69 桜木さん家の事情。
「さて、何を話せばいいのかなぁ……」
「あのさ、もしかして、最初から俺に桜木さんのこと、教えてくれるつもりだったんじゃないのか?」
「なわけ無いでしょ! 根性の気合も無いやつに、かわいいかわいい姫の情報を話たりするわけないっしょ!」
「だから、その根性と気合を試すために、特訓をしたと……」
冴草契はコクりと頷いた。
「なら、電波のための特訓っていうのは……」
「アンタ馬鹿なの? ウサギ跳びして電波なんか身につくわけないじゃない。そんなんだからアンタはモテないのよ!」
まるで汚物を見るような顔をしてさらりと言ってのける。いやいや、特訓を躊躇した俺に、そんなんだからモテないって言いましたよね? あれか、いつものどっちの選択肢を選んでも結果はバッドエンドってあれか!
「うーわー、やってらんねー!」
俺はその場に大の字に寝転がった。背中にゴツゴツした石が当たって少し痛いけれど、特訓でほてった身体にはひんやりと冷たくて気持ち良い。
「努力して、頑張って、それで叶えられるとか甘いっての!」
冴草契は竹刀の先で俺のオデコをチョコンと突付く。俺はその竹刀を手に掴んで、ロープのようにして上半身を引き起こした。
「それだとさ、頑張っても意味が無いってことになんねえか?」
「ちーがーうー! 結果は勿論だけどさ、頑張ること事態にむしろ意味があるんじゃない」
「そんなもんか?」
「知らないわよ」
「知らないのかよ!」
「たかだか高校二年生がそんなのわかるわけないでしょーが!」
「そりゃそうだな……」
「そりゃそうよ」
わからないことを、これだけ自慢気に言うやつが他にいるだろうか。けれど、こいつには、冴草契には何故か説得力があった。
「世の中なんて、わかんないことだらけでしょ? 知ったかぶりしてても疲れるだけだし……。あぁー、本当に電波なんてのが使えたらそりゃ楽でしょうね。……だから、姫は想いをそれに託したのかもしれないけど……」
冴草契は空を見つめる。きっと、本当に見ているものは空でも星でもなく、桜木さんの姿なのだろう。俺もつられるように、星空に目を向けてみる。ああ、今まで気が付かなかったけれど、小高い山の上で明かりが少ないこの場所は、星を見るのには絶好のポジションなのかもしれない。数多の星たちが、俺の頭上を照らしだしている。これほどまでに美しいのに、なんの意味もない。ただ美しいだけだ。いや、それだけで十分に意味を持っているのかもしれないけれど……。
暫くの間、俺と冴草契は言葉もなく星空を見つめていたが、俺は本来の目的を思い出した。
「こんなことしてる場合じゃねえよ! 桜木さんの話を教えてもらわなきゃじゃねえか!」
ロマンチシズムのかけらもない台詞を俺は吐いた。
「ああ、そうだった、そうだった。言っとくけど、ここで話すことは秘密だからね! 姫にわたしから聞いたとか言ったら、すぐさま原形無くなるまでぶっ飛ばすからね?」
冴草契はロマンチシズムとか言うより、バイオレンスだった……。
勿論、俺は馬鹿ではないので、きちんと秘密にするつもりだ。もし、俺が自殺志願者ならば別かもしれないけれど……。
話すと切り出しておきながら、冴草契はなかなか話を始めようとしなかった。どう言えばいいのか、言葉を選んでいるように思えた。
「うーん」
時折唸り声を上げたりしていた。が、ようやく決心がついたのか、重い口を開ける。
「よし! もうサックリ言っちゃうよ! 姫の悩みの中心は、家庭環境なんだよ」
「家庭環境?」
「うん。姫はね、小さい頃にお母さんを事故で亡くしていてね。今は再婚相手の人が新しいお母さんになってるんだ」
「そうだったのか……」
「別にね、そのお母さんが悪い人だとかそんなんじゃないんだよ? むしろ、良い人だとわたしは思う。でもね、姫は見ての通り気の弱い子でさ。新しいお母さんに良い子だって思われなくちゃいけないって、自分で自分を縛り付けちゃってるんだよ。姫ね、小学校の頃とか、そんなに勉強できなかったんだ。わたしとどっこいどっこいくらいでさ」
「冴草契と同じ学力とか、そりゃ酷いな……」
俺はとりわけ深刻そうに言ってのける。
「殴るよ?」
と言うかすでに殴っていた。繰り出されたパンチは、俺の耳をかすっていった。
話の腰を折ると、実際に俺の腰骨が折られかねないので、俺は黙ることにした。
「コホン。んでさ、姫は頑張ったよ? 子供の目にも無理して頑張ってるってのが凄いわかっちゃってさ。わたしは何度も、そんなに無理しちゃ駄目だよって言ったんだよ。そしたら、姫は『わたしは駄目な子だから、頑張らないと』って答えるんだ。そんなだからさ、ただでさえ友達がいないのに、人間関係はどんどん小さくなっていって……」
友達がいないと一言で言っても、いろいろな理由がある。桜木さんは、親の期待というあるのか無いのかわからない幻想に答えるために。冴草契は、その桜木さんを支えるために。そして、この俺は異世界に行って勇者になるために……。あれ? 俺だけ理由がヤバイじゃありませんか?
