62 セレスとのデート前編。
「遂に、この日がやってきたか……」
俺はベッドから身体を起こすと、窓のカーテンを開ける。外まだ暗く、家の前の通りを歩いている人は誰も居なかった人。
それものそのはず、いまは朝の四時。この別段都会でもないこの街で、こんな時間に外を出歩く人など、そうそう居るものではない。健康的に早朝ランニングを行うものでも、もう少し遅い時間だろう。
なぜこの時間に俺が起きているのか?
ははぁ〜ん、緊張して眠れなかったんだなぁ? などと思われるかもしれないが、それは大きな間違いだ。むしろ、俺は昨日夜九時には眠りに就いていた。そして、この時間に目を覚ますのは計画通りなのである。
何故ならば……金剛院セレスとのデートの待ち合わせ時間は、朝の五時なのである!
二組のデートを成立させるべく、俺が取った方法……それは午前と午後でデートを分けることだった。
幸い、セレスは良い意味でアホっ子だ。
「そうだな、待ち合わせは朝の五時に公園で!」
「あらあらら? ちょっと待ちくださいませ、夕方ではなく、朝の五時なんですの? そんな時間に待ち合わせなんですの?」
アホっ子セレスとはいえ、その待ち合わせ時間が異常であるということに気がついたようだった。しかし、俺は畳み掛けるように言葉を続ける。
「おいおい、デートはそんなもんだぞ? 誰よりも早く逢いたい、太陽よりも先に、あなたに会いたい……。そんな気持ちから早朝に待ち合わせするものなんだぞ?」
我ながら意味不明な言葉が口から出てくるものだと感心した。
「え……。そ、そうでしたわ! わたしくド忘れしておりましたわ。おデートといえば、日が昇るか登らないかの時間に待ち合わせが常識ですものね。わ、わたくし、最初からわかっておりましたわ!」
「そうだろ? ゲフッ……。おっと、そろそろ電話を切らないと身体が……。ゲフフッ、それじゃ明日な!」
こうして、半ば強引に午前五時の待ち合わせを取り付けたのである。
「セレスとのデートをお昼前までに片付ける。そして午後からは花梨とのデートに挑むわけだ……」
俺は母親を起こさないように、こっそりと顔を洗って歯を磨くと、衣装棚から少しばかり余所行きの服を選び……かけてやめておいた。デートで必死になってる男って何かカッコ悪い……。そんな思いが頭をよぎったのである。まぁ、所詮お洒落に縁遠い俺の衣装棚の中身である、頑張ったところでしれたものなのだけれども……。
清潔感ありそうな服装として、カーゴパンツと、襟元がよれていないTシャツ、その上にアイロンのかかった半袖シャツを羽織ってみた。靴はシンプルなスニーカーだ。
「こんなんでいいだろ……」
姿見の前で、少しポーズを決めて笑顔を作ってみる。自分で言うのも何だが、笑顔が似合わないことに定評がある男です。
「そろそろ行かないとな……」
いつもなら自転車で向かうところだが、今日は二人で行動することを考えて徒歩にしておくことにした。二人乗りは禁止されているし、今自転車は色々と法律が五月蠅いからな。
家を出る時に、自分の心がソワソワしていることに気がつく。
「なんだかんだ言って……。俺、デートを楽しみにしちゃってんだよなぁ……」
俺は玄関を飛び出ると、少し駆け足で目的地に向かう。いや、時間に間に合わないのではない、なんだか少し走りたい気持ちになったからだ。それは、早朝の空気がそうさせるのか、俺の心が走ってしまっているのか……。
※※※※※
待ち合わせの場所の公園というのは、あのセレスと初めてで出会った例の公園だ。
時間は四時四十五分を回ったところだろうか、少しばかり空は明るくなり始めてきていたが、公園の街灯はまだ灯っては、周りを薄白く照らしだしていた。
「さてと、待ち合わせ場所は……」
と、待ち合わせている公園の奥まった所にあるベンチに向かう途中で、灰色の服を着た少年とすれ違う。いや、これは服と呼ぶものではない、忍者装束と呼ぶべき代物だ!
「まさか、忍者!」
「ボクは忍者じゃない!」
ご丁寧に真っ赤な仮面をつけて、忍者装束を身に纏っているというのに、忍者じゃないと言われても説得力は皆無だった。
「こんな朝早くにこんなところで何してるんだ? あれか、忍者のトーレーニングか?」
「だーかーらー! ボクは忍者じゃないって言ってるだろ! 手裏剣を頭に突き刺して欲しいのか!」
忍者の手には手裏剣が光っていた……。ってもう完全に忍者じゃねえか!
