146 オッパイ大魔王。
「そう、わたくしが神住様と出会ったのは……まさに運命でしたわ」
セレスの陶酔しきった瞳は、話を聞いている三人にではなく、数多の星輝く夜空へと向けられていた。
「運命……なんていう素敵な響の言葉でしょう。神住様は、わたくしが怪しげな空手モンスター(貧乳)に襲われそうになっているところに颯爽と現れて、助けてくださったのですわ!」
「……もしかすると、その空手モンスターっていうの、私のことじゃないよね? ねぇ?」
セレスは契の言葉を耳に入れもせずに話を続けた。
「そして、わたくしを優しく抱きかかえると……。耳元で愛の言葉を囁いてくださったのです! そして、二人は婚約の誓いをかわしたのですわ。空手モンスターはその愛の力によって塩の柱となって消滅致しましたわ!」
「……ねぇ姫、こいつ殴っても良いよね?」
握りこぶしを固める契を見て、姫華はなだめるように背中を優しく撫でる。
「ちーちゃん、どーどー! ステイ、ステイ!」
「わん!」
契は忠犬のように大人しくなった。これも愛の力といえるだろう。
「それから、わたくしと神住様は、何度となく逢瀬を交わし、遂には……き、キスを!! うふ、うふふふふふふふふふうふふふふふふふふふふふ……」
セレスは久遠とのキスシーンを思い返して、はしたなくも口元から大量のよだれを滝のように垂れ流していた。よれだは温泉の湯に溶け込んでいった。
「そしてゆくゆくは、二人結婚式を上げて、そして子どもと仲睦まじく暮らしていくんですわー!! 子供の名前は……久遠と、セレスからとって……クレスと言うのも良いかもしれませんわ」
セレスの妄想は、遂には未確定な未来へと羽ばたいてしまっていた。
「兎に角、セレセレの久遠が大好きって気持ちは、すっごく伝わったよ! 迫力すごかったし……」
花梨は、セレスの語りをまるで演劇でも見るかのように、楽しく魅入ってしまっていた。
「この程度で、わたくしの愛は語り尽くせませんわ!」
「そうだ! セレセレって、久遠のどこが好きなの?」
「そんなの……」
セレスは得意気に答えようとして言葉に詰まった。そして、腕を組んでの長考へと突入してしまった。
神住久遠のどこが好き?
顔がタイプ? そう思ったことは一度もありませんわね……。
頭がいい? むしろ、ちょっと抜けているように思えてなりませんわ……。
性格がいい? 性格が宜しければ、わたしを差し置いて、オッパイ小娘に見惚れたりなんて……
センスがいい? 正直、神住様の服装のセンスはいただけないですわ……。
趣味が合う? 神住様の趣味……オッパイと忍者が大好きなことくらいしか……。
優しい? 優しい……かもしれませんけれど、それで好きになったわけではありませんわ。
――どうして、わたしは……神住様を好きになったのでしょう……。
わからない。
答えなんて出ない。元から無い。
だからといって、この金剛院セレスが、神住久遠を好きであるという気持ちは、嘘偽りのないものであり、揺るぎない真実。
「きっとそれは……神住様が、神住様であるから……だから、好きなんですわ」
セレスはゆっくりと、一言一言を噛みしめるように、久遠への愛を言葉にする。
良いところ、悪いところ、全てひっくるめてそれが神住久遠と言う人物。
どこが好きなのではなく、神住久遠だから好きなのだ。
「羨ましい……」
姫華は誰に聞こえないような小声でつぶやく。
心の中に、小さな小さな悪魔がいて、ハートの形をした部分をチクチクと針のようなもので突き刺す。
姫華は、自分の気持をこんなにも素直に人前で話すことが出来るセレスに、嫉妬の心を抱いてしまっていた。
気持ちを隠して、知られないようにして、学校のみならず、家庭の中でもそうやって生きてきた姫華にとって、これほど羨むことはなかった。
――綺麗で、お金持ちで、好きな人に好きだと素直な気持ちを全面に出せて……。ずるいよ……。そんなのずるい……。
けれど、姫華は知っている。
本当にずるいのが自分であることを。
いつだって、セーフティーゾーンで見ているだけでは、何も変わらない、何も手に入れられない、それでもいつか奇跡が……。自分の力ではなく超常的な力による解決を求めている。
自然と涙が零れ落ちそうになる。
それを誤魔化すために、姫華は自分の顔を湯船の中に沈めた。こうしてしまえば、涙なのか、温泉の滴なのか判別がつかなくなるからだ。
「ふぅ、さて、最後は桜木さんの番ですわよ」
