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37 心の中で戦いのゴングは鳴り響く。



 目が覚めると、俺はベッドの上で朝を迎えていただ。

 まぁ普通だ。目が覚めると異世界だったに比べれば、至って普通だ。

 窓の外には、見慣れた町並みがが広がり、小鳥がチュンチュンさえずっていたりする。世界樹があったり、妖精が飛びかっていたりなどしない。これが俺の生きている、生きていく世界だ。

 俺はベッドの中で大きく伸びを一つした。身体の筋が伸びていく感覚が幾らかの眠気と、倦怠感を消し去ってはくれたが、それでも身体はダルいし、あちこちが痛い。それ以上に俺の心は鉛の様に重くて、全てを忘却の彼方へと飛ばしてしまいたいという欲求にかられていた。ああ、出来ることならばずっとベッドの中で眠りこけていたい。

 それらの原因の大半は、ゴールデンウィークという長期休暇が終わってしまったせいだ。

 今日から学校生活が再開する。しかも男子校生活だ。むさ苦しい男子に囲まれて、単調な授業を詰め込むという日々が訪れるわけだ。気分が重くならないわけがない。

 それ以外の原因は、まぁ……あれだ。

 

 外の天気はどうやら良い天気だ。天気の良し悪しで俺の気分が変わるのなら、こんな素敵なことはないだろう。

 


 昨日、俺はソファーでテレビを見ているうちに、知らず知らずのうちに眠ってしまっていたようで、父親の単身赴任先から帰宅したお母様の『何やってんのあんた? テレビつけっぱとか電気代勿体無いでしょ? このバカ息子』との優しい言葉で目を覚ましたのだった。

 そして、久々の、まぁ久々と言っても数日ぶりだけれど、母親の手料理を胃袋に流し込んだのだ。ああ美味い。ゴリゴリして水分の無くなったチャーハンの百万倍美味い。

 こうして、人間的な食事を味わった後は、風呂に入り、そのまま就寝したわけだ。

 スマホの電源は切ったままで……。

 そして今に至る。


 俺は恐る恐る、スマホの電源を入れた。

 案の定、そこには恐ろしい数の着信履歴が並んでいた……。

 更に、電話の着信だけでは飽きたらず、メールまでもが届いていたのだ。きっと、あの七桜璃なおりとか言う執事が俺のメールアドレスを違法に調べあげたに違いない。


神住かみすみ様、金剛院こんごういんセレスでございます。スマートフォンに異常でもあったのでしょうか? お電話が繋がらなくなりましたわ。もし、故障なのでしたら、わたくしが新しいスマートフォンをご用意いたしますわ』


 こいつ、俺が意図的にスマホの電源を消してるとか想像しないのだろうか? きっと、こいつは周りの空気を読むというスキルが壊滅的にダメな奴に違いない。まぁ周りの空気を読むのが得意なお嬢様キャラとか、新しすぎるんだけどな。

 まぁ、金剛院セレスも高校生なわけだし、さすがに学校に行っているときは電話はしてこないだう。――してこないと思いたい。

 とは言え、全く返信をしないのも失礼かと思い。俺は必死に文面を考えてメールの返信をした。


『どうも、神住です。昨日は電話を途中で切ってしまってごめんなさい。実は俺は……電話を長時間すると死んでしまう病に侵されているんです。これは現在のスマホ社会が生み出した恐ろしい奇病で、現在治療が見つかっていないのです……。あと、メールをいっぱいするとアレがアレな感じでアレしてしまう病にもかかっているのです。これは現在のインターネット社会が生み出したアレがアレでアレレのレなアレなのです。申し訳ありませんが、電話とメールを謹んでいただけるとありがたいです』


 俺はこのメールを送信した。

 我ながら、よくもこんな頭の悪いメールを思いついたものだと感心してしまう。

 まぁ、こんなメールが送られてくれば、あからさまに電話とメールを嫌がってる事に気がつくだろう。

 だが、一分後に届いた金剛院セレスからのメールは、俺の予想の斜め上を行っていた……。


『そんな恐ろしい病にかかっているとは、存じ上げておりませんでしたわ。わたくしが医療団を結成して、その謎の奇病の解明に全力を注がせたいと思いますわ!』


 どうやら、金剛院セレスは空気を読むのがどうこうではなく、純粋に『アホな子』のようだった。

 相手がアホとわかれば、こちらもそれ相応のメールで返さなければならない。任せろ、アホならこっちの得意分野だ!


