145 シュプレヒコール。
「こ、恋話……」
この言葉を聞いて、セレス、姫華、契の三人は一瞬石にでもなったかのように動きを止めた。
「恋話……」
セレスは天を仰いで思いを巡らせる。
いくら世間知らずのセレスとはいえ、恋話というものが、女同士で今までの恋愛経験や、好きな人の話をかわすものであることは知っている。そして、神住久遠と出会うまで、男性を一度も好きになったことのないセレスにとって縁の無いものだった。
――ということは、わたくしは、神住様への熱い愛の思いを語らなければならないということになりますわね……。なんて、なんて恥ずかしい事なのかしら……。でも、少しワクワクしますわ!!
自分の恋する気持ちを、周りの人間に伝え聞かせる。こんな行為にどんな意味があるのか、セレスにはまるでわからない。けれど、どれだけ好きな人を想っているのか、熱い気持ちを誰かに伝えたくなったことは、今までになかったわけではない。胸の奥に秘めた気持ちというのは、誰にも知られたくないという思いと、誰かに知ってもらいたという思いが混在しているものなのだ。
これから自分の恋する気持ちを、他人に伝える……。それを想像してセレスは胸の鼓動を早めるのだった。
「恋話……」
契はふと隣りにいる姫華に視線を向ける。姫華と視線がすぐにぶつかりあって、逃げるように契は視線を湯船の中に落とした。
一緒に並んでお風呂に入ってる。その状況だけで、契は鼻血を十リットル流した後、フルマラソンを余裕で完走できるくらいのパワーを得ている。
そう、契にとってそこにいる桜木姫華こそが、恋、愛のみならず存在意義の全てに他ならなかった。つまり、恋を語る、それは契にとっては桜木姫華を語ることと同意語である。ちなみに、契は男に恋愛感情を抱いたことがない。それどころか、契にとって男とは、愛する姫華をいつ奪いに来るかもしれない敵でしかなかったのだ……。
同性愛は、一般的に禁断の恋と言われる類のものだ。しかも、その相手がすぐよこに……。
――むーりーだー! そんな話をできるわけないじゃない!
かと言って、恋話をしないということは、姫華を愛していないということに繋がるわけで……。
契は苦悩した。
難癖をつけて、この場から離脱してしまいたかったが、この花梨の運動能力は、悲しいかな契のそれを凌駕している。この場から逃げようとすれば、力尽くで止められることは必至で、それに抗おうとするならば、またしてもバトルが始まってしまう。そうなればどうなるか……。
『ちーちゃん! 喧嘩は駄目だよっ?』
と、姫華にたしなめられることが容易く予想できるのだ。
――て、てきとーにそれっぽいことを話して、この場を何とかして凌ごうそうしよう……。
心のなかで決意を固める契だったが、悲しいかな自分が口下手であることはよーく知っていたのだった。
「恋話……」
姫華の恋。それは契の同性愛とはまた別の隠さなければならない恋である。
姫華が心の中で思う相手、それはセレスと同じ神住久遠。
自分を新しい世界に導いてくれた人、自分を色んな人に触れ合わさせてくれた人……。
最初はそんな感謝の気持ちだった。
それが、恋であると気がつくのはすぐだった。
気がついてからは、気がついていないフリをするのに必至だった。
好きになってしまったら、告白をしたりしなければいけない……。
実は姫華は何度となく、久遠に告白をしていた。だがそれは、電波という、ありもしない夢見がちな方法でしかなかった。そんな事に意味が無いことはわかっていた。それでも、それでも、それで充分だった。夢、奇跡、そんなメルヘンチックなことが起こって、全てが上手くいくかもしれない……何てことを、夜寝る前に夢想したりしていたのだ。
遂に決心を決めて、思いを伝えようと思った時は、すでにセレスという彼女が出来ていた時だった。
いいや、これは嘘だ。
久遠にセレスという彼女が出来たから、告白をしようと思ったのだ。
セレスという彼女が居るのだから、振られても仕方がない……。
そうやって、逃げ道を作ってからの告白。ひたすら受け身で、ひたすら逃げ腰で……。そんな自分を変えたくて変えたく変えたくて、出来なくて……。
いつも、契に守られて……。
この夏、この別荘での時間で、姫華は自分を大きく変えたいと望んでいたのだ。
――で、でも……。やっぱり、どうすればいいのかわからないよぉ……。
人が進化するのに何億年もかかったように、生まれ持った性格というものは、そうそう変えることなど出来はしないのだろうか?
――こ、ここで頑張らないと、多分、きっと、絶対、駄目なんだよね……。
姫華は強く目を見開くと、この場に居ない久遠に電波を送ったのだった。
その時、まさか久遠は全裸で気絶していようとは、知る由もない姫華だった。
「うんうん、恋話ー!」
相も変わらずに脳天気にオッパイをプルンプルンさせる花梨だったが、恋話と言い出してみたものの、実際何も考えてはいなかった。
女の子が集まったんだから、恋話なんじゃなかろうか? と、どこかで聞きかじった知識をテキトーに口に出してみただけだったのだ。
まさか、こんなテキトーな一言に、三人が長々と悩んでいようとは思いもしない花梨だった。
花梨が大好きなのは、兄である向日斑文鷹だ。
なぜ好きになったのか?