「……」
「桜木さん、どうかなさったの?」
「え? ごめんごめん、ちょっとぼーっとしちゃってたよぉ……」
「さぁさぁ! 最後は、ひめっちだよ〜」
「わ、わたしの恋話……」
次の言葉を、張り裂けそうな思いで見守っているのは契だった。
姫華の口から、自分に対する愛を語ってもらえる。そう考えただけで、興奮の極みに達した契は、今にも鼻血を拭き出して、温泉を真っ赤に染めてしまいそうだった。
「ひ、姫、そんなに無理してはなさなくてもいいんだよ?」
「ちーちゃん……」
契から出された助け舟。これに乗ってしまえば、いつもと同じで終わってしまう。
今ここで、自分の本当の気持をぶちまけることが出来たならば、姫華は変わることが出来るかもしれない。
だから……。
姫華は胸に手を当てて、心音を落ち着けさせると……。
「まぁ、そうですわね。こんな空手モンスターに対する愛を語られても……」
「きさま! やっぱりさっきの空手モンスターは、わたしに対する言葉だったんだな!」
「え? それ以外の何に聞こえましたの? あなた頭と顔だけでなく、耳も悪かったんですわね」
「ヤバイ……。今なにか、わたしの中でプッチンって切れた音が聞こえちゃったよ……」
「あらあらあら、これだから単細胞生物は困りますわねぇ……。小さいのは胸だけでなく、脳みそのようですわ」
「お、お前だって、胸小さいだろ!」
「あら、わたくしは小さめとはいえ、あなたよりは大きいですわ! そして、美乳ですわ!」
「どこをどうみると、美乳になるのよ!」
「そこまで言うなら、見ればよろしいでしょ! わたくしの美しい胸を! あなたのようなみすぼらしい胸は人前に晒すことすら出来ないでしょうけれど……」
「で、出来るわよ! どれだけでも見せてやろうじゃないのよ!」
二人はタオルを投げ捨てると、立ち上がって各々のオッパイをフルオープンさせるのだった。
「あ、あのぉ……わたしの恋話はぁ……」
もはや、この二人に姫華の言葉は届いてはいなかった。
腰に手を当てて胸を張った姿勢の二人は、今にも擦れあいそうなほどに距離を接近させた。
付き合わされる二対の小さなオッパイ。
そして、そこに割って入ってきたのは……。
オッパイ大魔王である。
「花梨もまぜろよー!」
胸を張るまでもなく、花梨のオッパイ力は二人を遥かに凌駕していた。
「こ、このオッパイ小娘……。デカイだけでなく、美しさすらも兼ね備えているというの……」
「ま、眩しい……。わたしには直視することが出来ないくらいに眩しい……」
強大なオッパイ力というものは、黄金色のオーラを放ち、貧乳の持ち主に対して精神肉体ともに痛烈なダメージを与えるものなのだ!
女であるセレスと契ですら、このオッパイを揉んでみたいという欲求に心を奪われそうになってしまっていた……。
揺れるオッパイから出る波動は、この世の男どもを虜にし、心の平安を与えてくれる。神が与え給うた至高のフォルムは、この世の美術家のどの作品よりも美しく、見るものの感涙を誘うことだろう。
「これは……か、神の力だとでも言うんですの……。これほどならば、神住様が触ってしまう気持ちもわかってしまいますわ……」
「世界の真理……。それがここに……」
「何言ってんの二人とも? 花梨のオッパイそんなに凄いの? なら触ってみる?」
悪魔の誘惑がここにあった。
花梨のオッパイを触る。それは至高の存在に触れるということであり、栄誉であるといえる。だか、そうしてしまえば、二人はオッパイ戦争において、完全なる敗北を認めたことになるのだ。
たとえ、すでに完全敗北しているとしても、二人の小さなプライドとオッパイはそれを認める訳にはいかない。
「冴草契……」
「金剛院セレス……」
一人一人では、ただの『貧乳』だが、二人合わされば……別にたいして変わらない!!
「まさか、あなたと力を合わせることになるなんて思いもしませんでしたわ……」
「二人の力を合わせて、あのオッパイ大魔王を……」
※※※※※
こうして、女湯は血なまぐさい戦いの場へと変貌したのである。
いまだ戦いは終わること無く続いていた……。
「はぁ……。わたしの恋話……。シリアスな感じのシーンが……。もうどうでもいいよねぇ……」
姫華は顔を半分だけ湯船につけて、口から空気をブクブクと吐き出した。
――奇跡は自分で起こさなきゃ駄目なんだよね……。
その時、姫華の頭上に流れ星が一つ流れた。




