89 花梨の告白。
最初に戦端を開いたのは花梨だった。
忍者には目も向けずに、向かう先は雌ゴリラのシルフィー。
小刻みなステップから一転、軸足を蹴り出しての猛烈な加速で一直線にシルフィーに向かう――とおもいきや、急制動をかけて右にステップ、スニーカーの底が摩擦によって削れ落ちアスファルトが焦げた臭がする。だが、シルフィーはそのフェイントに野生の反応速度で即座に対応して身構える。この動きがつい先程見せた、飛び蹴りにつながると学習しているからだ。だが、それすらもフェイントだったのだ。
花梨は身体を地面すれすれまでに落とすと、コンパスが円を描くようにシルフィーに足払いをお見舞いする。足を刈られたシルフィーはバランスを崩しはしたが、踏みとどまって倒れるまでには至らなかった。それどころか、その倒れかかった姿勢のままで反撃に移ったのだ。
体重を乗せた突風を巻き起こすほどの威力の篭った鉄拳が、花梨の眼前に唸りを上げて迫る。
しかし、花梨はそれに物怖じするどころか瞬き一つせずに、その腕をいとも容易く掴んでみせる。そして、瞬時に合気の所作によって、シルフィーの身体は宙を一回転して背中からアスファルトに叩きつけられる。その強烈無比な衝撃に、近くに居たギャラリーの数人が腰を抜かしてその場に倒れこんだ。
俺とセレスは、腰を抜かすまでには至らなかったが、アスファルトに叩きつけられた時の、鼓膜をつんざく衝撃音に顔をしかめたのだった。
「ふん、ゴリラの分際でお兄ちゃんに手を出したりするから、こんな事になるんだからね!」
倒れているゴリラを見下ろす花梨の視線は、いつもの花梨のものとは違っていた。花梨は、こんな冷徹な視線を相手に投げかけるような女の子だっただろうか?
「ゴリラはバナナでも食べて、ウホウホ言っていればいいのぉーっ!」
花梨はダメ押しとばかりに、シルフィーの首元に足を振り下ろす。『ご褒美有難うございます!』と俺ならば言ってしまいたくなるところだが、いま花梨の足に篭められている破壊力は、そんなドMですまされるようなレベルを遥かに超えていた。人間ならば首の骨を粉砕するレベルに到達していたのだ。
おかしい、明らかにおかしい、花梨は怒ったとしてもこんな風に残虐になる性格ではなかったはずなのに……。
足刀が、シルフィーの首元に炸裂……はしなかった。シルフィーはその足をつかみとると、すっくとその場に立ち上がる。
「ば、バカァー! 離せ、離せってばぁー!」
花梨は差からずりの状態にされてしまい、スカートが傘のように開いては、花梨のおパンツが衆人環視に晒されたのだ。なんで、こんな日に限って、花梨のやつは生パンなんだ……。素晴らしいじゃないか……。太ももから付け根にかけてのライン……そこに流れ落ちる汗の雫。まさに神の雫と呼んでいいだろう。
「うぉぉぉぉ! みましたか、解説の田中さん!」
実況のファミレス店長が、テーブルを叩きつけながらマイクを手に立ち上がる。
「ええ、みました。わたくしスパッツ派でしたが、パンツの素晴らしさを今確信いたしました!」
田中は泣いていた。視線を真正面から逸らすことなく、瞬き一つすることなく泣いていた。
「田中さん、これは縞パンですね!」
「そうですねー。縞パンで攻めてるとは、この少女なかなかわかっていますねぇ……」
「一連の攻防戦も見事ですが、このパンツはそれ以上と言えましょう!」
「ですね、まさに一進一退、おパンツ丸見えといったところでしょうか!」
今すぐ実況席に駆けつけて、あいつらの頭をぶん殴ってきたいところだったが、ここは俺も男の子、ついつい花梨のパンツに気を取られてしまうのはしかたのないことに違いない。
「かーみーすーみーさーまぁぁ!」
「え?」
振り返ると鬼の形相のセレスが、指を目潰しの状態に構えて待ち構えていた。
そんなことをしている間に、戦局は変化する。
花梨は腹筋の力で上半身を引き起こすと、シルフィーの腕を掴みとって全身を使って捻り上げる。
「ウホォぉー」
シルフィーが悶絶しそうな声を上げ、痛みのあまりに腕に絡みついた花梨の身体を、渾身の力で投げつけた。花梨の身体は猛スピードで地面と平行に投げ飛ばされていく。常人ならば、ここで平衡感覚を失いしこたまアスファルトに叩きつけられるところだろうが、花梨は空中で体勢を建てなおすと、受け身をとってゴロンゴロンとアスファルトの上を転がって、ダメージを最小限に抑えてみせた。
「やるな、あの小娘。ただオッパイがデカイだけじゃないなぜ。バランス感覚と運動神経が、野生動物すら凌駕するレベルに達してる」
「特別ゲストの青江虎道さん、縞パン選手に高評価ですね」
「ただ勿体無いのは、熱くなって動きに正確さ欠いている所だね。本当ならば、もっとポテンシャルを秘めていておかしくないのに、完全に頭に血が昇って動きも強引な直線的な動きばかりで、相手に読まれちゃってるのさ。武道家たるもの、いかなる時にも平常心! これ大事な?」
「しかし、縞パン選手も女の子、パンツを露わにされて怒るのはしかたのないことでは……」
「いいや、あの子は、戦いが始まった時からだよ。闘気を隠そうともしないで、バンバン前に出してきてるからな」
「なるほど、この雌ゴリラのシルフィー選手とは、因縁めいた仲であると……」
「まぁそれは知らけどなー」
解説席では、三人が無責任に口々に言いたい放題を続けていた。ってか、花梨のことを縞パン選手って呼ぶのはやめてあげて!
