30 誰にだって乙女な部分はある。
俺は話を聞く姿勢を作るために、上半身を起こして芝生の上に胡座をかいた。
どうも身体のあちらこちらがヒリヒリと痛む。不幸中の幸いというか、冴草契のタックルによるダメージはほとんど無いようで、芝生の上を転がった際に出来たと思われる擦り傷が数カ所ある程度だった。
俺は身体についた芝生や土を払いのけながら、冴草契の方に視線を向けると、凛とした横顔が目に入る。
「わたしと姫はね、幼稚園の頃から一緒だったんだ。いわゆる幼馴染ってやつかな。姫ってばさ、小さい頃からちょっと変わってる感じの子でね。なんかほっとけなかったんだ。だから、わたしはいつでも姫と一緒に居たんだ。その時に、私がつけたニックネームが『姫』だったんだ。だって、ほわほわしてて、浮世離れしてて、不思議な感じがお姫様みたいだなぁって思ったから」
冴草契の視線の先には、遠い過去の桜木姫華の姿が、今まさに見えているかのようだった。ああ、なんて幸せそうに語るのだろうか……。はたして、俺にこんな風に振り返ることが出来る過去があるのだろうか。
「わたしは姫とは正反対に、小さい頃からオテンバでさ。男の子みたいだなんて言われた。でも、気にもしなかった。だって、男の子のほうが姫を守ってあげられるでしょ? 姫を守る騎士、子供ながらにわたしはそんな存在になりたいと思った。だから、強くなるために空手を習いにも行ったんだ。わたしってば、結構筋が良いみたいでさ、姫にもカッコイイーなんて言われて、いい気になったりもしたんだ」
機嫌良さ気に鼻の下を指で擦る仕草をしてみせる冴草契は、まるで少年のように見えた。
「あれは、小学校五年生の時だったかな。姫がわたしにプレゼントをくれたんだ。それが、このヘヤピン」
人差指と中指の二本の指で、頭のヘヤピンを撫でる。
「その時、姫がわたしに言った言葉は、今でもちゃんと覚えている……。『ちーちゃんも、女の子だからかわいくしないと駄目だよー』そう言って、姫はわたしの頭にヘヤピンをつけてくれたんだ。わたしは何故か悲しかった。その時は意味もわからずに悲しかった。だから、泣いてしまったんだ。姫はそんなわたしを見て、オロオロとしちゃってさ。だから、わたしはそこで嘘をついたんだ。泣いているのは、素敵なプレゼントをもらえて嬉しいからだよって……。そしたら姫は『良かった』って胸を撫で下ろしてくれた。本当はね、悲しかったんだよ。わたしは姫にとって、当たり前だけれど女の子なんだよ。騎士でもなんでもなく、女の子なんだ。それを実感しちゃったんだ」
俺は一言も言葉をかけることが出来ないで、ただ冴草契の言葉に耳を傾けるだけだった。ただ、俺の心象風景の中に、知るはずのない冴草契と桜木姫華の子供の頃の姿が、浮かび上がってきていた。
無邪気な二人。無垢な二人。それ故に、知らぬ間にお互いを傷つけてしまう二人。
「それでね、その時にやっと気がついたんだ。自分の気持に……。ああ、わたしは姫のことが大好きなんだって……。それで今に至るってわけ……」
冴草契は天を仰ぎ見る。きっと涙が瞳からこぼれ落ちるのを防ぐために……。重力に導かれるように、涙は瞳の中に水面を作り上げる。きっと汚れのない美しい水面に違いない。
冴草契は頭を左右に大きく振る。水の滴が芝生に振りかかるのが見えた気がした。
冴草契は立ち上がり大きく息を吸い込むと、その息をゆっくりと完全に肺の中から吐き出しきった。そして、俺に向かって深々と頭を下げて会釈をした。
「ふぅ、長い話ご静聴ありがとうございました」
冴草契は迷いのないスッキリとした良い表情を見せた。
ここで、『そうか、色々あったんだな』等と理解したような顔をしてみせるのが良いのだということは頭ではわかっている。けれど、けれどだ、俺の本心は違うのだ。だって、俺は同性を好きになるという気持ちなんてさっぱりわからないからだ。わからないものに、意見など出来るわけがない。だから、俺の今の気持ちはこうだ。
「なぁ、なんで俺にこんな話をしようと思ったんだ?」
「ん? ああ、神住はさ、人畜無害そうだろ? だから、ね?」
「人畜無害って……。それってけなし言葉の一つだって知ってるか?」
「そうなの? 褒め言葉かと思ってた」
嘘だ。こいつは絶対意味がわかって使っているに違いない。今だって、含み笑いを浮かべているじゃないか。
「あれだよ。全部はあのゴリラが事の発端だったんだよ」
