131 禍神真宙は健気可愛い。
「というわけでだな、神住!」
「どういうわけだよ!」
蛇紋神羅は、事あるごとに話しかけてきた。
そう、それは授業中であろうと関係なくだ。
「すみません、あの今授業中なので、私語は謹んで……」
「はぁ? この俺に向かって一介の教師風情が意見しようと言うのか! いい度胸だな!」
何かあるたびに毎度この始末で、勇気を持ってこのワガママ大富豪に立ち向かおうと言う教師は一人も居はしなかった。誰だって、我が身が可愛いのだ。人生という名の湖に、要らぬことで波を立てたくなどないのだ。
どいう言うわけか知らないが、俺はこの蛇紋神羅に気に入られてしまったらしい。
蛇紋神羅曰く。
「この俺に、正面から挑んできた庶民はお前くらいのものだ! その度胸たるや、称賛に値する」
とのことだ。
そんな賞賛はそこらに捨ててくれていいので、できれば話しかけてきてほしくないものだ。
あのキス発言以来、蛇紋神羅が俺に話しかけてくるたびに、クラス中にどよめきが上がるのだ。そう、俺は同性愛疑惑が掛けられてしまっているのだ……。
結局のところ、放課後に至るまで、俺は授業中休み時間問わずに、この蛇紋神羅のどうでも良い会話から逃れることは出来なかった。
更に、恐ろしいことが一つわかった。
「禍神、机の上に教科書を並べろ」
「はい、蛇紋様」
「禍神、ハンカチ」
「はい、蛇紋様」
「禍神、トイレ」
「はい、蛇紋様」
蛇紋神羅は、まるで使用人のように禍神真宙くんを扱うのだ。
というか、これってマジで使用人なんじゃないのか?
俺はその素直な疑問をぶつけてみた。
「ん? そうだ。この禍神は我が蛇紋家に仕える使用人の一人だ。この俺が、たった一人でこんな庶民の高校にやってくるわけがないだろ。不便で不便でやっておれないわ」
いやいや、お前があまりにも自分で何も出来ずに、使用人に頼らないと生きていけない糞人間なだけだろう。
「わ、わたしは、蛇紋様にお仕えできることを光栄に思っております」
禍神くんはうやうやしく糞蛇紋に向けて頭を深々と下げた。
健気だ……。健気で可憐だ……。
この禍神真宙くん、一挙手一投足全てが儚げで健気で可憐だという、とんでもない存在だった。
「うぉぉぉぉ! 禍神きゅん!」
「萌えぇぇぇぇ!」
「俺、禍神くんとなら、道を踏み外してもいいわ……」
至る所で、男子校だというのに黄色い声が飛び交っていた。
転校してきて数時間で、この禍神真宙という男の子は、守ってあげたい男子No.1の座を射止め、さらにはファンクラブが結成されるほどの大人気なっていた。
もし、蛇紋神羅の使用人という立場でなければ、このクラスの中で禍神真宙くんをめぐっての男同士の醜い争いが勃発していたに違いない。
ちなみに、俺もファンクラブに入ろうかどうかと迷っているところだ! だって、可愛いからな! いや、違うぞ? 美的に感覚で可愛いと思っているだけで、別に恋愛感情とか、同性愛がどうとかじゃないんだからね! 本当なんだからね!
「ほぉ、男子だというのに、まるで女子のような顔立ち。腕もほれ、ぷにゅぷにゅだぞ!」
向日斑は、まるでクラスメイトの男子と普通に接するように、禍神くんの腕を無造作に掴んでみせた。
「ひゃん!」
その行動に驚いた禍神くんは、小さな声で女の子のような可愛い悲鳴を上げた。
その瞬間にクラス中から
「萌えぇぇええええええ!」
との、大合唱が巻き上がったのだった。
「うーん、もう少し鍛えたほうがいいと思うぞ?」
「は、はい。申し訳ありません……」
禍神くんは、掴まれた腕をさすりながら、その腕に頬を添えるようにしておずおずと謝罪の言葉を述べた。
「ふん、この我が蛇紋家の使用人に対して、意見するとは一億年早いのぞ、このゴリラめ!」
「あっはっは、ゴリラときたか。まぁゴリラだからな、ウッホウッホ」
普通ならば罵倒になるゴリラという呼び名だが、向日斑はまるで意にも介さない。すんなりと受け止めてみせる。ここが向日斑の度量の大きさというところだ。
「しかし、このゴリラ……どこぞで会った記憶が……。え……まさか……いやいや、金色じゃないからな……」
どうやら、この蛇紋神羅はこの向日斑が、昨日の暴走ゴリラと同一人物であると、きちんと記憶していないようだった。まぁ普通の人間は黄金色のオーラを放ちながら、サイコキネシスを跳ね返したりなんかしないから仕方がない。
「ま、まぁ良い。そのゴリラフェイスに免じて、禍神への言葉は許してやることにしよう」
「そうか、許してくれるか。ウホウホ、まぁバナナでも食べるか?」
