166 勝負開始間際。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、久遠のまぶたを刺激する。
軽く痙攣するようにまぶたを震わせると、久遠は大きなあくびを一つして、ベッドの中で目を覚ます。
そして……
「なぁ〜んだ夢かぁ〜」
と、とぼけたように言ってみた。
そう言ってみれば、本当に夢になってくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いたからだ。しかし現実は非情にも淡い夢をぶち壊してくれる。
今日は快晴良い天気。
だが、久遠の胸の内は土砂降りの雨どころか、暴風雨の吹き荒れる嵐状態だった……。
※※※※
「わたし頑張るからね、ちーちゃん!」
姫華は朝も早くから、自室で屈伸運動やらアキレス腱伸ばしなどの柔軟運動に余念がなかった。
「う、うん……」
契の表情は曇りに曇っていた。
勝負することになったまでは良かったが、まさか勝負方法がガチンコバトルになろうとは、流石の契も予想外だったのだ。もしあの時契が立ったまま気絶などしていなければ、こんな勝負を姫華に受けさせることはなかっただろう。
――どう贔屓目に見ても、姫が勝てる要素はこれっぽっちもないよ……。あのセレスはアホだけれど、格闘技のセンスは天才的なんだから……。
そんな契の心配を他所に、姫華はぶら下がっている電気の紐を相手にシャドーボクシングを始めていた。
「ていっ! ていっていっ!」
揺らぐ紐にすら、姫華は圧倒されてふにゃふにゃとした拳を当てることすらできないでいる。そして、そのそのあまりのへっぴり腰を見て、契は頭を抱えるのだった。
「ねぇ、姫」
「なぁに、ちーちゃん」
話しかけられても姫華を手を止めること無く、へっぴり腰シャドーボクシングを続けている。
「勝負をするにしても、もう少し別の方法を考えたほうが……」
「大丈夫! わたし絶対に負けないからっ!」
姫華はVサインをしてみせる。
その根拠の無い自信にあふれる姫華に対して、契は感心して良いやら、呆れて良いやらわからないでいた。
ただひとつわかっていることは、恋心がこれほどまでに大きく人を変えてしまうということだけだった。
気弱で、自分の気持を外に出せないでいた姫華はもうここにはいない。
自分の望みのために、それを実現するために頑張る姫華がここにいた。
もう、契だけに胸の内を話してくれる、契にだけ心をひらいてくれる姫華は何処にもいないのだ。
それは喜ぶきことに違いないのだけれど、契は今寂しさを強く感じてしまっていた。
――とは言え、恋愛って戦って奪い合うものなの? そういうものだっけ? それってどこのバトル漫画よ! 姫、キャラ変わりすぎでしょ!
と、ツッコミを入れたかったのだが、ここまでやる気になっている姫華に向かってそんなセリフを吐くことは出来ない契なのだった。
※※※※
「お嬢様、よろしいのですか?」
「何がです赤炎」
セレスは優雅に朝のティータイムを満喫していた。
「勝負の方法についてでございます」
「ふん、あの泥棒猫は戦いに負けかけた所で、神住様の助けが入るなどと思っているに違いありませんわ。神住様はお優しい人ですもの……。しかし、勝負の世界は非情! 勝つか負けるかしかありませんのよ!!」
そこまで言ってみたものの、セレスは口をつけていたティーカップをテーブルに置いて一考に入った。
一方的に相手をなぶるような戦いでは、むしろ勝負に勝ったほうが神住様から悪印象をもたれるだけではないのか? そしてむしろそれが相手の作戦なのではないのか?
とするならば、打撃で相手を屈服させるのではなく、動きを封じて参ったと言わせるのが得策。つまりはサブミッション。
「少しばかり、戦い方を考える余地がありそうですわね……」
百獣の王ライオンは、ウサギを仕留めるときにも全力を尽くすという。金剛院セレスも、この愛のかかった戦いに慢心すること無く挑むのだった。
※※※※
そして、勝負の時はやってきた。
照りつける日差しにビーチの砂がジリジリと焦がされていく。
中央に水着姿の姫華とセレスが対峙し、向日斑、花梨、契は先日同様水着姿で、そして神羅は先日からお気入りのふんどし一丁姿、そして真宙はショートパンツにパーカーで二人の様子を片付を飲んで見守っていた。
そして、この勝負の商品である久遠は……。
「何でこんな目に合わされなきゃならねえんだよ!!」
特設された実況テーブルに、全身贈り物用リボンに巻かれた状態で置かれていたのだった。勿論水着姿でである。
「商品は暴れないでいただけるでしょうか?」
実況席の赤炎東子が、注射器を片手に久遠に向けて優しく微笑みかける。その微笑みを素直にとれるほど、久遠は馬鹿でなかった。
即座に口を閉じると、背筋を伸ばして姿勢を正すのだった。
「うん、何がどうしてこうなったんだ?」
一応空気を読んでそれっぽい雰囲気を演出していたゴリラもとい向日斑が、遂に黙っていられずに口を開いた。
「よくわかんないけど、愛をかけた勝負らしいよ?」
どうやら事の成り行きは全員には説明されていないようで、わけのわからないうちに引っ張りだされている始末だった。
「そうか、愛をかけた勝負なら仕方ないな」
勿論何が仕方ないのか向日斑にわかろうはずもなかった。
「うーむ、このフンドシは素晴らしいな! 下着だけでなく水着としても違和感ないとは……見事! あっぱれである!」
神羅は先日からフンドシをいたくお気に入りで、今日は赤色のフンドシを浜風になびかせの仁王立ちポーズを決めている。
キュッと締められたフンドシからこぼれるお尻が犯罪じみているように思えたが、真宙は敢えてそこから目をそらして、ニッコリ笑顔で対応していた。
「姫……頑張れ! でも、無理は駄目だよ……」
代われるものならば、契が代わりにセレスと戦ってあげたかった。しかし、それでは意味がないのだ。
契の心配そうな表情を察してか、姫華は『大丈夫だよ』と一文字一文字をゆっくり口の形で知らせてみせる。
それを見て、契はホッと安堵の息をつく。
一方セレスはまるでモダンバレエの演者のように、股をペタンと開いて柔軟運動をしていた。そのしなやかな身体の動きは一般人のものとは一線を画していた。
二人の準備は終え、遂に久遠をかけた勝負が始まる時がやってきたのだ……。




