31 据え膳食わぬは男の恥とは言うけれど、食えた試しはない。
秘密結社FNPに続き、俺はまたしても意味不明な組織に属してしまったわけだ。
なんだよ、ゴリラを姫に近づけさせない同盟って……。そんな権利がお前にあるのか、向日斑にだって自由意志ってもんがあるんだぞ! 向日斑が桜木さんを好きになったとしても別にいいじゃないか! 正々堂々と正面から冴草契が勝負をして、愛を勝ち取ればいいのだ!
と、言ってやりたかったが、言えばどうなるのか結果は言うまでも無いのでやめておいた。
きっと、この公園にズタボロになった男子高校生が転がるだけなのだ。
俺は我が身が可愛い! すごく可愛い! 超可愛い! だから、ここはあえてこの冴草契の提案に乗っておくのだ。後のことなんて知ったことか。適当に話を合わせてればなんとかなるだろ……多分。
「てきとーてきとー……」
「何ブツブツ言ってんの?」
冴草契は怪しむような眼で、おれの方を見つめていた。
どうやら、俺の心の声が少し漏れてしまっていたようだ。いかんいかん、誤魔化さねば。違和感のないように誤魔化さねば。
「て、てきとー……。敵と戦うには策略を考えなければなーって。うん」
「ああ、あのゴリ斑のことね。あのゴリラってば、戦闘力高そうよね。戦闘民族っぽいし」
みんな大好きだなドラゴン◯ール……。
冴草契は仮想向日斑を眼前に想像して、蹴りを放ってみせた。相変わらず綺麗に伸びきった蹴り足だ。これが生足であるならば、俺も少しは興奮できたかもしれない。が、ジーンズ越しの蹴り足などには微塵も色気を感じることは出来なかった。
「戦うの意味が違うだろ。お前が戦うのは、恋愛的なやつであって、格闘的なやつじゃないだろ」
「え? あぁ、そっちだよね。うん、でもわたしはそっちのほうはよくわかんないんだよね……」
苦笑いを浮かべてすまなさそうにする。原始時代にように、強い奴が好きな人を奪い取れるシステムならば、こいつは大得意だったに違いない。まぁ、だとしてもあの向日斑相手では、腕力でも勝てるかどうかはわからないだろうが。
「ま、そんなこと言っても、当の向日斑が桜木さんに何の興味も持ってないってこともあるんだけどな」
「はぁぁ?」
俺の一言を聞いた冴草契は、鋭い眼光を向けて、俺に向かってツカツカと歩み寄ってきた。
「あんな可愛い姫に何の興味も持たない男がいるわけ無いでしょ! 何いってんの! 馬鹿なの!? 誰だって、あの姫の可憐さに一発KOされるに決まってるでしょ!」
どこぞのヤンキーがメンチを切るように、冴草契は俺の顔に息がかかるくらいに自分の顔を近づけて威嚇をする。実際、俺の顔には冴草契の吐く息がかかっていた。顔に当たる生暖かい感触に、俺は少し興奮を覚えていた。身体も今にも擦れるくらいに接近しているわけなのだが、悲しいかな冴草契の胸が俺の身体に触れることはなかった。きっと、花梨が同じ体勢をとったならば、豊満な胸が俺にあたって幸せな感触をプレゼントしてくれたに違いない。これが格差社会というものか……。
とは言え、胸が当たらないとしても、女性との至近距離での接近は、俺の思考を乱すに充分だった。それがたとえ空手バカ一代女の冴草契だとしてもだ。
「や、やめろ。近い、近いってば」
俺はまるで金縛りにあったように、身体を動かせないでいた。表情も引きつったままで固まってしまっている。これが女性の持つ魔力というやつなのだろうか。もし今、冴草契がほんの少し顔を前に動かせば、俺の唇と冴草契の唇は重なってしまうだろう。いわゆるキスというやつだ。
「近いから何なのよ! そんなことより、姫の魅力がわかってないとか、人としておかしいでしょ!」
