不幸の手紙
拝啓に始まり敬具でしめるなんて堅苦しい間柄ではないので、こんな書き方をさせてもらいます。
最近よくこどもの頃を思い出すことが多くなっています。大抵は苦い過去ですが、それで記憶が断片的に思い出され、思わずその勢いで書き始めました。正直文章を纏められる程にはぼくの感情は治まりがついていませんし、推敲もしていませんので、二人がこれを読んでどういった感想を持つのかぼくには想像がつきません。もっと気持ちが冷静であれば、ぼくの思惑に沿った書き方も出来たかもしれませんが、なにしろ感情が先に来て抑えもききません。最後まで読んでもらえたらそれでいいやというつもりでポストに入れるつもりです。ちゃんと読んでください。
ぼくが精神科に通っているということは姉さんから聞いているでしょうね。ぼくの近況を逐一知らせていることは随分前から知っていました。ぼくにとっても直接二人と話すことをせずに済むので姉さんにそれとなくその時々の悩みを洩らすなど、ぼくの方でも姉さんを利用していたので責めるつもりはありません。ぼくが先日送ったメールの内容をおそらく二人は姉さんに話したのでしょう。その二日後に姉さんが実家に帰ったのですぐ分かりました。
あいかわらず、ぼくの周りをこっそり嗅ぎまわる様なやり方をするんですね。それがぼくをどんなに悲しませることになるのか理解をしてくれないのですね。回りくどいことをせずに直接ぼくに電話でもしてくれればいいのにとメールを送り続けていたら、ついに着信を拒否しましたね。お叱りのメールで反撃でもしてくれた方がどんなに良かったか。メールを見たはずなのに反応を返してこない、ぼくにとってはこの上ない仕打ちですよ。また見殺しにするんですか?
ぼくの一番苦しく辛い時期にあなた達は助けてくれませんでした。皮肉なことなのでしょうか、あなたの弟さんがぼくに最も近い位置で手を差し伸べてくれました。このことは二人も知っていますよね。叔父さんはぼくに仕事を与え、働くということでお金をくれました。几帳面で完璧主義のある叔父さんの仕事ぶりは、当時のぼくには厳しくみえました。でもなぜか一緒に仕事をするのはいやではありませんでした。あなた達と暮らしていた頃に感じていた違和感もありませんでした。
こんな曖昧なことは言いたくないのですが、叔父さんの厳しさの内には確かにぼくへの優しさを含んでいるように感じていたのです。寡黙な叔父さんは言葉にしてはなかなか言ってはくれませんでしたが、時々仕事ぶりを褒められることがあり、そんな時ぼくは素直に嬉しさを自分の中に認めてあげたものです。親戚の叔父さんなんて、他人みたいなものでしょう。その他人がぼくを救ってくれ、親らしいことをしてくれたのですよ。あなた達は親戚の叔父さん以下の存在じゃないですか。二人とかあなた達とか言い方を選んでいるのは文章の中ですら呼びたくないからなんです。知っていましたか、ぼくはその言葉ほどあなた達を親だとは思っていませんでした。どこかよそよそしさを捨てきれない、やっぱり親戚のおじさんとおばさん程度にしか感じていませんでした。
最近症状が重くなってきたようで、頭の中で物事を順序立て整理することが困難になってきています。今思い出しました。ぼくはガサツな隣人のドアを乱暴に閉める音に毎回心臓の痛くなる思いをしています。呼びたくないけど、お父さん、分かりますよね。こどもの頃さんざんそのことでぼくを怒鳴りちらしていたのだから。ぼくが階段を上がる音、勝手口のドアを閉める音、つねにぼくの行動を監視しているかのようなあなたの圧力に、ぼくはしだいに萎縮してしまい、こんな小さな人間になってしまいました。食事時にも茶碗をテーブルに置く音が大きかったという理由で、有り得ないくらいに怒鳴られたことが、ぼくを今も苦しめています。
お母さんもヒステリーを起こしてはぼくの心臓を痛めつけましたね。笑顔で話していたかと思えば突然にぼくを叱り、なんの理由で叱られているのかよく分からないままぼくはあなたの理不尽な怒りが治まるのをじっと耐えていました。今では赤ちゃんの泣き声、女性の金切り声というのでしょうか、そういった類の、つまりあなたの怒鳴り声に似ている高音の叫びみたいなものがまるっきりダメになりました。そういった声を聴いた時、ぼくは自分が責められているような感覚に陥り、その理不尽な自分自身の罪の意識に腹が立ち、それは違うと怒り交じりに反論してやりたくなるのです。
