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149 虚乳。

 

 夏、それは照りつける日差しと同様に、若者の熱い魂がスパークする季節。

 海、それは激しく打ち寄せる波のように、若者のラブが動き出す場所。

 水着、それは露出された身体の面積と比例するように、心の中をさらけ出すための衣。


「うむ、夏だ、海だ!! そして……俺は誰だ」


 神住久遠かみすみくおんは、いまだ記憶を取り戻していないままだった。

 その問いかけに、コバルトブルーの海は、何も答えること無く、ただ規則正しく波打つだけだった。

 記憶を取り戻していないというのに、平然とした顔で久遠は海パン一丁で海辺へと赴いていたのだった。

 それは何故か?


『そこに海があり、鞄の中に海パンがあったからさ……』


 意味もなく格好をつけた台詞を心の中でつぶやいて見たものの、勿論何の解決にもなってはいなかった。


「おう! 神住、海はいいもんだなぁ」


 久遠の横に並んだのは、際どいV字のビキニパンツ姿のゴリラ……もとい向日斑むこうぶちだった。

 まるでミケランジェロの石像から出てきたのかと思うほどの肉体美、そしてこれは猥褻物陳列罪なのではないかと思うほどの盛り上がりを見せたビキニパンツ。

 上を見てはドキドキ、下を見てはハラハラという、二度美味しい水着姿なのだった。


「それは犯罪じゃないのか……。いや、ゴリラがビーチにいる時点で、通報すべきなのでは……」


 久遠は向日斑のことを思い出してはいなかったが、昨日の温泉といい、この水着姿といい、只者ではないゴリラだとは理解していた。


「ど、どうした神住、そんな情熱的な視線を俺に向けるんじゃない!!」


 久遠の視線が自分の身体に注がれていることに気がついた向日斑は、慌てるようにして股間の部分を手で隠した。

 昨日の温泉での一件以来、向日斑は、久遠がもしかすると女子よりも男子が好きな性癖を持ち合わせているのではないかとの、疑いを持ち始めていたのだ。


「え? 俺そんな熱い視線を向けてたか?」


「ああ、まるでレーザービームのような熱視線を俺の股間に、コホン、ウホホ……。そ、そう言えば、女性陣はまだ誰も来てないようだなぁ、うんうん」


 向日斑は途中で話をそらすことにした。


「女性陣……水着……オッパイ……揺れる……」


 久遠の目が瞬時に獲物オッパイを狙う鷹の目へと変貌を遂げる。

 無くした記憶よりも、これからあらわれるオッパイ、それこそが大事、それが一番大事! 


「そうだ、そうだよな! 神住が大好きなのはオッパイであって、おちんちんなどではないよな!! うんうん、良かった良かった!!」


「はぁ? おまえは何を言っているんだ……」

 

 大胸筋を震わせて喜ぶ向日斑を見て、久遠は首を傾げるのだった。



 ※※※※


「さて、これからが戦場ですわよ……」


 更衣室で誰に見つからないように、こっそりと水着への着替えを終えたセレスは、戦いに挑む戦乙女ヴァルキリーのように、真剣な面持ちでビーチへと向かったのだった。


「ちーちゃん、着替え終わったー?」


「う、うん……」


 先に着替えを終えた姫華は、更衣室の外で契が着替え終わるのを待っていた。


 ペッタンコペッタンコ……


 何処からともなく声がする。

 これは、契の妄想が創りだした存在、ペッタン娘である。

 ペッタン娘は、いつも哀しそうな瞳で、自分のまっ平らな胸を見つめて涙を流す三十銭ほどの大きさの妖怪である。

 契のオッパイコンプレックスが最大限にまで高まると、この妖怪はあらわれて『ペッタンコペッタンコ』と、契の耳にだけ聞こえるわらべ歌のようなものを歌い出すのである。


「くっ……。わ、わたしがペッタンコであるかどうかは、今は関係ないのよ! そう、姫の恋のフォローさえすることが出来れば!!」


 自分の言葉で己を奮い立たせた契は、水着に着替え終えると、姫華と合流するのだった。その後ろを、ペッタン娘がテクテクと付いて行った……。

 

