていいほど知られていない事柄だった。ポーション=万能傷薬、そういった思い込みは、物事の汎用性を著しく狭めるものなのだが。もちろん、筋肉痛は筋繊維の傷が原因などということを、科学の発達していないこの世界の人間が知っている訳もない。そして、それをトウゴが知っているということもない。彼はただこの世界の常識がなかっただけである。


体は軽くなっている。とはいえ、雨の中の彼女にとっての強行軍は続くのだった。


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