97 仮面の忍者、神影、セレ影。
ファミレスの窓際の席で、向かい合うように桜木さんと、冴草契が座って、雑談の真っ最中なのを発見してしまった俺は、すかさず入口付近においてあった植木鉢の影に隠れた。
「何をなさっておいでですの?」
俺と腕を組んで身体を密着させた状態のままで、セレスは不思議そうに尋ねた。
どうやら、セレスはまだ桜木さん達がいることに気がついていないようだ。
ならば、このまま何事もなかったかのように、ファミレスから戦略的撤退を試みて、別の場所に移動するのが賢い選択だと言えよう。
「よし、この店はやめよう」
「どうしてですの?」
「いや、なんてい言うか今日は風水的に方角が悪い。うん、鬼門だ! 鬼門に違いない! アレだ、玄武と白虎がアレしてソレしてあのねのねの感じだ!」
「はぁ……」
セレスは俺の無茶苦茶な理論に、まるで納得がいかないようだった。
「まぁ、そこまでダーリンがおっしゃるならば、別のお店に行くといたしましょう」
しかし、俺の熱意が通じたのか、こんな庶民的ファミレスに何のこだわりもないのか、セレスはこの店を出ることに賛同してくれたのだ。
これで一安心と思ったその時だ。
何を思ったか、冴草契がこちらに向かって歩いて来るではないか……。
――何故だ! 俺たちに気がついたのか!?
理由はすぐに分かった。
俺が咄嗟に隠れた場所は、ドリンクバーのすぐ近くだったのだ。馬鹿だ、俺は馬鹿だ。どうして咄嗟にこんな人が行き来する場所にある、植木鉢の影に隠れてしまったんだ……。とは言え、自分を責めていても仕方がない。あと数秒後には冴草契はこちらにきて俺とセレスの姿に気がつくに違いない。それをどうにかして防がなければ……。
――こうなったら、遂にアレを使う時か……。
俺はこんな時のために、ポケットの中に忍ばせておいたブツを握りしめた。
拳銃をホルスターから抜くように、勢い良くブツをポケットの中から取り出すと、セレスにそれを一つ渡す。
「え? なんなんですのこれは……」
三十センチばかりの物体を手渡されたセレスは、状況はまるで飲み込めずに俺の顔を見やった。
「いいから、ソレを今すぐつけるんだ!」
「あ、はいですわ……」
俺の切羽詰まった言葉に圧されて、意味もわからずに俺が手渡したものをセレスを装着する。
それを確認すると、俺も大急ぎでもう一つのソレを装着する。
そこにちょうどいいタイミングで、冴草契がやってきた。
ふぅ、間に合った。これで大丈夫だ。
「……」
冴草契が無言でこちらを怪訝そうに見つめている。
気が付かれたのか?
いやいや、そんなことがあるわけがない。何故ならば俺とセレスは……忍者のものを模した仮面をつけているからだ!
何故こんな仮面をポケットに忍ばさせているのかって?
それは、忍者のあまりの格好良さに感動した俺は、苦手な針仕事で指を何度も怪我しながら、コッソリと自作をしていたのだ! どの色にするか迷った挙句、二種類作っておいた事が功を奏した。
ふふふ、まさか目の前に居る仮面の忍者カップルが、俺とセレスであるとは冴草契であろうと気がつくまい……。
「…………」
冴草契は、俺とセレスの上から下まで視線をはわせるた後、大きなため息を一つ付くと、二人分のドリンクをグラスに入れて席に戻ろうとした。
成功だ! 大成功だ!
と、俺がガッツポーズを心の中で決めていた時。
「あらあらあらあら、冴草契じゃございませんかしら」
セレスのアホが、冴草契に声をかけてしまったのだ。
そうか事情を何も説明していないのだから、普通知り合いに会ったら声くらいはかけるわな……。
「……………」
声をかけられても、冴草契は無言だった。
それはそうだろう、アイツはこの仮面の女がセレスだとは気がついていない筈なのだから、見も知らない忍者に声をかけられても普通は返事をするはずもない。
「ああ、この仮面のせいで、わからないんですのね、わたくしは金剛院セレ……」
「やめろ! セレ影!」
仮面を外しかけたセレスを、俺が制止させる。
「セ、セレ影?」
突如、セレ影という謎の忍者ネームで呼ばれたセレスは、俺の方を見ながら自分を指さして、それが本当に自分を指している言葉なのかを確認してきた。
「そうだ! お前はセレ影だ! そして、我らはお忍びで参っているのだ、相手に正体を知られてはまずい!」
「そ、そうなんですの?」
「…………」
冴草契が何故か、生ごみを見るような目でこちらを見ているような気がしたが、きっと気のせいに違いない。
「という訳で、われらは忍びの任務があるので、ここらでドロンさせてもらう!」
俺がいつものように、勢い任せでむちゃくちゃな言葉を並べ立てて、どうにかこの場を去ろうとした時に、タイミング悪く現れたのは……。
「もー、ちーちゃん遅いよー。何かあったのー?」
なかなかドリンクを持って戻ってこない冴草契を心配して、桜木さんがやってきてしまったのだ。
すぐさま、俺と桜木さんは仮面越しに目があってしまう。
俺の心拍数がドンドン上がっていく。
落ち着け、落ち着くんだ。俺は今仮面の忍者だ! 仮面の忍者はいつだって沈着冷静なのだ!!