 ※※※※


「いやっほー! お兄ちゃーん! 久遠ー!」


 一番乗りでビーチに現れたのは、真っ赤なビキニを身にまとった花梨だ。

 花梨は、今にもそこから飛び出てきそうな大きな大きなオッパイを、タユンタユンタユンタユンと大暴れさせながら、二人の元へと猛ダッシュでかけよると、最後に砂浜の砂を蹴りあげて大ジャンプを決めて、向日斑の胸の中へと飛びついた。

 花梨の大きな胸が、クッションとなって向日斑との衝突の衝撃を和らげてくれていた。


「う、う、羨ましい……」


 記憶を失った久遠ではあるが、この二人が兄妹であるという情報はすでに知っていた。

 実に兄妹だと知っいても、羨ましくて羨ましくて呪い殺してしまいたいほどのレベルである。これがもし、血の繋がらない他人同士のスキンシップであったとするならば、嫉妬のあまり血涙を流したに違いない。

 

「何々〜? 久遠も抱きついてほしいの〜?」


 花梨は向日斑に抱きついたまま、悪戯な子猫のような瞳を久遠に向ける。

 

「はい! 抱きついて欲しいです!」


 建前と理性よりも、圧倒的に本音と欲望が勝利した瞬間である。

 この時、久遠は条件反射的に砂浜に頭を擦り付けて土下座までして見せていた。太陽の熱で暖められた砂が久遠のおでこを焼いたが、そんな痛みなど、プルルンオッパイで抱きついてくれるならば蚊に刺されたほどの痛みでもなかった。

 

「何をしているんですの!!」


 数十メートル離れたところから、鬼気迫る甲高い声が響き渡る。

 

「わたくしというものがありながらァァァァァァァァ!!」


 声の主は、周囲の植物をなぎ倒し、大量の砂を吹き飛ばしながら、音速の速さでこちらに向かって駆けてきては、久遠の目の前でソニックブームを発生させながら急停止をした。

 

「ぬわあああああ」


 久遠の身体は土下座状態のまま、ソニックブームに巻き込まれて亀のように仰向けに倒されてしまう。

 向日斑兄妹はというと、鋼の肉体と、屈強な足腰の力で、砂の上に根を生やしたかのように踏ん張って耐え切っていた。


「さぁ神住様、お立ちになりなさいな!」


 言うまでもないが、ソニックブームを起こした声の主は、セレスである。

 セレスは神住の首根っこを捕まえると、強引に立ち上がらせる。

 そして……


「あんなオッパイ小娘よりも、わたくしの水着姿をご覧になってくださいまし」


 捕まえていた手を離すと、セレスは上に羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てた。


「なん……だと……」


 パーカーの下から現れたセレスの水着姿。

 綺羅びやかなゴールドを基調としており、チューブトップタイプのブラに、下は南国をイメージさせるパレオをまとっていた。

 しかし、久遠が驚いたのはそこではなかった。

 チューブトップのブラにおさめられているオッパイが……大きい、大きい、ドデカップなのだ!!

 そのオッパイの大きさは、なんと花梨をも凌駕していた。


「ど、どういうことなのお兄ちゃん! なんで、セレセレ一日でこんなにオッパイ育っちゃったの……」


「わ、わからん……。『男子三日会わざれば刮目して見よ』ということわざは聞くが、『女子一日会わざればオッパイでっかくなっちゃった』というのは聞いたことがない……」


 向日斑兄妹は驚愕していた。

 しかし、久遠の衝撃はそんなものではなかった。

 視線はロックオンをしたレーザービームのように、その胸の谷間に釘付けになり。無意識のうちに手はいつでも揉めるようにと、ワシャワシャと指先を動かし付けていたほどだった。

 この時の久遠の思考はこうだった。


 ――た、確か昨日の話が正しければ、このセレスは俺の彼女だということになる。とすると、このオッパイを自由にする権利が、この俺にあるということに……。俺は、俺は世界一の幸せものだ! 神様、これほどの幸福を与えてくれたことに感謝いたします!


