99 愛はとってもあま~い。
俺とセレスがテーブルに戻る。
が、ここでは俺たちは仮面の忍者なわけである。ならば、忍者らしく戻るのが筋だと言えよう。
俺とセレスは周囲に視線を走らせながら、背中を見せないように、壁にピッタリと背中を付けて、ゴキブリのような走り方で、テーブルまで戻ってきたのだ。
そして、テーブルの手前で意味もなく前転を、セレスは身体能力を活かして空中回転を一回、それぞれ決めてみせる。空中回転を決めたセレスの手の中のグラスからは、見事に一滴もこぼれてはいない。
「ふぅ、どうやら追手は巻いたようだな……」
「そうですわね、神影様」
俺とセレスは、一仕事やり終えた風に、流してもいない額の汗を拭う小芝居をしてみせる。
「お、おかえりなさい……、なんだかわかんないけど、大変だったんだねぇ……」
桜木さんの、いつも緩やかにこやかな頬が、少し引きつって見えるのは気のせいだろうか。
「チッ、馬鹿じゃないの」
俺たちより少し先に戻った冴草契は、聞えよがしに大きく舌打ちをしてみせた。きっと、俺とセレスの息のあった忍者っぷりに嫉妬をしているに違いない。
こうして向かい合う二組のカップル。
かたや、仮面の忍者カップル。
かたや、百合カップル。
どちらが異常性が高いのかと聞かれたならば、即答で忍者カップルだと言えるだろう。みなさん、町中で仮面をつけたカップルを見たことがありますか? 俺はない! まさか、自分がその第一号になるなんて、ほんの少し前までは考えもしなかったわけだけれど……。
それに対して、百合カップルはといえば……。町中には二人の女子がキャッキャウフフしながら歩いている光景よく見かけるではないか! まぁそれら全部が百合カップルであると断定にするには、あまりにも資料が足りなさすぎではあるが、可能性は皆無ではないのだ! ああ、街をゆく女子がみな百合百合していると考えると……おらなんだかテンション上がってきたぞ!
コホン、少し話がそれてしまったが、微笑ましく萌えーな百合カップルに比べれば、俺とセレスの仮面の忍者カップルは遭遇したら即通報レベル。つまり、異常性においては俺とセレスの圧勝といえる!
そう考えてみると、さっきからファミレス店員がこちらの方をちら見しつつ、何かあれば即座に通報しなければと、険しい顔をしているのも頷ける。
さらに、例のファミレス店長は、何を思ったか実況用のマイクをかまえて、バトルが始まるのを今か今かと待ち構えているではないか……。
――こりゃ、面倒事が起こる前に、早めに退散すべきだな……。
バトルも警察も御免こうむる俺としては、何事も無くこのファミレスからさっさと立ち去ってしまいたい。だが、ワケもなくいきなり帰るというのも、あまりにも不自然すぎる……。
「神影様、わたくしのスペシャルブレンドをお飲みくださいましー」
悩んでいる俺の心の中などまるで気が付きもしないセレスは、得意気にあの禍々しい色をしたドリンクを俺に薦めてくるのだった。謎ドリンクは、どこぞの錬金術士が創りだした怪しげな液体のように、今にも煙を立ち上らせそうだった。
「これ、すごく変な色してますねぇ〜」
桜木さんが、俺の前に置かれている謎ドリンクに興味を示したらしく、まるで水族館の水槽でも見るように好奇心に満ちた目を向けていた。
「変とは失礼ですわね! このスペシャルドリンクには、わたくしの神影様への愛が込められているんですのよ!」
「あ、愛ですか……」
「そうですわ! わたくしからの、とってもスウィーティーでとろけるような愛が大量に込められているのですわ!」
セレスは恍惚の表情で、グラスについている水滴を指先を伝わらせて拭ってみせた。
「これを飲むこと、それは即ち、神影様がわたくしの愛を身体の中に取り込むということですわ。わたくしの愛と神影様が一体化して、それはもう……ぐふふふふっ、ですわ!!」
セレスの目は、愛という言葉を使うごとにいくらか正気を失いつつあった。口元からはよだれが溢れ出てきていた。
