32 勘違いはラブコメの基本です。
「ふふふふ、お久しぶりですわね。我がライバル冴草契」
金髪お嬢様は頭上に日傘を掲げた後に、振り下ろすように日傘の切っ先を冴草契に向けたのだった。
威風堂々とした台詞は、まるで刃のように冴草契に突き刺さったように思えた。
「我がライバルとか……マジかっけえな……」
俺は思わず見惚れてしまっていた。この台詞にこの動き、男の子ならばだれでも一度は言ってみたいと憧れるものだからだ。実のところ、俺は中学時代に鏡に向かって練習したことがある。その時は、模造刀を片手に持って相手の首筋に切っ先を突きつける感じでやったものだ。
謎の金髪お嬢様が突きつけた日傘の先端は、冴草契に向けられたままぴくりとも動かずに静止していた。
「あの、いつからアンタが私のライバルになったのかな……。身に覚えがないんだけど」
謎の金髪お嬢様のテンションとは正反対に、冴草契はうざったい感じで、突きつけられた日傘を左手で軽く払いのけた。
「あらあら、おとぼけになられるんですの? わたくしは忘れてはおりませんわ。あの道場での戦いを……
。思わぬ油断から不覚を取ってしまいましたけれど、次はそうは行きませんわ。――七桜璃」
謎の金髪お嬢様は手に持っていた日傘を投げ捨てる。すると何処からともなく忍者のように現れた小柄な少年が、その日傘を空中で苦も無く見事にキャッチしてみせると、謎の金髪お嬢様の横に膝をついて頭を下げた。
その少年はイブニングコートに半ズボンという時代錯誤な服装だったが、何の違和感なく似合っていた。パッツンと切りそろえられた前髪が、子供らしさをか持ちだしていたが、実年齢が幾つなのかまるで見当がつかなかった。
「七桜璃、下がっていなさい」
「はいお嬢様」
その言葉を言い終えた時には、すでにその少年の姿はそこにはなかった。
「なんだあれ……忍者か! 忍者なのか!?」
俺は何処に消え去ったのか必至に視線で追いかけるが、何処をどう見ても姿は完全に消えていた。
「ふふふっ、七桜璃は忍者ではありませんわ。わたくし専属の執事ですの」
謎の金髪お嬢様は、得意気に口元に手を添えてお笑いになった。こういう振る舞いこそがTHEお嬢様と呼にふさわしい。
「カッコイイでしょ? あげませんわよ」
「カッコいいし、正直欲しい……」
俺は思わずジュルリと舌なめずりをしてしまっていた。いや、確かにあの少年は美少年ではあったし、そういう趣味が芽生えてもおかしくない容姿をしていたわけだが、それよりも何よりも、忍者というワードに俺は心を惹かれてしまっていたのだ。だって、忍者だよ? カッコイイだろ? 忍者だもん!
「あらあら面白い人ですわね」
俺の人目をはばからない物欲しそうな視線に、謎の金髪お嬢様は興味を抱いてくれたようだ。
「あら、そう言えば貴方にはまだ名乗っておりませんでしたわね。わたくしの名前は金剛院セレスと申します。どうぞお見知りおきを」
ドレスの裾をつまんで持ち上げてると、膝を少し曲げて優雅に俺に向かって小さく頭を下げた。この動きを形容するならばエレガントという言葉以外にありえない。
「金剛院セレス……。名前からするとハーフなのか?」
「そうですわ。わたくしのお父様は日本人、お母様はフランス人ですの」
なるほど、この金髪は地毛だということか。そうだろうそうだろ、こんな見事な金髪が脱色や着色などで作られた紛い物であろうはずがない。まるで宝石のような神々しい光を放っているではないか。
俺はその金髪のきらめきに思わず目を閉じてしまうほどだ。
「あ、そうだ。俺も挨拶しないと……。俺は神住久遠です。日本人です」
俺も貴族的な感じに合わせようと、左手を上にあげては、それを胸元に向かってできるかぎり優雅におろして頭を下げてみた。
「それは見ればわかりますわ。どこからどう見ても庶民的な日本人ですもの」
「そ、そうか?」
確かに、俺は黒髪だし、顔立ちだってごく普通の日本人フェイスだ。さらに、今の俺の服装は薄汚れたジャージというあまりにも情けない格好だった。
目の前にいるTHEお嬢様と見比べてみると、本当に同じ人間なのかと劣等感に蔑まされて、思わず涙目になってしまう。
しかし、そんな涙目の俺を他所に、足音を殺しながら、この場を去ろうとする存在があった。
そう、冴草契だ。
冴草契は抜き足差し足忍び足で、この場からのエスケープを図ろうとしていた。
俺と目が合うと、口元に手をやり『シー』っと声を出さないように指示してきたので……。
「おい、冴草、どこにいくんだよ!」
親切な俺は、格別大きな声で呼び止めてやったのだ。こんなよくわからない状況で一人にされてたまるものか!
