177 バカンスの終わり。
「しかし、色々酷い目にも合わされたが、思い出もいっぱいできた島だったな……」
久遠はクルーザーのデッキで潮風を頬に受けながら、段々と小さくなっていく神無島を見つめては感慨にふけっていた。
あの後、テントの外でバトルを繰り広げていた花梨と花咲里は、ブチ切れモードに突入した向日斑に猫のように首根っこをひっ捕まえられては、正座をさせられ説教を食らうというオチに至っていた。
久遠とセレスはというと、あの後二人共何だか恥ずかしくなってしまい、頬を赤らめたままこれといった言葉を交わすこともなく、お互いのテントに戻ったのだった。
こうして朝を迎えた一行は、迎えにやってきた金剛院家のクルーザーに乗り込んで、一路帰路へと向かっているところだった。
「ちーちゃん、いまトビウオがはねたよ!」
姫華はキラキラと煌く水面を指差して、トビウオをまねするようにぴょんぴょんと跳ねてる。
「姫そんなことしてると転ぶよ?」
契は(ちぎり)は子供を見守る保護者のように気が気ではならなかった。
「もぉ、そんなドジじゃないよぉ〜」
何てことを言い放って、ひときわ大きく飛び跳ねた刹那、お約束のようにバランスを崩して点灯しかけてしまう。そこをまるで王子様のように契は優しくキャッチしてみせた。
「だから言わんこっちゃない……」
「失敗失敗〜」
久遠はそんなやり取りをしている二人を遠目で見て、姫華の勇気を出しての告白という大イベントがあっても、姫華と契の関係は変わるがなかったことに、ホッと安堵の息をついた。
そして。次は自分が答えを出さなければならない時だと、心に強く言い聞かした。
恋や愛という感情は、未だによくわかっては居なかったが、それでも一緒にいて欲しいと思う人が誰であるのか、久遠の心の中でそれは確固たる形が出来つつあったのだ。
「珍しく難しそうな顔をしていらっしゃいますわね」
スッと久遠の横に寄り添ってきたのはセレスだった。
セレスはいつの間にかこのポジションを完全に定位置に収めてしまっている様子だった。
「俺だって、たまには考え事くらいするさ」
「あらあらあら、どんな考え事なのか興味ありますわね」
クルッと華麗にターンを一回転決めて、久遠の前方に回りこんだセレスは、いたずらっぽく久遠の顔を覗む。一見クールに決まったかのように見えたが、セレスの金髪ツインテールが犬の尻尾のように上下に激しく動いていて、それを台無しにしていた。
セレスの金髪ツインテールはまさに犬の尻尾と同じで、機嫌が良いと激しく動いたりするのだ。その原理に関しては今だ謎に包まれている……。
「秘密だ! 秘密!!」
思いの外セレスの顔が近かったために、久遠は慌ててソッポを向いた。
「少しくらい秘密があるほうが魅力的とか言いますけれど……。秘密は少しにしてほしいものですわね」
セレスは人差し指を顎に当てて、ちょっぴり不満顔だった。
「そ、そのうち教える……。絶対に教えてやるから……」
顔を背けたまま、久遠はこれでもかというほどにぶっきらぼうに答えた。
「あらあらあら、約束ですわよ?」
「ああ」
やり取りを終えると、セレスは自分の定位置と言わんばかりに、またしても久遠の横にひっつくと、二人で水面を眺めるのだった。
※※※※
「アンタは空をとべるんだから、船に乗らなくてもいいでしょ!!」
「異能の力を使うのにも体力がいるんだよ。どうして船があるのにわざわざ飛ばなきゃいけないのさ」
「そんなこと言って、お兄ちゃんと一緒にいたいだけなんでしょ!!」
「その通りですけど、何か?」
「きぃぃぃぃ! この泥棒猫!」
オッパイ娘と、着物娘が相も変わらぬ様相を見せていた。
そんなデッキ上で醜くいがみ合う二人を見て、向日斑はマリアナ海溝よりも深い溜息をつき続けていた。
普通にモテているということならば、喜ばしいことであるのだろうが、そのうちの相手の一人は実の妹であり、もう一人は少し前まで命を狙ってきた相手なのである。これを手放しでモテ期だと喜んでいいものなのだろうかと、向日斑は頭を抱えるのだった。
「はぁ〜。七桜璃さんとはいつ会えるのだろうか……。ゴッホゴッホ……」
向日斑は地平線の先に、見ることの出来ない七桜璃の姿を思い浮かべるのだった。
※※※※
「うーん……。うーん……。何かを忘れているような気がしてならないんですけど……」
禍神真宙は腕を組んで唸り声をあげていた。
今朝目が冷めてから、何かを忘れているような気がしてならなかったのだが、クルーザーの出発に急かされて、それが何であるか思いつく前に船に乗り込んでしまっていた。
――何か忘れ物をしてきたようなきがするんですけれど……。
そうなのだ。確か自分の横には、半裸で『あーっはっはっは!!』と笑い声を上げる存在が居たような気がしてたのだが、今日は朝から『あーっはっはっは!!』の声を一度も聞いていない。
「あっ! そうだ!」
真宙は手をパンと鳴らした。
大きな大きな忘れ物を思い出したのだ。
しかし、時既に遅く神無島の姿は完全に視界から消え、周りに見えるのは海だけとなってしまっていた。
マスターニンジャであり、超越した執事能力を持つ禍神真宙が、こんなイージーミスをおかすのか? とお思いの方も居るだろう。
誰だって、心の奥底では居てほしくないと願っていた人物が居なくなっていたならば、あえて見て見ぬふりをしてしまうことだってあるのだ……。
「うん。忍法でもこの距離も戻るのはアレだし……。後でお迎えに上がりますから、少しだけ我慢していてくださいね蛇紋様……」
と、神妙な口ぶりで言って見せるものの、真宙の表情は憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとしていたのだった。
※※※※
「あーっはっはっは!! ここはどこだァァァァァァァ!」
ふんどし一丁姿の蛇紋神羅は、フラフラになりながらジャングルの奥地をさまよい歩いていた。途中幾度と無くモンスターと遭遇をしたものの、命からがら生きながらえることに成功していた。
今やボロボロとなったふんどしは、いつ中の具材がポロリしてもおかしくない状況に陥っていた……。
「禍神ィィィィィ! 俺を助けろおおおお! 百万円あげるからァァァァァァァ!!」
そんな神羅の嘆願も、遥か彼方のクルーザーの上で、一人を満喫している真宙には届き用もないのだった。
※※※※
こうして、長いようで短かった島でのバカンスが終了した。
我が家へと帰り着いた久遠はと言うと……。
「よし! これこそが俺の夏休みだ!!」
クーラーをガンガンにかけた部屋にこもりきって、ネットとゲームに興じる日々をスタートさせていたのだった。