178 勇気。
《怠惰》
神無島から自宅へと帰ってきた久遠の日常を二文字で表すとそれである。
ノートパソコンでどうでもいい情報を仕入れながら、コンシューマゲームのレベル上にいそしみ、ポテトチップスを口に運ぶという作業を、まるでルーチンワークのように日毎こなすといったていたらくぷりを発揮していた。
「まるであの島での出来事が、夢みたいに思えてならないわ……」
こんな怠惰な日常こそが、神住久遠の人生における大部分を占めていたはずだった。インドア派だった自分が、南の島に行ってドラゴンモドキと追っかけっこをしたり、恋のバトルに巻き込まれたり……。今でも自分が夢を見続けているだけなのではないかと、現実を疑ってしまうほどだ。
本当の自分は、昼休みに教室の机に突っ伏したまま寝ていて、ふと目を覚ますと平々凡々な日常がそこにある。桜木姫華も、冴草契も、金剛院セレスも、ただの夢のなかだけの存在で、『なぁんだ、夢か……』なんて事をわざわざ口に出して、少し涙ぐんでみたりなんかする。
「あれ?」
久遠は自分の頬に、一筋の涙が伝っていることに気がついた。
「そうか、失いたくないって感覚はこういうもんなんだなぁ……」
一人になって久遠は気がついた。
あの迷惑極まりない連中が、ハチャメチャで身体がいくつあっても足りない環境が――大好きであることを……。
今もし、異世界の扉が目の前に開いたとしても、久遠はその扉を通って剣と魔法のファンタジー要素あふれる異世界に行こうとはしないだろう。そんなものよりも楽しくてワクワク出来るものを、仲間をみつけtれしまったのだから。
「なんか、一人で家にいるものなんだな……。誰かを誘ってどっかにでも……」
と思ってスマホを手にとって見たもの、よくよく考えると久遠は自分が率先して誰かを誘うということをそいた覚えがまるで無かった。そう、久遠は流れに流されるままにして、今まで人間関係の中に身をおいていたのだ。
「さ、誘うってどうすればいいんだ……。それに誰を誘えば……。そういや、いつもしつこいくらいに誘いをかけてきてたセレスがここ数日大人しいな……」
神無島から帰ってきてからというもの、セレスからの連絡はご無沙汰になっていた。その原因の一つに『電話やメールをするとアレがアレしてアレレレになる病』というわけのわからない設定をセレスに信じこませているからというのがあるのだが、それにしても夏休みとはいえここまで連絡がないことは不思議だった。
「べ、別に女の子を誘って出かける必要とか全然ねえし! む、向日斑のやつでも誘ってゲーセンにでも……」
誰もいない部屋の中で、誰に聴かせるわけでもない言い訳を一際大きな声で言うと、久遠はスマホを手にとって向日斑に電話をかけようとした。
その刹那、スマホの呼び出し音が鳴り響いた。
「お? 誰だ?」
その呼び出し音の相手とは……。
※※※※
時間軸は神無島に帰ってきた当日に遡る。
桜木姫華は自分の家へと帰ると、笑顔で両親に只今の挨拶をかわす。
そのまま笑顔で両親にお土産をわたし、島での出来事を面白おかしく語ったりをした後、笑顔を持続させたまま自室へと戻った。
そして重力に任せるようにベッドに倒れこむと……。
「あぁぁぁぁ、どうしよぉぉぉぉっ!」
貯めこんだ感情を爆発させて、枕に顔を埋めて両足をバタバタとさせたのだった。
この『どうしよう』とは、『久遠に面と向かって告白をしちゃったけれど、この後どうしよう』の意味である。
神無島での経験を経て、自分の気持を素直に相手に伝える事ができるようになった姫華といえども、恋愛話を両親に相談できるほどには成長してはいなかったし、それほどまでフランクなご家庭でもなかった。
ハァハァと呼吸が乱れるまで、一心不乱に足をバタバタさせ続けると、姫華はゴロンと身体を仰向けにすると、ほてった顔を両手で隠しながら、焦点の合わない瞳で天井を見つめていた。
「結局、わたしお返事もらってないよね……」
こうなったら、実力行使で気持ちを確かめてやる!
そしてそれを行うだけの力を姫華は有している。そう、異能の力『有言実行(セイ&ドゥ)』である。この『有言実行』と言うネーミングは、帰り道の間に姫華が勝手に名付けたネーミングであった。
姫華が心の奥底から思い放たれた言葉は、現実へと変化する。
チートと言わんばかりの異能の力だったが、この力を私利私欲のために使おうとは思ってはいなかったし、姫華は使えるような人物でもなかった。
使う時があるとするならば、大事な友だちの命に危険がある時、それくらいの時だと姫華は決めていた。
『だってズルは良くないよ!』
そして、自分自身が不誠実だと思っていることに、この力は作用しない。
ひとまずこの変な力のことはおいておいて、姫華はどうやって久遠から告白の返事をもらおうかと、頭を悩ませるのだった。
「メールで! ……ってダメダメ! やっぱりちゃんと会って目の前で本人から聞かないと……」
とすれば、やらなければいけないことは決まっている。
久遠はデートに誘う! これで決まりなのだ。
「で、で、でぇとぉぉ……」
デートの文字を頭に思い浮かべただけで、またしても姫華はベッドの上を十分ほど転げまわることになった。
――勇気! 勇気を出すんだよ桜木姫華! 勇気を出さなきゃ先には一歩も進めないんだよ! 多分……。
姫華はスマホを取り出して、登録してある久遠の電話番号を呼び出す。そして、その名前をクリックして電話をかけよう……として指が止まる。指先は生まれたての子鹿の足のようにプルプルと震えている。
スマホの画面まで、あと一センチ足らず。そのたったの一センチが姫華にとっては、三蔵法師が天竺までお経を取りに向かう道中並に長い距離に思えてならなかった。
一ミリ、一ミリと、増える指は画面へと近づいていく。そして後三ミリとなったところで……
「だめぇぇぇ!」
と、叫びながら指を引き離すのだった。
そして、こんな状況が数日間続き……両親は時折部屋の中から聞こえる『だめえええええ!』とか「うわぁぁぁぁん!』とか『むりぃぃぃぃ!!』の声に、心配になっては部屋をノックしようとするのだが、思春期の娘には色いろあるに違いない、と勝手に結論づけて介入を断念するのだった。そしてそれはグッドな選択だったと言えた。もし、スマホの画面に指を伸ばしながら、顔を真赤にして絶叫する姿を見られた日には、天照大御神よろしく、姫華は部屋に閉じこもってしまうことになっただろうから……。
こうして、事なかれ主義の両親のおかげで、引きこもりになるのを免れた姫華だったが、事は何ら好転してはいなかった。
しかし、ハプニングというものは起こりうるもので……。
いつもの様に指をプルプルさせて、久遠の番号をクリックしようとして早めと繰り返している時に……
「ハックションッッ」
思わず出てしまったくしゃみ。そしてその拍子に何時もならば三ミリ直前で止まるはずの指は、見事に久遠の番号に到達しており、姫華のスマホはコールを始めたのだった。
「えぇぇぇぇぇ1 こ、心の準備がまだだよぉぉぉぉ!」
そんな姫華の心の準備など知る由もなく、無情にも電波は久遠のスマホへと届けられる。
「こ、こうなったら、勇気! そう勇気だよ!!」
胸の高鳴りを必死に抑えながら、姫華は心の中で何度も勇気の言葉を連呼するのだった。