50 カイゼル髭の銀髪老紳士が弱いわけがない!
「衣装を乗せた車がすぐに到着いたしますから、駐車場の方に移動致しましょう」
突然の展開に戸惑いながらも、俺たちはセレスに言われた通りに駐車場へと向かう。
いや、一人忍者だけは、ファミレスの地べたにペタンとへたり込んだまま、虚空を見上げては現実逃避を図ろうとしていた。
「そんな、ボクが女装とかありえない……。そうだ、これは夢だ、きっと夢に違いない。本当のボクはまだベッドの中にいて眠っているんだ、そうだ、きっとそうだ……」
忍者の精神は崩壊寸前のようで、うわ言のように繰り返していた。
「あらあらあら、七桜璃、戦わなければダメよ、現実と! さぁ、行きましょうか」
子供のように、地面に座ったままテコでも動かない忍者を、セレスは旅行かばんでも引きずるようにして連れ出したのだった。ズルズルと引きずられる忍者は、出荷される家畜の姿に似ていて、何処からともなくドナドナの歌が聞こえるような気がした。哀れ忍者……。その先に待っているのは、悲しすぎる現実だった……。
※※※※※
俺たちは忍者を包囲するようにして、駐車場でセレスの呼び出した車が到着するのを待っていた。忍者はといえば、観念したのかアスファルトに正座して言葉一つ発してはいなかった。
「なんだか、凄い悪いことをしているような気がするよぉ……」
桜木さんは、放心状態でうつ向いたままピクリとも動かない忍者を見て、きまりが悪そうに言った。
「わたしは、姫に危害さえ及ばなければ、なんでも良いよ。この人初対面だし」
冴草契は、至って冷静だった。この女、桜木さん以外のやつがどうなろうと、きっと知ったことではないのだろう。勿論、そのどうでも良いメンバーの中には俺も含まれている。
「うぅぅ、七桜璃さん、かわいそうだよぉ……。でも、でも、ちょっと七桜璃さんの女装姿には興味があるかも……。わたし、絶対に似合うと思うんだ! どんな服が似合うかなぁ……」
心なしか、桜木さんはワクワクしているように思えてならなかった。一見、忍者の顔を心配そうに覗きこんでいるようにしながらも、どんな服装が似合うのかを吟味しているようにも見えた。
どうやら、桜木さんにはその手の趣味があるようだ……。
「ぼくは……忍者でもなければ、女の子でもないんだよー……」
正直、ここまでヘタれてしまった忍者が、こんなにも駄目駄目かつ可愛らしい生き物になるとは想像もしていなかった。ほんの少し前までは、冷酷非道で、能面のように無表情、美しいボーイソプラノボイスで淡々と語っていたはずなのに、今はこの有り様である。これギャップに、思わず相手が男子だということを忘れて萌えてしまいそうになる。いや、むしろ男子だからこそ萌えるのか?!