「正直、姫は今の特別進学コースの授業についていくだけでいっぱいいっぱいなんだよ。ちょっとでも、油断したら置いて行かれるっていう不安と戦ってるんだ。だからさ、できるだけ速く家に帰ってはお勉強してるんだ」
「だから、いつも時間を気にしていたのか……」
「姫ってばさ、ああ見えて頑固な所あるじゃない? だから、辛いとか、もう嫌だとか、絶対に口に出さないんだよ。だから、その代わりに……電波ってのに乗せて想いを飛ばしているんだと、わたしは思ってるんだ」
俺は、桜木さんと初めてであったあの渡り廊下での出来事を思い出す。俺はとっさに『大丈夫だよ』と答えてしまった。それは追い詰められて苦しんでいる桜木さんを、励ます言葉に取られたのではないだろうか? この人は、わたしの電波をわかってくれて、励ましてくれているんだと……。
それは、電波という名の、SOSサイン。
助けを求める言葉を、決して口に出したりしないか弱い女の子の、唯一のSOSサイン。俺はそれを受け取ったと思われたのだ。なんて責任を、俺は押し付けられていたのだろう。
「夜に散歩したりするのも、きっとストレスが溜まっちゃってるからだと思うよ。だからさ、あんな馬鹿げた秘密結社FNPだっけか? あんなのでもいいストレス発散になればいいかなぁーって。実際、アンタらと付き合うようになって、姫はよく笑うようになってくれたしね。それだけはアンタに感謝してるよ」
「俺はこれからどうすればいいんだろう……」
「わかるわけないでしょ」
即答だった。
「でもまぁ、もしわたしがアンタの立場なら……。わたしが男の子だったなら、姫を支えてあげるために、ずっと側に居たいと思うかな」
「それ今と変わってないだろ?」
「性別が違うじゃん! 男と女じゃ意味も違ってくるじゃん!」
「そんなもんか?」
「だーかーらー、知らないってばさ。ホント、わたしは知らないことだらけだ……」
「それは、俺も同じだからなぁ……」
この空に煌く星に、どれだけ手を伸ばしても届かないように、自分たちがどれだけ無力であるかを実感した。
「まぁ、大まかにはこんな感じ! もしかしたら、姫の悩みは全然違うかもしれないけど、そこまでわかんない。だって、わたしは電波なんて受信できないからねー」
最後の言葉には、嫌味というスパイスが大量に振りかけられていた。
「もしもだよ? もしもの話だけどな、俺が桜木さんを支えるためにずっと側に居たいとか思ったら……」
返答の代わりに即座に拳が飛んできては、俺の鼻先をかすめた。なにか焦げたような臭いが、俺の鼻孔に伝わってくる。
「ねぇ、今ちょっと聞こえなかったんだけど、もう一回言ってみてくれるかな?」
冴草契の顔は笑っていたが、目は本気だった。本気と書いてマジだった。もう一度同じことを言おうものならば、さっきかすった拳は、確実に俺の鼻を砕くだろう。
「あ、あれだなー。適度に桜木さんとの距離を置きつつ、精神的にフォローしていく感じで頑張ろうかなー」
「よろしい」
どうにかオッケーが出たようだった。
「さてと、もうこんな時間だから帰らないと」
冴草契の言葉に、スマホに目をやると既に午後十一時になっていた。
「か弱い乙女がこんな時間出歩いていたら、親が心配しちゃうからね」
「いますぐ国語辞典から、か弱いって言葉の意味を改編することを要求するわ」
「なんか言ったかな?」
「勿論、何も言ってないに決まってだろ!」
「だよねー」
「ですよ!」
これが暴力と恐怖による支配というやつなのだろうか……。助けてケンシ◯ウ!
「そんじゃさ、か弱いお嬢様を、家の近くまでお送りするよ」
「え?」
冴草契は素で驚いた顔をした。
「だって、か弱い女の子が夜道を一人で歩くとか危ないんだろ?」
その後に『危ないのはお前に襲い掛かってくる痴漢とかの方の身体だけどな!』と続けなかっただけ、俺は大人になったといえよう。
冴草契は少し考えこんで、両手をパンと鳴らした後、俺の背中を軽く叩いた。
「あはははは、それじゃお言葉に甘えて、送っていただこうかしら」
「はいはい、お嬢様」
こうして、俺は冴草契の家の側まで送って行くことにした。
道中は、これといった会話をするでもなく、淡々と道を歩いて行った。不思議と、この冴草契とだと無言でも間が持たないという感じはしなかった。精神的にとても楽なのだ。まぁ女の子として意識してないからというのが、大きな割合を占めているせいなのだけれど。
暫くして、冴草契が足を止める。もう、家はここからすぐらしい。
ここはさっき桜木さんを送った時に通った道だった。冴草契の家は桜木さんの家の近所にあるようだ。まぁ、幼馴染なんだから当然といえば当然か。
「んじゃ、ここでいいよ。お見送りご苦労様」
「いえいえ、こちらこそ、情報ありがとう」
「そんじゃね」
「そんじゃな」
後ろ髪を引かれるでもなく、サッパリとした別れのあいさつを交わした。
さて、俺も急いで帰らなければ、腹はペコペコだし、足は棒のようだし、きっと明日は筋肉痛に違いない。ああ、家のお母様は俺の分の夕食をとっておいてくれてるだろうか……。そんな心配をしながら、俺は夜の道に自転車を走らせるのだった。




