57 忍法キスなんかなかったの術!
「神住、俺、今すぐ部活の方にちゃんと話をつけてくるわ」
スーパー向日斑へと変化を遂げたゴリラに、もはや怖いものなど何もなかった。今も黄金色のオーラを出しながらヒュンヒュンヒュンヒュンという効果音を鳴り響かさせている。きっと、手から気弾くらいは出してくれることだろう。
「七桜璃さん! この漢向日斑! すっぱり部活をやめて、貴女の為に全力を尽くすことを誓います!」
「……あ、はい」
ゴスロリ忍者の目は死んでいた。目どころか心も死んでいるようだった。早く、早く誰かフォローしてあげて! それか精神科医にかからせてあげて!
「じゃ、そういう事だから、俺ひとっ走り行ってくるわ! 後は任せた!」
向日斑は言葉も言い終わらぬ内に猛ダッシュで駆け出した。その際に発せられた衝撃波が、店内に竜巻を巻き起こしては、カップなどが宙を舞うハメになった。が、それらは老紳士ブラッドとメイド三人娘が華麗にキャッチしてのけたのだった。
ゴリラは走った。ゴスロリ忍者の愛に応えるために……。走れゴリラ、君の走りにゴスロリ忍者の命運がかかっている。主に死ぬ方で!
「……これで作戦は成功したのかなぁ?」
桜木さんが不安げに訪ねてきた。
俺はその問いに答えられないでいる。向日斑を部活から引き離すという点では、作戦は大成功だろう。ただ、ゴスロリ忍者の今の状態を見ていると、手放しで大成功などという言葉は、口に出来やしないのだ。
ゴスロリ忍者はカフェの壁にあるシミを身動き一つせずに見つめていた。
「あらあらあらあら、七桜璃が壊れたまま治りませんわ。七桜璃なのに、治らないとか……面白いですわ! わたくし最高のギャグを言ってしまいましたわ!」
セレスは大いに笑った。七桜璃は動かなかった。
「まぁ、わたしだって、あんなゴリラ相手にキスするハメになったら、ショックで心臓の一つや二つくらい止まっちゃいそうだよ」
冴草契は、哀れみの目をゴスロリ忍者に投げかける。《キス》の言葉に反応するように、ゴスロリ忍者の目に意識が舞い戻ってる。
「チ、チガウンダヨ。アレハ、ニンポウカワリミノジュツナンダヨ。ダカラ、ボクハキスナンテシテナインダヨ。ボクハニンジャダカラネ……」
まるでロボットのように、ゴスロリ忍者は片言で語りだした。
「そ、そうだよ! あれは忍法だからノーカウントだ! うんうん、だって忍者だから! 忍者だから問題ない!」
俺はゴスロリ忍者の言葉に、全力で賛同した。俺にできることはそれくらいしか無いからだ。
「そうだよ! ボクは忍者だからっ! だからっ、だからっ、アレはキスなんかじゃないんだよ! 忍法変わり身の術なんだよ! あれはボクであってボクじゃないんだ! そうなんだよ! そうだよね、神住! そうだと言ってよ、神住久遠!」
ゴスロリ忍者は俺の襟元に手を掛けて、懇願するように言葉を繰り返した。そして、これが忍者が俺の名前をちゃんと読んだはじめての出来事だった。
「ああ、そうさ。お前は忍者なんだから、そんな忍法チョチョイのチョイさ! そうだろ、みんな!」
「え?」
俺の呼びかけに、一同キョトンとして顔を見合わせていたが、どうやら状況を察知してくれたようで、みんなで声を揃えてゴスロリ忍者フォローを始めだした。
「そうですわ。忍法ですから、問題ありませんわ。……今度はゴスロリ衣装ではなく、忍者衣装を着せてあげることにしようかしら、うふふふふ」
「そ、そうだよね! 忍法だよ! 超能力の一種だから問題ないよ!」
「えっと……。忍法ゴリラは人間じゃないからノーカウントの術だっけ? うんうん、問題ない事にしておくよ」
もしかすると、これが唯一みんなの心が初めて一つになった瞬間かもしれない。
「そうだよ! ボクはキスなんてしてないんだから……してないんだからね!」
顔をくしゃくしゃに歪ませて、首元にすがりつくゴスロリ忍者は、あまりにも愛らしすぎて、俺は思わず抱きしめたくなる衝動を抑えこむのに必至だった。
「そうさ。お前はキスなんてしてない。俺はそんなの見てすらない!」
「ありがとう……。ありがとう、神住ィィ!」
