29 気取った言葉も言い回しもいらない。
「それで?」
俺は拍子抜けした。
あれだけ勿体ぶって出た言葉が、なんてことのない事だったからだ。
だって、冴草契が、桜木姫華に好意を持っているなんてことは、誰の目にも明らかで、わざわざ俺をこんな所に呼び出し、勇気を出して告白するようなことだと思えない。
なのに、この空手バカ一代女は、今も顔を伏せたまま身体を震わせているのは何故なのだろう。
「そっか、やっぱり理解できないよね……」
「いやいや、理解も何も、別に友達のことが好きだなんて、ごくごく普通のことだろ?」
「……」
冴草契の身体の震えが一瞬で止まる。そして、まるで彫刻のように微動だにしなくなる。もしかすると、呼吸すら、心臓の鼓動すら止まっているように見えた。
この冴草契の反応に、俺は大きな思い違いをしていたことに気がつかされたのだ。
いや、まさか、そんな、あんなのは漫画の中とかだろ、いや、でも、実際にいないわけでは、とすれば、もしかして、こいつは……。
「冴草……。もしかして、お前は桜木姫華の事を……友達なんかじゃなくて……恋愛対象として好きだっていうのか……」
いやはや、これは突拍子もない俺の間抜けな推論だ。間抜けな推論であって欲しい。だが、この冴草契の反応を見れば、この推論は概ねあっているとしか思いようがないのだ。
「そうよ! 悪い! ねぇ、悪いの!」
冴草契はかを伏せたままの状態で立ち上がると、俺に向かって詰め寄ってくる。
俺はあまりの迫力にたじろいでしまう。
「いや、悪いとかどうとかは……」
「悪いよね! おかしいよね! 変だよね! 頭おかしいよね!」
冴草契が俺に向かって拳を連続で放つ。だが、それはいつもの冴草契の拳ではなかった。まるで力のない幼児が泣きじゃくりながら放つような拳だった。
俺はそれを避けようともせずに身体に受けた。肉体的痛みなど何一つなかった。けれど、心の痛み、冴草契の心の痛みが拳を通して俺に伝わってくるような錯覚を感じた。
冴草契は顔をあげようとはしない。
きっと、泣いているのだろう。その泣き顔を俺に見られたくなど無いのだろう。
それならば、何故こいつは俺にそんな話なんてものをしたのだ。大して仲が良いわけでもない俺になど話さなければ良いだろうに。
「女の子が、女の子のことを愛しちゃうなんて、おかしいことなんだよね?」
冴草契の手が折れの胸ぐらを掴む。力のない女の子の手だ。鼻水をすするような音が俺の耳に入る。冴草契が俺の顔を直視できないように、俺も冴草契の顔を直視することができないでいた。
誰が好き好んで、見せたくないと思っている面なんて、見ようと思うものか。
「どうして、そんなことを俺に言うんだよ。そんな重たいこと俺に聞かせるんだよ! そんな事をなぁ、聞かされる方の身にもなってみろよ!」
俺は胸ぐらを掴む冴草契の手を邪険に払いのけた。
「そっちはな、誰かに話を聞かせればスッキリするとか、そんなのかもしれないけどな。こっちはそうはいかないんだよ! そんな女の傲慢を見せられたくなんて無いんだよ!」
好いている女ならまだしも……。と繋げてしまいそうになったが、俺はそこで静止した。女の傲慢を聞くことが出来るのは、相手に対して好意を抱いている場合のみだ。それ以外は、ただの鬱陶しい重荷でしか無い。きっと、俺は女に対して優しくない嫌な男なのだろう。
冴草契は公園の芝生の上にしゃがみこんでいた。
俺の言葉にも、大きなショックを受けているようだった。
気の利く優しい男ならば『そうか、そんな胸の内を抱えていて辛かったんだね』などと、言葉をかけて抱きしめてやるなんてことをするのかもしれない。残念ながら、俺はそんなことが出来るような男じゃない。
