71 バナナは食べる人によって意味が変わる。
いつも思う。向日斑という名のゴリラは、どうして朝からこんなにも暑苦しいのかと。いつも思う。どうしてこの向日斑という名のゴリラは、周りのクラスの状況などお構いなしなのかと……。
「後何日だ! 後何日で、日曜日なんだ!」
登校して来て早々、俺の姿を目にするやまっしぐらに駆け寄ってくる。俺はペディグリーチ◯ムか! お前は犬じゃないだろ? ゴリラだろ? もしかすると、俺の身体の何処かに、バナナがでもぶらがっているんじゃなかろうか? 『いっけなーい、バナナが髪の毛についたままだったー。てへっ』とか、そんなドジっ子いねえよ! 居たら怖いわ!
俺はまっしぐらなゴリラを両手でガードして距離を離すと、うんざりした表情で答えてやった。
「お前の持っている、スマートフォンっていう便利な機械にはカレンダーの機能がついてないのかよ?」
「スマホだと! ゴリラがスマホを使うと思うのか!」
なるほど、俺は納得した。ジャングルの中でスマートフォンを華麗に使いこなせるゴリラがいたとしたら、人類はうかうかなどしていられない状態だろう。奴らの進化はすぐそこまで迫ってきているのだ。
ゴリラ、もとい向日斑はポケットの中からあるものを取り出した。
「俺はガラケー派だ!」
それは二つ折り携帯だった。
なるほど、俺は再度納得した。ゴリラはまだ人類の進歩までは到達できてはおらずに、少しばかり進化が遅れているということが再認識できたからだ。あ、世のガラケーを使っている人に喧嘩を売っているわけではないのであしからず。
「いや、ガラケーでもカレンダーくらいついてるから……」
「そういうことじゃないんだ! お前の口から後何日かを聞きたいんだ! そう、お前の口から!」
何故なんですか? なぜ俺の唇を熱いまなざしで見つめるのですか? 最近、クラスで俺にホモ疑惑がかかりつつあることをごぞんじでしょうか? ホントやめてもらいたい!
「わかったよ、教えりゃいいんだろ!」
こんな事になるのだったなら、最初から素直に教えればよかった。とは言え、この問いかけはすでに三日連続で続いているのだ。そりゃいい加減に嫌になるってもんだ。
「明日だよ! 明日が日曜日! そして今日は土曜日? どーゆーあんだーすたーん?」
「そうかー! 遂にかー! 遂に明日かー!」
「そうだよ、明日だよ! 良かったな。これで満足か?」
「後何時間だ! 神住ぃ! 後何時間で明日なんだ!」
「お前、この教室に時計ってものがついてることを知っているか……」
「ゴリラが時計を見れるわけ無いだろ!」
こうして、延々とこの暑苦しいやり取りは繰り返されるのである。
はぁ、ボクもう疲れたよパトラッシュ……。
※※※※※
「おい、おかしくないか? 俺の格好はおかしくないか?」
この問い掛けを、俺は何度されたことだろうか? 確か五回目までは数えていた記憶があるが、それ以降は覚えていない。もしかすると、数百回繰り返しているのかもしれない。
今日は日曜日、金剛院セレス邸に招かれている日である。
「お車でお迎えに行って差し上げますわ」
と、セレスから連絡があったので、俺と向日斑は、俺の家の前で迎えの車とやらが到着するのを待っているわけである。
俺はといえば、この前のデートと同じような無難な格好。それに引き換え……向日斑はタキシードに赤い蝶ネクタイというフォーマルな出で立ちだった。こいつ、こんな服持っていたのか?
