90 必殺《ソニック・トルネード・ストライク》
一歩一歩と、花梨が忍者との距離を詰めていく。
花梨の身体から溢れ出る闘気を、忍者は感じ取っているようで、戦う気などさらさらない感じだったにも関わらず、防御の構えを取らざるを得ないようだった。
「なんで、なんでボクがこんなことに……。それもこれも、全部神住が悪いんだ……」
責任を全部俺になすりつける忍者だったが、本当のことなのだから仕方ない。
俺と出会わなければ、こいつは忍者の格好をすることも、ゴスロリ衣装を着ることも、向日斑にキスされることも、こんな戦いに巻き込まれることもなかったのだ。
まぁ、俺はといえば、そんな言葉耳に入らなかったふりをして、ヒューヒューと鳴らない口笛でごまかしてみせるのだった。
それはさておき、まさか花梨のやつが、向日斑の事をそこまで慕っていたとは……。いや、これは慕うというレベルを超えて、禁断の愛に突入してると言えよう。
なるほど、俺が告白しても振られるわけだ。まさか、恋のライバルが実の兄である向日斑だったとは……。予想もしていなかった。
しかし、向日斑の奴が気絶しててよかったぜ……。もし意識があったなら、一体どうなったことやら……。考えただけでも頭が痛い。
俺の横には、間抜け面を晒した向日斑が、何も知らずに呑気に意識を失っていた。
「待てよ。これ、ホントは目を覚ましてるんだけど、起きるに起きれないって状態なんじゃないだろうか……」
あれだけ屈強な肉体を誇る向日斑だ、そろそろ目を覚ましてもいい頃合いではないのだろうか?
「なら、お試しになって見れば宜しいのでは?」
「セレス!」
「あ、はい。余計なことを言いましたかしら……」
「ナイスアイデアだ!」
「あらあら、褒められてしまいましたわ」
セレスは素直に喜んでいた。
「さぁーてと」
俺は向日斑の横にしゃがみこむと、鼻と口を手で塞いで、呼吸が出来ないようにした。
「あ、あの……神住様、何をなさっているんですの……」
セレスが身体をピッタリとくっつけるようにして、俺の横にしゃがみ込んだ。そして、向日斑をまるで危険生物のように、恐る恐る指先でツンツンと突付きながらを、俺の行動を意味を尋ねた。
「何って、気を失っているかどうか確かめようとしているに決まってるだろ?」
「はぁ……。もし、気を失っていない場合はどうなるんですの?」
「息が苦しくて飛び起きるだろ」
「では、もし気を失っていた場合はどうなりますの?」
「そりゃ、呼吸が出来なくて死ぬんじゃ……」
俺とセレスは顔を見合わせる。
お互い『やってもうたー』という表情を至近距離で確認しあう形になった。
俺は大慌てで、向日斑の口と鼻から手を離す。そして、呼吸を確かめるために、口元に耳を近づけると……『ふぅーふぅー』と小さくではあったが。ちゃんと呼吸は確認することが出来た。
「一安心ですわ」
セレスがニッコリと微笑む。
「何が一安心だよーっ! ひとのお兄ちゃんに、何してくれてんのさー!」
どうやら、一連の俺とセレストのやり取りは、花梨の地獄耳によって聞かれていたようだった。
忍者に向けられていた闘気が、突如として俺とセレスに襲いかかる。
「ひぃぃぃですわ……」
あのいつも高圧的なセレスが、花梨の闘気を浴びせられて震え上がってしまっている。
かく言う俺も、今にもオシッコをちびってしまいそうだ。いや、ちびってしまったのでは無いかと、ちょっとパンツを確認したいほどだ。
常人をはるかに超える愛らしい顔立ちと、豊満な身体つき――それだけでなく、花梨は今や戦闘力においても、比類なき存在となってしまっているのだ。
「今度何かやったら、久遠でも許さないんだからねっ! いい!」
「サーイェッサー!」
俺は鬼軍曹に叱られた二等兵のように、背筋をピンと伸ばし、顎を引き、敬礼をして答えた。
