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75 中国四千年VSゴリラ


「七桜璃さぁぁん!!」

 

 ベッドの上で眠りこけていた向日斑むこうぶちは、叫び声を上げて上半身を起こした。その声は衝撃波となって部屋のガラスをガタガタと揺さぶった。

 俺とセレスは叫び声を避けるために耳を塞いだが、間に合うはずもなく鼓膜がキーンと音を立てては脳を揺さぶった。


「あ、頭がクラクラ致しますわ……」


 セレスは目を回しそうになりながら、俺の方を掴んで倒れるのを免れていた。

 俺も三半規管にダメージを負って倒れてしまいそうになったが、ここは男の子の気合を見せ所! 俺は必死に両足を踏ん張って、もたれかかるセレスを身体を支えることに集中した。

 

「神住様、ありがとうですわ」


「まぁ気にすんなよ。悪いのは全部このゴリラだ」


 当のゴリラはといえば、自分の置かれている状況がまるで把握できずに、あたりをキョロキョロと忙しげに見回していた。


「こ、ここは何処だ? そして、七桜璃さんはいずこに!?」


「いずこにじゃねえよ!」


 俺は向日斑の頭を思いっきり叩き倒した。

 が、鋼鉄のボディを持つ向日斑だ、大したダメージにもならずにキョトンとしてこっちを見るだけだった。

 

「もしかして、お前自分が何をしたのか、覚えてないのか?」


「はぁ? 俺は七桜璃さんに会って、それから……。うむ、記憶が無いな」


「まさに、本能だけで七桜璃を襲っていたんですわね……。なんて恐ろしい……」

 

 セレスは怯えて俺の背中に隠れてしまった。

 襲われたのが忍者でなく、もし自分だったらなどと想像したら、そりゃ恐怖に震えるってもんだ。俺だってオシッコちびるかもしれない。


「えっと、もしかすると、俺は何かとんでも無い事をしでかしたのか?」


 その問に、俺はどう答えて良いのか迷った。

 流石に『お前は忍者を襲って、キスを迫ったんだぞ』と真実を教えるのは、あまりに向日斑には酷なのではないだろうか? ここは少しばかりフィルターを掛けてやって、やんわりと答えるのが正解なのでは……。


「あれだ、お前はちょっと興奮してしまってだな……」


「七桜璃を強引に抱きしめた挙句、キスを迫ったんですわ!!」


 セレスはひょっこり俺の背中から顔を出すと、言ってはいけない言葉を続けてしまった。


「あーっはっはっは、まさかまさか、この日本随一のシャイボーイである、向日斑文隆むこうぶちふみたかが、そんなマネをするはずが……」


 笑い飛ばして済ませようとした向日斑だったが、俺とセレスの表情からそれが笑い事でないということを、感じ取ったようだ。


「俺が、そんな失礼なマネを……」


 頭を抱えて髪の毛をグシャグシャに掻きむしる。ずっしりと重い精神的な重圧が、向日斑を押しつぶしていっているように思えた。

 

