28 決戦! そこそこ大きな公園!!
「もう朝か……」
俺はカーテン越しの陽の光に起こされるように、ベッドの上で目を覚ました。
いや、俺は眠ってはいないので、目を覚ましたというのは嘘になるだろう。布団の中に潜り込んで、目を閉じて考え事をしている内に、朝になってしまっていたのだ。
それもこれも、昨日の花梨からの頼み事と、冴草契からのメールのせいだ。
「何であんなこと受けちまったんだろう……」
あんな事とは、花梨からの頼み事のことだ。
冷静になって布団の中で考えてみれば、俺が口を出すようなことではないのではないのかと思えてならなかった。結局のところ、部活に戻るかどうかを決めるのは、向日斑本人だ。もし、向日斑の奴が本心で部活に戻りたいと思っていた場合、俺はどうすればいいのか? 奴の意思など無関係に、花梨の頼みを優先すればいいのか? それで花梨は喜ぶのか? 皆は幸せになれるのか?
柔道部の人の気持ちはどうなのか? 誰だって、部活をやるからには勝ちたいだろう。全国大会とかにも行きたいんだろう。その為に、向日斑の力が必要だと感じているならば、それに頼るのは必然なのかもしれない。それを止める権利が俺にあるのだろうか?
全てを丸く収める方法が果たしてあるんだろうか。あったとしても、俺に見つけられるのだろうか。見つけたとして、俺に実行できるのだろうか。
疑問符だらけの俺の思考は、何一つ回答というものに向かってはいなかった。
考えれば考えるだけ、俺の頭の中がクエスチョンマークで埋まっていくのだ。
兎に角、俺が最初にするべきは、学校に行った時に、向日斑の口から話を聞くことだ。それをしなければ、何も始まらないだろう。
もしかしたら『おい、向日斑、バナナやるから部活に戻るのはやめておけよ』『おう! いいよ! ウホウホ』なんて感じにさっくりと片が付くかもしれない。
「まぁ、世の中そんなに甘くはねえだろうけどな……」
そんな甘い未来予想図が成立するならば、俺なんてとっくに異世界に転生くらいできている。
まぁ、向日斑のことは一旦置いておこう。
それよりも今は、数時間後に迫っている、冴草契との待ち合わせに備えなければならない。
あの後、追伸のメールで待ち合わせ場所と時間が指定された。最初のメールに書かれていなかったのは、アイツが焦っていたからのようだ。
どうして、アイツは俺と二人で会おうなんて考えたのだろう。ツーといえばカーのように、冴草契といえば桜木姫華のはずだ。あいつらは磁石のN極とS極のような存在だと思っていた。
とすれば、冴草契は桜木姫華に知られなくないことを話すつもりなのだろうか?
「めどくせえ……」
正直この一言につきた。
隠し事とか、本当に面倒くさい。俺なんて隠し事なんてなにもないぜ。ってか、隠すべき相手がいないぜ! って、昨日パソコンの中身を全力で隠そうとしていたことを思い出したわけだが……。
男の隠し事は、基本パソコンとスマホの中だ。
さて、女の隠し事は、一体どこにあるんだろうか。
うん、少しばかり俺の好奇心が刺激されてきたぞ。
とは言え、冴草契は躊躇なく暴力に訴えるという、今どき人気の出ないタイプの女性キャラだ。
そんな空手バカ一代女とふたりきりで会うのは、限りなく死地に赴くことと同義だろう。普通ならば女の子とふたりきりで会うのはデートと呼称されるだろうが、アイツの場合は決闘と呼ぶほうがしっくりと来るからな……。
決闘までの時間は後二時間。
俺はシャワーを浴びると、入念に柔軟体操をこなした。身体が柔らかければ、幾らか打撃のダメージを防げるのではないかと考えたからだ。さらに、動きやすい服装としてジャージをチョイスする。待ち合わせ場所は公園なのだから、ジャージ姿で行ったとしても、ランニング途中かな? 位にしか思われないだろう。
全ては俺のため。俺の身体のためだ!
もしものために、財布も置いておこう……。いやいや、流石にカツアゲはされないだろうけれど、それでも念のためだ。もしかすると、桜木姫華がいないと抑えられていたリミッターが解除されて暴力マシーン女へと変化しないとも限らないからな……。
うん、あれだな、俺ってば冴草契って奴を全く信用してないんだな……。仕方ないじゃん、まだ知り合ってそんなに経ってないし、異性だし、殴るし、怖いし……。
てなわけで、圧倒的に好奇心よりも恐怖心のほうが勝ってしまったわけだが、俺は約束を破らずに、公園へと向かったのだ。
だって、約束を破ったらそれこそどうなるかわからないからな!