冴草契は距離を離そうともせずに言葉を続けた。どうやら、俺を異性としてまるで意識していないようだった。というか、こいつが同性愛者だからなのか? しかし、俺は極々ノーマルだ。この状態を続けていると、相手が冴草契だとしてもついキスしたくなるかもしれない。だって、目の前に山があれば登るように、目の前に唇があるのだから。
「く、唇が当たるだろ! それって、キスなんだぞ」
俺は遂に耐えきれずに、心のなかの言葉を口に出してしまっていた。
「キス? ……」
キスと言う単語に少し考え込んだ仕草を見せたあと、やっと今自分が置かれている体勢に気に気がついたのか、ハッとした顔を見せた冴草契はすぐさま俺との間に距離をとった。その離れ間際に、俺の腹部に掌底を一発プレゼントしていってくれた。
「げふぅ」
俺は腹を抱えるようにして、その場にうずくまった。胃腸から何かが逆流してくる感覚が俺の身体を伝っては、額に冷や汗を流させた。こいつは、確実に胃腸にダメージいってるわ、吐きそうだわ。腹にジャンプでも入れてくれは良かったわ……。
「ば、馬鹿! 神住が変なコト言うからいけないのよ! わたしが悪いんじゃないんだからね! 神住が悪いんだからね!」
周囲に聞こえてしまいそうなほどの大きな声で冴草契は叫んだ。辺りの温度が上がりそうなほど興奮してしまっているようだ。俺と顔を合わせないように背を向けると、唐突に近くの木を相手に、突きの練習を始めだす始末だった。
「もしかして、おまえ照れてるのか?」
苦痛に顔を歪めながらも、俺はなんとか立ち上がる事ができた。きっと、夕飯は喉を通らないかもしれない。
「そ、そんなわけないでしょ! 神住相手だよ? 毒にも薬にもならないならないような神住相手に、照れたりなんかするわけ無いでしょ!! 馬鹿なの?」
罵倒を言うも、絶対にこちらに顔を向けようとはしなかった。突きの速度だけがどんどん増しては、突きを食らっている木が大きく揺れた。こいつ、この木をへし折っちまうんじゃ無いだろうな……。
俺が木の心配をしていた時だ。
そいつは突然現れた。
「おーほほほほ。こんな人気のないところで逢引とは、空手の鬼と呼ばれた冴草契らしからぬ行動ですわね」
俺達のいる場所から二十メートルほど離れた小高い丘の上にそいつは立っていた。それだけの距離でありながら、その女性から発せられる言葉はかすれることなど無く俺の耳に届いた。
しかし『おーほほほほ』と笑う人間を俺生まれて始めてみた。そんなのは漫画の中でしか居ないと思っていたのに……。
しかも、その声の主はその笑い声に見合った存在なのだ。
まるで本物の黄金のような輝きを見せる長い金髪をツインテールにしてまとめている女性は、ひと目でお金を持っていると思わせる豪華絢爛なフリルを多用したドレスを身にまとい、どこぞの王侯貴族が使っていたのかと思うよう日傘をさしていた。これがお嬢様でなければ、一体何をお嬢様と呼べばいいのか、《THEお嬢様》と定冠詞をつけて表現するに値する人物だった。
日傘をクルリと一回転させてみせる所作にも、お嬢様特有の優雅さというものが感じられた。
「冴草、お前の知り合いなのか?」
俺は耳打ちするように、冴草契に尋ねる。
「え? あんな変な人に知り合いなんていないよ」
冴草契は大きく首を左右に振って否定したが、声が些か震えていた。
「だって、お前の名前を呼んでるぞ?」
「……」
冴草契は黙りこんでしまった。
そんなやりとりを交わしている間にも、金髪お嬢様は一歩また一歩と、優雅なおみ足をこちらに向かって進めてくるではないか。なんだろう、接近してくるお嬢様というものは、まるでゴジラのような威圧感があった。
そして、遂に金髪お嬢様は俺と冴草契の前にまでやってきたのだ。