いつものように、バナナ専用鞄から一本のバナナを取り出す。本当にこいつは学校にバナナを食べに来ているのか、勉強しに来ているのかわからないやつだ。
「……ふん。この高貴な俺がこんなバナナなど食べるものか。とは言え、無下に断るのも忍びない、禍神代わりにお前が食べておけ」
「は、はい蛇紋様……」
蛇紋神羅は、向日斑から渡されたバナナを禍神くんに渡す。それを受け取った禍神くんはいくらか戸惑いながらも、バナナを皮をゆっくり丁寧に剥いていくと、少し濡れた瞳でしばらくそのバナナを見つめたあと、小さなお口を大きく開いて口にくわえた。
「ウ、ウオォォォォォォ!」
クラスから今までにないほどの大絶叫が巻き起こる。
カシャッ、カシャッ、とスマホのカメラアプリを起動させる音が多数こだまする。
「ふん。禍神の小さな口には、そのバナナは大きすぎるようだな」
「す、すみまひぇん……」
禍神くんはバナナを口に含んだまま、少し涙目になりながらフガフガと答えたのだった。それはもう、男であろうと何であろうと、萌えざる負えない光景だった。
「あっはっは。俺のバナナを美味しそうに食べてくれて何よりだ」
うん、この台詞だけ聞くととんでもなく卑猥な発言に聞こえてしまうが、そこのところスルーだ。
しかし、向日斑のやつ、こんな美少年が相手だと言うのに、興奮したり発情したりはしないものなのだなと、俺は不思議に思っていた。
なので、コッソリとそれを聞いてみた。
「おいおいおい、俺は男だぞ? いくら見た目が可愛いとしても、男が男相手にそんな感情を持つわけがないだろう。ウホウホ」
と、さっくりと答えてくれたわけだが……。
いや、向日斑お前の言うことは正しい。だが、お前は知らない、お前の愛してやまない忍者こと七桜璃は実は男の子だということを……。
「そ、そっかー。そうだよな。それが普通だよなー!」
七桜璃が男である、この事実をいつ告白すればいいのか、神様教えて下さいませ。
出来ることならば、このまま事実を知ること無く終わってくれればいいのだが、いつの日かバラさなければならない日はきっとやってくるだろう。その時、向日斑はどんな顔をするのだろうか……。考えただけで頭が痛くなる。
しかし、きっとそれは今日ではないのだろうから、出来るかぎり先延ばしにしてこの頭痛の種を取り除いておこうと思うしかないのだった。
「あ、あのぉ……。実は授業中なんですけど……。みんな、授業聞いてるのかなぁ……」
教師がべそを書きながら板書を続けていた。
※※※※※
ああ、眠い……。
授業中と休憩時間、全て睡眠時間に当てる予定だったと言うのに、予想外の転校生のおかげで、一睡もできないままに放課後になってしまった。
今日は土曜日、なのでお昼すぎで授業は全て終わりだ。
「お、神住何を急いでるんだ?」
向日斑の問いかけを無視して、俺は急いで帰り支度を始めていた。
その理由は言うまでもなく、蛇紋神羅にあった。
蛇紋神羅は、何やら転校の手続きだかなんだかで教師に呼ばれて教室に居なかった。この間隙をついて速攻で下校してやろうと言うのだ。
俺は教科書ノートを乱雑に鞄に詰め込むと、慌ただしく席を立とうとして……弱々しい声で呼び止められた。
「神住様……。少しお待ちくださいませ」
この俺に向かって、なぜだか様つけをして呼ぶのは、禍神くんだった。
「あのさぁ、俺は別に、禍神くんのご主人様ってわけじゃないんだからさ、様をつけて呼ぶのはやめてくれるかな」
まぁ、セレスにも様付けで呼ばれているわけだけれど、それはいつの間にか慣れてしまっていた。そう言えば、一時期ダーリンって呼ばれていた気がしないでもないが、あいつ恥ずかしくなったのかその呼び方しなくなったな。決して作者が忘れていたわけじゃないぞ? ぞ? ぞぉ?
「じ、じゃあ、か、神住くん……」
「うっ!」
モジモジと手を胸の前で組みながら、上目遣いの目を潤ませての君付け呼び。これは、これはかなりくるぜ、俺の心にビンビンとくるぜ!
「蛇紋様が戻ってくるまで、待っててくれないか……な?」
「はい! 待っていますとも!」
はっ! いけない。かわいすぎて言いなりになってしまった。まさか、これが禍神くんの異能の力――だったりしないよなぁ……。
「まぁまぁ、いいじゃないか。友達を待ってやるのはいいことだぞ?」
向日斑が俺の背中をバシバシと遠慮無く叩きつけながら言った。こいつは確実に手加減して叩いてくれているのだが、こいつの手加減はどう種族のゴリラに合わされているので、普通に痛いのだ。
「……てか、友達? アイツが俺の友達? はぁ……」
いつの間にか、俺には友だちが増えてしまったらしい。それは喜ぶべきことなのか……難しいところだった。




