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134 お尻に注射!


 学生、しかも高校生、更に二年生の夏休みというものは、当たり前だが一度しかない。

 二度あったと言いはる奴が居たとしたならば、そいつは前世の記憶を持っている転生野郎に違いない。なので周囲の人間は、いつの間にかファンタジー展開に巻き込まれたりしないように、注意をしておいたほうがいいだろう。

 

 そんな心ウキウキワクワクな夏休みに突入したというのに、神住久遠かみすみくおんは、部屋のベッドに寝転がっては、天井の模様を呆けた顔で眺め続けていた。

 何をしているのか?

 普通の人間ならば、『ああ、寝転んで休息をとっているんだなぁ』と思ってしまうところだろう、だがこの男は、ボッチマスターである。一人で意味なく時間を潰すことにかけては、もはやプロと言って良いレベルに到達しているのだ。

 そう、この一見急速をとっているように見えるこの状況、実は……壮大な宇宙戦争を展開させているのだ。

 

『何言ってんだ?』


 と、普通の人ならば思うところだろう。

 神住久遠は天井にあるシミの一つを宇宙戦艦に見立てて、壮大な艦隊戦を脳内で思い浮かべていたのだ。

 

「左舷弾幕薄いよ!」


「艦隊、輪形陣にて旗艦を守護しろ!」


 一人しか居ないはずの部屋に、誰にかけられているのまるでわからない謎の戦略用語が飛び交っていた。(しかも熱の入った芝居で)

 実はその声を、偶然通りかかった母親がドアの外で耳にしていたのだが、『はぁ……』と深い溜息をついては、聞かなかったことにして部屋の前を通り過ぎていった。

 母親の苦悩察して知るべし。

 こんな気持ち悪い夏休みをエンジョイしている神住久遠だったが、これは、二日後に迫ったセレスの別荘への旅行という現実から目をそむけるための行為なのだった。


『いやいやいやいや、確かに夏休み、別荘、海、水着、女の子……。これだけの要素が揃っていれば、何かを期待しないわけはない。期待するに決まっている! だけど、だけどっ……それが怖い……。実際俺が想像するような展開になった時、俺はどうしていいのかさっぱりわからん……』


 金剛院こんごういんセレスは、神住久遠に惚れている。

 いくら恋愛に鈍い久遠といえども、海辺での告白、そして極めつけは――キス、しかも舌を絡めたディープなキスすらもかわした現在、これで恋愛感情に気がつかないとしたら、脳みそがスポンジとしか思えないレベルである。

 一応、人間の脳みそを持っている久遠は理解はしていた。けれど、いまだにちゃんとした恋人同士だという事を認めることを恐れているのだ。

 ボッチマスターは言い換えてしまえば、誰かと対になることに関しては初心者以下ということになる。

 恋人同士というのは、友人すらも超越した一対一の関係。そんなものに、ボッチマスターが急に対応できるはずもなく、ただ現実から目をそらすという情けない選択肢を選んでいたのだった。


「セレスの別荘に行くのは明後日か……」


 部屋のかけられているカレンダーに恨めしそうに目をやると、『時間が止まればいいのに……』なんて無理なことを思ったりしていた。

 

「はぁ、病気にでもなれば、行かなくて済むのにな……」


 そんなネガティブなことを考えつつ、布団の中に潜り込む。

 そして……。


 

 ※※※※※


 翌日久遠が目を覚ますと……。


「なんだ、頭が痛い! 頭が痛いだけでなく燃えるように熱い……。これは、病気だァァァァァァッ!」


 ベッドから上半身を起き上がらせようとして、自分の頭部の重さを支えられずに、そのままコテンと後ろに倒れこんでしまう。

 

「しかもこれは……かなりの重病だァァァァッ!!」


 久遠の言葉に嘘はなかった。

 呼吸は乱れ、全身は汗だく、身体は火照り、目は虚ろで、食欲が皆無。

 これが病気でなくて何が病気というのかという、わかりやすいほどの病人になっていたのだ。


「ま……まさか、こんな後ろ向きな願いがかなってしまうとは……」


 物語の主人公が、夏イベントに病欠で参加しない!


