56 ゴスロリ忍者のキスが宇宙を作る。
愛の告白を受けた向日斑は、興奮の最頂点に達し、鼻息荒くドラミングをはじめだしていた。そう、野の本性がいま呼び起こされているのである。そして、その野生とたぎるリビドーを爆発させて、今にもテーブルの向こうのゴスロリ忍者に襲いかからんとしていた。
「ちょ、ちょっと待って……。お、落ち着いてくれませんか……。あの、ボクの側にあんまり近づかないでください……。ちょっと、ドラミングはやめてよ………。何なのこの人……。ううん、人なの? ゴリラなの!?」
俺にクナイを突きつけていたあの冷静沈着な忍者の姿は見る陰もなく消え失せ、ここにいるのは、野生のゴリラに怯え戸惑う一人の猫耳ゴスロリ美少女だった。
「あらあらあら、七桜璃ってば、野性的なアプローチにタジタジですのね」
セレスはその様子を見てコロコロと笑った。
「お嬢様、笑い事じゃないんですよ! ボクこのままだとどうにかされちゃいますよ!」
対して、ゴスロリ忍者の表情には一片の余裕すらなく、今まさに捕食されるんとする小動物の様だった。けれど、その必死さは一片の欠片もセレスには伝わってはいなかった。
「……。それはそれで面白いんじゃないかしら……」
「ボクは何も面白くありませんよ!」
「そうだわ、ブラッド! ビデオカメラの用意をしてもらおうかしら」
「お嬢様、すでに準備はできております」
毎度ながら何処からともなく現れた老紳士ブラッドさんは、片手にビデオカメラを構えていた。さらに、メイド三人娘はレフ板、照明、音声マイクを各々手に持っているではないか……。どうやら言われるまでもなく準備はすでに整っていたようである。なんと恐ろしい人たちであろうか……。
「え? あの、その、ボクこれからどうなっちゃうんですか!?」
「ラシュルド、もう少しこっちに視線をもらえますか? 良い表情が撮れませんよ?」
老紳士ブラッドはすでにプロの表情だった。勿論、執事としてではなく、カメラマンとしてである。
「何に必至になっているんですか? 一体どんなシーンをカメラに収める気なんですか!」
その言葉に、セレス、ブラッド、メイド三人娘は顔を見合す。そして数秒の間、お互いに共通の妄想を脳内に浮かべては、頬を赤く染めるのだった。
「もぉ、七桜璃ってば……そんな恥ずかしいこと、乙女は口にできませんわ」
「いやぁ、若さとは素晴らしいですなぁ」
「ブラッド様、このビデオ出来ましたら永久保存にしてもらってよろしいでしょうか?」
「ずるい! それわたしが先だからねっ!」
「疾風迅雷でわーたーしーがいただきなのっ!」
メイド三人娘の間では、すでに完成したビデオの取り合いが始まっている始末だった。
「いーやーだー! ボクは玩具じゃないんだー!」
今すぐこの場を離脱しようとしたゴスロリ忍者だったが、猫のように首根っこをブラッドさんに掴まれては、空中で足をブラブラさせたまま、絶叫をするしか無いのだった。
完全に、セレスはこの状況を楽しんでいた。セレスどころか、老紳士ブラッドさんも笑いを堪えるのを必至のようだった。メイド三人娘はビデオを我先に手に入れようと言い争っていた。俺の横では、向日斑が目をピカーっと光らせては今にも暴走寸前の機関車のような状態で、頭から煙を上げてスタンバっていた。
「なんだこれ……。ホントなんだよこれ……」
このシックな高級カフェにまるで似合わないカオスな状況が、すぐ横で展開されていて、俺は完全に蚊帳の外に置いて行かれている。
こうなったら、この状況を打開すべく、作戦の第二段回を発動せねばならない。
俺は予め用意してあったメールを、スマホをテーブルの下で隠すようにして送信ボタンを押した。
このカオスな状態では、向日斑が俺の行動に気がつくはずもなかった。
このメールにより、店の外で準備していた冴草契と、桜木さんが、店内に入ってくる手はずだ。
五秒ほどして……。
「わ、わぁ、こんなところにお洒落なカフェがあるよー。ちーちゃん」
「そ、そうだなー。はいってみよー。楽しみだなー」
