21 悩みの答えはわかっていてもわかりたくない時がある
家に着いたのは六時を過ぎた頃だった。
「ただいま」
そう言ってみても、誰も返事をしてくれるものは居ない。その言葉がむしろ家の中の静寂を際立たせてくれた。
俺はすぐさまリビングのテレビの電源をつける。テレビの中では、芸人がワイプの中からどうでも良いツッコミを繰り返していた。俺はそのテレビ画面を見ること無く、ソファーに横たわって天井を見上げる。
「なるほどな……」
俺は今自分が一人きりだということを実感したのだ。
ずっと一人で居たならば、それを感じることもなかっただろう。多人数との騒がしい時間を経験したからこそ、いまオレが一人きりであるということが身にしみて実感できてしまっているのだ。
「まぁ、飯でも食うかな」
胃袋が食い物で埋まれば、寂しさも何かしらで埋まるに違いない。きっと、隙間があるのがいけないのだ。
俺は冷蔵庫の中を漁る。が、見事に何も入っていない。ファッキンマザーと言いそうになったが、よく考えて見れば、食材があった所で俺は料理なんてからっきしだ。きっと、母親はそれを考えてあえて食材を残していかなかったに違いない。とすると、俺の求めるものがあるのは冷蔵庫ではなく、冷凍庫にある! 俺は冷凍庫の扉を勢い良く開け放つ。そこには、大量の財宝のように冷凍食品が詰め込まれていた。なるほど、俺の母親は俺の料理スキルをよく理解してくれている。レンジでチンすりゃそこそこのものが食える、なんて良い時代なのだろう。
俺は冷凍のチャーハンと餃子を取り出すと、それらをレンジのターンテーブルの中にぶち込んだ。
ターンテーブルの中で回転するチャーハンを見ている時に、ふと帰りの電車での、冴草契の表情が思い浮かんだ。
「あいつの悩みも、レンジでチンして解決すりゃいいのにな……」
どうやら、人間の心の葛藤ってものは、レンジでチンしてどうになかる代物ではなく、手作り料理のように手間隙かけ無ければ解決できないものらしい。面倒臭いことこの上なしだ。
面倒臭いことには関わらない、それが俺の性分だ。
だから、今日の帰りで俺は何も見なかったし、聞かなかったということにしておく。君子危うきに近寄らずだ。
そんな事を考えているうちにも、チャーハンは完成する。
そして、それに呼応するかのようにメールの着信音が鳴り響いた。
スマホを手に取り画面に目をやると、メールの発信者は向日斑と書かれていた。
『おう、今日はあんな所で会うなんてビックリしたな! それよりも、お前にあんなにかわいい女友達が居ることに驚いたわけなんだが……。なぁ、あれだ、桜木さんたちとは一体どうやって知り合ったんだ? 金か? 金を払ったのか? そういうシステムなのか?』
システムでも金でもねぇよ! と反論のメールを送り返してやりたかったが、知り合った理由を説明すると色々と不都合が出てしまうのでやめておいた。
『ご想像にお任せするわ』
とだけ返信しておく。ゴリラ相手に長文メールのやり取りなんざ願い下げなのだ。
暫くして、さらにメールの着信音が響く。また向日斑からなら、今度はバナナ絵文字だけを百個ほど打ち込んで返してやろうと準備していたのだが、少しだけ違っていた。向日斑は向日斑でも、妹のほうからだったのだ。
『やっほー! 花梨だよー! 初メールだよー! 嬉しい? ねぇ嬉しい?』
なんだこれ、嬉しいかどうか答えないといけないのこれ? そりゃ嬉しいけど、あんだけの美少女からメールが来て嬉しくない男子なんてこの世界に居るわけ無いけれどさ。
『はいはい、嬉しいです、嬉しいです』
文章の頭に『はいはい』とつけると、『ヤレヤレ感』と『仕方なしなんからね感』を演出することが出来る。これは日常会話でもよく使えるテクニックだが、多用しているとツンデレキャラに認定されてしまうので気をつけてるように!