こいつ、本当にドリンクサーバーでジュースを入れたのか? とんでもないものを中に入れたんじゃあるまいな……。
「な、なんか凄いことになっちゃってるよ、ちーちゃん……」
「姫、目を合わせちゃ駄目だよ。アホが伝染るから」
「あらあらあらあら、冴草契は、わたくしと神影様の愛に嫉妬なさっているのかしらー。でも、あなたにはそちらの可愛らしいお嬢様がいらっしゃるのでしょ? わたくしたちの愛に嫉妬する暇がお有りならば、ご自分の愛をお育てくださいまし」
「……誰がそんな変態仮面男なんかに嫉妬なんかするか! こっちはね、ふつーに仲良しカップルなの! そっちみたいに変態異常カップルじゃないの! あーあー、アホキンが伝染るわー」
「へ、変態異常カップルですって! 侮辱ですわ! こうなったら、決闘ですわ!」
セレスが勢い良く席を立つ。それに続くように冴草契も席を立った。それを見たファミレス店長は、ついに始まるのかとマイクを構え始めた。
「わたしに勝てると思ってるの!」
「負けませんわ! 負けるわけがありませんわ! 神影様の愛によってパワーアップしたわたくしに負ける要素は皆無なのですわ!」
「そ、それなら、こっちだって姫の愛に包まれたわたしは絶対アンタなんかに負けはしないんだからね!」
「あらあらあら、ならばどちらの愛がより強靭かで勝負は決するというわけですわね」
「そうなるな……」
二人の目からは強烈な火花が飛び散っていた。
それに対して、俺と桜木さんはというと……。
「ちーちゃん、恥ずかしいよぉ……」
「セ、セレ影、落ち着くんだ……。その、あの……あ、愛とかあんまり公共の場で連呼するもんじゃないぞ……」
顔から火が出そうなほどに、恥ずかしさマックス状態だった。
俺は仮面をかぶっているからまだしも、桜木さんは熟れたサクランボのように真っ赤になっていた。
「ご安心くださいまし、神影様。わたくしの愛に敗北はございませんわ!」
「安心してて姫、わたしがこんな仮面馬鹿一発でやっつけてやるから!」
どうやら、テンションのメーターが吹っ切れてしまった二人には、俺と桜木さんの言葉は届いていないようだった。これではまたしても大乱闘が勃発してしまう。
こうなれば、最後の手段に頼るしか無い……。
「忍者ーっ! なんとかしてくれーっ!」
俺は何もない中空に向けて叫んだ。
普通ならば『あ、コイツ頭が遂にアレになったか……』と思われるところだが、そうではない。忍者はいつでもどこでも、セレスを見守っているはずなのだ。つまりは、ここにも……。
俺はその時、丸いゴムボールのような物体が天井から落ちてくるのを見た。
それは地面に当たると、中から大量の煙幕を吐き出したのだ。
「な、何なんですのこれは……」
「ひ、姫! 姫は大丈夫?」
この状況を利用しない手はない。俺はセレスの手を握り締めると、そのままファミレスの出口に向かう。
食い逃げにならないように、レジにドリンクバー分のお金を置いていくのは忘れない。
きっと、ドリンクバーの代金よりも、店内が大混乱になったことのほうが、大損害のような気もしないでもないが、そこは気にしないようにしておく……。
「一体何をやっているんだ……。ボクはこんな派手なマネはしたくなかったんだぞ!」
ファミレスの駐車場の影まで行くと、そこには忍者が待ち構えていた。
いつもの忍者だと思ったが、忍者衣装族も夏用にヴァージョンアップしたようで、上はノースリーブで脇があわらになり、さらに下半身はショートパンツ仕様になっているではないか。忍者の真っ白なおみ足がこんにちはと顔を出して、俺に挨拶をしてくれているようだ。
俺は太ももに話しかけたくなる気持ちを必死で抑えこんだ。
「それに……。ど、どうしてそんな仮面なんかつけてるんだよ! ボクとお揃いとか……意味分かんないんだけど!」
何故か忍者は少し照れていた。
あれだろうか、忍者仲間が増えて少し嬉しかったのだろうか?