まるで棒人間のようにギクシャクした動きと会話で、二人は店の中へと入ってきた。よく見ると、手足が同時に動いている……。そして、俺達のいるテーブルの近くに歩いてくると……。
「あっ、あれはもしかしてー」
「そうだなー。もしかするとー」
「向日斑さんだー」
「ゴリ斑さんだー」
「ちょっと、ちーちゃん! 名前間違えているから! 向日斑さんだからねっ!」
「えっ、だって、何処からどう見てもゴリラだから、ついついさー」
「ついついじゃないよ! めっ! だよっ」
「わかったよ、姫。む、向日斑さんだー」
「言い直さなくてもいいよ、ちーちゃん!」
あまりの棒読み台詞に、俺は思わず頭を抱えてしまった。こいつらにこんな役割をもたせたのは失敗だったのかもしれない……。とは言え、こんな大根芝居だというのに、今の向日斑には何の関心も持たれていないようだった。だって、あいつの五感全ては、ゴ◯ゴ13のようにゴスロリ忍者をロックオンし続けているのだから。
「あ、桜木さんたち、偶然だねー」
この大根芝居メンバーに俺も加わった。
「おい、向日斑、この前小動物ふれあいランドで会っただろ? 桜木さんたちだよ」
俺は肩を叩いて向日斑に呼びかける。
「ウホウホ……。はっ!? 俺はいままで一体何を!?」
俺の呼びかけに、向日斑はやっと野生のゴリラから人間味を取り戻したようだ。
「やっ、これはどうも。桜木さんと……殴りかかってきた人?」
「チッ」
冴草契は舌打ちで答える。どうやら、桜木さんの名前は覚えていても、冴草契の名前は覚えていないようだ。まぁ出会い頭に殴りかかられたのだ、そっちの印象のほうが強いのしかたのないことだろう。
「あっ、もしかしてー。向日斑さんはデートの最中だったんですかー。わぁい、とっても素敵な彼女さんですねー。お似合いですぅー。ほら、ちーちゃんも!」
「そうですねー。お似合いですねー。二人でジャングルをウホウホ駆けまわってくると更にお似合いですねー」
「もぉ! だからちーちゃん、めっ! だってば!」
――こいつら、本当に手伝う気があるんだろうか……。
だが、俺のそんな心配は杞憂に終わった。
「そ、そうですか! お似合いとか……嬉しい事言ってくれますねー! あっはっはっは! 七桜璃さん、俺たちお似合いですって!」
「は、はぁ……。う、嬉しいですー……」
向日斑は、言葉の裏など何一つ勘ぐることなく、素直にそのままの意味に取ってくれていたのである。こういう時、単純馬鹿で本当に助かる。忍者は嫌いなピーマンを頑張って食べている子供のように口元をへの字に歪めていた。忍者頑張れ、超頑張れ!
「おっと、いきなり『七桜璃さん』だなんて、下の名前で呼んでましたね。でも……あの、もし良かったら、俺のことも、文鷹って下の名前で呼んでもらっていいですよ?」
ファーストネームを呼んでしまったことを謝罪するどころか、自分のファーストネームを呼ぶように強要するとは、このゴリラ幾らか調子に乗ってしまっているようだ。早く檻に戻してバナナを与えないと……。
その言葉に、プツンと何かが切れるような音が、ゴスロリ忍者の頭の中から聞こえたような気がした。
「そうですね、今すぐ死んで欲しいです。糞ゴリラ」
ゴスロリ忍者は背筋を正して真顔でサックリと答えた。
「えっ?」
「はい、糞ゴリラ」
一度目は聞き間違いでも、二度目も聞き間違いであるということはないだろう。向日斑は耳の穴をホジホジしながら、このとっても可愛いゴスロリ猫耳忍者の言葉を反芻していた。
七桜璃の豹変に、慌てふためいたのはセレスだった。
「あ、あらあらあらあらあらぁ〜。七桜璃ってば、照れると、ついつい心にもないことを言ってしまう癖があるんですのよ。そうですわよね、七・桜・璃!!」
しかし、主人であるセレスの言葉も、キレてしまったゴスロリ忍者の耳はもはや入らないようだった。
「はい、糞ゴリラ。ああ、糞ゴリラ死ね」
ゴスロリ忍者の暴走はもう止まらなかった。もはや無表情で糞ゴリラと連呼するマシーンと化していた。
しかしだ、何故か向日斑は恍惚とした表情で悶えているではないか……。まさか、こいつドMなのか!?
