番外編 01 二人の水着選び。
「はぁ……どうしよう……」
晴れ晴れとした日曜日の朝だというのに、冴草契は、重いため息を自室のベッドのシーツに吹きかけていた。
冴草契の部屋は、部屋の中央にサンドバックが吊るされているという、女子力が最低レベルの部屋だった。可愛い小物が並ぶわけでもなく、ぬいぐるみがあるわけでもなく、質実剛健、そんな言葉が似合うような部屋だった。
そんな空手バカ一代女の冴草契が、何を悩んでいるのかというと……。
「水着どうしよう……」
冴草契は自分のまっ平らな胸を見つめては、重いため息を繰り返していたのだった。
女子力最低を誇る冴草契とは言え、れっきとした女の子。そういう所は悩んでしまうものなのだ。
「なんで、わたし別荘に行くことになったんだろう……」
問いかけの言葉を、誰も居ない部屋に投げかてみるのだが、その答えは明白で自分自身もよく理解していた。
愛する桜木姫華が行くのだから、行くに決まっているのだ。
もし、桜木姫華が『わたし火星に行くー』と言えば、喜んでい着いて行くに違いないだろう。下手をすれば、トイレの個室の中にすら着いて行きかねないほどに、ラブしちゃっているのだ。
「はぁ……。でも、海に行けば姫の水着姿も見れるんだよなぁ……うへへへっ」
冴草契は、人前では決して見せることのない緩みきった表情を見せた。
――きっと、姫は可愛いフリフリのついたワンピースの水着とかなんだろうか……。いや、頑張ってビキニなんか着ちゃったりなんかして……でも、そんな姿を他の奴らに見せたくなんてない! 特にあの神住の奴には見せられない! うーむ、海に着いた瞬間に奴の目を潰すべきだろうか……。
冴草契は、左手で目潰しの練習をし始めるありさまだった。
そんな矢先、スマホの着信音が鳴り響いた。
「あっ!」
設定していある着信音で、相手は誰だかすぐに解った。
ゆえに、冴草契は全身のバネと筋力を最大限に使い俊敏な動きでスマホをつかみとると、目にも止まらぬ高速の指さばきで着信を受け取った。
「姫ー! どうしたの? ねぇどうしたの?」
冴草契のお尻に尻尾が生えていたならば、ちぎれんばかりにフリフリしていたことだろう。
『やほー、ちーちゃん。あのねあのね、セレスさんの別荘に行くことになったでしょ? だから、一緒に新しい水着を買いに行かないかなーって』
「行く! 今すぐ行く!」
「そ、即答すぎてちょっとびっくりしちゃったよぉ……」
「びっくりした? ごめんね」
「ううん。それじゃ、今日のお昼に駅前のデパートで待ち合わせで良い?」
「うん! オッケーだよ!」
冴草契は電話の前で大きく頷いていた。
「それじゃ、お昼にねー」
要件だけのシンプルな電話は、すぐに終わってしまい、冴草契は受話器からもう聞こえない桜木姫華の声に、寂しさすら感じていた。
「えへへ、姫とデートだ! しかも、二人で水着を選ぶだなんて……うへへへっ」
これ以上ないくらいに目尻を下げて、口元を緩ませた冴草契は、ベッドの上を枕を抱えて転げまわるのだった。
※※※※
「さてと、ちーちゃんと約束できたし……。後は……」
電話を終えた桜木姫華は、スマホを握りしめたままソワソワと落ち着かない様子だった。
桜木姫華の自室は、冴草契とは打って変わって、女の子女の子した部屋だった。ピンク色を基調とした部屋のいたるところには、様々な動物のぬいぐるみが鎮座し、今向かっている勉強机の上にはチンチラちゃんのぬいぐるみが置かれいてた。
「ねぇチンチラちゃん、どうしよう……。か、神住さんも誘っちゃおうかなぁ……。で、でも水着を選んでるところとか見られたら恥ずかしいし……。でも、選んでもらいたい気もするし……。それ以前に、神住さんにはセレスさんが居るし……」
桜木姫華は、チンチラのぬいぐるみの頭を指先でチョンと突いてみせた。
しかし、連絡を取ろうにも、あれ以降電話どころかメールのやり取りすらしておらず、それなのにいきなり水着を選ぶのについてきてくれませんか? なんて事を言えるはずもなかった。
「うん。頑張って、とびっきり可愛い水着を選ぼう。そうしよう。頑張れ、わたし!」
桜木姫華は、チンチラのぬいぐるみをギュッと抱きしめると、自分に向けてエールを贈るのだった。
※※※※
日曜日の駅前商店街は、買い物客で賑わっていた。
デパートの前で、キョロキョロと辺りをせわしなく見回しているのは冴草契だった。
今は待ち合わせ時間の、三十分前。普通に考えればまだ来るはずがないのだが、それでも高鳴る胸の鼓動を抑えることが出来ずに、落ち着いてはいられなかったのだ。
冴草契という人となりを知らない人がその姿を目にすれば、彼氏がやってくるのを待つ女の子のように見えるのかもしれないが、ところがどっこい待ち合わせ相手は女の子、しかもその子に恋しちゃってるときている。
冴草契の服装は、いつもの様にTシャツに七分丈のジーンズというラフなものだった。愛しの姫と会うのだから着飾っても良いものなのだが、姫を守る騎士でありたいという思いの現れか、ついついボーイッシュな出で立ちになってしまうのだ。
けれど、髪には幼い時に送られたヘヤピンを忘れること無くつけていた。ボーイッシュな服装と単発の髪型に、それはとても浮いているように見えたが、そんな事は冴草契には関係なかった。たとえ全裸にされようとも、そのヘヤピンだけは命がけで守るに違いないのだ。
「ちーちゃーん」
スカートに花の模様をあしらった、薄いグリーンのワンピースで、手を振りながら小走りにこちらに向かってるのは桜木姫華だ。
「そんな急がなくてもいいよ。ほら、転けそうじゃん!」
「えー? そんなにドジじゃな……」
と、そこまで言いかけたところでお約束のように、石畳に足を取られてバランスを崩してしまった。
「えいっ!」
可愛い声をあげて、軸足で必死に踏ん張って倒れるのを阻止する。そして、『どうだー、大丈夫だぞぉ!』とばかりに、冴草契に向けてのピースサイン。
冴草契でなくても、こんな姿を見せつけられた日には、世の男どもは『キュン』と、ときめくような擬音を発してしまうこと必死なのだ。
そして、愛しまくってしまっている冴草契はといえば……。
――はぁぁん、もう抱きしめたい! 抱きしめて頬ずりしたい! そして、家に持ち帰って一緒に末永く暮らしたい!!
そんな狂気と情熱を帯びた思いを、必死に胸のうちに隠して。
「もぉ、姫はやっぱり慌てん坊さんだなぁ〜」
と、平静を装ってたしなめてみせるのだった。
「うーん、新しい靴をおろしたせいだよ? 普通なら転けそうになったりなんてしないよ?」
桜木姫華は、おろしたてのスニーカーのつま先を、コツコツと石畳にリズミカルに打ち鳴らしてみせた。その後、クルリと一回転して見せては『ほら大丈夫!』と笑ってみせる。
「まぁ、また転けそうになっても、わたしが支えてあげるからさ」
「ぶーぶー。もう転けないもーん!」
これが男女のカップルであるならば、甘い甘い恋人同士の会話にほかならないのだが、二人は女の子同士。
そんな二人の、甘い甘い? 水着選びがスタートするのだ。




