174 バーベキュー。
「いやぁ、あれだろ? こう夜空を見上げながらの夕食ってのも良いもんだろ?」
青江虎道は水着の上にパーカーを羽織った状態で、バーベキューの串を両手に一本ずつ持ちながら、ガッハッハと男らしく笑ってみせた。
通常ならば別荘で取るべきだったはずの夕食は、虎道の鉄拳乱れ打ちでキッチンもろとも崩れ去ってしまったために、急遽ビーチでのバーベーキューと相成ったのだ。
どうやら虎道には罪悪感というものが存在していないようで、そんなものそっちのけで食欲のみが大暴れをしているご様子だった。
「女はこええな……」
久遠は今日一日女の恐ろしい部分を大量に目の当たりにしたような気がした。
――女というものは男なんかよりも、よっぽど戦闘民族なのではないだろうか……。
久遠はビーチに設置されたキャンプファイヤーの近くに腰を下ろして、揺らめく火を見ながら軽く物思いにふけっていた。
「全く虎道ってば、困ったものですわ。ねぇ神住様?」
セレスは久遠の横にちょこんと、わざとらしくツインテールの髪を軽く掻き揚げてみせた。髪の毛からは甘い香りが漂ってきては、久遠の心を魅了してみせる。
「お、おう。そ、そうだな」
久遠は少し照れて鼻の頭を人差し指でコリコリと掻きながら、火があたったせいで顔がほてってしまった体を装いながら、顔をセレストは反対方向に背けた。
だが逃しはしまいと、セレスは強引に自分の身体を久遠の身体へと密着させる。久遠の身体にセレスの身体からの熱が伝わっては、さらに頬を上気させた。
「なにやってるんですかぁ〜? わたしもまぜてくださいねぇ〜」
背後からの姫華の声に驚いて、久遠は体育座りのままぴょんと垂直に飛び跳ねると、セレス都の間に距離を開けた。
「よいしょっと」
姫華はお尻を隠すようにして手を添えながら、セレスに負けまいと久遠の隣りに座ってみせる。
すなわち、久遠は両隣に女の子をはべらす形になったのだ。
おいおいハーレムじゃねえかよ! と喜ぶべきところなのかもしれないが、今の久遠は針のむしろ状態と言って良かった。この二人の可愛らしい女子は、どちらも圧倒的に男子である久遠より強いのだ! セレスには経済的と体力的において圧倒され、姫華には目覚めた異能の力で圧倒される。久遠はまるで良いとこ無しと言った有様だった。
「そういえば、結局勝負は有耶無耶になってしまいましたわね。あのまま続けていましたならば、わたくしに勝ちに決まっていましたけれど」
「えへへへっ、それはどうですかねぇ〜。わたしだって負けてないと思いますよぉ〜」
一見笑顔を交えた会話ではあったが、見えない苛烈な火花が久遠を挟んで飛び交っていた。
「い、いやぁ、夜、夜空が綺麗だなぁ〜」
久遠ははぐらかすように二人から視線を外して、満天の星空に視線を向けるのだった。
そして、こちらキャンプファイヤーから少し離れた場所のバーベーキューコンロの前でも、ある意味ハーレムが展開されていた。
「ほらほら、バナナだけじゃなくて、お肉も食べなきゃダメだぞ!」
「わ、わかってる! わかってるから、ちょ、ちょっと離れてくれ!」
「そうだよ! 何お兄ちゃんにひっついてるの! 馬鹿、馬鹿、バーカッッ!」
そこには一匹のゴリラを取り合う二人の女性の姿があったのだ。
「ほらほら、あ〜ん!」
お肉を箸で掴み取って、向日斑の口へと持って行こうとしているのは、ビーチには不似合いな着物姿の花咲里だった。
「そういうのは、可愛い妹のわたしの仕事なのっ1」
そして、その箸を自分の箸で空中で防ぎ止めるのは花梨だった。
「ってか! ちょっと前まで敵だったのに、何で急に態度変えちゃってるんだよ!」
「うふふふふ、恋っていうの前触れもなく落ちてくる稲妻のようなものなんだよ! ボクはゴリラくんの恋の稲妻に撃たれて参ってしまったのさ〜」
花咲里はミュージカルの舞台を演じているかのように自分に酔いしれながら、歌うように台詞をしゃべっていた。星明かりに照らされて、砂浜を着物姿で舞う花咲里の姿に、向日斑は思わず見とれてしまい鼻の下を伸ばしていた。しかし、この女性はそっくりではあるものの、七桜璃ではない事を、強く心の中に言い聞かすと、邪念を追い出すように頭を左右に強く降った。
