156 記憶復活!
二人の少女を両肩に、そして背中にバナナをしこたま詰め込んだリュックを背負って、向日斑が姿を現す。
だが、記憶を失ったままの久遠と契には、ただの人間によく似たゴリラにしか見えなかった。
「美女と野獣……」
二人が口を揃えて言った刹那。
もう一匹のドラゴンが、手裏剣を喰らったドラゴンの敵を討つかのように、首を円を描くように大きく振って威嚇をしてみせると、二本の腕の先についた鉤爪で二人に襲いかかった。
「おいたはいけませんぞ」
両手を後ろで汲んだ執事服姿のブラッドは、小指一つで眼前に迫り来るドラゴンの爪先を弾き飛ばすと、ヒョイとドラゴンの鼻の高さまで軽々と飛翔。そして顎を蹴り上げたのだった。蹴り上げらたドラゴンは、地響きを立ててその場に倒れこんだまま動かなくなった。
姫華が、向日斑の肩の上から、ドラゴンを心配そうな目で見つめる。
ブラッドは、それに気がついたのか、カイゼル髭に先を整えながら、ニッコリと微笑んでみせると
「大丈夫ですよ。気を失っているだけですから。動物には罪はありませんからね」
姫華を安心させるのだった。
もう一匹のドラゴンは、七桜璃の手裏剣があまりに痛かったのか、逃げるようにその場から退散していった。
退散していったのは、ドラゴンだけではなかった。
向日斑の気配を感じ取った七桜璃は、忍者のようにドロンと煙のように姿を消したのだった。
「クンクンクン……。七桜璃さんの匂いが微かにするような気がするんだが……」
さすが野生児向日斑である。もう少し七桜璃の撤退が遅れていれば、四本足でその場に駆けつけては、熱い抱擁からペロペロの連続技に突入したに違いない。
「さて……神住様! 何がどうなっているのか説明していただきましょうか?」
セレスが水着姿の身体を押し付けるようにして久遠に詰め寄る。
胸の先端部分が、久遠の身体に触れて、ほんの少しだけれど柔らかい感触を感じることが出来た。
「いや、あのその……」
久遠は混乱していた。
突然あらわれて、命を助けてもらったことには感謝しているが、一体誰が誰なのかサッパリ思い出すことが出来ないのだ。
それは契も同じようだった。ただ、姫華と呼ばれている女性を見ると、胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。
「まぁまぁ、そんなことより、一件落着したんだからバナナを食べようぜ!」
事が落ちついたと見ると、向日斑はいそいそと背中のリュックサックからバナナを取り出してむさぼり始めた。
アッという間に二本のバナナを食べ終えた向日斑は、無造作にそのバナナの皮を地面に投げ捨てた。
その時ミラクルが起きたのだ!
問いつめられている久遠と契は、そのバナナの皮を、本当に偶然にも踏みつけてしまったのだ。
さぁ、バナナの皮を踏むとどうなる?
それは人類史以前から定められた行動を取ることになるのだ。それはもはや呪いと言っても過言ではない。
そう……
転ばなければならないのだ!
「うわぁっ!」
二人はご多分にももれずに、バナナの皮を踏んだ瞬間スッテンコロリンとその場で転倒した。
そして、その場でしこたま頭を打ち付けて……。
「思い出した! 全部思い出したぞ!」
「はっ!? わ、わたし……思い出したわ!」
ちゃんちゃん、めでたしめでたし!
なのである。
「なんなんですの! 何が思い出したなんですの! 説明してくださいまし!」
「セレス! それはあれだ……。アレがアレでアレがアレなんだよ……」
「アレってなんですの!」
もっともな疑問だった。
そしていつもの如く、久遠は『アレ』の意味など考えてはいない。
こうして暫くの間、セレスと久遠の不毛な問答が続くのだが、セレスのアホさ加減も相なって、なんとか言い逃れをすることに成功するのだった。
「ちーちゃん! ちーちゃん! ちーちゃん!」
姫華は契の元へ駆け寄ると、有無をいわさずに力いっぱいに抱きしめた。
指先が身体の肉を掴みとるくらいに、強く強く、姫華は契の身体の感触を確かめたのだ。
「姫……。心配かけてごめんね……」
姫華に与えられている痛みが、暖かさが、これほどまでに嬉しいものなのかと、契は自然と涙をこぼしていた。
「もぉ! もぉ! もぉぉぉ! 牛さんになってもいいくらい、もぉって言うんだからっ! もぉ、こんなの絶対に駄目なんだからねっ!」
「うん……」
二人は目を見つめ合う。そして、一心不乱にもう一度お互いの身体の感触を確かめ合うのだった。
「お兄ちゃん、あれだね、友情っていいね!」
花梨はいまだに向日斑の肩の上に乗ったままだった。どうやらこのポジションがお気に入りになったらしい。
「そうだな、しかもどうやらお兄ちゃんのバナナのおかげで一件落着したみたいだな」
少し誇らしげに、向日斑は胸を張ってみせる。
「えへへっ、お兄ちゃんのバナナで一件落着ってなんかエロいね!」
花梨は口元に手をやり、ププッと軽く吹き出してみせた。
「お、おい! 女の子がそんなことを言うもんじゃない!」
何を想像したのか、向日斑はお猿のお尻のように、顔を真赤にさせてしまう。
「てへっ」
いたずらっぽく微笑む花梨は、意味もなく向日斑の頭をいい子いい子と撫でるのだった。
「ウホ」
まんざらでもない表情を浮かべる向日斑。
世界は平和だった。
……
…………
……………………
と、終わっておけば一件落着だったのかもしれない。
しかし、久遠、契、この二人は記憶を失っていた時の出来事を全て覚えていたのだ!!
すなわち、あの糞恥ずかしい愛の言葉を交わしあったことも、抱きしめ合ったことも、キスしそうになったことも、全て完璧に覚えているのだ!
――とんでもないことをしてしまった……。
セレスの説教を食らいながらも、その言葉は右から左へと出て行っていた。
ほんの数分前まで、久遠は契を心の底から愛してしまっていたのだ。それが記憶喪失状態の時であれ、その現実はゆるぎはしてくれない。
――とんでもないことになったわ……。
姫かと熱い抱擁をかわして夢心地状態であるにもかかわらず、契の心は叩きつけられた寺の鐘のように震えていた。
洗脳された時に引き続き、またしても契は久遠のことを好きになってしまったのだ。しかも、今回は洗脳されたわけではない、記憶を失っていたとはいえ、自発的に恋してしまったのだ。
それどころか、昨日の夜には『久遠を好きな姫華を全力で応援するよ!』なんて宣言をしたばかりだというのに……。
『取り敢えず、全力で忘れよう。そうだ、嫌な夢を観たと思えば……』
二人は同時に、悪夢だったということにして忘れるようと決意した。
だが、人の心というものは、そんな簡単に行くわけもなく……。
さらには……。
「ふふふふ、二人のラブシーンは全てこのカメラに……」
二人が忘れようとも、執事長ブラッドは映像という形で、見事に保存しているのだった。