「なぁなぁ、俺の格好はおかしくないか?」
「おかしいに決まってんだろ! アホ!」
と、俺はとても素直な気持ちをぶつけてやった。
馬子にも衣装ならぬ、ゴリラにタキシードだ。さぁみなさん、ご想像してみてください、タキシードを着ているゴリラの姿を……笑えるだろ? いや、むしろ恐怖すらするだろ? 俺だって、最初に見た時は、口に含んでいた牛乳を吹き出した挙句、その場からランナウェイしようとしたものだ。けれど、大魔王から逃げられないように、このゴリラからは逃げられない。きっとこいつの敏捷性はカンストしているに違いない。すぐさま、俺の首根っこを捕まえては、満面の笑顔でさっきと同じことを聞いてきたのだ。
「なぁなぁ、俺の格好はおかしくないか?」
「お前の世界には鏡ってもんがないのか? 知ってるか、こう青銅を研いでだなピカピカにして顔が映るようになったものだぞ? わかるか?」
「ゴリラカガミワカラナイ!」
遂に言語中枢までもがゴリラ化してしまったようだ。
忍者と会えることで、舞い上がっているのはわかるが、これでは先が思いやられてしまう。
――忍者を見た途端、襲いださないことを祈るのみだな……。
もしかすると、俺はこの後『忍者VSゴリラ! 金剛院邸での死闘!』を見ることになるかもしれない。うーむ、すげぇ面白そうな映画みたいだな……。スマホでムービーを撮る準備をしておいたほうがいいな……。
そんな事を考えている間に、俺の家の前にひと目で分かるお金持ちしか乗れないであろう車が止まった。ホント、お金持ちの車はわかりやすいからありがたい。これが庶民だったならば、車種を教えてくれないとどれだかわからないから困りものだ。まぁ、ハイエースで大金持ちがやってきたら、それはそれで笑えるのだが……。
その車の後部座席のドアが開いて、メイド三人娘の一人が顔を出した。
「どうぞ、こちらにお乗りくださいませ」
その言葉に従うように、俺と向日斑は車の乗り込んだ。
後部座席は向かい合うように四席が儲けられており、俺と向日斑は隣り合わせに、メイドさんは向かい合うようにして座った。
車の中は、空調が程よく効いていたのが、横に座っている向日斑から発せられる熱気が俺の首筋を汗ばまさせた。それに気がついたのか、メイドさんは運転手に指示を出して、空調の温度をさらに下げてくれた。
「ありがとうございます。それに、わざわざ迎えに来てくれて」
俺は運転席のメイドさんに御礼の言葉を述べて小さく会釈をする。慌てて向日斑も俺に合わせるように頭を下げた。
「そう言えば、お名前を伺ってなかったですよね?」
俺はメイドの三人娘一人とはわかってはいたが、その三人の誰が誰かはサッパリわかっていなかったのだ。
「そうですね、失礼致しました。わたしは、金剛院家のメイドで赤炎東子と申します」
セレスの取ってつけたようなお嬢様口調と違い、この赤炎さんの口調には気品というものがあふれていた。さらに、メイド衣装に身をつつんでいてもわかるスタイルの良さが、俺の目を引きつける。身長は百七十センチを超える長身で、コルセットでもつけているのかと思うほどキュッと閉まったウェストは、そこらの一流モデルが裸足で逃げてしまいそうな程のスタイルの良さだった。天真爛漫なダイナマイトボディの花梨とは全く正反対の美しさを備えているといった感じだ。髪はゆるやかなウェーブがかったロングヘアーで、獲物を狙う鷹のような燃えるような赤く鋭い目がこれまた魅力的で、今すぐ捕食してくださいと懇願したくなるほどだった。
「どうしたんですか? そんなに見つめられたら困ってしまいますよ」
本当に困ってなどいないのに、男心をくすぐる物言いは大人の女の余裕のある振る舞いだと思えた。
「いやいや、あまりに美人なんでついつい見惚れてしまいまして……」
「あら、嬉しい事を言ってくださるんですね」
ああ、良い! 大人の女の人イイ! 俺の好みは一気に歳上好きへとジョブチェンジしていった。
そんな大人の女性との会話を楽しんでいると、不意に運転席を後部座席をしきっていたガラスが開いた。
「むーむー。東子ばかりずるい。言語道断、依怙贔屓です! わたしときたら、運転手の役なのです。お喋りに混ざれなくて怒髪衝天しそうなのです」
難しい四文字熟語を使っているのに、子供のような声に、視線を運転席に向けると……。そこには誰もいなかった。そんな馬鹿なと、視線を下に見けてみると……運転席には子どもと見間違えんばかりの小柄な少女がハンドルを握っているではないか。
どうやら、少女はアクセルに足を届かせるために、身体をすべらせる形で座っていたために、後ろから姿が見えなかったのだ。
よくよく見れば、運転手もメイド衣装を身につけており、メイド三人娘の一人であるということがわかった。
「里里は、運転手役なのだから、黙って運転を続けていなさい。お話に入ってこなくていいのよ」
赤炎さんの鷹のような目が、里里と呼ばれた少女にきつく向けられる。
「わたしも、自己紹介とかしたい! お話をして一喜一憂しーたーいー!」