「ば、馬鹿っ! そっちが話してる間にこっそり居なくなろうと思ったのに!」
冴草契のこの場からの脱走は、こうして水泡に帰したのだった。
「ふふふ、敵前逃亡とは見苦しいですわよ。このわたくしに恐れをなして逃げるというのですか、冴草契!」
金剛院セレスは、バレエのプリマドンナの様に爪先立ちで立ち、身体を斜めに反らせた状態で謎のポーズを決めた。このポーズに一体何の意味があるのかさっぱりわからなかった。が、優雅であるということだけは伝わってきた。
「なぁ、一体お前とアイツどんな関係なんだよ?」
俺は金剛院セレスに聞かれないように、小声で冴草契に耳打ちする。
「前にわたしの通っている道場に、道場破りに来たのよ……」
「道場破り? この二十一世紀にか?!」
「そう、時代錯誤も甚だしいったらありゃしないってのよ。今みたいにお嬢様って感じのドレスで道場に現れてさ、『たのもー』なんて言っちゃってんのよ? そんな台詞耳にする事があるなんて思わなかったよ。そんで、同じ女だし歳も近いってことで、その時にわたしが相手をする羽目になって……」
「勝っちゃったわけか……」
「まぁそういう事」
冴草契は大きな溜息を一つついた。
「えぇい、そこの二人、何をコソコソお話しになっているんですの! わたくしをのけ者にして内緒話とか、天が許してもこのわたくしが許しませんわよ」
今度は華麗に爪先立ちから三回転のピルエットを決めると、アラベスクのポーズでピシっと止まってみせた。金剛院セレスのバランス感覚と運動神経が並ではないことは伝わってきたが、このポーズに何の意味があるのかは、いまだにさっぱりだ。
「許さないっていってるぞ?」
「頭痛くなってきたわ」
冴草契は頭を抑えてその場にうずくまった。
「あいにく、頭痛薬の持ち合わせはないぞ?」
実は絆創膏や止血テープなどはポケットの中に忍ばせてあるのだ。何故かは察して知るべし。
「うふふふ、わたくしに臆しているのですか? まぁ、この前貴方がわたくしに勝ったのは確実にまぐれですから、それは当然なのかもしれませんけれど。意中の殿方の前でそのような醜態を晒すのはどうかと思いますわよ」
「意中の殿方……」
冴草契は辺りを見回した。が、その言葉が指す人物を見つけられなかったのか、不思議そうな顔をした。
「ねぇ、神住。意中の殿方ってどこにいるの?」
「いや、あれだ、この状況から察するに……俺のことじゃないのか?」
この場に、男子が俺しか居ないのだから、他に選択肢があるとは思えない。
「は? このわたしが、アンタのことを好きだと……そう思われているっての?」
冴草契は、大嫌いなピーマンを目の前に出された子供の様に、顔をしかめて眉間にしわを寄せた。
「そうなるんじゃないのかな……」
「これって、間違いなく最大級の侮辱の言葉だよね?」
「え……。それを俺に聞くのか? なぁ、俺に聞くのか? それ自体が、俺に対する最大級の侮辱の言葉になるわけなんだが」
勿論、俺の言葉など、この女が聴くわけはなかった。
「なんだか、わたしアイツを思いっきりぶっ飛ばしたくなってきた……」
冴草契は闘志に燃えた表情で立ち上がると、両手の指をパキパキと鳴らしては、金剛院セレスの前に歩み寄っていった。
「あらら、流石に愛しの殿方の前ではやる気になるのですわね。先程までいちゃついていらしたものね」
「……先程からってどういうことよ」
「ほら、先刻、お下品にも身体を密着させて」
それは、例の俺と顔が近づきすぎて思わずキスしちゃいそうになっちゃうじゃん事件のことだろう。あの時から、この金剛院セレスは俺と冴草契を観察していたというのだ。まぁ、会話が聞こえてなければ、あの密着体勢は恋人同士がいちゃついているように見えてもおかしくはないのかもしれない。
「そ、その時から見てたってわけなの」
冴草契は湯だったタコのように顔を真赤にさせた。周囲に蒸気すら出ているかもしれない。
「ええそうですわよ。あまりにもお下品な感じなので、立ち入るのは遠慮してましたの」
その言葉はすでに冴草契の耳には届いていなかったかもしれなかった。冴草契は肩を落とした状態で、気でも触れたかのように笑い出していた。
「あは、あはははははは……。ヤバい、神住、わたし今はじめて人をぶっ潰したいって思っちゃってるわ」
笑みを止めた冴草契は、血に飢えた獣のような形相へと変化を遂げていた。目は完全に常軌を逸して血走り、髪の毛は怒りのあまり逆立ちかけ、全身に周囲の大気を震わせるほどのオーラを身にまとっていた。俺を彼氏と間違えられた冴草契は、怒りによってスーパー空手バカ一代女へと変化してしまったのだ。
「あらあら、ぶっ潰されるのはそちらの方でしてよ」
そのオーラに身じろぎするどころか、金剛院セレスはなめらかな動きで手招きして見せると、不敵な笑みを浮かべて受けて立った。
冴草契、金剛院セレス、この二人の背後に龍と虎のオーラが浮かび上がっては、絡みつくように唸り声をあげた。
さて、俺はといえば……。
「帰りたい……今すぐに家に帰ってすべてを忘れてテレビとかネットとかしていたい……」
木の影に隠れて、雨に濡れた捨て猫のようにブルブルと小刻みに身体を振るわせるだけだった。