「うんうん。わかってる。わかってる。俺はちゃんとわかっているぞ、忍者」
俺の励ましの言葉に、忍者は地獄の釜の底の煮え湯を投げかけんばかりの素敵な視線を向けてくれた。おいおい、その熱視線に俺は溶けて蒸発してしまうぞ。
暫くすると、黒塗りのいかにも高級そうなワゴン車の姿が、法定速度を守っているとは思えない速度でこちらに向かって走ってくるのが視界に入る。
そのワゴン車は、速度を殺さないまま、後輪をパワースライドさせて見事なドリフトを決めると、駐車場へと雪崩れ込んできたのだ。
急制動をかけて、俺たちの目の前に駐車されたワゴン車は、駐車場の枠線から一ミリたりともはみ出ることなく見事な駐車を決めていた。
「ふむ、所要時間は、四分三十七秒ですか……。まぁまぁといったところでしょうか」
そのワゴン車の運転席から降りてきたのは、執事服姿に身を包んだ、身の丈百八十センチで、カイゼル髭を蓄えだ、銀髪の初老の紳士だった。
「お嬢様、ご注文のお品をお届けに参りました」
初老の紳士は、セレスの前で優雅に膝をついた。その所作に一ミリも無駄なところはなかった。
「ありがとう、ブラッド」
「お褒めに預かり恐悦至極でございます。ところで、その横で呆けておるのは、シュラウドではありませんか?」
老紳士は、忍者のことを『シュラウド』と呼んだ。もしかすると、忍者もセレスと同じようにハーフなのかもしれない。
初老の紳士に名前を呼ばれて、忍者はようやく正気を取り戻した。そして、その姿を確認すると、即座に背筋をピンと伸ばして、直立不動でその場に立ったのだ。
「ブ、ブラッド様……。わ、わたくしはこのような醜態を晒してしまったことを……」
「よろしい。言い訳はお屋敷に戻ってから存分にすると良いでしょう。しかし、いまあなたに課せられた使命はそれではありません。さぁ、シュラウド……。車にお入りなさい」
老紳士は、とても穏やかに、これ以上ないほどに優しく、言葉と笑顔を忍者に向ける。けれど、忍者はその言葉、その笑顔を、素直に受け取ってはいないようだった。それは、怯えて竦む忍者の様子ですぐにわかった。
「え……。この車の中には……」
「はい、貴方が着替える衣装がございます」
「それは勿論……」
「女物でございますよ」
「……」
忍者は軸足に力を入れようとしたところで、初老の紳士にその動きを察知される。
「わたくしから逃げることなど、到底叶わぬということは、重々承知しておりますよね?」
「はい……」
どうやら、この老紳士は忍者よりもあらゆる意味で格上の存在のようだった。まぁ、カイゼル髭の初老の紳士が弱いわけがない。これはもはやテンプレートの一部なのだ。
「さぁ七桜璃。さっさとお着替えなさってきなさいな。わたくし、なんだかワクワクしてきていますのよ」
「あ、あのぉ、わたしも少しワクワクドキドキしちゃってます……。えへへ」
「わたしは割とどうでもいいけど、早く済ませて欲しいかな?」
「頑張れ、超頑張れ、忍者なら出来る!」
四種四様の言葉を受けて、忍者はまるで死刑台に向かう囚人のような足取りで、ワゴン車の中に消えていった。
『うふふふふ、七桜璃……。お着替えしましょうね』
『逃がしませんよ……』
『う、うわぁぁぁぁ、嫌だァァァあ! やっぱり嫌だよぉ! ボクは男の子なんだー!』
『うわぁ、七桜璃ってば、白くてきれいな肌してるのね……』
『や、やめてー! ボクまだ清らかな身体でいたいのー!』
『うふふふ、お姉さんに任せておきなさい……』
車の中からは、楽しげな数人の女性の声と、耳をつんざく絶叫を上げる忍者の声が交互に響き渡ったのだった。
「やれやれ、メイド連中ははしゃぎ過ぎておるようですな。後で叱っておきませんと」
初老の紳士は、カイゼル髭を撫でながら、少し困った顔をしてみせたが、どこか楽しんでいるようにも見えた。
そして、俺たち四人も着替えが終わった忍者が出てくるのを、今か今かと期待の眼差しで見守るのだった。
そんな折に、ファミレスに向かってくるママチャリが一台。それはごくごく一般的なママチャリでありながら、高級ロードレーサーの速度を軽く上回っているように見えた。
颯爽と風を切って現れたママチャリは、俺達の前でキューブレーキを掛けて停車すた。
「やっほー! 呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん! 花梨だよーっ!」
そのママチャリに乗っていたのは、中学の制服に身を包んだ向日渕花梨だった。初めて見たわけだが、制服姿も悪くない。そのジャストサイズの制服の上着の中の、二つの豊満な果実が窮屈そうにしている様など、たまらないものがあったし、かなり短くした制服のスカートからは、艶かしい太ももさんが強烈に自己主張をしては、俺の本能に訴えかけてくる。
オッパイ星人だけでなく、太もも星人の欲求も満たしてくれる。まさに、地上に舞い降りた天使、女神、ビーナス、そう表現しても大げさではないと、俺は思ったのだ。