 ――いま俺が出来ることを把握しておこう……。


 朦朧とする頭で、久遠は自分が今できることを考えた。


 立ち上がる。――無理。

 飯を食べる。――無理。

 手を動かす。――なんとか可能。

 喋る。――短時間で咳混じりなら。

 メールをする。――短文なら。(ただし内容は保証しない)


 つまるところ、寝ている以外のことは殆どできはしなかった。

 が、久遠は一応とはいえ一般常識を持ち合わせている男子高校生だ。

 混濁した意識の中でも、病気で別荘にいけなくなったのならば、きちんと連絡をしなければいけない! そう考えるくらいの知能はなんとか残っていた。

 久遠はベッドの中から手を伸ばすと、近くに置かれているであろうスマホを探した。自分の意志とは裏腹に思うように動いてくれない腕は、スマホを見つけ出すのにかなりの時間を要してしまった。

 スマホを手にして手元に持ってきた時には、呼吸は更に乱れ、指先もおぼつかなくなってしまっていた。

 

 ――電話でしゃべるのは無理だ……。メールをなんとか……。


 久遠はセレスに、電話やメールをするとアレがアレな感じでアレしてしまう病にかかっている、という嘘設定を教えているわけなのだが、今実際に病気になっているというのは皮肉だった。

 久遠は、タッチパネルをまともに見る力も残っていなかったが、完結に『ごめん、病気で明日行けない』とだけ、文字入力をすることに成功した。

 そして、送信ボタンを押す。

 メールがちゃんと送信できたのかどうか、それを確認する前に久遠の意識は途切れてしまった。

 病魔と睡魔が、久遠を深い深い眠りの奥へと引きずり込んでしまったのだ……。


 

 ※※※※


「か、神住様が、ご、ご病気ですって……」


 セレスは久遠からのメールを目にすると、ショックのあまり携帯を床に落としてしまった。普通ならば、ディスプレイが割れてしまうところだが、セレスの特注携帯は耐衝撃仕様になっており、ライフル弾にも耐えられるように作られていた。それでいて軽量コンパクト! これは黄影里里おうえいりりの手によってつくられたものだった。


「どうしましょう……。明日の別荘などよりも、神住様のご様態のほうが心配ですわ……。どうすれば……」


 セレスはどうしていいのかわからずに、部屋の中を右往左往するばかりだった。


「そうですわ、国際的な医師団を編成して神住様のおうちに……。あと、顔が半分黒白の無免許医とかも呼びましょう! そうしましょう!」


 執事長ブラッドを招集して、大医師団を編成しようと仕掛けたその時。


「お待ちくださいませ、お嬢様」


「赤炎!?」


 音もなく現れたのは、メイド三人娘の一人、赤炎東子せきえんとうこだった。


「ここは、わたしにお任せくださいませ。全ては万事解決してみせます」


 赤炎東子はペコリと頭を下げつつ、メイド服の袖の下に忍ばせた薬品を握りしめて、誰に気が付かれないようにニヤリと笑ったのだった。

 


 ※※※※


「うーん……」


 久遠は布団の中でうなされていた。

 悪夢を見ていたのだ。

 謎の赤髪の美女に、太い太い注射針を穴の穴に刺されるという……。

 そんな恐ろしい悪夢だった。

 あまりの悪夢に、目を覚ますとそこには……。


「おはようございます。神住様」


 メイド服の赤炎東子が、何事もないように、極々自然に部屋の中にいたのだった。


「ゆ、夢なのか……」


 混濁した意識の中、久遠はこれが現実であると認識できなかった。

 

「さぁ、どうでしょう?」


 赤炎東子はいたずらっぽく笑ってみせた。

 そして、久遠の頬に優しく手を当てると顔を近づけた。

 赤炎東子の手に伝わる熱のこもった感触と、数センチの距離にある顔にかかる熱い吐息が。むくむくとドS心をかきたてていった。


 ――苦しんでいる、弱っている人間の姿というものは、なんと美しいものなのでしょう……。


 とろけるような表情で、思わず久遠の唇を奪ってしまいそうになったが、相手がお嬢様の想い人であるということを思い出して、ギリギリのところで踏みとどまることが出来た。

 

「神住様、すこしばかり痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」


「……え?」


 赤炎東子は、久遠の布団を勢い良く引っぺがす。

 そして、布団だけにとどまらずに、久遠のトランクスすらも引剥したのだ。

 

「あらまぁ……。素敵なおしりですね」」


 久遠はこの時、『ああ、これは夢だ、間違いなく夢だ』と判断した。

 まさか、現実でいきなり女の人が部屋にやってきて、自分のトランクスを脱がしてくるようなことがありえるはずがないからだ。

 

「それじゃ、いきますわね……」


 極太注射を手にした赤炎東子は、慈しむようにその注射器に頬ずりをすると、久遠のお尻にその針先を向けた。

 そして、躊躇うこと無くその注射針を久遠のケツに向けてぶっ刺したのだった!!


「ひ、ヒギィィィィィィ!!」


 久遠は大絶叫をした後に、意識を失ってまた夢の世界へと落ちていった。


「ふぅ、これで明日には病気は完治しているはずです。まぁ問題は……副作用なのですけれど、それはお楽しみということで……うふふふっ」


 赤炎東子は、少し名残惜しげに久遠の痴態を眺めた後、お尻にきちんとトランクスを履かせ直すと、そのまま消え去るように部屋をあとにしたのだった。

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