『ぶー! あんま喜んでないみたいで嫌な感じなんですけどー! まぁいっか、それより久遠、明日遊ぼうよー! 待ち合わせは後でまたメールするね』
おいおい、俺の返事を待たずに、明日遊ぶこと決定されてんのかよ。俺が遊ぶのを断るってのは前提にないのか……。いやまぁ、断らないけどさぁ……。それどころか、ヒャッハーって火炎放射器持って辺り一面焼き払いたいくらいにテンション上がっちゃったけどさー!!
しゃあないやん! あんな美少女に遊びに誘われたら、喜んでしまうやん! 断らへんやん! そら、いきなり関西弁にもなるわな! どないやっちゅうねん!
俺は小躍りしたくなる気持ちを抑えきれずに――本当に小躍りしてしまった。リズム? ステップ? そんなの関係ねえ! 適当に自分の気持を素直に身体に乗せて動き回ればそれがダンスなのさッ!
今日母親が居なくてよかった。もしこの世にも滑稽なダンスを見られてしまたならば、俺は半狂乱になり、特大の反抗期を迎えなければならなかったことだろう。こうして、俺の黒歴史のページが一ページ増えてしまうのだ。
俺は相手の気が変わらないうちに急いで返事をしなければと、文面を考えること無く
『了解!』
とだけ、打ち込むと、汗ばみ震える指で送信ボタンを押した。
届いているだろうか? 本当にメールは届いているだろうか? 心配だ、とても心配だ。頑張れ、超頑張れインターネット! 俺の返事をちゃんと届けてくれよ!
『ほい! んじゃ、明日ねー!』
数秒後に返事が来た。
俺のメールはきちんとドコ◯さんのインターネットくんが届けてくれたようだ。が、そのメールの内容には明日どこで何時に待ち合わせるということが記載されてなかった。それは花梨が書き忘れたのか? ドコ◯のインターネットくんがきちんとメールを送りそこねたのか?
俺は、明日のことを詳しく教えてくれとのメールを送ろうとしたが、少し考えてやめておいた。
『明日ねー!』と書かれているのだ。ということは、きっと明日になればわかるのだ。明日わかることを無理に今聴きだすというのは良くないことに違いない。デリカシーに欠けることに違いない。ならば、男は座して明日が来るのを待てば良い。しつこくメールで聞き出そうとしたならば、『うわぁーウザい、やっぱ明日ナシでー』と言われかねない。――ってか、何を俺はドギマギしながら悩んでいるんだ!
そうこうしているうちにホカホカだったチャーハンはすでに冷めきってしまっていた。
俺は肩を落として脱力した状態になり、手に持っていたスマホを無造作にソファーめがけて投げつけた。
なんだなんだ、この俺はたかが女子中学生からのメールに一喜一憂するとか……。女子中学生から遊びに誘われたことがそんなに嬉しいのか俺! そんな事よりも、異世界へのゲートが開いたりしたほうが、確実にときめく筈だったろ!
おかしい、中二病だった俺を否定して高校生活に挑んでいたはずなのに、こんな所で変なプライドのようなものが顔を出しては邪魔をしてくるのは何故だろう。
――実のところ、答えはわかっている。わかっているのだけれど、わかりたくはないのだ。今はそれはわからないことにして、チャーハンを食べよう。全てはお腹が空いているのが悪いってことにしてしまって解決してしまうおう。
俺が冷めきったチャーハンをレンジに入れようとした時に、今度はメールの着信音ではなく、電話の着信音が鳴り響いた。
そう言えば、花梨にはメアドだけでなく電話番号も教えていたんだった。
俺はチャーハンをレンジに放り込んでボタンを押すと、四足獣のように筋繊維を解き放ち猛ダッシュでスマホを拾い電話に出た。
「は、はぁはぁ……神住です!」
「あ、神住? あの、私だけど……」
相手の声は女性だった。だが、それは向日斑花梨ではなく冴草契の声だったのだ。