「どうするだ、セレス!」


「ど、どうすると言われましても、わたくし本当のことを申し上げただけで……」


「あいつな、ああ見えてもナイーブなゴリラなんだぞ」


「そんなのわかるわけありませんわ。わたくしゴリラ博士じゃありませんもの」


「俺だってゴリラ博士じゃねえよ!」


「いま言ったことを何とかして忘れさせられれば……」


「おう、ここはお姉さんに任せとけよ!」


「え?」


 俺とセレスが二人同時に声のほうを振り返る。そこには、青江あおえさんが手首をポキポキと鳴らしながら、待ってましたとばかりに俺たちの前へと悠々自適に歩を進める。


「え? あの?」


「よう、ゴリラ君、さっきのバトルは中々の見ものだったぜ! お陰で良い絵が撮れたしな」


 向日斑の野生の本能が危険を知らせたのか、ベッドの上から逃げ出そうとお尻を軸に後ずさろうとした、その瞬間。


「お礼に、さっきのこと忘れさせてやんよ!」


 青江さんの人差し指が、目にも留まらぬ速度で向日斑の両こめかみに突き刺さる。


「グヘッ」


 上半身はそのままの形で倒れないまま、向日斑は頭だけガクッと脱力した直後白目をむいて気を失ってしまった。


「虎龍奥義、精神剥奪! なんっつて、いま適当に名前つけたんだけどな。これでさっきのことは忘れたはずだぜ」


 鼻の頭を指で弾いて自慢気に振る舞うさまは、まるでガキ大将そのものだった。


「こ、殺してないですよね?」


 俺は向日斑が呼吸をしているかどうか確かめながら恐恐と尋ねた。


「何で殺すんだよ!」


「だ、大丈夫ですわ、青江はそんなゴリラ殺しをするようなメイドではない……はずですわ……多分……」


 セレスは、まるで冷凍庫にでもぶち込まれたかのようにブルブルと震えていた。勿論、この震えは寒さからくるものではない。


「お嬢様! どれだけ私の事信用してくれてないんですか!」


「信用していますわ。けれど、もしもの時を考えて、早めに自首を……。あと、動物園のほうに連絡もしなければいけませんわ」


「セレス、セレス! お前ちょっと錯乱し過ぎだから、落ち着けよ」


「あ、あらあらあら、わたくしとしたことが、こんな時は落ち着いて、証拠隠滅して裏工作を……」


 セレスの錯乱は天井知らずでとどまるところを知らなかった。

 その時だ、向日斑の目が、白目からつぶらな黒目に復活したのだ。それに続いて、ロボットのようにカクカクな動きではあるが、上半身と腕を動かし始めた。


「い、生きてますわ!」


「お嬢様……。だから、殺してないって言ってたでしょ!」


「そ、そんなことはさておき、おい! 向日斑、意識は確かか!


「ウホ? ウホウホ? ゴッホゴッホ?」


 青江さんは、向日の最近の記憶を失わせるどころか、太古のゴリラの記憶を復活させてしまったようだ。

 

「あ、あれぇ? こんなはずじゃないんだけどなぁ……」


 向日斑は、ベッドから飛び出ると、四本足で部屋中を走り回ったのだ。


「か、か、か、か、神住様、こ、こ、こ、こういう時こそ落ち着くんですわよ! み、水でも飲んで落ち着きましょう」


 セレスは花瓶の水を口に含みかけて吐き出した。


「ウホーッ!」


「そうだ、こんな時こそ、バナナだ! バナナさえあればコイツは落ち着きを取り戻すはず……」


 俺は急いで向日斑の持ってきていた鞄の元へと駆け寄と、その中からバナナを一本もぎ取った。

 完全な野生のゴリラと化した向日斑は、カーテンにしがみついてターザンのように遊んでいた。

 セレスは腰を抜かしてその場にしゃがみこんでいた。

 俺は狙いを向日斑に定めて、手に持ったバナナを投げつけた。ただ、俺は野球などしたことがなかったし、運動神経が良いわけではない。つまりだ……投げたバナナは向日斑に飛んでいかずに、なにを思ったか見当違いの方向に、青江さんの胸元へと飛んでいってしまったではないか!


「な、なんだこれ、バナナ?」


 青江さんは胸元で見事にキャッチする。が、その瞬間、野生のゴリラが青江さんの胸にめがけてダイビングを敢行してくるではないか!

 あまりの常軌を逸した展開に、さしもの青江さんも動揺を隠せずに、もんどり打って倒れこんでしまう。そして……向日斑の顔は、青江さんの胸のあるかないかわからないほどの谷間に押し付けられていた。


「……死ね!」


 確かに青江さんの口から『死ね』という単語を俺は耳にした。

 倒れた状態から、青江さんは向日斑の腹を蹴りあげて空中に浮かばせると、そこに向けて掌底から周り蹴り、そしてアッパーカットでもう一度高く浮き上がらせると、一瞬力を貯めこんでの崩拳を腹部に打ち込んだ。それはまるで格闘ゲームのコンボ技のようだった。


「ウホーッ!」


 ゴリラは床に垂直に壁に向かって飛んでいった。そして、激音を発して壁に衝突すると、またしても白目をむいて気を失ったのだった。

 もしこれが格闘ゲームならば『YOU WIN』と大きく画面に表示されているに違いない。


「えっと、これは本当に殺してしまったんじゃありませんの……」


「お嬢様、わたしがそんなことを……」

 

 と、そこまで言いかけて、完全に伸びてしまっている向日斑の姿を見て。


「えっと、もし死んでたらごめんなさい」


 青江さんは可愛く笑って誤魔化した。

 部屋の中に、どうすんだこれ……というどんよりとした空気で満たされていく。

 しかし、その心配は杞憂に終わる。


「うぅぅ……。なんかすごく腹が痛いんだが、なにがあったんだ」


 向日斑はお腹を抑えながら、身体を起こしたのだ。


「凄いねゴリラ君、普通の人なら確実に死んでたのに!」


「殺す気だったんかい!」


「い、いやぁ、ゴリラ君ならきっと大丈夫だと思ってたよ。うん、思ってた。思ってたよ?」


 確実に、何も考えないでぶん殴ったことは明白だったが、話が進まなくなるのでここは突っ込まないでおくことにした。

 