冴草契は拳を握りこむ。
「ゴリラっていうと、向日斑の事だな」
「そうそう、そのゴリ斑」
「もう、それでいいわ……」
わざとなのか、アホなのか、こいつは向日斑をキチンと呼ぶ気は無いようだった。
「これって言っていいのかどうかわからないけれど、姫ってわたししか友達がいないんだ」
「ほぉ……」
「ちょっと変わってるし、凄い内向的だし、人見知り凄いんだ。初対面の人相手だと、わたしの後ろに隠れたりするもの。――かわいいよね?」
そんなことを問いかけられても、俺は困ったように苦笑いを浮かべることしか出来ないわけなのだが。
「ってかさ、少し変わってるのはわかるけど、内向的と人見知りには見えないぞ」
事実、俺は初対面からガンガン話しかけられていたはずだ。
「それは神住と電波で繋がってるって思い込んでるからだよ」
「ああ、そういえばそういう設定だったな……」
「設定言うな! 絶対にバレちゃ駄目なんだからね! バレたら姫絶対に泣いちゃうから!!」
「気をつけるよ。それで、それと向日斑がどう関係あるんだよ」
「覚えてないの? 姫は初対面なのに、あのゴリ斑とすごく仲良さそうにしてたじゃない!」
「ああ、そういえばそうだったな」
俺はあの時は、向日斑の妹である花梨と話し込んでいたので、向日斑たちのことはあまり気にもしていなかった。おいおい、花梨のオッパイに気を取られてたとか……その通りだ!!
「普通ならありえないことなんだよ」
確かに、向日斑は誰かれ構わずに仲良くなってしまうタイプだ。けれど、それは同性相手の時だけだと思っていた。
「あれじゃないか。桜木さんって、動物大好きそうだから、向日斑の事を動物みたいに考えて仲良くしてるんじゃ」
「わたしも多分そうだと思う。でもさ、これがきっかけになって、恋に発展したりなんかしたらどうするのよ!」
冴草契は腰の入った正拳突きを中空に放った。風を切るような音が響いた。
「どうすると言われましても……」
「わたしは許さないよ! ゴリ斑と姫が付き合うなんて、絶対に許さない、絶対に! 絶対に! 絶対にィィィ!!」
『絶対に』の言葉を言うたびに、冴草契は正拳突きを放つ。きっと、やつの脳内には向日斑の姿が浮かび上がっていて、それに向かって正拳突きを放っているんだろう。
ああ、ほんの少し前には、いじらしい乙女の様に過去を語る女の子がここに居たような気がするが、今ここに居るのは、空手バカ一代女以外の何ものでもない。
「ふとした疑問なんだが、聞いていいかな?」
「何よ?」
冴草契は正拳突きをやめてこちらを振り向いた。
「もしかするとだ。友達がいないのは、桜木さんだけじゃなくて、お前も何じゃないのか……」
「……」
気不味い時間が流れた。
「ち、違うわよ! わ、わたしはあえて姫以外の人と仲良くしてないないだけなんだから! 本当は作ろうと思えば友達なんてすぐ出来るんだから!」
冴草契はファイティングポーズをとると、寸突きから鈎突きのコンビネーションを決めて、最後に回し蹴りでフィニッシュを決めた。どんだけ動揺しているんだこいつは……。
なるほど……。俺と桜木姫華、冴草契は、出会うべくして出会ったのかもしれない。友達の居ないボッチ三人衆として……。
「そんなことはどうでもいいのよ! それよりも、姫とあのゴリ斑が接近することは何が何でも防がなければいけないのよ!!」
「いや、俺には全く関係ない話なんだが……」
「はぁ? 関係有るよね?」
「いや、ないだろ?」
「……あるよね?」
俺の鼻先に風があたった。それが冴草契の前蹴りによって発生した風だった。
きれいに蹴り足を伸ばした状態で、冴草契は静止したままだ。
「神住ィィ、あるよね? 関係有るよね?」
冴草契は足先を、俺の鼻の頭に数度ポンポンとかすらせてみせる。
「う、うむ。急に関係有るような気がしてきた……」
「良かったー。神住ならきっとそう言ってくれると思っていたよ」
冴草契は足を下ろした。
「じゃ、わたしと神住で、ゴリラを姫に近づけさせない同盟を結成するよ?」
「えぇ〜めんどくせぇ……」
今度は俺の左頬の辺りに風が吹いた。これは、冴草契が飛び後ろ回し蹴りを決めたからに他ならない。
どうやら、俺に拒否権というものは存在しないらしい。
「結成させていただきます」
こうして、ゴリラを姫に近づけさせない同盟が強制的に誕生したのだった……。