※※※
自転車にまたがること二十分。俺は待ち合わせの公園へとたどり着いた。
この公園は池などもあり、ボートに乗って遊んだりも出来るそこそこ大きな公園だ。ゴールデンウィークということもあって、子供を連れて遊びに来ている家族もちらほらと目に入った。
無邪気にはしゃぐ子供たちの姿が、俺の目には眩しく見えた。きっと、俺も十年くらい前はあんな感じだったんだろう。
そんな感傷に浸っている時間はそんなにはなかった。急いで待ち合わせの場所へと向かわなければならない。
俺は駐輪場に自転車を止めると、一目散に待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせ場所は、公園の奥まった所にある景観の良くない場所だった。
木々が手入れもされてなく、四方八方に伸びては、周りの視界を遮る形になっていた。
おいおい、こんな場所だと、目撃者もなく殺されちゃいそうじゃんか。
そんな物騒な想像をしていると、俺の視界の端に、冴草契の姿を見つけることが出来た。
俺はまるでロボットのように、ギクシャクと右手と右足を同時に出して、冴草契の待つ場所へと歩いた。
「……遅い」
予想通りの言葉だった。勿論、俺は待ち合わせの時間には遅れていない。むしろ五分前だ。だが、こいつにとって見れば、自分より後に来ればどんな時間にきたとしても『遅い』というカテゴリーに含まれてしまうのだ。本当に傲慢極まりない女だ。
「あ、ごめんなさい」
俺は素直に頭を下げた。
心の中の言葉と、口にだす言葉はきちんと使い分けなければいけない。これは人間が世の中を生きていく上で最も大事なことだ。
「まぁいいけど……」
いいなら、遅いとか言うなよ! と、心の中で呟いておいた。きっと、口に出したら溝落に正拳突きが飛んできていたことだろう。
冴草契は、細身のジーンズにTシャツという前回同様のラフでボーイッシュなスタイルだった。ただなぜかスクウェア型のちょっとお洒落な眼鏡をかけていた。
「あれ? 目悪いんだっけ? 普段コンタクト?」
俺はふと素朴な疑問を口に出してしまっていた。
「……どうでもいいでしょ。悪い? ねぇ悪いの?」
「いや、別に悪くないけど……。そこそこ似合ってるし……」
これは本心だった。空手バカ一代女も、眼鏡という知的アイテムを身につけることで、暴力性が薄れて見えるのだ。それによって、女性らしさがアップしている。
「そ、ありがと」
冴草契は目を合わせもせずに、そっけなく答えた。
髪には、いつもの例のヘヤピンをつけている。これは一番最初に下校と時に出会った時からずっとつけている。余程のお気に入りか、思い出のあるものなのだろうか。とは言え、あまり似合ってはいない。高校生がつけるには、あまりにもデザインが子供っぽいし、ボーイッシュな服装を好む冴草契には、とても不似合いで浮いて見えるのだ。
「あっちにベンチがあるから」
冴草契は俺を少し先にあるベンチを無造作に指さした。
俺はほっと胸を撫で下ろす。ベンチに座るってことは、スタンディングでの殴り合いはないってことになるからだ。まさか、ベンチに座ってからの寝技の応酬なんてことはないだろう。だって、こいつ空手家だし、空手に寝技ないし。
俺と冴草契は長さ三メートルほどのベンチの両端に座った。どこからどうみても、恋人同士の距離ではない。それどころか、知らない人が偶然同じベンチに座っちゃったくらいの距離感である。
ベンチに腰掛けて、無言のまま三分の時間が流れた。
冴草契は何処か遠くを見ているだけで、何も話しかけてはこなかった。
俺はこの沈黙とプレッシャーに耐え切れずに口を開いた。
「なぁ、どうして今日は桜木さん居ないんだ?」
「姫は勉強で忙しいから……」
「そ、そっか、桜木さんは特別進学コースだもんな、ゴールデンウィークも勉強か。大変だな」
「そうよ、姫は大変なのよ」
「……」
また、しばしの沈黙が流れた。
俺は次第に腹が立ち始めてきていた。自分で呼び出しておいて、ずっと無言とかあまりにも失礼ではないか! こちとら暇じゃねえんだ! 暇だけどな! いやいや、暇という時間を怠惰に満喫したかったっていうのに、こんな事に付き合わされてちゃやってらんねぇ。
「あのさぁ、話無いんだったら、俺帰るわ」
俺はベンチから立ち上がると、冴草契の前を通ってそのまま帰ろうとする。
「駄目」
冴草契はまるで子供のように、俺のジャージのズボンの裾を掴んだ。
「おいおい、子供じゃないんだから、駄目の一言ですまされてもさ」
「駄目って言ったら駄目」
更に強く冴草契はジャージを引っ張る。おいおい、伸びちゃうじゃないか。
「怒るぞ!」
俺はジャージを引っ張る手を払いのけると、声を殺し気味に怒声をあげた。
その言葉に冴草契はビクッと身体を震わせる。
「あ、あの……。話聞いてもらいたいけど、どうやって話していいのかわかんない……。話していいのかどうかもわかんない……。話さないほうがいいのかもしれない……」
手を神に祈るように組んで、冴草契は俯向いたまま震えていた。何を怯えることがあるんだろうか、この空手バカ一代女はそこらの男性など軽くぶっ倒せるほどの腕力を持っているというのに。今のこいつは、雨に濡れている捨てられた子犬のように、脆弱な存在に見えた。
冴草契は震える身体のまま、ゆっくりと顔を上げた。視線は伏せたままだ。
そして、ゆっくりと唇を開くと、消え入りそうな声で言ったのだ。
「あのね、わたし……姫のことが好きなんだ」




