73 ワンコと勘違い。
「さぁ神住様、こちらですわ」
俺はセレスの案内に従って、屋敷の中を歩いて行く。
セレスに足取りは軽やかで、まるでダンスのステップでも踏んでいるかのようだ。その後を着いて行く俺の足取りは、正反対に重かった。
二人きりになって、またあの時のことを思い出してしまったからだ。
どうしてセレスは、振った男相手にこんなに楽しそうに振る舞えるのだろうか。俺を振ったことなど、些細な事にすぎないのだろうか。
「どうなさいましたの?」
俺の様子がおかしいことに気がついたのか、セレスは不思議そうな眼差しを向けた。
「ん、なんでもない。うちがあんまり大きいから戸惑っちゃってさ」
「あら、あらあら、そんなことありませんわ。ごくごく普通のお家でしてよ」
「いや、これが普通だったら、俺の家は何なのって感じになるから」
俺は後ろ頭をボリボリと掻いた。
セレスは嫌味で言っているのではないだろう。きっと、ほんの少し前までは、セレスは自分と同じようなセレブ連中とばかり行動していたに違いない。だから、普通の意味合いが違ってしまっているのだ。
「さぁ、こちらのテラスでお茶にでも致しましょう」
セレスに案内されたのは、庭の花壇が一望できるテラスだった。色とりどりに咲いた花々からの色彩が目を、匂う甘い蜜の香りが鼻を、安らかな気持ちにさせてくれる。
テラスには白いテーブルと、白い椅子に、チョコレート色でちょこちょこ動き回る物体が一つ……。
「あらあらあら、こんな所に遊びに来ていたのね」
セレスはドレスだというのに、何も気にせずにチョコレート色の愛らしい物体を抱き抱え上げた。
「神住様、ほらほら」
セレスはヒョイっと抱きかかえると、俺の鼻先につきだして見せてくれる。チョコレート色の物体は俺の鼻の頭をペロペロと舐めた。
「これ、ミニチュアダックスってやつ?」
「ミニチュアダックスのチョコちゃんですわ。ほら、遊んでなさいな」
セレスがチョコを床に離すと、俺の足元の周りをグルグルと回り出した。時折、ピョンと跳ねては俺の足にじゃれついたりしてくる。
「あらあらあら、チョコちゃんは神住様のこと、好きみたいですわ」
俺とチョコがじゃれ合うのを見て、セラスは優しく笑みを浮かべてるとテラスの椅子に腰掛けた。
俺はといえば、じゃれつくチョコの頭を撫でてやったり、鼻の頭を突付いてやったり、抱き上げて頬ずりしてやったりと、思う存分ワンコ成分を楽しんだのだった。
俺がひとしきり満足した頃には、チョコの奴の方も遊びあきたのか、サササッと走り去っていってしまった。
「ちぇっ、もうちょっと、遊びたかったな……」
俺は不満顔でテラスの椅子に腰掛ける。
「そのうち戻ってきますわよ。あの子は気分屋さんだから」
そんなことを話していると、テーブルの横には、赤炎さんがティートレーに紅茶を乗せて運んできてくれていた。そしてテーブルの上にはいつの間にか、良く映画なんかで見る銀色の三段になってるトレイにスコーンなどのお菓子が乗せて置かれていた。
「さぁ、お茶に致しましょう」
赤炎さんは、ペコリと頭を下げると、俺にだけイタズラっぽい笑みを見せて去っていった。今のは何だったのだろうと、俺は小首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、別になんでもないよ」
俺はティーカップに口をつける。紅茶の味などまるでわからない俺だが、そんな俺でもこの紅茶が美味いことはすぐさま分かった。
「しかし、忍者のやつがあんな目にあっているっていうのに、呑気にお茶なんて飲んでていいのかねぇ……」
俺はあの惨状を思い返した。まさか、あそこまで向日斑のやつが直情的な行動に出るとは……。
「まさか、あの七桜璃があそこまで手玉に取られるなんて、思いもしませんでしたわ。ゴリラさん恐るべしですわ……」
「忍者は大丈夫かな……」
「ま、まぁ流石にいざとなれば、ブラッドがどうにかしてくれるはずですわ」
と、言いながらも、セレスもあの楽しそうにしてるブラッドさんを見ていたわけで、自信なさげに笑うことしか出来なかった。ご自慢の金髪ツインテールもしょんぼりとうなだれていた。
