22 ゴリラの話はもう懲り懲りだ(ゴリゴリラ)なんつってね!
「あのさ、今日凄い楽しかった――って姫が言ってたよ。あとで電波で伝えるってさ」
「そっか、良かったな」
ところで、お前は楽しくなかったのか? と言葉を続けることはできなかった。冴草契の言葉のトーンが、明らかにダウンしているのが容易にわかったからだ。
「ねぇ……あのゴリラにソックリな人、怒ってたかな?」
なるほど、この暴力空手バカ一代女にも、人としての道徳心というものが一応は存在しているようで、殊勝にもお詫びをしたいという気持ちがあるようだ。
「気にすんなよ、あいつなら怒ったりしないよ。と言っても、俺も知り合ってまだ一ヶ月しか経ってないから、本心がどうかまではわからんけどな」
実際、俺はあいつが怒っているところを見たことがない。ゴリラは優しい生き物だというからそれゆえなのだろうか。
「私なんでいきなり殴りかかっちゃったんだろうね……」
空手バカ一代女とも思えぬションボリ口調だ。余程反省しているに違いない。
「まぁ、野生のゴリラが突然現れたと思っちゃったんだから仕方ないだろ。でもまぁ、普通は逃げるもんだけどな、まさか戦いを挑むとは……冴草らしいと言えばらしいけど」
「は? 何がらしいって!!」
受話器の向こうから、ドスの利いた声と、聞こえるはずのない拳を固める音が聞こえたような気がした。
「いえ、なんでもないです……」
俺は萎縮してみせたが、実はここまでの流れは計算だ。こういう流れに会話を持っていけば、こいつは普段のノリを取り戻すだろうとの算段だったのだ。そして、俺の計算はバッチリあたったようだ。
「あとな、あいつには向日斑文鷹って名前が一応あるから、ゴリラにソックリな人って呼び方はやめておいてやれよ」
「わかった、ゴリラ斑ゴリ鷹さんね、覚えたよ」
「ちげえよ! ほとんどゴリラじゃねえか! 名前の半分以上ゴリラになってるよ!」
「うーんと、名前の三分の一くらいがゴリラだっけ?」
「欠片も名前にゴリラ入ってねえよ! どこの親が自分の息子にゴリラって名前つけるんだよ! ってか、お前は名字からゴリラ入れてんだよ! どんな家系だよ! 一族郎党バナナ大好きでウホウホ言ってるのかよ!」
「え? 言ってないの? ウホウホ言ってないの?」
そこか? ツッコむところはそこなのか?
「言ってるよ! ウホウホ言ってるけど、それはそれで勘弁してやれよ!」
「ホントに言ってるんだ……ウホウホ」
どうやら、ウホウホの部分は冗談で言ったらしく、本当にウホウホ言うことに驚きの色を隠せないようだった。
「ああ、一日三回は言ってるな……。よく考えると、あいつ頭おかしいな……」
「ゴリラだから、ウッキーとかは言わないんだね」
「そうだな、ゴリラはウッキーって言うイメージ無いな……」
ウッキーなどと軽快な鳴き声をするのは、もっと小型のモンキーに違いない。
「やっぱり、バナナも大好きなの?」
「大好きだな、一日二房は食べているな」
「そうなんだ……。ねぇ? いまさら話戻すけど、その人本当はゴリラなんじゃないの?」
「うーん……。少し自信が持てなくなってきた……」
俺は脳内に向日斑の姿を思い浮かべてみる。が、そこに浮かぶのはTシャツにショートパンツのゴリラの姿なのだった。もしかしたら、あいつは本当は人間の知能を身につけて言語を話すゴリラなんではないだろうか。そして、実は向日斑家のペットなのではないだろうか……。そう考えれば、あの妹である花梨と全く容姿が似ても似つかないことに納得がいく。小さい頃から、一緒に兄妹のようにして育ってきたので、兄だと思い込んでいるのかもしれない。
「うわぁ……なんだか怖い想像をしだしてしまっている……」