「よろしい。んじゃ、花梨と、お兄ちゃんの愛の為に、あのゴスロリっ子をぶっ倒してくるね……」
俺たちがこんなやり取りをしている間、忍者がどうしていたかというと……。
何処からともなく取り出した藁人形に、髪の毛を埋め込んでいた。
あれ、もしかして、あの藁人形の中に入っている髪の毛って、俺の何じゃねえの……。
「全部! 全部、お前のせいだァァァ!」
忍者はアスファルトの上に藁人形を置き五寸釘を突き刺すと、これまた何処からともなく取り出した金槌をおおきく振りかぶって打ち付けたのである。
その瞬間、俺の心臓に激痛が走ったような気がしたが、きっとこれは気のせいに違いない、うん、きっとそう、そうだと思いたい……。
そんな忍者の振る舞いなど気にも止めずに、ズンズン間合いを詰めていった花梨は、闘気を込めた直突きを忍者に向かって打ち込んだ。
あまりにも強大な闘気が災いしてか、その殺気を察知した忍者は、すぐさま回避運動に入る。軸足でアスファルトを蹴りつけて、大きく横に飛び退くと、ゴロンゴロンと二回転ほど転がっては受け身をとってみせた。
「見えた!」
俺は思わず声に出して叫んでいた。
何が見えたのか?
それは……。
忍者のおパンツである。
回転して受け身を取るときに、ミニスカートが災いして、中のおパンツ様が見えてしまったのだ。ヒャッホー!
だが、ゴスロリミニスカートで、中に普通のパンツを履くはずもなく、それはおパンツではなく、ドロワーズだったのだ、畜生こんちくしょう!
俺がおパンツを見れなくて悔しがっていた頃、観客席がらどよめきの声が上がっていた。
「ど、どうしたんだ?」
俺がセレスに尋ねる。
「あのオッパイ小娘のパンチで、観客が吹き飛びましたわ……」
セレスは花梨が突きを放った方角を指さす。その指先は、小刻みに震えていた。
俺がその指が締める方向を見ると……。
そこに居たはずの観客が見るも無残に吹き飛ばされてしまっているではないか……。どういうことだ?
「何だぁ、この技はァァァァ!」
実況席のファミレス店長が、席を立って濁声を張り上げる。
「ふふーん。これぞ、花梨の必殺だよ!」
花梨は自慢気に胸を張ると、自分の拳を拳銃に見立てて、銃口にするように『ふぅ~っ』と息を吹きかけた。
それを見た観客はどよめくような歓喜の声を上げる。
「うはぁ、あの女の子、拳の先端が音速を超えやがったよ。あの歳でその域にまで達するなんざ、天才じゃん!」
「こ、拳が音速を超えた? そう言いましたか、ゲストの青江先生!」
「ああ、そうだよ。まぁわたしもできるけどね。わたしも出来るんだよ? 余裕だよ?」
何故か、自分のほうがすごいアピールを続ける青江さんだった。どんだけ負けず嫌いなんだこの人……。
しかし、花梨恐ろしい子……。俺の部屋で読んだ漫画のような技を、本当に身につけていやがるとは……。こんな常人離れした技を魅せつけられては、さすがの忍者も勝負ありか……俺がそう思った時。
「でもね、うちの七桜璃ちゃんも、これまた負けず劣らずに……天才ちゃんなんだよねぇ」
青江さんが不敵にニヤリと笑う。
「……ボクを、ボクを本気にさせてくれたね……」
忍者は、まるで無移住力空間にいるかのように、すーっと垂直に立ち上がると、大きく息を吸った。
そして目を閉じると、息を小さく吐き続けながら、胸の前で拝むように手を合わせる。
相手の前で目を閉じるなんて、確実に無謀、なのに何故そんなことをやってのけるのか?
花梨がまたしても《ソニック・トルネード・ストライク》を放つために、左拳に闘気を乗せる。
その刹那、忍者は目を見開くと、あっと言う間に、五人の忍者へと数を増やしたのだった。
「ぶ、分身の術だこれー!」
俺は身を乗り出して叫んでしまっていた。




