44 孤独を孤独だと知らなければ、孤独ではない。
「なるほど」
桜木姫華、冴草契とバス停で別れた俺は、風を頬で感じながら、軽快に自転車を走らせて家へと向かっていた。そして気がついてしまったのだ。
一人ってのは、結構寂しい物なのだなぁ……ということに。
こんな事は、今までに考えたことがなかった。何故ならば、俺はいつも一人で居るのが当たり前だったからだ。むしろ、ボッチで居るのが俺のステイタスだと言えてしまうほどだったのに、何故に今の俺の心の中は、隙間風が吹いているような気持ちになっているのだろうか。
『群れるってのは弱い奴らのすることだ。強者はたえず一人。孤独を友として生きるものだ!』
なんて、ニヒルに構えては、友達がいないことを誤魔化して生きてきた中学時代。
あの頃は、一人に何の疑問も抱かなかった。
友だちになれるのは、俺と同じ異界の力を持つ異能者だと思っていた。
え? 俺と同じってことは、お前も異界の力を持つ異能者様なのかって? ……俺の脳内設定ではそうなっていたから! 今も机の引き出しの奥には、そんな設定が書き記されたノートが厳重に封印されているはずだ……。
きっと、孤独ってやつは、相対性なのだ。
いつも孤独でいれば、孤独を孤独だと感じたりはしなくなる。
けれど、一度でも孤独以外の環境に身をおいてしまえば、孤独に戻った時に、より強烈にその孤独さは己の心に刺のように食いこんで突き刺さるのだ。
そうなってしまわないように、人は自分を取り巻く環境を守ろうと必死になるのだ。
俺には今まで守るべき環境なんてものがなかった。だから、そんな努力は不必要だったのだ。
もし、明日から、桜木姫華、冴草契、向日斑花梨、金剛院セレス、忍者、この全員と全くの無関係になってしまう事を考えれば、こんな俺でも少しは寒気が走ってしまう。
けれどさ、きっと数週間、数ヶ月もすれば、またいつもの孤独がデフォルトな俺に戻るのだ。人は自分を取り巻く状況に順応してしまう生き物なのだ。
あ、そうそう、向日斑を含めるのを忘れていた。
そう言えば、部活に顔を出してくるとか言ってたんだったな……。そして、その部活に復帰させないように、花梨から頼まれていたわけだ。
花梨との関係を消さないためにも、俺はこの件をどうにかしなければならない。
……どうしたらいいんだろ?
俺はこんなモヤモヤした気持ちを払拭するために、行きつけの本屋に寄ることにした。
丁度自転車は、本屋の前に差し掛かったところだ。
俺は自転車を本屋の駐輪場に止めようとして、そこに見覚えのある人物たちの姿を見つけた。
咄嗟に、俺は物陰に隠れてしまう。
その見覚えのある人物たちとは、向日斑の部活、柔道部の部員たちに間違いなかった。その中に、向日斑の姿はなかった。
「もう練習終わったんだろうか……?」
まぁ、俺は運動部がどれくらいの時間まで部活動をするのかさっぱり知らない。なので、勝手に真っ暗になるまでもう練習しているイメージを持っていた。もし違っていたらごめんさい。
柔道部員は、駐輪場に固まってだらしなくうんこ座りをしては、ヤンキーのようにだべっているようだった。
恰幅の良い連中が五、六人集まってそんなことをしているさまは、むしろヤンキー以上に威圧感を与えてくれる。俺ならば、本屋に寄ろうとしていても『あっ、急に用事を思い出したー』等と、口にだす必要のない言葉を、わざとらしく口にして、本屋を素通りするところだ。
実際、今の俺は既に本屋なんかに寄らないで帰宅しようと決意を固めていたところだ。
こっそりと、自転車に戻って、お家に帰ろうとしかけたところで、柔道部たちの話し声が耳に飛び込んできた。
「いやぁ、参るわ、あいつ。先輩だってのに容赦なくぶん投げてきやがるわ」
「全くだ。歳上を敬う気持ちってのがないのかね」
「でもさ、アイツさえいれば全国に行くのは余裕って感じじゃん?」
「全国に行った柔道部ってことになれば、大学推薦にも少しは融通がきくんじゃね?」
「そうなったら、儲けモンなんだけどな」
アイツ、この言葉が指すのはきっと向日斑の事だろう。
「でも、アイツさ、怪我してるんだろ?」