俺は顔が青ざめていくのを感じた。明日、花梨と遊ぶときに、こんなこと考えだしてしまったら、平静を保てる気がしない……。
「ゴリラなんだ……。やっぱりゴリラなんだね……」
「い、いや待て……。に、人間……のはずだ……多分」
ゴリラなのか人間なのか、それが問題だ。
まぁ待て! どっちらの種族だとしても、向日斑の人間性……ゴリラ性には関係ないはずだ。あいつは、どっちだとしても気の良いさっぱりとした男……雄であることには違いがないのだ。
「それで、そのゴリ斑くんのことなんだけど」
「ああ、もうそれでいい」
俺は面倒なので名前問題はスルーすることにした。
「ゴリ斑くん、もしかして姫のこと……」
そこまで言いかけて言葉が止まる。そして沈黙の時間が流れる。
「あ、やっぱなんでもない」
「おい! そこで止められるとすごく気持ち悪いんですけど!」
「なんでもない! ホントーになんでもないの! ホントのほんとになんでもないから!!」
「さらに、そんだけ否定されると確実になにかあると思えちゃうんですけど!」
「じゃあ、二択ね? これ以上何も聞かないのと、聞き出そうとして全身骨折するのどっちがいい?」
受話器の向こう側から、指をポキポキと鳴らす音が空耳でなく確実に聞こえた……。
「それ選択肢って言わないですよね? 完全に脅しって言うやつですよね? しかも、聞き出そうとしても聞き出せてないですよね? 入院しちゃってますよね? 全治数ヶ月ですよね?」
「即死のほうが良かったの?」
さらりと言ってのけるこいつはやはり空手バカ一代女だ。
「わーった。何も聞かない」
「よろしい」
「でもな、俺に相談しないなら、お前は一体なんのために俺に電話をかけて来たわけ?」
「……」
「まぁいいや、何も聞かないって言ったんだったから。そのことについても聞かねえよ」
「うん……ありがと」
「なんかよくわからんが、元気だせよ」
「ば、バカじゃないの! わ、私は落ちこんでたり、悩んだりなんてしてないんだからね! は、励ましなんて必要ないんだから!」
何このテンプレツンデレ台詞……。受話器越しで相手の顔が見えないから、萌えアニメのツンデレヒロインが言っていると思えば、かなりトキメけるんですけど。
「もう電話切るから! またね!」
こちらのことなどお構いなしに、冴草契は電話をきった。
あいつが何を言いたかったのか、この灰色の脳細胞をもつ名探偵神住久遠にかかれば、ある程度のことは推測がつく。
奴はゴリラこと、向日斑の事を聞き出した。そして、桜木姫華に話をつなげた。つまりだ、やつは向日斑と桜木姫華が繋がることを恐れているのだ。それはなぜか? ――知らん。そんなことは知らん。まぁ野生のゴリラがあいつの姫である桜木姫華を襲わないかと心配しているってところなんだろうか? まぁ、向日斑は優しいゴリラだから、女の子を守ることはあっても襲うことはありえないだろう。どこぞのキングコングのように、女の子を掴んだままエンパイヤーステートビルに登られたらそれはそれで事なんだろうけれども……。
兎に角、電話は終えた俺は、空腹を満たすべく中断されていた食事に戻るのだった。が、そこで俺を待ち構えていたものは……。
「うわぁ、水分が完全に消え失せてる……」
レンジで暖めすぎて干からびてしまったチャーハンだった……。しかも冷めていた。
そう言えば、電話にでるのを焦るあまり、タイマーを適当にセットしたんだった。
俺は半分泣きそうになりながら、ゴリゴリとした食感を楽しむのだった……。
あ、ゴリラの話のあとだけにゴリゴリってね……。
そして、こんな食事はもうコリゴリなんてね!
「はぁ、俺何してんだろ……」