「ところで、俺どうしてたんだ? 確か、お屋敷に入って、七桜璃さんと感動的な再開を遂げて……。その後が思い出せないんだが……」


 期せずして、向日斑の記憶は失わせることに成功した。

 結果オーライとはこのことである。




 ※※※※※



「さてと、そろそろ帰るとするか……」


 部屋の窓から、夕焼けに染まる空を見て、俺が椅子から立ち上がった。。


「ああ、もうそんな時間か……」


 向日斑は不思議そうにしていた。まぁ奴の時間の感覚がおかしいのは当然だ。ほとんどの時間を気絶していたわけだし、さらに記憶も失っているわけなのだから。

 ちなみに、記憶を失っていた時のことは、適当にでっち上げて誤魔化しておいた。

 

「おなごり惜しいですけれども、また来て下されば良いんですものね」


 セレスはチョコを抱きかかえていた。

 どうも、さっきのドタバタで少しばかり精神的に参ってしまったようで、癒やし要員としてチョコを抱きしめていたのだ。

 

「そう言えば、七桜璃さんは……」

 

 向日斑は忍者の姿を探すが、勿論何処にも居るはずはない。あれから、向日斑はおろか、俺とセレスの前にも姿を見せはしていなかった。よっぽどのショックだったに違いない。


「今度七桜璃さんと会えるのは何時になるんだろうか……」

 

 淋しげな向日斑は、大きなため息を一つついた。


「なんだか、ゴリラさん少しかわいそうですわね……。七桜璃に、お別れの挨拶くらいはさせませんと……」


「そうだな、見送りくらいなら、出てきてくれても……」

 

 と言ってみたものの、俺が忍者の立場なら、見送りどころか一生顔も見たくないこよだろう。


「ちょっと、わたくし呼んでまいりますわ」


「お嬢様がいかれなくても……」


 青江さんがセレスを呼び止めたが。


「いいえ、わたしが自分で頼みますわ」


 責任みたいなものを感じているのだろうか、セレスはドレスをなびかせて走り去っていった。


「そんじゃ、車の用意を里里りりにさせてくるから待ってな」


 青江さんも部屋を後にした。

 残された俺と向日斑は……。


「なんだか、どっと疲れたよ」


「俺はなんだか首筋と、腰のあたりがヒリヒリしてるんだが、何でだろうな?」


 噛みちぎられた首筋と、クナイで突かれた傷は、青江さんの『中国四千年の秘術!』とやらによって見事に治療を施されていた。ズタボロになった向日斑のタキシードも、気絶している間に寸分たがわぬものと取り替えられていた。

 

「おい、車の手配ができたぞ、玄関口まで来な」


 青江さんの声に、俺と向日斑は部屋を後にしたのだった。


 


 ※※※※※



「それでは、また今度遊びにいらしてくださいまし」


「ああ、またな」


 俺と向日斑は車の乗り込んでいた。

 セレスと、青江さん、赤炎せきえんさんが、お見送りに顔を出してくれている。ブラッドさんがいないのは、もしかするとビデオの編集にとりかかっているからもしれない。

 そして、忍者の姿は何処にも見当たらなかった。

 どうやら、セレスの説得もむなしく、来てはくれなかったのだろう。

 向日斑は忍者の姿を見つけられずに、ガクッと肩を落としていた。大きな図体の向日斑が、まるでリスザルのように小さくなって見えた。

 

「発進するのだ」


 黄影おうえいさんの言葉で、車は走りだす。

 そして、お屋敷の門を出ようとした時に……。

 向日斑が叫び声を上げた。


「うぉぉぉぉ! 七桜璃さんだぁ!」


 門の横には、メイド衣装を着た忍者が笑顔を浮かべてこちらに手を振っているではないか。

 向日斑は窓を開けて、雄叫びを上げながら手を振り返し続ける。

 そして、すれ違う瞬間、忍者は向日斑の耳元で、何かを囁いた。


「おい? いま何を言われたんだ?」


「……あーはっはっはっは! また会いましょうね! って言われちゃったよ! やっぱり、七桜璃さんは俺を愛してくれているんだ! 天使なんだーっ!」


 向日斑は子供のように車の中で大はしゃぎだ。


「車の中はもうちょい静かにするのだっ!」


 黄影おうえいさんは、子供をたしなめるようにコツンと向日斑の頭を小突く。

 

「あ、ごめんなさい。でも、でも、神住ぃ! 俺は嬉しいぞぉ!」


「よ、良かったな……」


 おかしい。何かがおかしい。

 あの忍者が、そんなことを言うなんて、ありえないはずなのに……。

 そして、さっき忍者の横をすれ違った時に感じた、不思議な違和感、あれは何だったのだろうか……。あれ、忍者の眼の色はあんなだったか……。

 そんな俺の悩みをよそに、向日斑は浮かれ狂い、黄影さんはそんな向日斑の頭を小突き続けるのだった。

 


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