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83 キス。


 セレスが目を覚ますまで、俺は何をしていればいいのだろうか?

 近くの自販機で、ジュースでも買っておこうか。勿論セレスの分も……。とは言え、お嬢様のお口に、自販機のジュースがあうのかどうかは考えものだった。あのセレスの家で飲んだ紅茶は、それはもう筆舌に尽くし難いくらい美味かった。毎日あんな美味いものを飲んでいたら、そりゃ自販機のジュースなんて飲みたくはないだろう。


「ま、それでも何も無いよりはマシかな……」


 俺はベンチから立ち上がろうとして、何かが引っかかっていることに気がついた。セレスが、俺のズボンの端を掴んでいたのだ。

 気を失っているはずなのに、無意識のうちに掴んでいたのだろうか? 細長い指の先が。俺のズボンのポケットにひっかかっていた。まるで、そばに居てくれと訴えているように思えた。


「わかったよ。ずっと、ここにいるよ」


 俺はベンチにまた座ると、セレスの髪に手をやった。金髪を触ったことなんて、良く考えれば初めてだ。って! なに!なに俺自然に女の子の髪の毛を触ったりしちゃってんの!? アホなの? 死ぬの? 確かに、気が付かれては居ないだろうけど、もし今目を覚まされたらどうすんの? いや、あの、なんか綺麗な髪だから、つい触っちゃった、てへぺろ! とか言い訳して済まされんの? 俺の心の中の葛藤とは裏腹に、俺の指はセレスの頭を撫でるように、髪の毛を触り続けている。指通りの良いサラサラとした髪の毛は、まるで一本一本が本物の金で出来ている様で、髪は女の命なんて言葉は大げさだと思っていたが、なるほどと納得することが出来た。

 長時間髪を触っている勇気もなく、俺はそそくさと手を引っ込めると、セレスが目を覚ますのを待った。

 向日斑むこうぶちや、桜木さくらぎさんたちはまだ戻ってこない。もしかしたら、俺とセレスの事など忘れて、動物園を満喫しているかもしれない。特に桜木さんあたりは、可愛い動物たちに夢中で、こちらに気を使う余裕などありはしないだろう。そして、その桜木さんをフォローするのに冴草契さえぐさちぎりはいっぱいいっぱいなことだろう。

 まぁ、好きな人のために頑張るってことは、悪い気分ではないだろうし、冴草契も恥ずかしそうに、辛そうにしながらも、内心はきっと喜んでいるに違いない。


「好きな人のために頑張るか……」


 こうやって、セレスを見守っていることも、頑張るってことに入るのだろうか?

 ちょっと待て、それだと俺はセレスのことを好きだと認めたことになるじゃないか!? いやいや、落ち着け、流されるな。こういう状況に流されるのが一番まずい。あとで冷静になって『うわあ、何てことをしたんだー』ってパターンに陥るに決まっているんだ。先日の神社の境内でだって、シチュエーションに流されて殴られ損だったじゃないか!

 けれど……。

 さっきから俺の視線は、静かに吐息の漏れる、柔らかそうで苺のような色をした唇に、釘付けになってしまっている。

 その唇に、自分の唇を重ねたならば、どんな感触がするのだろうか……。気になる。とても気になる。気になりだすと同時に、胸の動悸が激しくなる。

 あれ? どうして俺は、セレスの顔に、自分の顔を近づけようとしているんだ? おいおい、そんな風にベンチの両端に腕をついて、セレスの上に覆いかぶさるようにするなんて、まるでキスをしようとしているみたいじゃないか。

 自分を客観的に、空中から見ているような不思議な感覚に襲われた。

 いま周りには誰も居ない。数分間くらいなら、誰かが来ることもないだろう。

 もはや、俺の身体は俺の意思とは関係なく、セレスにキスを迫る。……嘘だ、俺の意思に、本能に、正直に従っているのが、今の俺の身体に違いない。それを止めようとしているのは、俺の心にこびり付いたかさぶたのようなものに違いない。血が出るまで強く引っ掻いて、剥がしてしまえばいい……。傷跡が残っても、痛みが身体を襲っても、それでもむき出しのままで……。

 俺の唇が、セレスの唇まで、あと十センチと迫った時、俺はもう心を決めていた。

 あと五センチ……。

 その時、セレスの身体が小刻みにプルプルと揺れているのに気がついた。よくよく見れば、ホッペも朱色に染まっているではないか。さらに、瞼も薄っすらと開いてはこちらを見ている!


「う、うわぁ! お、お前、目を覚ましてたのかよ!」


 俺は慌てて仰け反るように自分の身体を引き起こした。


「い、いつから気がついていたんだよ!」


 セレスはゆっくりと身体を起こすと、俺の方に向かい合うように座り直した。

 表情を隠すようにうつむき加減で、ボソボソと唇だけが動いているのが見て取れた。


「……好きな……」


 セレスのボソボソが、次第に言葉に変わっていく。


「……好きな人のために……頑張る……って、ところからですわ」


 言葉を言い終えると、セレスは顔を上げて俺を見つめた。戸惑いを帯びた眼差しが、何かを訴えかけているようだった……。


「なんで、気がついてたのに、起きてこなかったんだよ……」


「お、起きれるタイミングじゃありませんでしたわ……。それに、神住様が……キ、キ、キ、キスを……」


 セレスの言葉に、俺の顔の温度が急激に上がっていく。何処に視線を向けていいのかわからなくなり混乱する。今すぐに、ここから走って逃げ出したい気持ちに襲われた。

 

「あ、あれは、あれはだな……。その、あの……なんだぁ!」


「な、なんですの!」


「えっとぉ、それはぁ……」


「それは……」


 ダメだ。今もまたセレスの唇にばかり視線がいってしまう。今ならば、気がついている今ならば、お互いの合意の上で、キスが出来てしまうのではないかと思ってしまっている。

 そうだ、勇気を出して、二つの言葉を言えばいい。


『好きだ』


『キスをしよう』


 そうすれば、俺の欲求は全て叶えられるのだ。


「す、す、す……」


 言葉が喉に引っかかっては、口からで来ようとはしない。なのかが、つっかえ棒になって邪魔をしているようだ。

 

 ――えぇい! ままよ! シチュエーションに流されよう、勢いに身を任せよう、それでいい。きっと、青春ってそんなもんだ、若さってそんなもんだ! 


 と、心の中で自分を納得させた。

 そして、セレスの両肩を掴んで、ゴクリとツバを飲み込んだ。

 セレスは逃げはしないで、こちらをずっと見つめたままだ。


「セレス!」


「はい!」


 二人は背筋をピンと伸ばして、次に来る言葉に備えた。

 そして……。


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