花梨はそんなことを考えたことがない。
好きなのだから、それでいい。そう思っている。
たまたま好きになった相手が、実の兄だった。それだけのことでしか無いのだ。
この気持が、LIKEなのかLOVEなのか、これも花梨にとってはどうでもいいことでしか無い。
兎に角、花梨は今の状況が楽しくて幸せで、だからそれで良いと思っているのだ。
「そんじゃ、トップバッターは誰からだー!」
花梨の言葉に、お互いがお互いを見合わせて出方を観察しつつ、ツバをゴクリと飲み込む。
『先に動いたほうが負ける……』
一体何に負けるのか、そんなことは誰も知らないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
「こ、こういう時は、言い出しっぺが先に始めるものじゃありませんかしら!」
口火を切ったのはセレスだった。
「えぇ? じゃ花梨からなのぉ?」
その言葉に、三人は一斉に頷いた。
「もぉ〜。年下に一番手を任せるとかー。まぁいいかぁ。あのね、花梨が好きなのはお兄ちゃんです!」
普段と何らかわらぬ口調で花梨は言ってのけた。
そして、他の三人はこの後に続くであろう言葉を待ったのだが、花梨はそれだけ言うと素知らぬ顔で黙りこんでしまった。
「え? まさか、それだけで終わりなのかしら……」
「うん! 他になんかあるの?」
「そ、それは……好きな相手とどんなことを……」
そこまで言いかけてセレスは言葉を止めた。
花梨が好きな相手はあのゴリラである。
あのゴリラとのイチャラブ話を語られたところで、どうリアクションを取ればいいのかサッパリで、ワクワクドキドキなど微塵もするわけもなく、ただ不毛な時間が過ぎるだけなのである。
「さ、さぁて、次に行きましょう次に!」
「よぉし! んじゃ、花梨が指名するね! 次はぁ……」
花梨が舐めるように三人を見回す。
その時、契が逃げるように視線を外したのを、花梨は見逃さなかった。
「次は、ちぎりんね!」
無慈悲な花梨の指が契を指し示す。
「……い、嫌だァァァァァァァァ!」
間髪入れずに契は叫んだ。
「え? ちぎりんは、ひめっちのことが大好きなんでしょ? その話をしてくれればいいだけじゃん」
「うっ……」
ここで否定しては、契の姫華に対する恋心を否定することにも繋がりかねない。そう思った契は渋々ながら、話を始めることに同意するのだった。
「わ、わたしが好きなのは……ひ、姫だ!」
「うんうんそれでそれで!」
先ほど自分はそこまで言っただけで話を終わらせたというのに、花梨はその続きを急かさせた。
「このオッパイ小娘、ナチュラルに外道ですわね……」
契は少し考えこむと、ええいままよ! という感じで話を続けた。
「ひ、姫は……小さい頃からそれはもう可愛くて可愛くて、可愛くて可愛くて可愛くて、表現し尽くすためには、あと数万回繰り返さなければならないくらいに可愛くて……」
契はゆっくりと小さな声で語りだした。
「え、えらく狂気を含んだスタートですわね……」
「思わず後ろから抱きしめて、頬をスリスリしてしまいたくなったり、お姫様抱っこをして辺りを駆けまわってみたり、そのまま家に連れて帰って一緒に暮らしたいくらい可愛くて……」
「なんだか、犯罪の臭がしてますわ……」
「恋話ってこう言う話をするもんなの!?」
セレスと花梨の言葉はもっともだった。これは恋話というよりも、独白、独演と呼ぶべきだろう。しかも、些か狂気めいている。
それもそのはず、恋話をしなければいけないという、重度の緊張感が契の精神の均衡を完全に破壊してしまっていたのだ。契の目は、どこぞの忍者漫画の写◯眼のようになっており、言葉に合わせ指先がワナワナと触手のように動いていた。
「そう! 姫は、この世界において生きるべき希望であり、絶対に守るべき存在なのよ! たとえ全世界が敵に回ろうとも、全宇宙がそれを阻もうとも、わたしは最後まで姫を守る! 姫の、姫による、姫のための世界! それをわたしは作り上げ守りぬくことに、この全生命をかけるわ!!」
「もはやどこぞの政治家めいてきましたわよ……」
「セレセレ、恋話ってこんなのなの……」
「ち、ちーちゃん……」
三人はこの時、恋話というものは振って良い相手と駄目な相手がいることを知るのだった。
「さぁ! みんな姫を讃えよう! この手を空に掲げて叫ぶのよ! 姫バンザーイ! 姫バンザーイ!」
「……」
三人は黙りこんでしまったが、契の狂気はそれを許しはしなかった。
「さぁ! 手を! かかげて! 言うの! 今すぐに! さぁサァサァサァサァサァサァサァ!!」
今の冴草契に逆らったら命はない……。
それがこの場に居るものの総意だった。
「ひ、姫バンザーイ!」
「もっと大きな声で!」
「ひ、姫バンザーーーい!」
「手を空高くに!」
「姫バンザアアアアアアアアアアイ!」
「あと十回!!」
こうして、何故か讃えられるべき存在である姫華自身も、自分を称えるシュプレヒコールを叫ぶのだった。
五分が経過して……。
「あれ、わ、わたし何をしてたんだっけ?」
やっとのこと正気に戻った契は、自分を見る周りの視線の変化に気がついた。
『アイツにだけは絶対に恋話をさせてはいけない……』
みんなの目はそう語っていた。
「よ、よく覚えてないけど、わたしの番は終わったんだよね? じゃ次は……金剛院セレス!」
「わ、わたくしですか? よ、よろしいですわ! 本物の恋話というものを聞かせて差し上げますわ!」
根拠の無い自信を小さな胸に秘めて、セレスは少し緊張しながらも口を開くのだった。