しかし、そんなことはお構いなしに、里里さんは車のハンドルを小さな手でバンバン叩きつけながら、不平不満を漏らしていた。
「なぁ、さっきから気になっていたんだが……」
さっきまで黙っていた向日斑が、不安そうな顔で俺に小声で耳打ちをしてきた。
「おう、どうした向日斑? お前の服装なら似合ってないぞ?」
「そうじゃなくてだな、あの運転手の女の子……。確実に免許をとれる年齢に達していないんじゃないないのか……」
「……」
確かに、その里里と呼ばれた少女は身長百四十センチあるかどうかの小柄な体型だったし、バストもウェストもヒップも関係無いような幼児体型だった。サイドテールに可愛らしく括られた髪がさらに子供っぽさをアップさせていた。
「あの、赤炎さん、あの運転してくれている人は免許を撮れる年齢なんですか……」
「あら、神住さま、女性に年齢を問うなんてマナーがよろしくありませんですよ?」
「むーむー。言語道断、厚顔無恥なのだ!」
「ほら、里里も怒っていますわ」
里里と呼ばれている少女は、こちらをキッと睨みつけては口を鳥の口ばしのように尖らせていた。
「って、前、前! 前見てないと危ないですよ!」
「安心してください。里里の運転は、ブラッド様に次いで上手なんですよ」
「はぁ……」
実際、あんなに暴れたりこちらを振り向いたりしながらだというのに、急ブレーキ、急ハンドルなど一つもないどころか、ちょっとした振動すら感じさせないくらい穏やかに走らせているのだから、本当に運転は上手いのだろう。
「むう。自己紹介だけはするのだ。わたしは、黄影里里なのだ。年齢は秘密。お姉さんでありながら、妹キャラも出来るという一石二鳥な女の子なのだ!」
ハンドルから両手を話して、全身こちら向いて振り返っては、腕を汲んで胸を張り得意気に語って見せる。それでいて、車はまっすぐに走っているのだから、これはもはや運転が上手いとか言うレベルを超えていた。
「そういうわけですので、わたくしたち二人が、セレス様のもとにご案内いたしますわ」
「なのだ!」
「は、はぁ、よろしくお願い致します……」
この時点で、俺は嫌な予感をビンビンに感じていた。
出来ることならば、ここで車から降ろしてもらったほうがいいかもしれない。けれど、この野生のゴリラを金剛院邸に放置していくというのも恐ろしいことだ……。飼育員……もとい保護者としてついていかなければなるまい……。
ふと目を向日斑にやると、いつの間にかバナナを食べていた。
一体何処にバナナを隠していたのか……。
「うーん、バナナを食べると心が落ち着くぞ。お前も食べるか?」
「いや、なんか胸がいっぱいだからやめておくわ……」
差し出したバナナを受け取ってもらえなかった向日斑は、手に持ったバナナをどうしていいかわからずに見つめていた。見つめているうちに、向日斑はよだれを垂らしていた。それならお前が二本食えばいいじゃないか!
そんな俺と向日斑の様子を、赤炎さんは顔色一つ変えず、瞬き一つせずに、まるで作り物のような笑顔を絶やすこと無く見守ってくれていた。
「あ、もしかしてバナナ食べたかったですか? 良かったらどうですか?」
向日斑は何をどう思ったか、赤炎さんがバナナを欲していると勘違いしたようで、バナナを勧めはじめていた。目の前に突き出されたバナナを見ても、赤崎さんは人形のような笑顔を崩さなかった。
「それなら、いただかせてもらいますわ」
なんと、赤炎さんは向日斑の差し出したバナナを素直に受け取っていた。え? いいの? そんな得体のしれないゴリラから食べ物もらっちゃっていいの? もし動物園でゴリラがバナナ差し出してきたら、それもらって食べる? 食べないでしょ?
赤炎さんは、髪の毛をかきあげてバナナを口に頬張った。
ゴクリと、俺はツバを飲み込んだ。
あれだよ、美人のお姉さんが、目の前でバナナをくわえているわけだよ。それはもうなんて言うのかな、思春期の高校生にとって見れば、ステーキなんかよりもご馳走なわけだよ!!
俺は身を乗り出しかけて、その様子を脳内ビデオに録画していた。出来ることならば、BDに焼いて保存しておきたい。
その時、赤炎さんは、口に入れていたバナナを、整った綺麗な歯で勢い良く噛みちぎったのだ。
「あら、とっても美味しいバナナですわね」
頬に手をやって、美味しそうにバナナを噛み砕く赤炎さんは、今までの作り物の笑顔なんかではなく、心の奥から湧き出るような笑みを見せていた。俺は身震いした。そして、直感的に感じ取ったのだ。この美人のお姉さんの本性はドSに違いない……と。
野生のゴリラである向日斑は俺以上に敏感にそれを感じ取っていたようで、股間を抑えては小さくなってブルブルと震えだしていた。
この後、俺と向日斑は金剛院邸に辿り着くまで無言だった。
黄影里里は、いつの間にか向日斑からバナナを奪い取っては、ペロペロと舐めるように食べながら運転を続けていた。これも特殊な趣味な人からすればかなりのご馳走なわけなのだが、今の俺たちにはそんな余裕はなかったのだった。