先生にも言われましたが、落ち着いてみると、それはぼくの独り相撲のようなものなのだなと理解できるのですが、見えない敵と戦うぼくには、その影になっているものの正体が見抜けてしまうので、よけいに怒りが込み上げてくるのでしょう。分かっているんです。あなた達がぼくにとっての敵だということが。ただぼくが敵だと思っている相手が驚くことに、そのことに微妙な反応しか示さないのでぼく自身対応に困ってしまうのです。
やっぱり認めたくないのでしょうか。こどもより私なのでしょうか。それならそうと言い切ったらいいじゃないですか。中途半端に繕っているから苦しむんですよ。その辺のこどもをすぐに死なせてしまうような親と同じだと認めて、ぼくにそうだと言えばいいんですよ。ぼくはどんなことでも、あなた達の反応が見たいんです。無反応がぼくを馬鹿にしていることだとなぜ気づけないんですか。
あれだけ家の中で家族のあり方を説いていたあなた達じゃないですか。どっちつかずの態度にいい加減ぼくはうんざりしています。自分で説いた良い親にもなれず、自分のずるさを認めることもしない。それでよくも親だ親だと威張り放題やれたものですね。社会にでて分かりましたよ。お父さん、あなたの人としての器の程度が。産んだこどもに食事をさせ、衣服を着せ、学校に通わせ、家に住まわせ、そんなことを事あるごとに取り上げてぼくを圧しつけようとしたあなたを今では小さな人だと断言できます。
だってそんなこと、どこの親だってやってるんですもの。あなたみたいに、それだけで、威張る親はそうはいませんでしたよ。あなたは当たり前のことを大事のように吹聴して自分がいかに大物であるかを示したかったのでしょう。ぼくの言葉をたわごとだと決めつけ、取り合ってくれなかったお母さん。これも社会に出て分かったことですが、ぼくの言葉はあなたの言っていたような世間ズレしたものではありませんでしたよ。ぼくのいうことはむしろ正論すぎて煩いくらいだということが、いろんな人との付き合いの中で確信できるようになりました。きっと、こどものぼくの言うことがあまりにも固められた正論だったので、大人の自尊心を傷つけられたように感じ、感情でぼくの言葉を封殺しようとしたのでしょう。生意気なこどもなんてかわいくないですよね。ぼくの推察、違っていたら、違うと反応を示してください。
文章が苦手でしたよね、確か。電話が楽ですかね。どちらでもぼくは構いません。この手紙を読んでもまだ認めないようなら、今度こそぼくはあなた達に見切りをつける覚悟です。どうか穏便にすむようにしたい、ぼくの僅かばかりの情を汲み取ってください。はっきりと、あの頃確かに我が家には虐待があったことを認めてください。言葉を濁したり、無言でやり過ごしたりなんて卑怯なことはもうしないでください。親らしさのかけらでもいいから見せてもらえたら、少しは違った形であなた達のことを見ることができるかもしれません。
ぼくに都合のいい結果を示せと言っているのではありません。その逆もぼくは覚悟しています。あなた達がぼくよりも自分たちの自尊心をとる場合をも。その際にはぜひ言ってください。あなた達を、ぼくが完全に見限れるだけの本心を。あなた達が近所で、職場で周りの人達にどのように思われていようとも、ぼくは知っています。あなた達の醜さを。いい人なんかではない。決して人に褒められるような人間ではない。あなた達はひどく冷淡で、残酷で、ずる汚い最低な人間だということをぼくだけは知っているということを覚えておいてください。こどもの頃ぼくがそうされていたように、今度はぼくがあなた達を監視していますよ。どんなに他人があなた達を好意的に見ていようとも、その内面の本性はぼくだけには隠せません。
