88 三つ巴の戦い!
「あのぉ……。これまずくないですかぁ……」
今まで冴草契の背中に守られて、声も出せずに居た桜木さんが、不安そうに言葉を漏らす。
まずいまずくないかで言えば、確実にまずい状況だろう。
向日斑は気絶。
忍者と、花梨は、雌ゴリラと戦闘態勢。
俺とセレスは傍観者。
冴草契は、姫を守る騎士となって、鉄壁の防御態勢。
打開策は、まるで無し……。
ならば、この状況を打開するのは、今ここに居ない人物だということになる!
「呼んだかぁー?」
「ぬわっ!」
なんの前触れもなく、この状況を打開可能な人物が、俺たちの目の前に姿を現した。
「あら、あらあらあらあら、青江、どうしてここに……」
「いえ、お使いの最中に、ゴリラの叫び声を聞きましたので、ふと足を運んだってわけです、お嬢様」
お買い物かごを手に持ち、颯爽と現れたのは、金剛院家メイド三人娘の一人、青江虎道さんだった。って、ゴリラの叫び声を耳にって、どんだけ地獄耳なんだ。
「って、なんだその格好!」
「ん? この格好がどうかしたのか?」
俺が驚き指さしたのも無理は無い、青江さんは、何故かチャイナドレスを身につけていた。際どいところまで入ったスリットの隙間から、太ももがこんにちはと顔を出して、俺を挑発する。
「まぁ、青江は中国拳法の使い手ですから、チャイナドレスを着ていても別におかしくはありませんわ」
「そ、そういうものなのか……」
「神住様、細かいことを気にしていては、生きていけませんですわよ?」
セレスに諭された俺は、ナルホドと頷いた。確かに、今は青江さんのチャイナドレスなどよりも、大きな問題が目の前に積まれているのだ。
「しかし、本当に良い所にきてくださいましたわ。青江は動物の言葉がわかるんですのよ」
「どんだけだよ!」
「中国四千年をなめてもらっちゃ困るね!」
青江さんは、ブルース・リーのマネをして、鼻の頭を手で擦ってみせた。
「んじゃ、ちょっと行って来ますね、お嬢様」
まるで散歩にでも行くかのように悠々自適に、三つ巴の戦いのまっただ中に青江さんは飛び込んでいった。
即座に、雌ゴリラが青江さんに向けて、威嚇の咆哮を上げる。だが、青江さんの目を見た瞬間に、雌ゴリラは声を止め後ろにジリジリと二歩ほど下がる。
動物園に居たとはいえ、秘めた野生の勘が、青江虎道を自分以上の力を持つ存在だと即座に認識したのだ。
「おうおう、いい子だいい子。さて、話を聞かせてもらおうじゃねぇか」
「なんなの! いきなり花梨たちの間に割って入ってきて! 邪魔なんだけどー!」
兄の敵討に燃えていた花梨は、戦いを突如乱入した青江さんに水をさされてしまい、不機嫌そうに地面を蹴り飛ばした。
「……あれ? 今わたしを邪魔扱いした奴が居たような気がしたんだけど」
青江さんは花梨の方を振り向き軽く睨みつける。周りの空気が振動したように思えた。
「ひ、ひゃっ!」
花梨は右足を引き、腕を十字に交差させて顔を防御した。
「あ、あれ? いま、拳が飛んできたと思ったんだけど……」
花梨は左右を交互に見やって、まるで狸に騙されたかの様にキョトンとしていた。
離れた場所にいる、俺とセレスでさえも、身構えてしまっていた。
「まさか、あれか、格闘漫画とかでよくある闘気だけを飛ばしたってやつか? って、この人そんなとんでもない人なの!?」
「わたくしもよく知りませんけれど、格闘能力だけならば、ブラッドに次ぐとかどうとか、聞いたことがありますわ」
「なるほど……」
金剛院家は機械的なセキュリティがなくても、執事とメイドだけでどんなトラブルにも対処できてしまいそうだ。
「ふむふむふむ」
「ウホ、ウホウホウホホ」
そうこうしている内に、青江さんとゴリラは、何かを熱心に話し合っているようだった。俺の耳には、ゴリラが『ウホウホ』言っているだけにしか聞こえないのだが、どうやら青江さんは本当に言葉を理解しえているようで、ゴリラの言葉に相槌を打っていた。
「ゴリラさんと、お話ができるなんて素敵だよぉ……」
桜木さんは目をトロンとさせて、ゴリラと会話をする青江さんに心酔していた。種族を超えて言葉をかわすというのは、ある意味電波のようなものだから、憧れるもの無理は無いのかもしれない。
しかし、ゴリラの言葉がわかるよりも、すぐ横にいる冴草契がヤキモチを焼いているのに気づいてあげてほしいと思う今日この頃だった。
「なるほど、わかったよ!」
どうやら、ゴリラとの話し合いは終了したようだ。
「どうやら、シルフィーは、っと、シルフィーってのはこの子の名前ね」
「ウホ!」
名前を呼ばれて、雌ゴリラあらため、シルフィーが返事をした。
しかし、シルフィーって面なのかよ、ババコングとかのが似合っているだろ……。
「シルフィーは、その男の子に一目惚れしたらしいのよ」
青江さんが指さした先にいるのは……。いまだ雌ゴリラとのキスのショックから目を覚まさずに、気絶したままの向日斑だった。
「まぁ、予想はついていたんだけどな……」
「ですわね。むしろ、それ以外ないとすら思っていましたわ」
幸か不幸か、向日斑は気絶しているために、この可憐な乙女ゴリラ、シルフィーの愛の告白を知らず済んでいる。
「んで、その男の子をお婿さんにしたいんだそうな。んで、どうしますお嬢様?」
