152 神無島の正体。
「嫌な予感がしますわ……」
妖怪アンテナのように、セレスの金髪ツインテールが、ピクピクと上下に揺れる。
セレスの予感は、久遠と契がラブラブモードに突入しかけているという、予想外のところで当たっていたのだが、流石に予知能力者でもないセレスにそんな事がわかるはずもなく、この時の嫌な予感とは、久遠の身に危険が迫っているのでは、という極々当たり前のものだった。
「この島の海流ならば、外海に流されることはないはず……。だから、神住様たちはどこかに打ち上げられているはずですわ! 今すぐにでも捜索隊を編成して、神住様を助けに行かなければ……。行きますわよ!」
セレスは、向日斑、花梨、姫華に声をかけると、何の用意もなくジャングルに向かうとする。
「お待ちくださいませ、お嬢様」
その正面に、赤炎東子が両手を広げて通せんぼの形で立ちはだかる。
「えぇい! 赤炎、わたくしを止めても無駄ですわよ!」
セレスは東子を振り払ってまで、ジャングルへと向かおうとするのだが……
「言うことを聞きませんと、お傑様お注射ですよ……」
東子の手に、注射器が握られている。その注射器の中にはどぎつい緑色をした謎の液体が注入されていた。
「うっ……」
セレスはその注射針の先を見て、恐怖のあまり足をすくめてしまうのだった。
「コホン、お嬢様はお忘れですか、この神無島に生息する生き物のことを……」
「ジャングルに猛獣がいると言うんですわよね? そんなもの、ここに居るゴリラが兄妹がどうにかしてくれますわ」
ゴリラ兄妹と名指しで呼ばれた二人は、キョトンとして顔を見合わせる。
「おいおい、俺たちをなんだと思ってるんだウホ……」
「失礼だよね、お兄ちゃんウホウホ!」
調子に乗った花梨は、向日斑のマネをして語尾にウホを付けて喜んでいた。
この二人はふざけているようではあっても、身体を張って久遠と契を助け出すことに、なんの躊躇もなかった。実のところ、事の原因は調子に乗ってしまった花梨のせいなのである。脳天気に笑っていても、その大きな胸のうちは、押しつぶされそうな責任感を感じていた。だから、命に変えてでも猛獣の十や二十は、どうとでもする気満々だったのだ。
頼もしげに、向日斑は胸筋を、花梨はオッパイをプルンプルンと震わせては、やる気アピールをしてみせた。
それを見た東子は、小さくため息を付いた。
「確かに、普通の猛獣であるならば、大丈夫かもしれません。けれど、この神無島に生息する生き物は、そのような生易しいものではないのですよ」
東子の口調が、冗談など何もなく、真剣であることを伝えていた。
「赤炎、それはどういうことなの、説明をなさい!」
「お嬢様、この神無島にいる生物は、遺伝子改良によって作られたキメラたちなのです。そして、その戦闘能力たるや、実在の猛獣の比ではありません」
「な、なんですってー! どうして、そんな危険なものがここに居るんですの!」
セレスの疑問はもっともだった。ジュラシ◯ク・パークでもあるまいし、夏のバカンスに来た別荘にそんなぶっ騒なものがいるなんて、予想だにしていなかったのだ。
「勿論安全を考えて、このビーチやお屋敷に通じる通路などには、入り込むことがないようにきちんと手を打ってあるのですが、けれど今回のような不測の事態には対応しておらず……」
「一体全体、誰がそんな危険なものを、創りだしたんですの!」
セレスの追及から逃れるように、東子は視線をゆっくりと遥か彼方の地平線へと向けるのだった。
「……お嬢様、海が綺麗ですわね……」
東子は、長い後ろ髪を左手で艶やかにかき上げると、間をたっぷり使った芝居がかった台詞で、この場をとぼけ通そうとした。
この神無島は、昔々に東子が、ただ面白いからという理由だけで、DNAをいじりにいじりまくり、さらに効果も成分もわからない新薬を、大量に投与するという、やりたい放題アイランドとして活用していたのだ。それでも、人としての摂理はわきまえており、屋敷、及びレジャー施設、その連絡通路に関しては完全なる防御策を施してあった。
しかし、今回のような不測の事態は流石に想定しておらず、このような事になってしまったのだ。
「せーきーえーん!」
セレスは、オドロオドロしい妖怪じみたオーラを纏っては、血走った目で東子を攻め立てる。
「てへ」
赤炎東子は、表情一つ変えることなく、後ろ頭をコツンと叩いてお茶目しちゃったポーズで誤魔化すのだった。
※※※※
「本当にこっちでいいのか?」
「ええ、この子が教えてくれているの……」
久遠と契の二人は、道なきジャングルの中を、貧乳妖怪『ペッタン娘』の先導で進んでいた。
『ペッタンペッタンコー!』
果たして、この契の妄想が生み出した妖怪『ペッタン娘』は正しい道を知っているのか? 知っているはずなどありはしないのだ! だって、貧乳すぎるが故に生み出された、ただの妄想なのだから!
こうしているうちにも、二人は館、ビーチに向かうことなく、ジャングルの更に奥地へと向かってしまっていた。
「ふぅ、暑いな……」
ジャングルの強烈な湿度が、気温以上に暑さを感じさせ、体力を奪っていく。
しかし、弱音を吐く訳にはいかない。久遠は今、か弱い女性と二人きりなのだから……。
そう、記憶を失った久遠は、この少女が腕力空手バカ娘だとは知るはずもなく、スレンダーで線の細いか弱気な少女だと認識していたのだ。
――男である俺が頑張らないとな……。それに、この子が近くにいるだけで、なんだろう……凄く心臓がドキドキと高鳴るのは何故なんだろう……。ソワソワして全く落ち着いてくれないぜ……。
これは、今までに何度となく半殺しにされたせいて、久遠の身体が契に対して恐怖の信号を発しているわけなのだが、この時の久遠は、これを……『恋』ではないのかと、思いっきり勘違いしていた!
それと同様に契も……
――なんだろう、この男の人といると、なんだか胸の奥がカッカと熱くなってくる……。顔を見つめるだけで、メラメラと炎が燃え上がるような感覚に陥るのは何故なの……。
これは、日頃から蓄積された嫌悪感から発生する怒りの炎であるのだが、この時の契はこの感情を『燃え上がる愛の炎』だと勘違いしてしまっていたのだ!
記憶喪失とはなんと恐ろしいものなのかっ!
本来ならば憎しみ合う二人は、吊り橋効果も相なって、恋に落ちてしまいそうになっていたのだ。
「頑張ろうな!」
「はい!」
二人は間違えた感情に取り憑かれたまま、間違えた道を突き進むのだった……。