『俺はこの病気と正面から向かい合っていきたいと思っているんだ。だから、嬉しいけれど君の好意は遠慮させてもらいたい。うっ……く、苦しい……。もうそろそろ限界か……』


 うむ、見事だ。我ながらアホ以外の何者でもないメールだ。普通の人がこのメールを受け取ったならば、すぐさま受信拒否に設定するだろう。俺だってそうするしな。

 けれど、相手がアホならば違う。アホはこのメールに本気で返信をしてくるはずだ。そう、俺の信じたアホならば、金剛院セレスならば……。

 

『わかりましたわ。わたくし陰ながら、神住様を応援致しておりますわ。それに、お話しがしたければ、直接会えば良いだけですものね……。うふふふふ』


 最後の『うふふふふ』が怖くてならなかった……。

 こいつ、アホな子の上にストーカー気質だ。たちが悪い事この上ない。

 そんなアホメールのやり取りをしている間にも、家を出る時間は迫ってきていた。

 俺はダイニングに降りると、朝食のパンを口に頬張りながら、制服の上着を羽織り、コーヒーで無理矢理に胃の中に流し込んだ。


「いってきます」


 こうして、俺の男子校生活はまた始まるのだった。



 ※※※※


 

「お前の家に、妹が行かなかったか?」


 朝、教室で向日斑むこうぶちと目が会うやいなや、すぐさまこの問いが飛び込んできた。俺は面食らってしまい、一瞬言葉を失ってしまった。


「……何でお前がそれを知ってるんだ?

 

 もはや、この返しが花梨かりんが家に来たことを示していた。


「いやな、あいつがしつこくお前の家の場所を聞くからさ、ついつい教えちまってな。悪い事しちまったかなって」


 向日斑はすまなさそうにしていた。


「別に気にしなくていいって。なんかあったわけでもないし。あ、あれだ、漫画を借りたいって言うから、貸してやったんだよ」


 実際はなんかありました。というか、あなたの妹のオッパイを少し揉んでしまいました。てへっ。きっと、そのことを言ったら『てへっ』では済まないだろう。だって、こいつシスコンっぽいんだもん。あ、花梨は花梨で、ブラコンぽいけどな。つまりは、仲の良い兄妹ってことだ。

 しかし、花梨が俺の家の場所知っていたのは、そういう訳だったのか。なるほど合点がいった。


「そうか、それならいいんだけな。あ、俺もその漫画読ませてもらっていいか?」


「おう、いいぞ」


「……ところで、妹のやつなんか俺のこと言ってなかったか?」

 

 珍しく向日渕が、少し溜めを作ってから口を開いた。

 どうやら、話しかけてきたのは、これを聞きたいがためのようだ。


「い、いやぁ、別に言ってないかな」


 俺は嘘をついた。少し視線が泳いだことに気がつかれていないだろうか。


「そうか、ならいいんだ」


 向日渕は少しホッとした様子で、自分の席に戻っていった。

 そうこうしている内に、チャイムが始業を告げた。

 教師が教室にやってきては、授業という名の催眠魔法を詠唱し始めるのだ。

 俺は眠気と闘いながら、黒板に書かれた内容をノートに書き写していた。

 機械的に綴られていくノートの文字とは別に、俺の脳内では別の思考が渦巻いていた。

 

 きっと、向日斑が気にしているのは、例の部活の件を俺に話しているかどうかの事だろう。

 もしかすると、さっきは正直に答えておいたほうが。話が進めやすかったのかもしれない。

 花梨に協力すると約束した手前、俺は何とかして向日斑の部活復帰を阻止しなければならない。けれど、それより先に、本人の意志を確かめなければいけない。

 もし、向日斑が本当に自分の意志で部活に復帰したいというならば、俺には止めるすべなど無い。

 けれど、本心ではなく、先輩のため、部活のため、そんなもののために復帰を考えているのならば――俺はどうしたらいいんだろ? わからん。あと、今やってる授業もわからん。数学って将来なんかの役に立つんだろうかねぇ? 