うむ、三人揃って何か戦隊モノをやるものいいかもしれない。
「もぉー神影様、これはどういうことなんですの?」
煙を少し吸ってしまったのか、ケホケホとむせながら、セレスはまるで状況が理解できないでいるようだった。
「いや、これはだな……。に、忍者は無益な争いはしない! ゆえに、戦いを起こさぬようにセレ影を連れだしたのだ! 忍者とは忍ぶものなのだっ! なぁそうだよな?」
俺は忍者に話を振るのだが、忍者は『は? 何言ってるんだコイツ、馬鹿なの?』という、ゴミを見るようなご褒美フェイスで答えてくれた。ありがとうございます!
「ガーン! そ、そうだったんですの! そこまでのお考えがあってのこととは、このセレ影感服致しましたわ。ついついあの空手バカ女の挑発に乗ってしまいって……」
最初に挑発したのはセレスだったような気がするが、それは触れないようにしておこう。
兎に角、戦いを回避することには成功したわけだし、一件落着としておこう。
ここから遠目に、ファミレスの店内がいまだに大混乱なのが見えるけれども、一件落着としておこう……。
こうして、俺とセレス、そして忍者は無事に帰路に……。
「そうですわ。神影様、これを……」
「え?」
そう言って差し出したのは……。
例のスペシャルドリンクではないかい!
なんと、あの煙幕での混乱の中でも、しっかりとこぼさないように手に持ってここまで運んできていたのだ。
「あ、あれだぞ! お店の外まで持ってきたら駄目なんだぞ!」
「それは後で何とかしておきますわ。それよりも、わたくしの愛のこもったこのスペシャルドリンクを……」
セレスがスペシャルドリンクを手に持ったままにじり寄ってくる。
「いやぁ、あの、その、いまお腹いっぱいで……」
「わたくしの愛をお飲みになれないと言うんですの! わたくしの愛を拒絶するんですのね……」
セレスの瞳に、涙のしずくが溜まっていくのが見える。それと同時に、俺の足元に数本のクナイが突き刺さるのも見えた。
忍者である。忍者がスペシャルドリンクを飲むことを圧倒的暴力で強要しているのである。
「あ、あはははは。馬鹿だなぁ、飲まないわけ無いだろ! 飲む飲む! 飲まさせてください!」
その事話を聞いて、セレスの表情が水をかけてもらった花のように、パーッと明るくなる。
「それじゃ、い、頂きます……」
俺は出来るだけ舌に触れないように、喉にすら触れないように、一気に流し込んだ。
「あぁ、わたくしの愛が神影様の体内に流れ込んでいくのがわかりますわぁ~」
自分自身がその液体になったことでもイメージしているのだろうか、セレスは頬に手を当てて、流れる液体のように見をよじりだしていた。
「あれ? 思ったより、不味くないぞ……」
俺は予想していたよりも、普通に飲めてしまったことに驚いた。
「どうかなさいましたの?」
「あ、あのさぁ、ちなみに、セレスの言う愛って何を入れたんだ?」
「はい! 愛といえば、甘いものと相場が決まっておりますわ。そして甘いモノといえば、お砂糖ですわ。ですから、ガムシロップを大量に入れましたの!」
「なんと……。それだけの事だったのか……」
俺は甘い甘いドリンクを飲み干す。
――愛が砂糖だとするならば、一時の甘さに身を任せていると、そのうちに身体と心を壊してしまうに違いない……。
そんなことを考えている内に、外は夕日に暮れるのだった。