「あ、神住さん。どうしたんですか、そんな変なのを顔につけて」
俺は思わず前のめりにコケそうになった。
なんと桜木さんは、仮面の忍者である俺を指さして、本名を呼ぶではないか!
な、なんだと……。この女、一発で俺の正体を見抜くとは……。こいつも実は忍びのたぐいなのか!?
いやいや、この完璧な返送がバレるはずがない。きっと、カマをかけて聞いたに違いない。
「ち、違う! わたしは断じて神住というものではない! わたしは仮面の忍者……神影だ!」
俺はこんな時のために、部屋で練習しておいた、とっておきの忍者ポーズを披露してみせた。
ポーズは完璧に決まった。これで誰がどう見ても俺は仮面の忍者にしか見えないに違いない。少し、注文をつけるならば、この名乗り台詞の時に、バックに色とりどりの爆煙が上がって欲しいところなのだが、砕石場でもないのにそれを願うのは無理というものだ。
それを横で見ていたセレスは、何かを理解したのか、ウンウンと二回ほど頷くと、俺を押しのけるように一歩前に出る。
「わ、わたくしはその神影のパートナーにして、最強の忍び、セレ影ですわー!」
セレスがフラミンゴのように片足立ちでポーズを決めるた瞬間、背後にピンク色の煙が四方八方に立ち上がった。
仮面の下のセレスの表情が、優越感に浸っている。
何だこの演出は、セレスだけカッコイイじゃないか!
どうやら、これはこの場にコッソリと忍んでるブラッドさんたちがやってくれているに違いない。くそ、それなら俺の時にもやってくれてもいいものを……。気の利かないやつだ。
この後、この煙により火災報知機が鳴り響いて、店内は暫くの間パニックに陥るのだが、それは俺とは関係のない話だ。うん、きっと関係ないに違いない。
「よし、セレ影! この騒ぎに乗じて、この場から離脱をするぞ!」
「わかりましたわ、神影!」
いつの間にか、セレスはこの状況を楽しみだしているようで、返事をするときにも一々ポーズをビシッと決めだすようになっていた。
「かみす……違った。えっと、神影さん。セレ影さん、よかったら一緒にお茶でもしていきませんか?」
脱兎のごとくこの場を退散しようとしたのを呼び止めたのは、桜木さんだった。
何だ何だ、忍者とお茶をしたいだなんて、なるほど桜木さんも実は忍者大好きっ子だったのか。
「姫、やめときなよ。きっと、この忍者の人はアホ……もとい忙しいに違いないから呼び止めないほうがいいよ。あと、できるだけ目を合わさないほうがいいよ、腐るから。。あと、もし触っちゃったら、綺麗に石鹸で手を洗うんだよ? 腐るから」
俺はどんだけ腐食性の物質なんだよ! でも、物を腐らせる忍術とかなんかカッコイイ。
「神影さま、このようなことを言っておりますけれど、どうなさいますか?」
「そ、そうだな……」
俺は悩んだ。どうやら冴草契のやつは、まだ俺のたちの正体に気がついていないようだ。それに、桜木さんだって、一瞬は俺の正体に気がついた風に見えたが、本当はまだ二割くらいしか確認が無いに違いない。じきっとそうだ。
ならば、これからさらに忍者らしいところをアピールして、確実に別人であると知らしめてやるのも悪くないのではないだろうか?
それ以前に、俺はこの格好をしてから楽しくて仕方がないのだ!!
――コスプレっていいなぁ……。今度本格的に、アニメキャラのコスプレを考えてみるか……。
「よ、よし。隠密任務の途中だが、少しならばお茶をしてやっても良いぞ!」
この時の俺は、自分に酔っていた。
忍者になりきっている姿を、知人に見せびらかして楽しみたいというそんな好奇心が、自分の置かれている状況というものを完全に忘れさせてしまっていたのだ。