「それな。でも本当なのか? 怪我しててあんな強さとか、おかしいだろ? 化けもんだろ?」
「もしかして、負けた時の言い訳のために、怪我してたとか言ってたりしてな」
「うわー怪我さえなければ負けなかったわー。なんつってな」
「笑えるー。アイツがそんなこと言ってる姿を想像するだけで笑えるわー」
柔道部員たちは、声を合わせて笑い合っていた。
「……」
鎮火していたはずの、俺の心の中の火種がバチパチと音をたてて燃え始める。
今すぐに、ここを飛び出していって、あいつらに一言文句を言ってやりたかった。向日斑が嘘をつくような男ではないことを教えてやりたかった。
けれど、俺と向日斑の付き合いはたったの一ヶ月。この柔道部員たちは、去年一年間向日斑と同じ時間を過ごしていたのだ、俺以上にあいつの事をわかっているのかもしれない。わかっていて、茶化すようなことを言っているだけなのかもしれない。
それなのに、今俺が、知ったかぶりのようなことを言っても、まるで意味が無いのかもしれない。
かもしれない、かもしれない、かもしれない、かもしれない……。そうさ、俺にはわからないことだらだ。
「アイツ真面目すぎんだよ。付き合わされるこっちの身になれってんだ」
一人の柔道部員が、制服のポケットの中から小さい箱を取り出す。遠目にもそれが煙草の箱であるということがわかった。
「おいおい、やめとけって! アイツに見つかったらぶん投げられるぞ。アイツならコンクリートの上でも容赦なくぶん投げるぞ」
「こわー。マジこわいわー。ガチで死ぬわー」
おどけるように笑っては、ポケットの中にその箱を隠すように戻した。
俺はこのやり取りを、これ以上見ていたくなかった。
このままでは、またあの例の暴走をしてしまうに違いないと察知したからだ。
俺は暴走をし始めてしまうと、当然のごとくブレーキが効かない、制御ができない。そして、その結果として、物事は最初よりも悪い方向に落ち着くことが多いのだ。秘密結社FNPしかり、おパンツ関連しかりだ。
俺はコソコソと柔道部員から隠れるようにして、本屋の店内へと足を運んだ。
店内はいつもの様に、学生たちで賑わっていた。
「さてと、文庫本と漫画の新刊でもチェックするか……」
俺が本屋の中をブラブラと散策して歩いていると、突き当たりにあるドアから水が流れる音がした。
ここはトイレだ。誰かが本屋のトイレを借りていたのだろう。
トイレの前で、知らない人と鉢合わせとか、それも女子だったならば、気不味い以外の何物でもないので、
俺は急いでトイレから離れようとした刹那、トイレのドアが開いてしまった。
そこに現れたのは、なんと一匹のゴリラ。
ゴリラは俺の顔を見ると
「お? 神住じゃないか。偶然だな」
と言ったのだ。
ゴリラは、勿論向日斑だ。
向日斑はハンカチで手を拭く。ハンカチの柄がディフォルメされた可愛らしいゴリラのイラストだったので、笑いそうになってしまう。もしかすると、妹の花梨のセンスなのかもしれない。
「いやな、部活の帰りに急に腹が痛くなってな。いやー。出た出た。ビックリするくらいでたぞ。見るか?」
「見ねえよ! って、お前流してないのかよ!」
「冗談に決まってるだろ。頑張って流したさ」
「頑張らないと流れないレベルだったのかよ……」
どうやら向日斑は、うんこもゴリラ級のようだった。
「あれじゃないか、バナナばっかり食ってるから、食物繊維取り過ぎてってやつなんじゃ」
「おい! バナナを悪く言うな! バナナはな、とっても良い奴なんだぞ!」
バナナを愛してやまない向日斑に、バナナをけなすような言葉は禁句なようだった。
兎も角、もし今俺がお腹が痛くなったとしても、このトイレだけは絶対に使いたくはない。
「おっと、外で先輩たちを待たせているから、行くわ」
「あ、そ、そうか。それじゃ」
なるほど、外の柔道部員たちは、向日斑のうんこ待ちだったのか……。うんこ座りで、うんこ待ちとか、シャレが効いてるわけだな。
向日斑が俺の背中をバシッと叩いて通りすぎようとした時。
「うッ」
向日斑は突如膝のあたりを押さえてうずくまったのだった。