忍者は手裏剣を懐にしまうと、俺のそばに近寄ってきては、ゆっくりとした口調で耳打ちをしてきた。
「一つだけ言っておく……。お嬢様に変なことをしたら……コロス! お嬢様を泣かしても……コロス! わかったか? それじゃお嬢様を待たせるんじゃない! 急げ!」
俺は背中をクナイで突かれると、ヒヒーンと競走馬のよう嘶いて、待ち合わせの場所に向かって一目散に駆け出した。ふと、後ろを振り向くと、忍者の姿は跡形もなく消え去っていた。流石忍者ドロンしやがったな。
「お待ちしておりましたわ」
十分前だというのに、待ち合わせ場所にはすでにセレスの姿があった。
ここ最近、制服姿が見慣れていたので、久々に目にするひらひらとしたドレス姿はインパクト大だった。もう日が昇りだしてきているとうのに、陽の光に負けないくらいの輝きを誇っていた。まるで可憐な花なのように、きらびやかな蝶の様に見える。きっと、オートクチュールとかでとんでも無い値段がしたりするに違いないが、その値段に見合うだけのパフォーマンスをセレスは存分に発揮させていた。つまるところ、とても似合っているのだ。
「そのドレス、凄い似合ってるよ」
目があって挨拶をかわすよりも先に、思わず言葉が口から漏れてしまっていた。
「そ、そうかしら……。そ、そう言ってもらえると、とても嬉しいですわ……」
セレスは恥ずかしそうに目を伏せてドレスのスカートの端をギュッと掴む。そして、コホンと咳払いを一つ。
「それでは、今日はどう致しますか? エスコートはお任せしてよろしいのでしょ?」
「そ、そうだな……」
まさか、ノープランだとは言えやしない。
いや、あれだ。何処かに行こうにも、この時間はコンビニエンスストアかファミレスくらいしか開いていないだろうし……。
「公園を散歩しようか……?」
「はい、わかりましたわ」
セレスは俺の提案をすんなりと受け入れてくれた。
「早く参りましょうー」
嬉しそうに俺の先を歩いて行く。おいおい、デートってのは並んで歩くもんじゃないのか?
俺は追いかけるように、後をついていく。
「早朝の公園って、なんだか気持ちのよいものですわね。わたくし知りませんでしたわ」
実は俺も知らなかった。
しかし、セレスの言うように、朝の空気の中、公園の中を歩くのは悪くはない気分だった。老人などが、早朝に散歩するのがわかるような気がした。
セレスはなにもないところで、両手を広げてクルクルと三回転してみせた。スカートの裾が円状に広がって、それはまるで公園に大輪の花が咲いたようだ。
「ほらほら、神住様、お花が咲いていますわ」
セレスは公園内にある花壇に駆け寄ると、その場にしゃがみ込んで、咲いているピンクの小さな花を嬉しそうに眺めていた。俺も少し遅れてその横にしゃがむ。
「なんて、お花なんでしょう?」
「うんと、あれだな、多分コスモスじゃないかな?」
「コスモス……。可愛らしいお花ですわー。それじゃ、その隣の白いお花はなんて名前なんですの?」
「うんと……これは、マーガレット? だっけかな? 違ってたらごめんな」
「マーガレット。これも可愛らしいですわー」
セレスは金髪ツインテールをかきあげると、花に顔を近づけて香りを嗅いだ。
「甘い匂いがしますわ」
「どれどれ……」
俺も興味が湧いたので、セレスと同じように花に顔を近づけてみる。その時、花を挟んで俺とセレスの顔が自然と近づいてしまう。花だけでなく、セレス自身から甘い香りが漂っていた。
その時、蜜に誘われたのか、何処からともなく一匹の蜂が飛んできてその花に止まった。
「キャッ」
蜂に驚いたセレスは、ビックリして顔を背ける。その向いた先にあるのは俺の頬だった。その距離ほんの数センチ。俺が顔を少しでも動かせば、セレスの唇が俺の頬に触れてしまうだろう。
暫くの間、二人はそのまま距離で固まったまま動かないでいた。
そして数秒経って……。
「キャーーーーーーーッ!!」
セレスは先ほどの蜂に驚いた時の数十倍の叫び声をあげては、俺の頬に平手打ちを喰らわせて大きく飛び退いたのだった。