「ほらほら、それにゴリラくんはこの顔が好きなんだろ? この身体が好きなんだろ? 七桜璃とボクは双子なんだから、ボクのことを好きになっても全然おかしくないじゃないか? ねぇ、ボクのことを好きになってしまえばいいじゃない」
花咲里は向日斑の耳元で甘く囁いくと、その手を顎の下へと持っていく。そして犬や猫をあやすように、優しく顎の下を指で撫でてみせた。
「ウ、ウホホッ」
思わず向日斑の口から、快楽に溺れた声が漏れる。
「何やってんのさっ! お兄ちゃんは花梨のなんだからねっ!」
花梨は向日斑の首に手を回すと、そのまま引っ張るようにして花咲里から遠ざける。
「く、苦しい……」
見事に花梨の腕は向日斑の気管を圧迫しているようで、見る見るうちに向日斑の顔は青ざめていくのだが、当の花梨はまるで気がついていないのだった……。
「あーっはっはっはっはっは! 何だかわからんが、海はいいな! そして、それ以上にこのフンドシというものは良いな!」
蛇紋神羅は、波打ち際で両足を並に翻弄されながら、仁王立ちで海を見つめていた。赤フンを浜風になびかせながら……。
「そうですね、海は良いものです」
少し下がった場所で控えている真宙も、何処までも続く海を見つめていた。
――本当にこの海といい、世の中というものは予想もつかないくらいに広い。まさか、あれほどの使い手がいようとは……。もしかすると、あれが先代から聞かされていた、真祖と呼ばれる……。
と、真宙が物思いにふけっていた時。
「あーっはっはっはっはっは! 禍神よ! 並に足を取られたぞおおおおおお! 助けろおおおおおおおお!」
突如として、神羅の虚勢と悲鳴の交じり合った声が鼓膜に響いた。
「え?」
先程まで居たはずの神羅の姿はそこに無く、波にさらわれて沖へと流されていってしまっていたのだった。
「ま、待っていて下さい! 今助けに参ります!」
数分後、全身海藻まみれになった神羅が、いつもの高笑いをしながら、口から海水を吐き出す姿がそこにあった。
さらに、みんなから離れた場所で一人海を見つめる女性が。
「……」
冴草契は、言葉もなく海を見つめていた。
いつもならば、姫〜! などと言いながら姫華にひっついてるはずなのに、契はあえて姫華から距離をとるようにしていた。
自分がいつもの様にそばにいれば、やっと気持を相手に正直に伝えられるようになった姫華を、また元に戻してしまうのではないか? そんな風に思ってしまっていたのだった。
――もう姫はわたしが居なくても、大丈夫なんだ……。ううん、むしろ姫がいないとダメだったのは、わたしの方だったんだ……。
小さな滴が頬を伝って行くのを契は感じた。
それがなんであるのかわかってはいたけれど、認めたくなど無かった。
自分がこれほどまでに、もろくて弱い存在であるということを、認めたくなかったのだ。
契は否定するように、涙のしずくを顔がこすれるくらいに強く拭き取ると、海に向かって大きな声で叫んだ。言葉にならない声は、海に吸収されて溶けていくようだった。
「ちーちゃん! こんな所で一人でいないで、みんなでバーベキュー食べよっ」
「姫!」
振り返ると、そこにはバーベキューの串を手にした姫華が居た。笑っていた。
「でも、姫は……神住のところに居ないと……」
「何言ってるのちーちゃん! 神住さんは大好きだけど、ちーちゃんも神住さんと同じくらい大好きなんだからねっ」
「……」
契は言葉が出てこなかった。出てきたのは嗚咽だった。
「ど、どーしたのちーちゃん? 大丈夫?」
姫華は契の変貌ぶりに、バーベキューの串を持ったまま右へ左へとジタバタと大慌て状態へと落ちいった。
それを見て契は、ポンと軽く姫華の方を叩くと
「うん、大丈夫。これは嬉しいから、嬉しいからのやつだから大丈夫だよ!」
と、満面の笑顔で微笑んでみせた。
「ホントに?」
心配そうに姫華が契の顔を覗き込む。
「うん、ホントにホントにホントだよ」
そう言って、契は姫華が手に持っていたバーベキューの串を手に取ると、それを口に頬張った。
「美味しいね」
「うん! みんなで食べるともっと美味しいよ!」
「だね。行こうか」
「うん!」
二人はバーベキューの串を持っていない方の手を繋ぐと、みんなの元へと駈け出したのだった。