 昼休みになると、向日斑はいつもの様に美味しそうにバナナを食べていた。

 これ程までに、バナナを食べる姿が絵になる奴は、人間界に二人といないだろう。もしかすると、ゴリラ界を含めても五本の指くらいには入るかもしれない。うむ、ベストバナナニストに選ばれてもおかしくないほどだな。そんなのあるわけ無いけど。

 俺はしばしの間、美味そうにバナナを食う向日斑を見ていた。なんか、それだけで少し幸せな気分になれた。あれか、こいつなにげに癒やし系キャラなのか。

 俺はのほほんとした表情で頬杖をつきながら、いつも無駄話をするのと同じトーンで話しかけた。

「なぁ向日斑、お前ってなんか部活やってるの?」


 我ながらストレートど真ん中過ぎる質問だと思った。


「ん? ああ、今は部活はやってないな」


 向日斑は質問に対して、表情一つ変えずにノータイムで返事を返す。バナナを食べる手も止もしない。


「今は、って事は、前はやっていたのか?」


「そうだな、前はやっていたな」


 向日斑はバナナをモグモグと咀嚼しながら返事をした。


「戻んないの、その部活に?」


 その問に、向日斑ははじめて間を置いて言葉を選んだ。これは口の中にあるバナナを飲み込むためだけの間ではないように思えた。


「……今考えてるところだ。なぁ、お前やっぱり妹からなんか俺の話しされただろ?」


「うん。正直に言うとされた。お前を部活に戻さないでくれって頼まれた」


 すまない花梨、俺は隠し事とか得意じゃないんだ。俺は心の中で花梨に謝罪した。けれど、こいつとは真正面から話したほうが良い気がする。向日斑は小細工とかをすごく嫌いそうな男だから。


「そうだろうな、きっとそんな事だろうと思っていたよ。本当にあいつは心配症だからな」


 向日斑は少し嬉しそうだった。妹が心配してくれることが嬉しいのだろうか?


「でもさ、妹を心配させたら駄目だろ?」


「そうだな、悪い兄貴だな」


「それがわかってるんなら……」


「けれど、それとこれとは別だ。俺は男だからな。男は頼まれたら断れないってこともあるんだよ」


 ドンと胸を叩く。力強い動きのはずなのに、どうしてこんなに弱々しく見えるのだろうか。どうして、こいつは俺から視線を外して、窓の外を見ているのだろうか。そんなのらしくない、らしくないのだ。

 俺の身体の中に、カチッ、カチッと火打ち石を擦るような音がする。それが火花となって。俺の心の奥底にある導火線に火をつけた。

 

「……違うだろ? 男だからとか、頼まれたとか、そんなんじゃなくて、お前自身がどうしたいかだろ? 俺の知ってる向日渕文鷹むこうぶちふみたかってやつは、そんな言い訳じみた言葉を吐いたりはしない男なんだぜ? 真っ直ぐに相手を見据えて言葉をぶつける不器用なゴリラなんだぜ!」


 ああ、まただ。また始まってしまった。俺は熱くなると変なことを言っちまう。止まることなく言葉が口から出てしまう。そして、いつもあとで後悔をするのだ。そう、頭でわかっていても言葉は、心はブレーキを掛けてくれない。きっと、そのうち崖から落ちて大怪我をすることだろう。


「神住、お前ってそういう事を言う奴だったんだな……。ちょっとビックリしたわ」


「いや、今俺自身もビックリしてる。こんな青臭くて熱い台詞を言ってる自分に驚いてる。多分、今日寝るときに、思い出しては身悶えすることうけ合いだわ」


 きっと枕に顔を突っ込んで、ウワァァァと叫びながら、両足をバタバタさせることだろう。


「いや、神住お前なんかカッコイイよ。でもな、これは俺の問題なんだ。俺が決めることなんだ。それにな、俺はなんかやってないと、何かに打ち込んでないと、落ち着かない人間なんだよ。部活をやめてそれがよくわかったよ」


「別にそれが部活でなくてもいいだろ?」


「そうだな、部活でなくてもいいのかもしれない。でも、俺には他のことが見つけられないんだよ。まぁ俺さ、ゴリラだしさ。ウホウホ、なんてな」


 向日斑は笑った。話を誤魔化すように笑った。こんなのは、向日斑の笑顔であってたまるもんか。こいつの笑顔ってのは、子供みたいに笑うもんだ。こんな複雑な気持ちをこめて笑っちゃいけないんだ。純粋に楽しいことに対して笑う。それが、ゴリラである向日斑の笑顔だ。勿論、これは俺の勝手な決めつけだ。

 けれど、駄目なんだよ。

 傲慢かもしれないけれど、そんな向日斑を俺は許せないんだよ。

 

 昼休みの終わりを告げる鐘がなる。

 それと同時に、俺の心の中で戦いの始まりを告げるゴングの音が聞こえた。



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