「神住……。俺は新しい趣味に目覚めそうなんだが……はぁはぁ」
そんな暴走の背後に、老紳士ブラッドさんが現れる。そして、ゴスロリ忍者の背後から耳元でなにかしら言葉を囁いたようだった。すると、ゴスロリ忍者の表情が一変しては、血の気が引いていくのが遠目にもわかる。
「えっと、はい! さっきのは、向日斑さんと話すのが嬉しくて、ついつい舞い上がってしまって変なことを言ってしまいました。ごめんなさい、本当にごめんなさい。だから……告げ口はしないでください……」
告げ口云々の言葉は、こちらに向けられているものではないように思えた。それにしても、これだけゴスロリ忍者を動揺させる言葉とは一体何なのだろうか? もともと小柄なゴスロリ忍者が、更に小さく縮こまって見えるのは、その言葉のせいなのだろうか?
「え? そうなんですか。いや、俺はアレはアレで有りだったんですけど……。出来ればたまに言ってもらえると嬉しかったりとか……ウホウホ。しかしあれですね、照れて心にも無いことをなことを言っちゃうとか、アレですか、もしかするとツンデレってやつですか! 猫耳、ゴスロリ、ツンデレ、そして小柄なボーイッシュ美少女、七桜璃さんは属性テンコ盛りで素敵な女性ですね!」
対して、向日斑は、ゴリラ、ゴリラ、糞ゴリラと、ゴリラ三拍子が揃った素敵なゴリラである。
「あ、はい。ほんとキモいので、端っこのほうでバナナくわえてウホウホ言っててください、あ、ボクの視界に入らないようにしてくださいね」
いままでで一番の笑顔で、ゴスロリ忍者は間髪入れずに答えた。人間本音を言う時はやはり良い顔をするものだ。
「な、七桜璃ちゃ〜ん! 七桜璃ちゃんは、本当に照れると真逆のことを言っちゃうよねー! だよね、ちーちゃん!」
「え? そうなの? わたしなんにも知らないけど?」
「ちーちゃん! そこは合わせてくれないとー! 本当にめっ! だからね!」
この二人を呼んだせいで、状況が良くなるどころか、更にカオスの渦に落ちているようなきがするのは、きっと気のせいではないだろう。
「あれ、桜木さんたちは、七桜璃さんたちと面識があるんですか?」
鈍い向日斑でも、どうやらこの状況がおかしいことに気がつき始めているようだった。いや、気がつかないほうがおかしい。
「ふえっ? え、えっと、あの、その……。なんか電波で、わかっちゃったんです。わ、わたしそう言うところあるから、えっへへー」
「そうそう、姫は電波があるから、わかっちゃうんだよね。うんうん」
冴草契は、はじめて桜木さんの台詞に合わせて答えることに成功した事に満足気だった。こっそり、Vサインをしたりもしていた。
「あ、あと電波で、二人の相性は最高だってわかりましたよ! あとは……。部活とかするより、彼女さんを大事にしてあげたほうがいいかなーっていうのも、電波でわかったりなんかして……。えへっ」
泥沼にはまりながらも、桜木さんはキーになる言葉をキッチリと入れることに成功していた。そう、俺はこの二人にそれとなく、部活よりも彼女を選ぶようにと、話をしてくれと頼んでおいたのだ。けれど、まさかこんなとんでも無いところから話を切り出してくるとは予想できなかった。
「部活……」
向日斑が我に返ったような表情をする。
部活の一言が、向日斑を恋愛ときめき空間から、日常へと戻してしまったのだ。
向日斑は椅子に深く腰を下ろすと、腕を組んで考えこんでしまった。彼女を作ってしまえば、部活に励むことができなくなることを考えているのだろうか?
