182 暑い夏の日。
「なんだ、なんだ、あの車は! 何処ぞのレーサーか!?」
猛スピードで消え去っていく車のテールライトを見つめながら、久遠は少し引きつった笑顔を浮かべた。
そして、車の姿が視界から消えた後、ようやく姫華の姿を目に止めた。
姫華は、襟と袖口にピンクのラインの入った白のワンピースに、コスモスの花の模様をあしらったかわいらしいショルダーバッグを肩にかけていた。
「あ、あはははは……。あれ、お母さんの運転なんです……」
気恥ずかしく笑ってごまかしてみせる姫華だったが、母親に対して、何ら恥じるところはなかった。むしろ誇らしいとすら思えていた。そして、この時『お母さん』と言う言葉が、今まで一番素直に言えたような気がした。娘である自分を一生懸命助けてくれた『お母さん』。きっと、今までも、姫華本人が気がついていないだけで、そんなことはたくさんあったのかもしれない。そう考えると、義理の母の顔が、今までとまるで違って見えてきてしまうから不思議だった。
「すげぇな、お母さん……」
「はい! 凄いお母さんなんですぉ! わたしも今日はじめてそれに気が付きました」
人が多数行き交う駅前で、誰の目を憚ること無く、姫華はジョルダーバックをぶるんぶるん震わせるくらい、一際元気よく言ってみせた。その時の笑顔のあまりの眩しさに、久遠は思わず見惚れてし舞うほどだった。
そして、その言葉の裏に、姫華の悩みであった母親との関係が、上手く回りだしているのだろいうことを察して、少し泣きそうになった。
――おいおい、何だ俺! 勝手に人の家族関係を頭に思い描いて、何勝手に感動してるんだよ! でもまぁ、良かったな……。
久遠は目にゴミが入っちゃったなぁ〜等と、わざとらしいことを言って、涙ぐんでいるのを隠すと、照れ隠しのように、鼻の頭をこすった。
「そんじゃ、行こうか……って、確か行き先は桜木さんが、今日まで秘密って言ってたよね?」
「あ、はい。え、えへへへへっ」
姫華は慌てて笑ってごまかした。
実は……デートに不慣れ、それどころか初デートである姫華は、何処に行って良いのかわからずに、待ち合わせ場所だけは駅前と、無難に決めておいたは良いけれど、お出かけ先まで決めることができないでいたのだ。
電話で『秘密ですよぉ〜』等と意味ありげなことを言って見せのは、ただの時間稼ぎで、秘密どころか、姫華自身場所を決めることが出来たのは昨日というギリギリっぷりだった。
「色々悩んだんですけど、結局わたしの好きな場所にしちゃいました……。もし、神住さんが退屈だったらごめんなさい!」
頭が足にくっつく位に深く頭を下げる姫華を見て、久遠は『身体柔らかいんだなぁ……』等とどうでもいいことを思った。
「まぁ、桜木さんが好きそうな場所なら、きっと俺も楽しめる場所だと思うぜ? それに、なんとなくだけど、想像も付いてるかも?」
「え? え? そうなんですかぁ? わかっちゃいますか?」
「それが当たってるかどうかは、この後のお楽しみにしとくよ」
「うぅぅ、なんか当てられちゃうと、嬉しいような、ちょっぴり残念なような……。複雑な気持ちですよ」
「兎に角、桜木さんのエスコートで、出発するとしますか」
「はい! 出発進行です!」
ハプニングはあったものの、こうして二人のデートはスタートしたのだった。
※※※※
「どうして、探知機にマイクを付けて置かなかったんですの!!」
離れた場所から動向を伺っていたセレスは、楽しげに微笑み合う二人を見て激昂していた。
何を話しているかわからないがゆえに、セレスの頭の中で嫌な妄想が、膨張する宇宙のごとく止めどなく広がっていたのだ。
「デートの会話を盗み聞きするのは……流石にプライバシーの侵害かなぁ〜っと」
里里は変なところにだけ、常識があった。しかし本当に常識があるのならば、探知機などを付けたりなしないので、どこかズレていることは確かだった。
――人間同士の恋愛と言うものは、面倒くさいものですねー。機械ならば自分の思うようにプログラミング出来るのに……。
産まれてから二十数年、里里の愛情は全て機械にのみ注がれており、人間に対するものは皆無だった。ただ、利害関係が些か絡んでいるとはいえ、メイド同士の間で友情めいたものは確かに存在しているし、セレスお嬢様に対する忠誠心も嘘ではなかった。言い換えてしまえば、人に興味が無いのではなく、里里の知的好奇心を揺さぶらない人間には興味が無いのだ。そして、自身すら認める変人である里里の知的好奇心を満たす人間などは、そうそう居るものではなかった。
「かと言って、いくら姿が見えていないとはいえ、これ以上近づくのも……。いえ、セレス落ち着くのよ。きっと、あの二人は何ら他愛のない会話をしているだけに違いありませんわ。『今日は良い天気ですねー』『そうですねー』とか『暑いですねー』『そうですねー』とか『暑いから脱ぎましょうか?』『そうですねー』とか……って、最後はダメですわ! 脱ぐのは禁止! 脱ぐのは禁止ですわあああああああ!」
夏の強烈の日差しのせいか、セレスの思考はオーバーヒート寸前にまで達していた……。