「あ、あらあらあら、そんなことわたくしに聞かれても……」
その時、今まで見たことのないような、最高の笑顔をする忍者が居た。
「ボクは恋するそのシルフィーの気持ちを優先してあげるべきだと思います!」
向日斑を完全に雌ゴリラに押し付けようという算段なのだ。まぁ、そうなればもうこれからペロペロされる心配はないのだから、当然な意見と言えよう。
だが、それに反対する存在も……。
「何いってんの! なんでお兄ちゃんが、ゴリラと結婚しなきゃいけないのさ! そんな事は、この妹である花梨が絶対に許さないんだからねっ!」
花梨は、仁王立ちで鼻息荒く、今にも突っかかっていきそうな勢いだった
自分の兄貴がゴリラと結婚する妹の気持ちなんてものは、考えたくもなかった。あれだろ、ゴリラを『お姉さん』とか呼ばなきゃいけないわけだろ……。まるで悪夢のようじゃないか……。
「よぉし、そこでお姉さんいいアイデア思いついちゃったわけよ! このゴリラ、もとい向日斑くんだっけか? この子をかけて、勝負と行こうじゃないの!」
青江さんは、両拳をバシッと突き合わせて、大きな声で宣言をする。
「ちょっと待ってください、ボクは別にこの戦いどうでもいいんですけど、そのゴリラ男とか、全く興味無いんで……」
「おっとぉ、この金剛院家の召使が、戦いから逃げるなんてこと、あっていいわけないよね? まさかぁ、そんな事が許されると思ってないよねぇ、七桜璃ちゃん」
「う、うぅぅ……」
忍者は反論できずに、俯いたまま肩を震わせていた。どうやら、金剛院家のメイド、執事には、勝負事を避けるという選択肢を許されていないようだ。
「まぁ、こんな往来のど真ん中じゃ、色々迷惑がかかるし、場所を移動しようぜ!」
こうして、青江さんの仕切りの元、俺たちは場所を移動することになったのだ。
雌ゴリラのシルフィーちゃんは、青江さんの言葉に従って大人しく着いてきてくれるようだった。
そして、俺たちが向かった場所とは……。
※※※※
「やってきましたー! この時が! わたくしどれだけこの時を待ったことか!」
ファミレスの制服に身を包み、職務を忘れてマイクを片手に絶叫する男。そう、この男はファミレスの店長。そして、その横に控えるのは……。
「まさか、メンバーを刷新してくるとは思いませんでしたよ……。しかも、低身長、銀髪ショートカットのボーイッシュゴスロリ! さらには、セクシーダイナマイトバディにプリティフェイスレディー! そして極めつけに、ジャングルからやってきた野生児、雌ゴリラのシルフィー! これで心が踊らないわけがありませんよ!」
ファミレス常連客にして解説の田中は、ドバトばと流れ落ちるよだれなど気にもせずに、大口を開けて熱弁を振るっていた。
そう、ここは例のファミレスの駐車場。
「なんか、ここがよさそうだったからー。あ、お店の店長さんとは話をつけといたぜ」
と、青江さんの仕切りのもとに、トントン拍子に、ここファミレス駐車場が二人と一日金の決戦の場と決まってしまったのだ。
気がつけば、俺たちを囲むように、周りには黒山の人だかりが出来てしまっている。
「あ、俺コーラね!」
「あ、フライドポテトおねがいしやす」
「はーい、コーラにポテトお願いしまーっす!」
オーダ表片手に駐車場を走り回るのは、他のファミレス店員たちだ。どうやら、この商売チャンスを逃すまいと、店長が店員たちを駐車場に駆り出して商売を始めていたのだ。うーむ、この店長ただの格闘好きだけでなく、商売上手なのかもしれない。さらに、こっそりとトトカルチョすら行われているようで、オッズは圧倒的にゴリラ有利といったところだった。
まぁ、普通に考えれば、人間がゴリラの叶うわけなど無いので当然と言える。だが、この二人は普通の人間とは一線を画する戦闘力を誇る存在だ。まだまだ勝負の行方はわからない……。
って、俺もなんだかワクワクしている。
「さて、本日は更にスペシャルゲストをお招きしております」
「どうもー。スペシャルゲストを青江虎道でーっす!」
いつの間にやら、青江さんはファミレス駐車時様に特設された、実況者席に座ってピースサインなんかしたりしていた。この人、完全に今の状況を楽しんでいやがる……。
そして、この勝負の景品である向日斑はといえば、まだ気絶したままで、ピクリとも動きはしなかった。
余談ではあるが、ここまで俺が向日斑を引きずって連れてきたんだからな……。もう腕が棒のようだぜ… …。
「さてさて、三選手共に、ウォーミングアップは万全か!」
花梨は手首を回しながら、軽くその場でステップを踏んでいた。軽やかな足運びは、まるでプロボクサーを思わせるほどだった。
忍者はといえば、肩を落としたまま、地面に向かって無数のため息を吐き続けていた。目は完全に死んだ魚のようになっており、出来ることならばいますぐにこの場から離脱したいに違いない。
そして、最後に控えます雌ゴリラのシルフィーちゃんは……。
「ウホ、ウホォー!」
雄叫びを上げながら、愛する向日斑に熱い視線を注いでいたのだった。
「さぁ、今まさに戦いのゴングが鳴り響きます!」
カーン!
こうして、俺とセレス、桜木さんと冴草契、この四人は完全に観客と一部と化したまま、戦いはスタートしたのだった。