感極まったゴスロリ忍者は、全体重を俺にかけるようにして抱きついてきていた。俺の身体に当たる感触が、この猫耳ゴスロリ美少女忍者が、紛れも無く男であるということを証明していた。これで、オッパイがあったならば、俺は理性を保っていることなど出来やしないだろう。
さて、この後俺は、この作戦の発案者が俺であり、忍者がこんな目に合うことになった原因の全ても俺であるということを、思い出されない内にこの場を撤収するという、大脱走劇が待っているのだ。
無論、部室に向かった向日斑など完全放置に決まっている。
――はたして、そのことを思い出された場合、俺は生きていることが出来るのだろうか……。
この数分後。
「なんかいい話風だけどさ、原因は全部神住なんだよね?」
との、空気を全く読まない冴草契の発言によって。俺はゴスロリ忍者の猛攻撃に合うわけなのだが、これはあえて語らないでおこう……。思い出しただけで、身体から血が吹き出てしまいそうだから……。
※※※※
狂喜乱舞のゴスロリ忍者猛攻撃は、老紳士ブラッドさんたちからの、手際の良い応急手当をによって、俺はなんとか一命を取り留めていた。ってか、攻撃をされる前に助けてくれるという選択肢もあっただろうに、この老紳士はそれを子供の喧嘩を見るような目で暖かく見守っていやがったのだ。
「いやはや、こういうストレスは発散させませんと、のちの仕事にも響いたり致しますので。それに、神住様、犠牲なくして何かを得ようなど、甘うございますよ?」
この老紳士の言葉には、一介の高校生を簡単に説き伏せるだけの力があった。
実際、俺はゴスロリ忍者に対して、贖罪をしなければいけないと思っていたのだし、これはこれで良いのだと自分自身を納得させた。とは言え、身体のあちこちは悲鳴を上げている始末だ。
「それでは神住様、また明日でございますわ」
「……コロス」
忍者はすっかりいつもの忍者に戻っていた。
ってか、明日も会うんですか? そんなの聞いていませんよ?
それに連動するように、桜木さんたちも帰り支度を始める。
「姫、時間は大丈夫なの?」
冴草契の言葉に、桜木さん少し慌てては時計に目を向ける。そして時間を確認すると、ホッと安堵の息をついた。
「よかったぁ。ギリギリセーフだよっ」
「そっか、なら次のバスには絶対乗らないとね。急ご!」
冴草契は店のドアを開けて、桜木さんを急かした。
桜木さんは一度こちらを振り返ると、冴草契に待っていてくれるように手で合図をした。そして、ちょこちょこと小動物のような動きで俺の横にやってきては、そっと顔を近づけて耳元で囁いた。
「あの……。こんなこと言ったら、七桜璃ちゃんに悪いけど、なんだか今日はとっても楽しかったです。きっと、これは神住さんのお陰ですね」
ちょっぴり悪戯っ子風に桜木さんは言った。
「それじゃ、また電波送りますからねー」
そして、大きくこちらに向かって手を振りながら、冴草契を追いかけるようにして、桜木さんは店を後にしたのだ。
「なんだかわからんが、感謝されちまったな……」
そう言いながらも、俺も今日の出来事は楽しかった。
確かに、忍者には悪いことをした。それをさておくならば、今日はとても楽しかったのだ。
おっと、忍者だけでなく、向日斑も騙したことになるわけなのだが、アレだ恋愛というものはいつ始まって、いつ終わるのかわからないものだ。向日斑が部活をやめた直後に、ゴスロリ忍者がお前のことを嫌いになることも無いとは限らないのだ……。
「さて、向日斑が来る前に退散するか……」
俺は自転車にまたがって車道を疾走した。
頬を伝う風の感触が、いつもより心地よいと思えたのは、はじめて何かをやり遂げた達成感によるものなのだろうか……。
とは言え、明日から向日斑へのフォローなど色々しなければいけないことがテンコ盛りだ。そうだ、花梨にも連絡しておかなければらない。……今日の出来事をどう説明すればいいんだろうか。
頭を悩ますことは山盛りだ。
けれど、今少しだけはこの充実した気持ちでいさせてもらいたい。
俺は自転車を飛ばして、家路へと急いだのだった。