そして、戦いに全く加わる素振りすら見せない忍者は……。
「わぁ……蟻さんだ……」
足元を行進する蟻を、うつろな目をしながら体育座りでずっと見つめていたのだった……。
「もぉー! 完全に頭キターッ! そこのゴリラ! お兄ちゃんはね、この花梨のものなの! 花梨だけのものなの! アンタになんかわたしたりしないんだから!」
花梨はシルフィーを見据えると、ズンズンと肩で風を切って真正面から歩み寄っていく。
そこにシルフィーの右腕が唸りを上げて花梨に放たれるが、それを紙一重で見切って交す。かすった拳が花梨のポニーテールを結んだゴムを引き裂いた。束ねられた黒髪が乱れたまま肩にかかって、花梨は首を振って髪をなびかせた。
続いて、二発三発と、シルフィーは拳の弾幕を張って花梨の前進を防ぐのだが、それらの拳は花梨に見切られており、皮一枚のところで避けられていた。
シルフィーに焦りの色が見え拳の勢いが弱まった。それを花梨は見逃しはしない。懐に飛び込んだ花梨は、シルフィーの足の小指の先に足刀食らわす。苦痛で顎が下がったところにすかさず掌底を放つ。掌底の衝撃でのけぞったところに、間髪入れずに地面に穴が空くくらいに左足を踏み込み、両手を某格闘ゲームの波動拳の構えで掌底を放つ。
「おいおい、これは……。こいつ、気をコントロールしていやがるぜ! 手のひらに気を集中させての掌底、これはゴリラといえども内蔵まで完全に響いてるぜ!」
解説席の青江さんが席を立って熱弁を振るった。ちょっと待て、気のコントロールってなんだ? いつからそういう作品になった?
しかし、これはお調子に乗ったチャイナドレスメイドが、適当な事を言ったわけではなく真実だったのだ。何故ならば、ゴリラのシルフィーは口から舌を出して、ヒクヒクと身体を痙攣させながらその場に倒れこんでしまったのだから……。
「ダウン! ゴリラ選手ダウンだァァァ!」
「これは、中国拳法でいうところの、気功のたぐいなのかっ!?」
解説席、観衆からの一斉に上がった歓喜の声が、ファミレスの駐車場を包み込んで大気をビリビリと震わせた。
「こいつ、怒りで我を忘れたせいで、逆に集中力を取り戻しやがったんだ……。おもしれぇなぁ、わたしの血もたぎってきたぜぇ!」
青江さんは握っていたマイクをまるで豆腐のように粉砕した。たぎった血が力のセーブを出来なくさせているのだろう。
即座に横に居たファミレス店長が、新しいマイクを恐る恐る青江さんに手渡しする。
「これが、お兄ちゃんを愛する妹の力なんだからね! 思い知ったかっ!」
花梨は大きな胸を張って、観客の歓声に勝利のVサインで答えた。
それを見た観客が、更に大きな歓声を上げる。
「あの、観客の盛り上がりで忘れされてますけれども、このオッパイ娘、今とんでもないことを言ったんじゃありませんの……」
「あの、向日斑を愛しているとか言っちゃったが……あ、あれだよな、兄妹として愛しているってやつだよな? そうだよな、きっと」
俺は自分で自分を納得させようとした。しかし、何故だろう、この冷たい汗が止まらないのは……。嫌な予感しかしないのは……。
「次はアンタだ! このゴスロリっ子!」
花梨はVサインの指を忍者に向ける。
「え? ボ、ボク? ボクは別にあの、その、割とどうでもいいんだけど……」
蟻さんと戯れることに没頭していた忍者は、不意の言葉にオロオロとするばかりだった。
「聞けば、アンタはお兄ちゃんの彼女らしいじゃない」
「え……。ボクはその、確かに、そう言う設定にされているっていうかなんというか……」
俺相手に、クナイを突き刺し冷酷無比な行いをしてきた忍者の面影はまるで無く、普通に戸惑いを見せるボクっ子ゴスロリ美少女がそこに居た。
「お兄ちゃんが、部活をやめるためだからって、頑張って納得しようと思っていたけれど……やっぱり無理! だって、花梨はお兄ちゃんを愛しているからっ! 出来ることならば、結婚したいとか思っちゃってるからーっ!」
花梨のほてった頬と、身体全身から立ち上がる湯気のような禍々しい闘気が、肉体と精神ともに通常の状態ではないことを示していた。
「……は?」
「だから、そこのゴスロリっ子は、花梨が倒す!」
兄を愛する魔神と化した花梨が、忍者に宣戦布告をぶちまけたのだ。