 完全に胸に見惚れる久遠の姿を見て、セレスは心の中で大きくガッツポーズを決めた。

 

「勝ちましたわ……。完全にわたくしの勝利ですわ!」


 実はこの勝利、セレスの勝利と言うわけでない。正確に言うならば、金剛院家のメイド三人娘の一人、黄影里里おうえいりりの科学力の勝利なのである。

 実はこの水着は、黄影里里が科学技術の粋を集めて設計した、オッパイが大きく見える水着なのである。

 水着の生地に内蔵された超小型3D映像投写器とマイクロコンピュータが、周りの映像を完全にトレースして、違和感のない巨乳の姿を、あたかも本当にそこに実在してるかのように投影してくれているのだ。すなわち、巨乳ではなく、虚乳と呼ぶべきものであった。


 ――あとは、触られさえしなければ、このマジックはバレることはありませんわ……。


 しかし、この時セレスは侮っていた。

 久遠のオッパイに対する熱いリビドーを完全に侮っていたのだ。

 オッパイさえあれば、三度の飯などいらなぬ。いや、水すらも空気すらもいらない。久遠という男はそういう男だ。

 自分の目の前に、理想とする虚乳が存在してたならば……どうする?

 そこに山があれば登るのが登山家。

 そこに理想のオッパイがあれば、触るのが久遠である!

 

「オッパアアアアアアアアアアアア愛!」

 

 オッパイに対する愛、まさにオッパ愛である。

 その思いに身体の全てを預けた久遠は、空に煌く星を掴みとるかのように、セレスのオッパイ目掛けて手を伸ばした。


「え……」


 予想外、完全なる予想外だった。

 もしこうなるとしても、きっと二人っきりになった時であろうと、算段を踏んでいたというのに、まさかいきなりボディタッチに来るとは……。

 しかし、セレスも数々の武道を極め、卓越した身体能力を持つ人物である。このような凡人の手の動きなど簡単にかわせ……なかった。

 オッパイに執着した時の久遠の動きは、光の速度すら凌駕する、つまりは物理法則を覆しかねないエネルギーを内包していたのである。

 

「うおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 咆哮と共に、久遠の手がセレスのオッパイに触れる……と思った刹那、その手は悲しくも空を切ったのだった。


「無い?! あるべきオッパイがそこに無い……」


 プルンプルンとした感触を味わっているはずの手には、何の感触も感じなかった。

 二度三度と、同じようにオッパイを触ろうとするのだが、その全ては虚しく空を切った。

 

「こ、これはどういうことなんだ……」


 久遠は訳がわからなかった。ただ、どうしようもない程にに悲しかった。触れると思ったオッパイは、蜃気楼のように幻で、触れることが出来ないのだから……。

 自然と久遠の眼からは涙がこぼれ落ちていた。


「あ、あのですわね、神住様……。こ、これには色々と訳がありまして……」


 セレスは観念したかのように、水着に内蔵された投写装置のスイッチをオフにした。

 すると、先程までそこにあったたわわなオッパイは消え去り、残念なサイズの小振りなオッパイが姿を表したのだった。

 セレスは恥ずかしそうに小さくなってしまったオッパイを手で覆うように隠した。


「冒涜したな……」


「……え?」


「神聖なるオッパイを、冒涜したなァァァァァッ!!」


 久遠は怒っていた。愛すべきオッパイを、科学の力を持って捏造しようなど、許されざる所業なのである。

 

「セレス! 俺はお前を断じて許しはしない!」


 怒気のこもった声が、情け容赦なくハンマーのようにセレスに向けて襲いかかる。


「そ、そんなぁ……」


 言葉のハンマーの直撃を食らったセレスは、その場にペタンと座り込んでしまって、悲しみに天を仰ぐのだった……。


 久遠も実のところ、オッパイ大好きではあるが鬼ではない。

 もし、記憶がちゃんとあったならば、セレスとの今までの経緯も含めて、こんなにストレートに怒りをぶつけたりはしなかっただろう。しかし、今の久遠にはセレスと過ごした記憶が完全に欠落している。故に、オッパイを偽った悪女としてだけ記憶に留められてしまったのだ。


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