「俺らが居たところで、どうなるもんでもないしなぁ……」
自慢じゃないが、あの向日斑を止められる自身は全くない。止めに入った俺が、あっさりと吹っ飛ばされる光景が安易に想像できてしまう。
「良い天気ですわー。こんな日はこうしてのんびりとテラスでお茶をするに限りますわー」
「だな。悪くないなー」
俺は椅子に深く腰掛けて、青々とした空に目をやった。セレスもそれをマネして空を見上げる。
ティーカップ片手に、のんびりと空を見上げる。そこには何も妨げるものはなく、ただただ空が広がっている。
そう、こんな光景を、俺はほんの少し前に見ている。ほんの少し前にセラスと一緒に見ている。
あの公園で、俺はセラスという少女に、ほんの少しではあるが恋心を抱いてしまった……と思う。まぁそれは打ち砕かれたわけなんだけど……。
それでも、こんな時間は悪くない。
こんな時間をこれからも過ごしたいのならば、俺は恋心なんてものを完全に捨て去ってしまえばいいのだ。そう、ちょっとアホだけれども無邪気で可愛いお嬢様と、仲の良い友だちになればいいのだ。
そんなまったりとした時間を終わらせてくれたのは、何処からか走って戻ってきたチョコだった。
チョコは戻ってくるやいなや、俺の足にジャンプしてそのまま膝の上まで登ってきたのだ。このワンコ、足が短い割にはえらくアグレッシブな行動をするやつだ。
「あらあらあら、本当にチョコは神住様のことが、大好きなんですわね」
膝に座りこちらを見て尻尾を必死に振りまわすチョコは、とても愛らしかった。頭を撫でると、嬉しそうに目を細めていた。
「ち、チョコだけでなく……。わ、わたくしも神住様のこと……大好きですけど」
俺のチョコの頭を撫でていた手が止まる。
セレスの顔を見ると、耳の先まで真っ赤になっていた。金髪ツインテールはチョコの尻尾に負けないくらいピョンピョンと跳ねるように動いていた。
「え? ちょっと待てよ! あれ、この前、車の中で、俺を好きだって言ったのは嘘だって……」
「ええ、言いましたわ」
「だろ?」
「でも、そのあと神住様と何度も会っている間に……。そうあの公園での、で、デートの時にわたくしの気持ちは本物になって……」
「ちょい待て! え!? なに? なにがどうなってるの!?」
「何もどうも、先日車の中で、わたくしがお話したじゃありませんか?」
セレスは不思議そうにこっちを見ている。俺は意味がわからない。意味がわからずに頭がパニックに陥っている。
車の中で話した? あの後? え? そうだ、俺は好きだって嘘を疲れていたって聞いた後、頭の中が真っ白になって、その後の言葉を何も聞いてはいなかった。ってことは、その後にそんな事を言っていた? はぁぁぁっぁ!?
俺のあまりの驚きように、チョコがビックリして膝の上から飛び降りる。
「は、ははは……」
俺は乾いた笑いを浮かべた。
全ては俺の勘違い。俺の早とちり。
とは言え、今更好きだって言われても、ほんのさっきこれから恋心なんて抱かずに仲の良い友達で、なんて思ったばかりなんだぞ!
いや、悪いのは全部俺なんだけどさ……。
「ど、どうかなさいましたか?」
「い、いや。なんでもない。ホント、俺は馬鹿だなぁーって」
「あらあらあら、神住様は馬鹿かもしれませんけれども。――良い馬鹿だと思いますわ」
「おい! 馬鹿は否定してくれないのかよ!」
「それは、ちょっと難しいですわね」
「こいつ!」
俺の言葉に連動するように、チョコが『ワン』と声を上げた。
「ほら、チョコもそうだって言ってますわよ」
「まぁ、良い馬鹿なら……悪くはないかなぁ」
「きっとそうですわ」
「ワン!」
まぁいいさ。これはこれで、恋心とかどうとか、そんなのはまぁ今のところはどうでもいいや。ただ、この心地よい時間をもう少し続けることが出来るなら……。
等と、俺が勝手に心の中で綺麗にまとめようとしていた時……。
「うわああああああああ」
忍者の絶叫がテラスまでこだましたのだった。