「そうだね。わたしが全部悪いよね。そんなこと聞かされても、困るだけだもんね。何一つ解決なんてしないもんね」
冴草契は虚空を見上げながら、涙を数滴落としながら、かすれるような声でつぶやいた。
その声が、その仕草が、俺の心を苛つかせた。
「えぇい! うっせぇうっせぇ! 楽しいか? 悲劇のヒロインは楽しいのか? なぁ? 俺とお前は知り合って大した日数も経ってないけどな、それでも少しくらいはわかるつもりだぞ。そんな似合わねえキャラはやめちまえ! 弱々しくて、膝を屈して、誰かに助けを乞うような、そんな自分が好きか? そんな自分を愛せるのか? そんな冴草契を桜木姫華は好いてくれるのかよ!!」
ああ、まただ。また俺は暴走してしまっている。これはいい言葉を言っているのではない。暴走しているだけだ。自分に陶酔してしまっているだけだ。気持ちのいい言葉をつなげているだけだ。こんな言葉にきっと意味なんて無い。日常の他愛のない言葉を方が、もっともっと深い意味を持っている。そんな冷静なことを頭の中で考えることができていても、身体はそうはいかない。コントロール出来ない。言葉は止まらない。想いも止まらない。
「五月蝿い! あんたなんて大嫌いよ!」
冴草契は軸足で地面を強く蹴って立ち上がる。そしてなんの迷いもなく全速力で俺の方に向かってくる。
もう顔は伏せられてなどいない。涙と鼻水のついた鬼の形相の女が俺に向かってグングン近づいてくる。
そうだ、それこそが冴草契だ。俺の知っている腕力女で、暴力女で、空手バカ一代女で、殺人マシーン女だ。
こいつのそんなところは、実は嫌いではないのだ。
俺は冴草契のタックルを食らって吹っ飛んだ。
俺の身体がゴロゴロと芝生の上を転がっていくのが何故か客観的に分かった。あれ、魂抜けちゃってんじゃねえの?!
『ああ、ジャージを着てきたかいがあったぜ……』
俺の意識はそのまま遠のいていった。
……。
…………。
俺の目に、青々とした空が写っていた。
身体のあちこちが痛みで悲鳴を上げている。
身体が痛むということは、どうやら俺は天国に来ているわけではないようだ。
自分が今どういう状態になっているのか確認してみる。
うむ、俺は公園の芝生の上に仰向けで寝転がっているようだ。背中を芝生がチクチクと刺しているのを感じられた。
「目が覚めたんだ?」
青いソラ白い雲の次に、俺の視界に映ったのは冴草契の顔だった。
冴草契は俺のすぐ横に体育座りで座っていた。
ああ、そうか。俺はこいつに吹っ飛ばされたんだった。
冴草契の表情は、鬼でもなく、涙でもなく、いつもの状態に戻っていた。
何故か俺は数秒の間、懐かしむように冴草契の顔を見つめてしまった。
「な、何よ! 気持ち悪い!」
冴草契は俺の額を人差し指で弾いた。
「うぎゃ」
思わず声が出るほどに、そのデコピンは破壊力があった。
俺が痛みにのたうち回っているのを、冴草契は面白いおもちゃでも見ているかのように、楽しそうに見ていた。
「あんた、良いリアクションするから好きよ」
「俺も痛いのは嫌いだが、そういうサッパリしたお前の性格は嫌いじゃないぜ」
「あはは、付き合っちゃおうか?」
「遠慮させてもらうわ。寿命が縮むだろうからな」
「こっちこそ、私には好きな人が居るしね」
いいタイミングでの言葉のキャッチボールだと思った。リズミカルで、脳みそなんか使わなくて良くて、心の中の読み合いもしないでいいのは、どんな立派でありがたい言葉よりも、俺には心地よいのだ。
「ね? 今度はちゃんと普通に話すから聞いてもらえるかな?」
「おう」
冴草契はゆっくりと、平静を保ったまま語りだしたのだった。