熱く痺れるような感覚が俺の頬を襲った。
セレスはハァハァと息を荒くして、平手打ちをした自分の手のひらを見つめていた。
そして、少し泣きそうな顔で俺の傍に駆け寄って、謝罪の言葉を述べた。
「ご、ごめんなさい。ビ、ビックリしてしまってつい……」
「いや、気にしなくていいさ。別になんてこと無いしさ」
冴草契の急所を的確についた正拳突きや、忍者のクナイ攻撃に比べれば、本当に大したことはなかった。ダメージで言えばスライムに殴られた程度だ。いや、スライムに殴られたことなんて無いけどな。
「ああ、お顔がそんなに醜くなってしまって……」
「おい! 俺の顔は何ら変わってねえよ! そのまんまだよ!」
少し頬が赤くなっているかもしれないが、さっきの一撃で顔が変形しているはずなんて無かった。
「あら、そうでしたかしら……」
「悪かったな! 美男子でもなんでもなくて!」
「いえいえ、そんなことは最初からわかっておりましたし、期待もしてはおりませんわ」
「……それに対して、俺はなんてコメントをすればいいのかわからないんだが……」
「顔が良いとか悪いとか、そんなことに意味なんてありますの? わたくしには良くわかりませんわ?」
セレスは口元に指を当てて、不思議そうに小首を傾げた。
どうやら、これは冗談で言っているわけではないようだった。セレスの人間を判定する基準に、見かけの美醜は関係してないようだ。いや、流石に不潔とかは駄目だろうけど。これはあれだろうか、お嬢様の周りには当たり前のように美男美女が揃っていて、判断基準がおかしくなってしまっているのだろうか?
「なぁ、こんなこと聞いていいかどうかわからないけどさ」
「あら、なんですの?」
「お前は、俺のどこが好きなの?」
「……」
セレスは答えなかった。
「あ、あちらに可愛いワンちゃんがおりますわー。見に行きましょー」
散歩をしている犬を見つけては、誤魔化すようにそちらに向かって駆けていく。飼い主のおばあさんは、ドレス姿の女の子が走ってきたことに驚いている様子だったが、おばあさんが気が良いのか、セレスが人懐っこいのか、二人はすぐに打ち解けてしまいセレスは犬の頭や首筋を撫で回していた。犬は嬉しそうにセレスの手をペロペロと舐めていた。
「ワンちゃん、くすぐったいですわー」
くすぐったさに少し顔を背けながらもセレスは嬉しそうだった。
「犬好きなんだ?」
俺は、おばあさんに軽く会釈をすると、ドレスの裾をまくり上げその場にしゃがみ込み。犬と全力で戯れているセレスに声をかけた。
「はい。わたくしのお家にも、ワンちゃんはいっぱい居るんですのよ。神住様は、ワンちゃんはお好きですの?」
「うん? そうだな、犬は好きだな。でも、うちは親がペット飼うの禁止してるから、飼えないんだよなぁ……」
「それなら、うちに遊びに来れば良いですわー。きっと、うちのワンちゃんたちも喜びますわ」
「え? 家に行ってもいいの?」
「……。べ、別に構いませんわ。多分……」
「そ、そうか」
俺たちが会話をしている間、おばあさんは空気を読んでくれたのか、言葉をかけずに温かい目で見守ってくれていた。逆に、犬の方は空気を読むはずもなく、俺のおしりにしがみついては、腰を振ろうとして、飼い主のおばあさんに叱られていた。
その様子を見て、セレスは屈託なく笑った。
俺も笑った。
こうして、何をするでもなく公園を散歩し続けるだけでデートは進んでいった。
普段なんてことのない公園も、こうして女の子と歩くだけで、こんなに感じ方が変わるものなのかと、新しい発見に驚いてしまう。
歩き疲れたら、適当に近くのベンチに座ってお喋り。そしてまた歩き出す。また歩き疲れたら、近くの芝生に腰を下ろして一休み。そんなことを繰り返していた。
「ほらほら、神住様、噴水ですわー」
噴水を見つけたセレスは、まるで子供のように一目散に噴水の元へ走っていく。
噴水は、公園の中央に位置するところにあり、一時間おきに水中に仕掛けられたライトが点灯して、水が吹き上がる仕掛けになっている。
「おいおい、走ると危ないぞ!」