決断力のない二人にぼくからの提案なのですが、死んでもらえませんか。ぼくには納得がいかないんです。ぼくをこんな目にあわせた二人がのうのうと生活できていることが。ぼくなんて今も苦しみ続けているんですよ。二人が現在のぼくに苦しめられているといっても、しょせん病気にならない程度の苦しみじゃないですか。もっと精神を追い詰められるくらいの、ぼくがあの頃あじわったのと同じ苦しみを二人にも受けてほしい。まだ自分たちを良い親だったと言い張るのなら、息子としてのぼくを労わる気持ちが本心ならば、ぼくの苦しみや辛さを和らげるために死んでください。ぼくはあなた達が平穏に暮らしていることが悔しくて仕方ないんです。ぼくの苦しみの根っこにはあなた達の存在があるんです。それを取り除かなければぼくの幸せも形が見えそうにありません。ぼくの幸せを本当に願うなら、本当に親だと言い切れるのなら、ぼくを救ってください。あなた達の存在が無くなってもぼくは幸せにはなれないかも知れないなんて心配は必要ありません。たとえそうならなくてもぼくはきっと新しい気持ちでこの地獄のような人生を進む覚悟を持つことができるはずですから。はずなんていけませんね。送ってみせます、ぼくの人生を、必ず。
どうですか、ここまで読んでもらえたのでしょうか。もしここまで読んでもまだその気になれないというのなら、仕方ない。ぼくが死ぬしかないですね。あなた達の呪いから逃れるためにはぼくの中からあなた達を消すか、あなた達の中からぼくを消してしまう他ありません。ですから、ぼくの幸せを取るかあなた達自身の、残りの人生を取るかの選択です。いいんですよ。ぼくが死ぬことになっても。ですが、ぼくは叔父さんみたいに綺麗には死ねませんよ。あんな手際のいい死に方って、追い詰められた人間の縮こまった脳で行えるものなのでしょうか。マンションの解約から銀行、遺産の分配に関する書類、職場への気配り、しかも死ぬときは他県で公園の駐車場で、新車の中で練炭による一酸化炭素中毒死なんて出来すぎでしょう。車の中には遺書まであって、すぐにこちらに連絡が行くようになっていて、またその通りに死んでから二日後には葬式をしたのですからね。まったく死ぬ時まで几帳面なんだから、叔父さんは。
そういえば、叔父さんの遺産でもめたそうですね。やっぱりお金の前では隠せませんね、業の深さは。正樹伯父さんと喧嘩したんですよね。姉さんがさすがに驚いていましたよ。あの姉さんがぼくにあなた達のことを喋るくらいだからそうとう醜くやったんでしょうね。葬式の最中に叔父さんの新車がほしいなんて言っていたお父さんですから無理もないですかね。
叔父さんのマンションにあった32インチの液晶テレビは貰えましたか。正樹伯父さんに怒られたってことも聞きましたよ。正樹伯父さんはぼくよりですからね。正樹伯父さんが実家とはほとんど繋がりをもたなくなった理由がぼくには分かりすぎる程共感出来ます。あんなところにいたら人間が腐ってしまうことを、伯父さんは幼い頃から肌で感じていたに違いない。正樹伯父さんだけが親戚連中ではまともだったということが何よりの証拠です。あの葬式をみたらぼくじゃなくてもそう考えるのではないでしょうか。あの見たこともない遠い記憶の片隅にもない親戚連中はどこからやってきたのでしょうか。
そういえば叔父さんの自殺の原因はまだわからないそうですね。マンションの中をいろいろ探してもそれらしいものは見つからずじまい。遺書にだって土地を誰にどうするとかそんなことしか書いてなかったって聞きました。初めて見た親戚連中はそんなことどうでもいいようでしたが。しかし金の話ばかりでぼくは逃げ出したかったですよ。叔父さんのじゃなきゃ葬式自体行きませんでした。あなた達の葬式にはぼくは行きません。といいたいところですが行きますよ。だってこれほど楽しいことってありますか。挑発したらいけないと分かっていても書いてしまうくらいにぼくはそれを待ち望んでいるのでしょう。
でも、それが叶わなければ、ぼくなりのやり方で死んでみせますよ。叔父さんとは正反対のかっこ悪く雑な死ですよ。あなた達の仕業を暴露しまくって、そこに留まれないようにしてやる。近所付き合いなんて面倒でしょう。向こうから近づかないようになりますよ、きっと。そんな日が来ることを待ち望んでぼくはこの手紙を締め括りたいと思います。このぼくの不幸な手紙を最後まで読んでもらえたのならば幸いです。育ててくれた恩くらいは一応感じていますよ。さようなら、お二人さん