「七桜璃、ここでダメ押しですわ!」
「本気ですか? ボク、本気でアレをやるんですか? それだけは嫌です!」
その時、毎度のように背後に現れた老紳士ブラッドが、ゴスロリ忍者の耳元でまたしても魔法の言葉をつぶやいた。
「……わかりました」
何を言われたのわからないが、その言葉を言われるとゴスロリ忍者は逆らうことが出来ないようだ。
「む、向日斑さん……」
「は、はい!」
ゴスロリ忍者の言葉に、向日斑は腕組をやめて向き直す。
「ボ、ボク……部活より大事にしてもらいたいな……。一番になりたいな……」
目をうるませたゴスロリ忍者は、テーブルから上半身を乗り出して、糞でかい向日斑の顔に近づいていく……。そして……頬の側に顔を持って行くと、向日斑のオデコにほんの少し触れるくらいの軽いキスをしたのだ。俺は見た、忍者は泣いていた……。が、内情を知らない人から見れば、これはとても情熱的で、穢れのないキスに見えなくもないのだ。正直、俺は今、ここら周辺を駆けまわりたいほどに猛烈に興奮してしまっている!!
「あらあらあらあらあら、ドキドキですわ」
「うわぁ……七桜璃ちゃんかわいい……」
「ゴリラ相手に……ご愁傷様……」
「ブラッド様、ここ、ここはズームでお願い致します!」
「必見、必見、見逃せないシーン!」
「やばい、鼻血が出てきた……」
「青春ですなー」
「決まったか! この大技で確実に決まったのか!」
俺は向日斑のリアクションを待った。けれど、向日斑は完全に固まってしまっていて、これを溶かすには太陽の熱が必要なんじゃなかろうかと思うほどだった。
自分の席に戻ったゴスロリ忍者は、誰からも見えないように、こっそりと自分の唇をナプキンで汚れを拭き取るように何度も何度も何度も何度も拭い続けていた。そして、その動作に合わせる様に、大粒のナミダがボロボロとこぼれ落ちては床を濡らしていた……。誰にも見られたくないであろうその姿を、俺は、俺だけは見てしまった……。浮かれ気分に包まれていた俺は、瞬時に罪悪感という糸に絡め取られてしまう。いや、こうなることは始めからわかっていたのだ、わかっていながら作戦を決行したはずなのだ。ならば、この結果を受け止めなければならない。そして、それから忍者に誠心誠意謝罪をしなければならない。俺は向日斑の膝を守るということと引き換えに、忍者を犠牲にしてしまったのだから……。
「神住ィィィ!」
突如として、太陽のような熱と光を放つ存在が俺の横に存在していた。そう、フリーズが解けた向日斑だ。向日斑はまるでビックバンでも起こしたかのように、大量の熱と光をな熱量を四方八方に放っていた。それどころか、俺の目にはアイツの姿が全長数十メートルの光の巨人、いやさ光の大猿に見えてしまっている。いやいや、流石にこれは幻覚だろう……。
「俺はいま、大切な物を見つけたぞ! そう宝物だ! これに比べれば、部活動など……塵芥に過ぎん! 俺はいま進むべき道を見つけることが出来たのだァァ!」
こうして自分の中に新たな宇宙を誕生させた光の大猿、スーパー向日斑文鷹は、部活以上に大切なものを見つけることに成功したのだ。
こうして、『ゴリラ補完計画』は幕を閉じた。
気が付くと、俺の横にサングラスを差し出すブラッドさんの姿があり、俺以外の全員はすでにサングラスを装着済みだった。勿論、ゴスロリ忍者も……。きっと、ゴスロリ忍者だけはサングラスの用法がちがっているだろう……。光を遮るためではなく、涙を隠すために使っていることだろう……。