俺の言葉が耳に届いた時には、すでに遅かった。
丁度タイミング良く吹き上がった噴水に驚いたセレスは、勢い余って噴水の中に落ちてしまったのだ……。
俺は急いで駆け寄ると、噴水の中で尻餅をついているセレスを抱き起こそうとした。けれど、ドレスが大量の水を吸ってしまい、俺の腕にずっしりと伸し掛かる。それでも、俺は男の子だ。フン! っと気合を込めて両足を踏ん張ると、一気にセレスの身体を水の中から抱き起こすことに成功した。
「大丈夫か?」
俺の言葉にセレスは返事をしなかった。
返事の代わりに、俺の肩に腕を回してギュッと抱きしめる。そして、ゆっくりとこちらを見ると……。
「ふ、ふぇぇぇん」
唐突に泣きだしてしまったのだ。
「と、取り敢えず、水から上がろう。な?」
俺は泣きじゃくるセレスを、お姫様抱っこの状態で噴水の中から運び出した。
セレスの全身は言うまでもなく水浸し、俺もセレスを抱き上げたのと噴水の中に入ったのとで、同じように水浸しだった。
俺は腕の中のセレスをどうしたら良いかわからないまま、何処か落ち着ける場所はないかと探した。
いつもならば、こんな時は老紳士ブラッドさんや、メイド三人娘、または忍者がすぐさま駆けつけるはずなのに、今日に限って誰も現れはしなかった。
「ちょっと、ここで横になって休もうな?」
俺はセレスを近くのベンチに降ろす。水を含んだドレスが、木製のベンチをぐっしょりと濡らして、水滴が地面に向かってポタポタと流れ落ちていった。
セレスは幾らか落ち着いて泣き止んではいたが、身体を横に向けたままベンチに顔を伏せてしまっていた。さっき泣いてしまったことを恥じているのだろうか?
兎に角、この状況をどうにかしなければいけない。このままの状態で放置してしまえば、俺は良いとしても、セレスが風邪を引いてしまう。そんなことになれば、俺は忍者に殺されてしまうだろう。
「なぁ、ブラッドさんとか呼んだりできないのか?」
俺の問に、セレスは寝転んだ身体を猫のように丸めてそっぽを向いた。
「来ませんわ。だって、今日は誰も来ないように、わたくしが念を押してきましたの……」
「え?」
「だって、デートにお付の人とか……普通じゃありませんですもの……」
なるほど、老紳士ブラッドさんたちが現れない理由がやっとわかった。確かに、お付きの人を引き連れてのデートなど、普通にはありえないことだ。というか、普通に人にはお付きの人自体が存在しないものだからな。
「でも、今はそんなことを言ってる場合じゃ……」
「わたくしが呼びたくないんですの!」
セレスは更に身体をダンゴムシのように小さく丸めて、両手で顔を隠すようにした。このワガママお嬢様はどうあっても、助けを呼ぶ気はないらしい。
なら、この状態をどうにか出来るのはただ一人……。そう俺しか居ないわけだ。
今できる最善の方法を、俺は無い頭を振り絞って考えた。知恵熱で明日うなされるんじゃないかってほど考えた。けれど、普段から使っていないボンクラ頭が、こんな時だけ名案を思いつくはずもなく……。俺のたどり着いた答えは、ごくごく平凡なものだった。
「よし、俺がひとっ走り近くのコンビニかなんかで着替えを買ってくるから、少しの間ここで待っててくれ!」
「……一人にするんですの?」
セレスは、ダンゴムシ状態のまま顔だけ、ひょっこりこちらに向けては、恨めしそうな顔をしてみせる。
「あ、あの、その……すぐ戻ってくるから! 本当に直ぐだから! だから、待っててくれ!」
「本当に? 本当の本当の本当にすぐ戻ってきてくれるんですの?」
「うん。本当の本当の本当のそのまた本当にすぐ戻ってくる!」
「じゃ、指切りですわ……」
セレスはダンゴムシ状態を維持したまま指だけを差し出す。俺はその指に自分の指を絡める。セレスの指先がほんのりと暖かかった。
「指きりげんまん、嘘ついたら、七桜璃の手裏剣百万発のーます! 指きりましたわ!」
「なるほど、これは本当に急がないと俺の命がないな……」
俺は自分が水浸しだということを完全に忘れて全速力で走りだしたのだった。




